『J・エドガー』:2011、アメリカ
FBI長官のジョン・エドガー・フーヴァーは部下のロバート・アーウィンに、「キング牧師は共産主義と繋がりがある。共産主義は病気だ。今、この国の権威は公然と無視されている。放っておけば無政府状態に陥る」と話した。アーウィンは「FBIの評判を落とす前に、キング牧師への中傷行為をやめるべきです」と警告するが、エドガーは耳を貸さなかった。彼は自分の物語をタイプさせるため、犯罪記録課のスミス広報官を長官室に呼び寄せた。彼はスミスに、まだFBIか存在しなかった若き日から物語を始めた。
1919年、パーマー司法長官を含む多くの要人は、共産主義の過激派から攻撃対象にされた。パーマーの家には爆弾が投げ込まれるが、犯人のミスで家族は無事だった。現場へ赴いたエドガーは、「必要だから殺す」と書かれたビラを拾った。その事件で自分の使命に目覚めたと、彼はスミスに語った。スミスが本当にパーマーの家へ行ったのかと質問すると、エドガーは「それは読者の想像に任せる」と告げる。彼はスミスに、「重要なのは、悪党と英雄の違いを明確にすることだ」と語った。
エドガーはパーマーに呼ばれ、「共産主義と戦うために過激派対策課を任せる」と告げられた。彼は帰宅し、少年時代に「貴方が一族を栄光に導くの」と言われた母のアンナ・マリーに報告した。エドガーは新人秘書のヘレン・ガンディーをデートに誘い、結婚を申し込んだ。ヘレンは「結婚に興味が無いの」と断るが、個人秘書になってほしいという頼みは快諾した。エドガーは国会図書館と同じように、国民全員の身元が分かるデータ化で犯罪者の逮捕に繋げようと考えていた。
1920年、エドガーは疑わしい5000人のファイルを労働省に持ち込むが、証拠が無いので協力を断られた。移民局のカミネッティー局長は過激派の英雄であるエマ・ゴールドマンを嫌悪しており、それをエドガーは利用することにした。エドガーがエマを検挙すると思惑通りにカミネッティーは国外追放処分を下し、これによって前例が出来た。司法省と警察は協力し、全米各都市で共産主義者の一斉検挙を行った。隠れ家の一つからパーマー事件で落ちていたビラが発見され、約4000人が逮捕されて500人が国外追放となった。この出来事でパーマーは失職するが、エドガーは「命令に従っただけ」ということで何の責任も問われなかった。
エドガーは新局長のストーンに呼ばれ、捜査局長代行に指名された。エドガーは「政治家の影響力を廃する」「大卒で能力を基準とする」「昇進は実力で決める」「捜査局は司法長官のみに対してのみ責任を負う」と条件で引き受け、気に入らないストークス捜査官にクビを言い渡した。アンナはエドガーに、背広と高価な指輪をお祝いとしてプレゼントした。エドガーはレストランで夕食を取っていた時、同僚からジョージ・ワシントン大学を卒業したばかりのトルソンを紹介された。
エドガーはヘレンから捜査局に応募して来た面々の情報を聞き、面接するかどうかを判断した。彼はヘレンに、トルソンからの応募書類が来ているかどうかを尋ねた。ヘレンは書類が届いていることを伝え、「弁護士になるための経験を積みたいが、安定した雇用でなければ興味は無い」と書いてあることを告げた。エドガーは彼女に、「今後は機密書類を作るべきだと思う」と述べた。ケネディー司法長官の執務室を訪れたエドガーは、盗聴によって大統領と東ドイツのスパイの情事を知ったことを話す。彼は共産主義者の盗聴を認めるよう要求し、断られると「兄上に機密ファイルのコピーがあるとお伝え下さい」と脅し文句を口にして立ち去った。
エドガーはトルソンを面接し、「この仕事は腰掛けではない」という。トルソンが「将来は弁護士事務所を開きたいと思っていますが、私を必要となさるなら話は別です」と話すと、エドガーは採用を決めた。1930年までに共産主義の脅威は排除されたが、大恐慌でギャングの脅威が高まった。エドガーはニュース映画を使い、国民に情報提供を要請した。彼はスミスに、「リンドバーグの息子が誘拐された事件が、新たな扉を開いた」と述べた。
