『最高のともだち』:2004、アメリカ

アメリカ人挿絵画家のトミー・ウォーショーは、ある秘密を抱えて30年前からパリに暮らしている。息子のオデールが13歳になった今年、彼は秘密を打ち明けようと考えていた。彼が別居している妻コラリーのアパルトマンを訪れると、表のベンチでオデールは眠り込んでいた。トミーが「今夜、お前とママに話をする。きっと上手く行く」とオデールに語り掛けていると、窓からコラリーが姿を見せた。遅刻したことに腹を立てているコラリーに、トミーは過去を語り始めた。
1973年、ニューヨーク。もうすぐ13歳を迎えるトミーは、ママと2人でアパートに暮らしていた。パパが1年前に癌で死去してからママは精神的に不安定になり、鎮静剤に頼る生活を送っていた。今もパパを失った悲しみから立ち直れず、泣き明かす夜もあった。トミーにはパパスという親友がいた。隣人であるパパスは41歳の中年男性だが知的障害があり、中身は少年だった。16歳以下は保護者の同伴が必要な映画『悪魔のいけにえ』を見るため、トミーはパパスを父親として映画館へ連れて行った。
トミーとパパスは、シモーンという美女が営む肉屋で配達のアルバイトをしていた。客から貰ったチップを、2人は女子刑務所の側溝に隠していた。トミーとパパスは、ショーウィンドウに飾ってある緑の自転車を欲しがっていた。パパスが帰宅すると、酒浸りの父親は「ママはお前が生まれたから自殺したんだ」と告げる。トミーが「交通事故だ」と言うと、彼は「わざと車の前に飛び出した」と語った。「酔ってね」とトミーが告げると、「息子のせいで飲んだ」と彼は話す。トミーは「ダメ亭主と結婚したせいさ」と反発した。
名門男子校の聖アンドリュース校に通っているトミーはクラスメイトと共に、フランス語の女性教師にエッチな英語を言わせようと企んでいた。それは時々、見事に成功した。パパスはトミーの学校で用務員として働いていた。聖ジョージ校と野球の対抗試合をした時、トミーは好意を寄せているメリッサに視線を向けた。トミーがパパスを試合に参加させると、彼は特大ホームランを打った。トミーは仲間たちに「メリッサが好きなんだろ」と指摘され、「ペチャパイは嫌いだ」と嘘をついた。
ダンカン校長が倫理の授業を教えている最中、トミーは彼の目を盗んで教科書のページを破り、丸めて窓の外へ放り投げた。するとトミーのクライメイトも、次々に真似をした。窓の外にはパパスがいて、そのページをケースの中に入れた。メリッサは自分がペチャパイと言われたことを知り、仲間たちとトミーを取り囲んで「チンケな金玉」とバカにした。トミーはママに、「あの学校には、もう通えない。女の子たちに恨まれた。どこかへ引っ越そう」と言い出した。
ママは「奨学金と、いい大学に入ることが重要なのよ」と告げ、「女の子のことで奨学金を諦めるつもりなの?ママは貴方の奴隷なの?」と不機嫌そうに言う。トミーが「もういい」と声を荒らげて外出しようとすると、ママは「パパと同じように逃げればいいわ」と告げる。トミーは「パパは逃げてない。死んだんだ」と訂正し、ドアを乱暴に閉めた。トミーは腹が立った時、いつも女子刑務所の側溝へ赴いた。集めている小銭を数えることが、心の拠り所になっていたのだ。
その火、トミーが金を数えていると、割れた鏡を利用して下を覗き込んでいる女囚が話し掛けて来た。「盗まないから安心して」と言う彼女から悩みがあるなら話すよう求められ、トミーはメリッサのことを語った。すると女囚は、「嫌われているんじゃないわ。好きだから意地悪するのよ」と言い、マリファナを持って来るよう頼んだ。トミーはパパスと共に、肉の配達で高級アパートへ赴いた。すると、そこはメリッサの家だった。しかも彼女は、トミーがアルバイトしていることを知った上で注文したことを微笑みながら明かした。
トミーはメリッサに、「胸のことで悪く言っちゃって」と謝罪した。メリッサは「いいの、本当のことだから」と笑って受け流す。「貴方の学校である日曜のダンスは?」と彼女は問い掛け、自分は飾り付け係で行くことを話す。帰宅したトミーがシャワーを浴びながら剃刀で薄いヒゲを剃っていると、ママが入って来た。彼女はトミーが肉屋のサーシャから貰ったエッチなカードを咎め、トイレに捨てた。
トミーは刑務所へ赴き、女囚に「日曜にダンスがあるけど、着る服が無い」と相談した。「溜めてる金で買えばいいじゃない」と女囚が言うと、彼は「踊れない」と漏らす。すると女囚は「下手でも踊ろうとすればモテるわ。会場では速い曲の時は踊らず、スローな曲の時に踊るのよ」とアドバイスし、その場で踊ってみるよう促した。トミーは女囚に指示され、近くの電柱に見立てて練習する。女囚が歌い出し、それに合わせてトミーは体を動かした。
トミーはママに配達だと嘘をつき、ダンス・パーティーに出掛けた。会場でDJを担当していたトミーの友人ジェラードは、彼が来ると気を利かせてスローな曲に変更した。トミーはメリッサを誘い、互いに体を密着させて踊った。パーティーの後、トミーは配達用の自転車にメリッサを乗せ、夜の肉屋に忍び込んだ。トミーは冷蔵庫でメリッサと抱き合い、キスを交わした。同じ頃、パパスはショーウィンドーを破壊し、緑の自転車を盗み出していた。
トミーはメリッサを自転車でアパートまで送り、自宅へ戻った。パパスは自転車を走らせて側溝へ行き、小銭を入れた箱を持ち出した。ママから「嘘をついたのね。踊りに行ったんでしょ」と喚かれたトミーは、彼女に謝った。パパスは小銭を海に投げ捨てた。翌日、トミーはジェラードから、パパスが自転車を盗んだことで用務員をクビになったと聞かされた。それでもシモーンがパパスを使うと言ったので、トミーは安堵した。だが、パパスは肉屋のバイトにも姿を見せなかった。
メリッサの寝室で彼女と一緒に過ごしたトミーは、いつの間にか眠り込んで夜になってしまった。刑務所へ赴いたトミーは、女囚にパパスが自転車を盗んで失踪したことを話す。「ダンスの後、僕はメリッサと肉屋に行った。パパスを捜したけど家にも帰ってない」とトミーが話すと、女囚は「バカね、アンタのために盗んだの。友達を引き留めるためよ。貴方が大人になるのを止めようとしたの」と告げる。
トミーが「自転車を盗むのが僕のためだなんて」と言うと、女囚は「それがパパスの愛なの」と述べる。翌朝、トミーがアパートの前で佇んでいると、自転車に乗ったパパスが現れた。「なぜ盗んだ?僕のためか」と尋ねると、彼は「違う」と苛立ったように言う。「クビになった」と悲しそうな顔をする彼を、トミーは優しく抱き寄せた。トミーは学校へ行き、自分が自転車を盗んだとダンカンに偽証した。ダンカンは彼に1週間の停学処分を下し、「奨学金も見直すぞ」と告げた。
授業を受けていたトミーはダンカンに呼び出され、「パパスに君の処分を話したら、自分が君のために盗んだと主張した」と語った。「ボスである君のために盗ませたのか」とダンカンから質問されたトミーは、「そうです」と答えた。ダンカンは「君はズル賢い方法で、哀れな人間を自分のために利用した。失望したよ」と冷たい表情で告げた。処罰を聞いたママは、鎮静剤を大量摂取した。気付いたトミーが慌てて病院に連絡するが、ママは脳死状態になった。それはトミーが13歳を迎えた日の出来事だった…。

