『ジョー、満月の島へ行く』:1990、アメリカ

8年前まで消防士だったジョー・バンクスは、現在はアメリカン医療器の直腸ゾンデ部に勤務している。宣伝広報を担当しているジョーは、いつも上司に怒られてばかり。体調の優れないジョーはエリソン医師の診察を受け、余命6か月と診断される。
会社を辞めたジョーは、同僚だったディーディーとデートする。ディーディーと共に一夜を過ごそうとするジョーだが、余命6か月と聞かされた彼女は立ち去ってしまう。翌朝、ジョーの元を、超伝導体メーカーの社長で大富豪のサミュエルが訪れる。
サミュエルはジョーに、南太平洋の小さな島“ワポニ・ウー”へ行き、火山に飛び込んでもらいたいと告げる。島では100年ごとに火山への生け贄としてワポニ族の誰かが飛び込むのだが、今回は志願者が1人も現れなかったというのだ。
超伝導体の材料がワポニ・ウーでしか採取できないため、サミュエルは採掘の権利のためにジョーを送り込みたいというのだ。20日後に火山に飛び込む儀式があるが、それまではサミュエルのカードで金は使い放題で構わないという。
依頼を引き受けたジョーは、ニューヨークで買い物をしてロサンゼルスへ向かい、サミュエルの娘アンジェリカに迎えられる。やがてジョーはアンジェリカと別れ、彼女の腹違いの妹パトリシアと共にヨットで島へ向かう。だが、嵐で船が難破してしまう…。

監督&脚本はジョン・パトリック・シャンリー、製作はテリー・シュワルツ、製作総指揮はスティーブン・スピルバーグ&キャスリーン・ケネディ&フランク・マーシャル、撮影はスティーヴン・ゴールドブラット、編集はリチャード・ハルシー、美術はボー・ウェルチ、衣装はコリーン・アトウッド、音楽はジョルジュ・ドルリュー。
主演はトム・ハンクス、共演はメグ・ライアン、ロイド・ブリッジズ、ロバート・スタック、エイブ・ヴィゴダ、ダン・ヘダヤ、バリー・マクガヴァン、アマンダ・プラマー、オジー・デイヴィス、ジェイン・ヘインズ、デヴィッド・バートン、リサ・ルブランク、ジム・ハドソン、アントニ・ガッティ、ダレル・ツワリング、ジム・ライアン、カール・ランバーグ、ブライアン・エステバン、ネイサン・レイン他。


ジョン・パトリック・シャンリーが初めて監督を務め、トム・ハンクスとメグ・ライアンが初共演した作品。トム・ハンクスがジョーを、メグ・ライアンはディーディー、アンジェリカ、パトリシアの3役を、ロイド・ブリッジズがサミュエルを演じている。

冒頭で描写される会社の造形は、いかにも“都会の陰鬱で無機質な空間”が誇張されており、良い意味で非現実的なのだが、その誇張が冒頭のシーンだけで終わってしまう。都会の“作られた”イメージを、もっと深く突っ込んで描いて欲しかった。
都会や会社のイメージ描写が軽いから、ジョーの無気力な態度が「都会や会社での生活に疲れたから」ではなく、そもそも根っから気力が無い男のように見えてしまう。そうなると、この作品の核の部分が薄れてしまうのではないだろうか。

ニューヨーク、ロサンゼルス、海&島と、場所が変わるのと同調してメグ・ライアンの演じる役も変わるのだが、そんなこととは全く関係無く、場面転換と共に話が切れてしまう。つまり、それぞれの場面がバラバラで繋がっていないのだ。
ハッキリ言って、ロサンゼルスのシーンと海でのシーンは要らなかったと思う。
もっとニューヨークの都会を誇張した描写を増やして、こからは一気に島へ飛び、島での色々な出来事を描いた方が、そのコントラストによって面白くなったのではないだろうか。

おそらく、この作品はコメディーとして作られているはずなのだ。
しかし、どう考えても、どこで笑わせようとしているのかがサッパリ分からない。やたらハートフルに傾きすぎて笑いが全く感じられないのが、この作品の致命的な欠点となっている。
ドタバタやトークの面白さで笑わせるのではなく、皮肉めいた描写などでニヤリとさせようという意識があるのかもしれない。ただ、「死を強く認識することで生きる意味を知る」といった、ヒューマンな部分ばかりが強く感じられる。

別にヒューマンな香りは悪くないのだが、それは笑いのオンパレードの中から匂い立つ形にしておくべきだろう。ヒューマンな部分を徹底的に主張したいのなら、中途半端にコメディっぽくしないでほしい。そういう形は最もタチが悪い。
しかも、そのヒューマンな部分にしても、女性とのロマンスだけに絞られている。しかも嵐で助かって生きていることに感謝するというのでは、完全にテーマがブレている。そんな危機的状況ではなく、島での当たり前の生活から生きる意味を感じる形にすべきでは。

島に到着しても、パトリシアに愛を告白されても、ジョーは最後まで「生きたい」とは思わない。そして、パトリシアと一緒に火山に飛び込んで死のうとする。
もはや何が言いたいのかサッパり分からず、ヒューマン・ドラマの部分でも冴えないという始末。

 

*ポンコツ映画愛護協会