1932年、チャールズ・リンドバーグの息子が誘拐され、エドガーは大統領から捜査を依頼された。リンドバーグ邸へ赴いた彼は、現場を荒らしたシュワルツコフ大佐を批判した。エドガーは連邦会議に出席し、誘拐を連邦犯罪と規定するよう訴えた。彼は「全米の犯罪者の指紋を集めて統合ファイルを作る。捜査官に武器を携行させる」と説明し、規定変更を求めた。新大統領のルーズベルトが捜査局を再編成する噂を耳にしたエドガーは、ヘレンにルーズベルト夫人のファイルのコピーを作るよう命じた。
リンドバーグは警察も捜査局も信用せず、新聞広告を使った犯人との仲介役にジョン・コンドンという男を雇った。エドガーは捜査局内に科学捜査研究室を設置し、指紋照合で有能さを見せたアルバート・オズボーンを異動させた。エドガーはヘレンから、ケネディー司法長官が盗聴を許可したことを知らされた。トルソンは「後戻りできなくなる」と反対するが、エドガーは「過激派の革命から、この国を救うためだ」と盗聴を命じた。
第二次世界大戦が目前に迫った大恐慌の時代、エドガーはルーズベルト夫人と共産主義者の関係を掴み、大統領に脅しを掛けた。その結果、ルーズベルトはエドガーが共産主義者や過激派を令状無しで監視できる極秘命令に署名した。トルソンが「合法なのか?」と尋ねると、エドガーは「国を守るためなら法律を曲げることも必要だよ」と述べた。彼が副局長になってほしいと持ち掛けると、トルソンは「何があっても昼食か夕食を必ず一緒に取る」という条件で承諾した。
リンドバーグ家の近くで息子の遺体が発見され、誘拐から6週間後にリンドバーグ法が可決された。エドガーは捜査のため、国中から優秀な科学者を集めた。喫煙室を勝手に科学捜査研究室として使っていたため、エドガーはストーンから咎められた。エドガーは予算や権限を拡大するため、上院歳出委員会に訴え出た。彼は委員長のケネス・マッケラーや委員のフレンドリーたちに対し、多くの犯罪者を逮捕してきた実績をアピールした。
マッケラーはドラマやコミックなど多くの媒体でエドガーの名前が使用されていること、「現在の事件を反映させた」と記述されていることを指摘し、広告活動に多くの金を使っているのではないかと質問した。エドガーが全く関与していないと否定すると、適正はあるのかとマッケラーは尋ねる。自分で犯罪者を逮捕したことはあるのかという質問に、エドガーは「私は多くの逮捕の責任者です」と返答した。「デリンジャーを撃ったのは、貴方ではなくパービス捜査官ですね」と問われた彼は、「私は責任者です」と答えた。
採決で要望を却下されたエドガーは、トルソンにマッケラーを調べるよう命じた。彼はパービスの解雇を指示するが、トルソンが「英雄の解雇は非難の的になる」と反対すると「では事務職に移せ。マスコミに登場させるな」と告げた。帰宅したエドガーは、病床の母に「もう誰も信用できない。母さんだけが僕を守ってくれる」と漏らした。アンナが「自分を信じるのよる。強くなるの」と励ますと、エドガーは「強くなる」と力強く口にした。
エドガーはカーピスやメイソン、ブルネットなどの犯罪者を逮捕する際、自ら先頭に立って現場に乗り込んだ。「パービス、デリンジャーを撃った捜査官」と書かれたシリアルが発売されたことをトルソンに知らされた彼は、「元捜査官だとメーカーに手紙を書け」と命じた。キャグニー主演の映画『Gメン』で初めてFBI捜査官が主人公として描かれ、エドガーは母とトルソンを伴ってプレミア上映に出席した。彼はシャーリー・テンプルに話し掛けられ、一緒に写真を撮った。