脚本&監督はデヴィッド・ドゥカヴニー、製作はリチャード・B・ルイス&ボブ・ヤーリ&ジェーン・ローゼンタール、共同製作はメラニー・グリーン、製作総指揮はザンヌ・ディヴァイン&アダム・メリムズ&ジェフ・スコール、共同製作はデヴィッド・ゲインズ、撮影はマイケル・チャップマン、編集はスージー・エルミガー、美術はレスター・コーエン、衣装はエレン・ラッター、音楽はジェフ・ザネリ、音楽監修はアマンダ・シェアー・デミ&バック・デイモン。
出演はアントン・イェルチン、ロビン・ウィリアムズ、ティア・レオーニ、デヴィッド・ドゥカヴニー、エリカ・バドゥー、フランク・ランジェラ、マガリ・アマデイ、クレア・ローティエ、ゼルダ・ウィリアムズ、バーナード・シェレディー、オルガ・ソスノフスカ、マーク・マーゴリス、アリス・ドラモンド、ウィリー・ガーソン、スティーヴン・スピネッラ、オーランド・ジョーンズ、ハロルド・カーティア、ギデオン・ジェイコブズ、アダム・ルファーヴ、レスリー・ライルズ、マーク・リチャード・キース、ジェームズ・オーキメイ他。


