『ジャック・フロスト』:1998、アメリカ

ジャック・フロストは自分の名前を付けた“ジャック・フロスト・バンド”のヴォーカルとして、地方を巡業している。そんなジャックは久しぶりに我が家に戻り、妻ギャビーと冬休み中の息子チャーリーに迎えられる。ジャックはチャーリーにハーモニカを渡し、「この魔法のハーモニカを吹けば、俺はどこにいようとも聞こえる」と告げる。
翌日、アイスホッケーの試合に向かうチャーリーに、ジャックは応援に行くと約束する。だが、ジャックはレコーディングに夢中になり、約束をすっかり忘れてしまう。ジャックは山小屋でクリスマスを過ごそうと告げて、チャーリーに許してもらう。だが、レコード会社との契約に向けた面接が入ることになり、クリスマスの約束も中止になる。
怒ったチャーリーは、ハーモニカをジャックに突き返した。クリスマス、車でレコード会社に向かったジャックは、今回の契約の話を諦め、家族と過ごすために山小屋へ行こうとする。だが、その途中で交通事故に遭い、ジャックは死んでしまった。
それから1年後、父親を失ったチャーリーは、すっかり元気の無い子供になっていた。クリスマスが近付く夜、チャーリーは父の事を思い出しながら雪だるまを作り、あのハーモニカを吹いた。すると、ジャックが雪だるまの姿になって戻って来た。
最初は雪だるまがジャックだと信じなかったチャーリーだが、自分のことを「チャーリー・ボーイ」と呼んだことから、本当に父親だと信じるようになる。思いがけない形で父と再会したことに大喜びのチャーリーだが、もちろん周囲からはただの雪だるまと話しているようにしか見えず、頭がおかしくなったと思われてしまう…。

監督はトロイ・ミラー、原案はマーク・スティーヴン・ジョンソン、脚本はマーク・スティーヴン・ジョンソン&スティーヴ・ブルーム&ジョナサン・ロバーツ&ジェフ・セサリオ、製作はマーク・カントン&アーヴィング・アゾフ、製作総指揮はマシュー・ベア&ジェフ・ベリー&リチャード・ゴールドスミス&マイケル・タドロス、撮影はラズロ・コヴァックス、編集はローレンス・ジョーダン、美術はメイン・バーク、衣装はサラ・エドワーズ、視覚効果監修はジョー・レッティリ、音楽はトレヴァー・ラビン。
出演はマイケル・キートン、ケリー・プレストン、ジョセフ・クロス、マーク・アディ、ヘンリー・ロリンズ、ミカ・ブーレム、アンディ・ローレンス、イーライ・マリエンタール、ウィル・ロスハール、テイラー・ハンドリー、ベンジャミン・ブロック、ジョー・ロキッキ、キャメロン・フェレ、アーメット・ザッパ、ポール・F・トンプキンズ、ドゥイージル・ザッパ、スティーヴ・ジャンネッリ他。


クリスマス・シーズン向けの映画。ビデオタイトルは『パパは雪だるま ジャック・フロスト』。ジャックをマイケル・キートン、ギャビーをケリー・プレストン、チャーリーをジョセフ・クロスが演じている。

冒頭ではキートンが歌っており、音楽を担当した元イエスのトレヴァー・ラビンがギターを演奏している。また、音楽繋がりで興味深いポイント(どうでもいいことかもしれないが)を挙げておくと、次男アーメット・ザッパ、長男ドゥイージル・ザッパ、アンクレジットだが長女ムーン・ユニット・ザッパと、フランク・ザッパの子供達が総登場している。

この映画、いっそジャックが死んで約1年後から始めた方が良かったかもしれない。
チャーリーが雪だるまを作るなどしながら、ジャックが生きていた頃の様子を回想するという形にする。で、ハーモニカを吹く場面まで回想を挿入しつつ持って行くと。

本来ならば、もっとホンワカしたムードの作品作りを心掛けるべきではなかったかと思うのだ。しかし、序盤のチャーリーとガキ大将ローリー達との雪合戦のシーンからして、なぜか迫力のあるアクションシーンのような見せ方をしている。
いったい、この映画をどういう方向に持って行きたいのか、良く分からなくなる。

例えば前述した序盤のシーンでは、雪合戦の迫力や、チャーリーがローリーを打ち負かす爽快感よりも、他に描くべきポイントは無かったのだろうか。
例えば他の連中は親が迎えに来て、チャーリーが父親の帰りを待ち望んでいる様子を見せた方が良かったのではないだろうか。

魔法のハーモニカで雪だるまに生命が宿る展開に、説得力が皆無なのは厳しい。
ファンタジックな話だから、別に論理的説明などは要らないのだが、ウソっぽさを打ち消すためには“ファンタジーが起きそうな予感”を抱かせて欲しい。
この映画は、そういった“ファンタジーが起きそうな予感”を抱かせる雰囲気に乏しいので、ジャックが復活するシーンが不自然なモノに見える。
それでも、その後の展開さえ頑張れば、充分に取り返せるだろう。
しかし、頑張りが足りなかったようだ。

これは個人的な主観も入っているのだろうが、雪だるまがあまり可愛げがあるように見えない。これは、かなりのマイナスだと思う。
あと、雪だるまが自分の頭を外したりするのも、子供向きに作っているのどうなのか、良く分からなくなってしまう。

雪だるまがジャックだと知っているのがチャーリーだけだということで、話を広げることに少し苦しんでいるようにも思える。
チャーリーの友人の誰か1人にも秘密を知る協力者になってもらって、活躍してもらった方が良かったのではないだろうか。終盤にローリーが協力者になるが、もっと早い段階で仲間にした方が良かったのではないだろうか。

ジャックが雪だるまとした復活した後、それほど彼とチャーリーの交流が濃密に描かれているようには感じない。
父と息子の絆より、雪だるまの動きを見せようとする意識が強いように思われる。
そうだとしたら、本末転倒だろう。

ラストシーンで、雪だるまが少しの間だけジャックの姿に変わる。だが、せっかくマイケル・キートンが出演しているのに、後半の出番がそれだけというのはどうなんだろう。
そこは周囲が見た時は雪だるまの姿を映し出し、ジャックの視点に立った時はジャックの姿を映し出すという形の方が良かったように思うのだが。

 

*ポンコツ映画愛護協会