エドガーとトルソンとクラブに出掛け、アニタ・コルビーとジンジャー・ロジャース、ジンジャーの母のリーラに誘われて同じテーブルに着いた。リーラからダンスに誘われた彼は、口実を作って店を去った。帰宅した彼は、アンナに「タンスなんかしたくない。特に女とは」と話す。「気付いてるだろ。女に誘われるのは侮辱だ」とエドガーが語ると、アンナは「やめて。バードンを覚えてる?」と口にする。バードンは女装の趣味が露呈して晒し者にされ、自ら命を絶ったエドガーの同級生だ。アンナはエドガーに、「息子が女々しい男じゃないことを誇りに思うわ。女々しい息子なんて、死んだ方がマシ」と述べた。エドガーは捜査によってリンドバーグ事件の犯人がブルーノ・ハウプトマンだと断定し、自ら車で赴いて逮捕した…。製作&監督はクリント・イーストウッド、脚本はダスティン・ランス・ブラック、製作はブライアン・グレイザー&ロバート・ロレンツ、製作総指揮はエリカ・ハギンズ&ティム・ムーア、撮影はトム・スターン、美術はジェームズ・J・ムラカミ、編集はジョエル・コックス&ゲイリー・D・ローチ、衣装はデボラ・ホッパー、視覚効果監修はマイケル・オーウェンズ、音楽はクリント・イーストウッド。
出演はレオナルド・ディカプリオ、ナオミ・ワッツ、ジュディー・デンチ、アーミー・ハマー、ジョシュ・ルーカス、ダーモット・マローニー、ジェフリー・ドノヴァン、デニス・オヘア、スティーヴン・ルート、ザック・グルニエ、デイモン・ヘリマン、リー・トンプソン、ケン・ハワード、ジョシュ・ハミルトン、ジェシカ・ヘクト、ジェフ・ピアソン、マイケル・オニール、エド・ウエストウィック、デヴィッド・A・クーパー、クリストファー・シャイアー、ガンナー・ライト、ジェイミー・ラバーバー、アマンダ・シュル、エミリー・アリン・リンド、ジャック・アクセルロッド、ジョシュ・スタムバーグ、デヴィッド・クレノン、ライアン・マクパートリン他。
『インビクタス/負けざる者たち』『ヒア アフター』のクリント・イーストウッドが監督を務めた作品。
脚本は『ミルク』『ペドロ』のダスティン・ランス・ブラック。
エドガーをレオナルド・ディカプリオ、ヘレンをナオミ・ワッツ、アンナをジュディー・デンチ、トルソンをアーミー・ハマー、リンドバーグをジョシュ・ルーカス、シュワルツコフをダーモット・マローニー、ケネディーをジェフリー・ドノヴァン、オズボーンをデニス・オヘア、コンドンをザック・グルニエ、ブルーノをデイモン・ヘリマン、リーラをリー・トンプソン、ストーンをケン・ハワード、ゴールドマンをジェシカ・ヘクト、パーマーをジェフ・ピアソンが演じている。トルソンと話している老人メイクのエドガーを「現在地」として、「スミスに物語を聞かせる」という形で回想パートに入る。そして何度も現在に戻りつつ、回想パートは時系列順で進めて行く。回想形式の基本形と言ってもいい構成だ。
ただ、途中で少し混乱しそうになる箇所がある。それは、エドガーがヘレンに「今後は機密書類を作るべきだと思う」と言った直後のシーン。
エドガーがケネディー司法長官と会うのだが、これが「現在のシーン」なのかどうかが分かりにくいのだ。
というのも、「今後は機密書類を作るべきだ」と話した流れで次に移るので、回想の中で時系列を飛ばしたかのようにも見えちゃうんだよね。っていうか、もっと言っちゃうと、現在のシーンは「スミスに自分の物語を聞かせる」という行動だけに絞り込んだ方がいいのよね。
でも実際にはエドガーがキング牧師を敵視し、それに関連して盗聴を進めようとする行動も並行して描いている。このことが、話をややこしくしているのだ。
さらに言うと、「エドガーがスミスを呼んで話を聞かせる」という入り方をするのなら、本来はスミスの存在がもう少し大きくなきゃダメなんじゃないのか。
でも実際には、ほぼ背景に近い存在なのよね。ジョン・エドガー・フーヴァーを全面的に「悪人」や「卑劣な行動を取った人間」として描くのではなく、「彼の行動はアメリカにとって有益だったことも多い」という描き方をしている辺りは、いかにもクリント・イーストウッドらしいと感じさせる。
だからと言って一方的にフーヴァーの優れた功績ばかりを並べるのではなく、ちゃんと問題行動が多かったことにも触れている。