俳優のデヴィッド・ドゥカヴニーが映画初監督&初脚本を務めた作品。
ドゥカヴニーは大人になったトミー役で出演もしている。トミーの母を演じているのは、当時はドゥカヴニーの奥さんだったティア・レオーニ。
少年時代のトミーをアントン・イェルチン、パパスをロビン・ウィリアムズ、女囚のバーナデットをエリカ・バドゥー、ダンカンをフランク・ランジェラ、コラリーをマガリ・アマデイ、フランス語教師をクレア・ローティエ、メリッサをロビン・ウィリアムズの娘であるゼルダ・ウィリアムズ、サーシャをバーナード・シェレディー、シモーンをオルガ・ソスノフスカ、パパスの父をマーク・マーゴリスが演じている。

この映画は、大人になったトミーが妻に過去を語る形で始まる。
そうであるならば、なぜ彼が妻に話したのかという意味が必要なはずだ。
しかし終盤、再び現在に戻って来ても、その理由はボンヤリしている。
渡仏の理由を明かすだけなら、回想シーンで描かれている内容を全て喋る必要性は無いはずなんだよな。「13歳になった息子に話す」と言っていたのに、奥さんに喋っているのも「なんか違わないか」と思っちゃうし。
あと、深夜に他の住人もいて文句を言っているのに、構わずに大きな声で喋り出すのは、すんげえ迷惑だろ。

この映画には大まかに言って、トミーとパパスの友情、トミーとママの母子関係、トミーと女囚バーナデットとの交流、トミーとメリッサの恋愛劇という4つの要素が盛り込まれている。
96分の上映時間で4つの要素というのは、決して盛り込み過ぎというわけではない。だが、それらが全て薄っぺらく、連動性も良くないので、結果的には「盛り込み過ぎ」と言わざるを得ない状態になってしまっている。
パパス、ママ、バーナデット、メリッサがトミーとの関係でしか機能しておらず、それぞれがトミーを介さない状態で関わっていないというのも、マイナスに作用している1つの要因ではある。また、それぞれの人々との関わりからトミーが得た物が、上手く共鳴していないというのも問題だ。
そもそも、それぞれの人々との関わりによってトミーが得た物というのが、あまりハッキリと見えて来ないし。

ママはトミーの母親だから最初から関係性があるのは当然だし、メリッサには好意を寄せているので親しくなるのは分かりやすい。
トミーがパパスと仲良くしていることについても、そうなった経緯を省いているのは少々引っ掛かるものの、「隣人だから」ということで受け入れておこう。
しかしバーナデットとの関係については、かなり強引に運んでいると感じる。
いきなり女囚に話し掛けられて、あんなに簡単にプライベートなことをベラベラと喋るってのは、ちょっと違和感がある。

そりゃあ、「最初は警戒心があったけど少しずつ心を開いて」という風な手順を踏んでいたら時間が足りなくなるってのは分かるけど、「それにしても」と思ってしまう。
いっそのこと、パパスのように「既に親しくなっている」という関係性から始めるのも1つの手じゃないかと思ったりもする。
あと、バーナデットがトミーにダンスの練習を促して歌い始めるシーンは、明らかに「エリカ・バドゥーに歌わせよう」ってのが先にありきのシーンだろ。
そこ、明らかに浮いてるぞ。

