『ジミー さよならのキスもしてくれない』:1988、アメリカ

1962年、シカゴのノースショア。17歳のジミー・リアドンは極度の女好きで、欲情すると抑えられなくなる。彼はイリノイ大学への進学を決めていたが、セックスした女に妊娠したと騙されて、進学資金を渡してしまう。家は貧しく、新たに金を貰うことは難しい。
ジミーは友人フレッドに借金を頼もうとするが、今までに何度も金を融通していたフレッドは嫌がった。そこでジミーは、金を借りる代わりに女を紹介すると告げる。しかしジミーは、フレッドのことなど忘れてナンパした女と仲良くなってしまう始末。
ジミーの父アルと母フェイは、しばしばケンカをしている。平凡なサラリーマンのアルは、ジミーはフェイから、アルが自分の出身大学である地元のマッキンレー大学に通うのなら、進学資金を出すつもりだと聞かされる。進学資金を自分で捻出できなかったジミーは、仕方なくイリノイ大学を諦め、マッキンレー大学に行くことを決める。
大勢の女と関係を持ったジミーだが、本命の彼女である金持ちの娘リサはガードが固く、まだ最後の一線を超えていない。リサがハワイの大学へ行くと知ったジミーは、自分もハワイに行こうと考え、飛行機代の88ドルを作ろうと金策に駆け回る。
その日、ジミーはパーティーに行くためにリサを迎えに行くことになっていたが、その前に母の友人ジョイスを家まで送り届ける。ジョイスに欲情したジミーは彼女と肉体関係を持ち、リサとの約束の時間に大遅刻してしまう。慌ててリサの家に向かったジミーだが、既に彼女は金持ちでエリートのマシューとパーティーに出掛けた後だった…。

監督&原作&脚本はウィリアム・リチャート、製作はラッセル・シュワルツ、共同製作はリチャード・H・プリンス、製作協力はローレン・グレイボウ、製作総指揮はメル・クライン&ノエル・マーシャル、撮影はジョン・J・コナー、編集はスザンヌ・フェン、美術はノーマン・ニューベリー、衣装はボブ・デ・モーラ、音楽はエルマー・バーンスタイン。
主演はリヴァー・フェニックス、共演はアン・マグナソン、メレディス・サレンジャー、アイオン・スカイ、ルアンヌ、マシュー・L・ペリー、ポール・コスロ、ジェーン・ハラレン、ジェイソン・コート、ジェームズ・デューター、マージ・バンクス、マーガレット・ムーア、アンスタシア・フィールディング、カミー・ハーパー、ジョニー・ガレッキ、メルヴァ・ウィリアムズ、リーガン・アンドレアス他。


ウィリアム・リチャートが自身の原作小説を脚本化し、自らメガホンを執った作品。音楽はアメリカ国内でのヴァージョンではビル・コンティー、それ以外の国でのヴァージョンではエルマー・バーンスタインが担当しているらしい。
ジミーを役柄と同じく17歳だったリヴァー・フェニックス、ジョイスをアン・マグナソン、リサをメレディス・サレンジャー、フレッドをマシュー・ペリー、アルをポール・コスロ、フェイをジェーン・ハラレンが演じている。マシュー・ペリーは、これが映画デヴュー作。

ただ「人気上昇中だったリヴァー・フェニックスが主演している」というだけの、安くて薄いアイドル映画だ。
おそらく、一応は「若者が様々な経験をして大人への階段を1つ登る」という成長物語として作ろうとしているのだと思う。でも、ハッキリ言ってジミーは魅力の薄い登場人物の中でも特に魅力が無いし、人間的に全く成長していない。

一応はリサがヒロインなのだろうが、残念ながらヒロインとしては不適格だろう。
まず演じているメレディス・サレンジャーが、お世辞にもヒロインとしての魅力を持っているとは言い難いし、リサというキャラクターの設定にも魅力が足りないと思う。

幼いのにしっかりしている妹ロージーや、バイト先のカメラマンのスポルディングと子離れできない母親、フレッドと付き合いながらジミーにレイプ魔ごっこのセックスを要求するデニースなど、それなりに個性を付けられた脇役陣は揃っている。
だが、そういった脇役キャラクターを、充分に生かそうとはしない。
多くの面々は、ちょっと出ただけのワンポイントかツーポイントのリリーフ扱いで御役ご免になる。前述した面々やフレッドなど、前半に登場した人物の大半が前半だけで出番を終える。後半の重要キャラかと思われたジョイスも、それほど出番は多くない。

ジミーのモノローグが入るのだが、余計なことまで説明してしまっている。
映像やセリフで表現した方がよっぽど深くなる部分も、モノローグを入れてしまう。
特に終盤、ジミーがアルの不倫に気付く場面や、その後でアルと一緒に歩く場面などは、絶対にモノローグによる説明を避けるべきポイントなのに、モノローグでベラベラと語らせる。

とにかくボンヤリ放題。
最初の「進学資金を作る」という行動に失敗した後、そこがボンヤリしたままで希望とは別の大学に行くことを決める。
リサに同行してジミーがハワイに行こうと考えるくだりもボンヤリ。
ついでにジミーとリサの貧富の差もボンヤリ。
ジミーがハワイに行くことを決意してから、ようやく初めてアルとの会話があるってのは遅いでしょ。オープニングのシーンで、終盤にジミーとアルの関係が重要になることを明かしているんだから、もっと早い内に父子の関係を見せるべきだろう。
で、その後もアルの存在は薄いが、もっと父子関係が重要な要素になるべきなのでは?

ジミーが色々な人に会って借金を頼もうとする前半は、基本的にエピソードが読み切り連載のような形になっている(1つのエピソードが次に繋がっていかない)。それは構わないが、それならそれで1つ1つのエピソードの締めくくりをハッキリと描いて欲しい。
「女とイチャイチャするためにハワイに行きたくて」というショボショボな理由で88ドルを集めようとするという筋で前半を引っ張ろうとするだけでも厳しいのに、ジミーが金策で人々に会うエピソードが、ホントに人々に会ってるだけで、全く膨らまない。

最初にアルとジョイスが顔を合わせる時点で2人の態度がいかにも怪しくて関係がバレバレになってるのは、あんまり好ましい演出とは思えない。終盤でジミーが2人の不倫関係に気付く時に、観客も初めて気付くという形にした方が良かったと思う。

ジミーが病的な女好きで金にもルーズで節操が無くて思慮深さも無いということを、ダラダラと、そして淡々と描いていく。
ジミーに1つでも性格的にマシな部分があるのかと思ったが、内面的に評価できるポイントはゼロという、どこまでもダメ男。
ムラムラすると見境が無い女好きという性格設定にしても、例えば『うる星やつら』の諸星あたるみたいにバカたけど憎めないキャラクターなら良かったんだろうけど、ジミーの好感度は低い。
完全に自分が悪いくせにリサに怒鳴り散らすわ、ストーカーのように追い駆けまわすわと、終盤になってもタチが悪くてどうしようもないという始末。

で、最終的に「女好きが父からの遺伝だと知って、ジミーは父に親しみを覚えるようになりましたとさ」という結論を出して終わり。
まだコメディーだったら許せたかもしれないけど、普通の青春ドラマとして作っておいて、そんなショボショボな終わり方は無いよ。
で、結局、曖昧だったジミーとデニースとフレッドの関係、ケンカしたけどハッキリと別れたわけではないジミーとリサの関係、親子丼になったジミーとアルとジョイスの関係など、多くの関係は未消化のままでエンディングを迎える。
終われないっつーの。

 

*ポンコツ映画愛護協会