どっちにも偏らず、「人間には色んな面があるよね」という描き方をするのは、まさにクリント・イーストウッドの真骨頂である。ただ、そんなクリント・イーストウッドの演出のせいで、「どう見ればいいのか」「何をどう伝えたいのか」ってのが、良く分からない。
「それぞれが感じ取ってね」ってな感じで、完全に観客に下駄を預けているのかもしれない。
でも、単に作品としての方向性やテーマが定まっていないように思えてしまうのだ。
こういう「実在した人物」を取り上げる伝記映画だと、クリント・イーストウッドの作家性とは相性が悪いんじゃないかなあ。エドガーは自分にとって厄介な相手が現れると、法を破ってでも弱みを握って脅しを掛ける。相手が大統領だろうと議員だろうと、自分の目的を達成するためなら手段を選ばない。
それが卑劣な行為であることは言うまでもないが、クリント・イーストウッド監督は厳しく断罪していない。「アメリカを脅威から守るためなら汚いことにも手を染める」という形で、熱い使命感に突き動かされる男としてエドガーを描いている。
そこに狂気や暴走の面があることは否定していないが、どちらかと言えばエドガーの肩を持つようなスタンスが見て取れる。
イデオロギーとしての賛否は置いておくとして、イーストウッドの政治的な主義主張を見れば、それは納得できる。
彼は自らの政治的信条をリバタリアン(自由至上主義者)だと公言しているが、大統領選挙ではジョン・マケインやミット・ロムニー、ドナルド・トランプなど、共和党候補を応援してきた人だからね。ただ、多面的に人物を描こうとするクリント・イーストウッドの作家性が、この映画では完全に裏目に出ている。
エドガーを「法を破ってでも“アメリカの敵”を撲滅しようとする捜査官」として描くなら、そこに絞り込めばいい。しかし実際には、それだけでなく「極度のマザコンで母親の支配下から抜け出せない臆病者としてのエドガー」「トルソンに恋する同性愛者としてのエドガー」も描こうとしている。
ただ、これらの要素が上手く絡み合っていない。後者2つは連携が取れているが、メインの要素とは互いに邪魔し合っている。
しかも、マザコン要素は序盤から匂わされているが、同性愛者としてのエドガーを描くのは後半に入ってからだ。むしろ、逆にトルソンの関係に絞り込んでもいいぐらいなのに。
ただし、その場合はタイトルを変更すべきだけど。全体の中でリンドバーグ愛児誘拐事件が占める割合が大きすぎて、ものすごくバランスが悪い。
リンドバーグの息子が誘拐され、エドガーが捜査に乗り出し、規定の変更を訴え、コンドンが仲介役として動き出し、息子の遺体が発見され、規定が変更され、科学捜査でブルーノが逮捕され、裁判で有罪が決定するまでを描くのだが、他のエピソードを挟みながら約1時間を費やしているのだ。
こんなことなら、その事件だけで1本の映画を作った方がいいんじゃないかと。リンドバーグ愛児誘拐事件のエピソードは、エドガーの功績を描くために用意されているわけではない。犯人が本当にブルーノだったかどうかは、今でも多くの疑問が残っている。
ただし、エドガーが証拠を捏造してまでブルーノを犯人に仕立て上げたり、冤罪だと気付いていながら有罪に持ち込んだり、そこまで卑劣なことをやっていたかどうかは分からない。本当に犯人だと確信して、有罪に持ち込んだのかもしれない。
そこが曖昧という意味でも、果たして大きく扱うべきだったのかどうか。
余計に映画の焦点をボヤけさせることに繋がっているんじゃないかと。終盤に入ると、エドガーがカーピスを逮捕していないこと、リンドバーグが握手に出て来なかったどころか面会を拒否したこと、ブルーノの逮捕も別の捜査官が担当していたことなどが明らかにされる。
つまり、「エドガーがスミスに口述筆記させる」という形で描いていた内容には、多くの虚飾があったことが明らかにされるのだ。
そうなると、この映画で描かれた何もかもがデタラメなんじゃないかという疑念さえ浮かぶ。
そして、そうなると、そんな映画を真面目に批評する意味など無いんじゃないかと思えて来る。(観賞日:2024年11月12日)