関わりのある主要人物が4人ってのは盛り込み過ぎではないけど、それが「知恵遅れの友人」「精神を病んでいる母」「人生の指導者」「淡い恋の相手」という役割になっていることを考えると、やっぱり欲張り過ぎかなあ。
そうなると、関係性の中身がバラバラなので、どうしても話のまとまりが悪くなってしまう。
バーナデットとメリッサは上手く絡めることも出来そうだけど、パパスとママはどちらか片方にしておかないと厳しい。
パパスを知的障害者にするなら、ママはせいぜい「口うるさい管理ママ」という程度に留めておいた方がいい。ここに「精神を病んでいる」という要素を入れたことが、ピントがボヤけている大きな要因になっている。

とは言え、ママの設定を変更しただけでは、問題は解決しないだろう。
なぜなら、「トミーとパパスの友情」と「メリッサとの恋愛」の連携さえ、上手く描けていないからだ。
トミーがメリッサを配達用自転車に乗せて肉屋へ連れて行くのを見たパパスは不機嫌そうな様子を示し、緑の自転車を盗む。それは「トミーが自分から離れていくのが嫌だから盗んだ」ということだ。
しかし、パパスの中でメリッサにトミーを取られたくない気持ちがあったのなら、それ以前から兆候を見せておくべきだ。初めて嫉妬心を示したかと思ったら、もう物語において大きな意味を持つ出来事を起こしてしまうってのは、展開として慌ただしい。

この映画をデヴィッド・ドゥカヴニーは「トミーに同情すべき、悲劇的で心を打つ物語」であるかのように見せているけど、実際はそうじゃないことがハッキリしているので、まるで乗り切れない。
「哀しみと苦みを帯びた少年の成長物語」として描きたいのは分かるけど、自分が招いた苦みを「巻き込まれた悲劇」であるかのように解釈しているトミーには全く共感できない。
幾ら少年時代ではあっても、そこに罪悪感が全く無いってのは酷い。

トミーはバーナデットが「パパスは貴方のために自転車を盗んだ」と告げた後、ダンカンに「自分が盗んだ」と偽証する。「トミーのために自転車を盗んだ」というパパスの言葉をダンカンが誤解して捉えた時にも、「自分が盗ませた」と嘘をつく。
それでパパスを庇っていることを「友情」として捉えるのは別に構わないが、「そんなことをして処分を受ければママがどうなるのか」というところに全く意識が向いていないのは解せない。
彼は少年だが、鎮静剤の数を数えたり、ベッドの下で眠ったりしてママの状態には神経を使っていたはずで。
それなのに処罰を受けてママに大きなショックを与えることを何の迷いも無く選ぶってのは、どうなのかと。

で、そこを百歩譲って受け入れるにしても、鎮静剤を大量摂取したママが脳死状態になった後、バーナデットから「走れ」と言われたトミーが配達先である老女の家から金を盗み出そうとするのはクソでしょ。
たまたまボケている老女が息子と勘違いして「あげるわ」と言ってくれるけど、だからって持って行っちゃダメだわ。
それは弱者に付け込んだ単なる泥棒行為であり、情状酌量の余地は無い。

ママの生命維持装置を外すことに関しても、「そりゃ単なる身勝手な殺人だろ」と言いたくなる。ママが以前に「生命維持装置で無駄に永らえたくない」と解釈させる言葉を発していたとか、そういうことでもないんだから。
テメエが親戚の通わせようとしている士官学校へ行きたくないから、フランスへ逃げたいから、厄介者を始末したとしか解釈できないぞ。
それと、メリッサとの苦い恋は結局、トミーの心に何を残したんだろうか。
妻に言われて渡米したトミーはバーナデット&パパスとは再会するけど、メリッサとは連絡を取ろうともしておらず、これといったフォローが無いので、ホントに全く分からないんだよな。

(観賞日:2014年9月14日)

 

*ポンコツ映画愛護協会