『ザ・モンキーズ/恋の合言葉 HEAD!』:1968、アメリカ

大勢の兵士が厳重に警備する中、黒塗りの車から市長が出て来た。橋の上に立った彼は、落成記念の演説を始めようとする。そこにザ・モンキーズのピーター、デイヴィー、ミッキー、マイクが現れ、橋を走り抜けてテープを切った。ミッキーが川に飛び込むと、人魚が出現して助けた。ある女は4人全てにキスをして、部屋を去った。スタジアムにザ・モンキーズが登場すると、集まった大勢のファンが熱狂した。メンバーの呼び掛けに応じて、ファンは「W」「A」「R」の一文字を作った。
ザ・モンキーズの4人は兵士として戦地に赴き、砲弾が飛び交う中で会話する。なぜか銃弾を浴びても平気で、写真を撮影したりする。急にフットボールのユニフォームを来た男が現れてタックルを食らわせたり、ヘルメットを投げ付けたりする。4人が洞窟を抜けると白い服に着替えており、大勢のファンが待つコンサート会場に入る。ステージに立った4人は、演奏を始めた。演奏が終わるとファンが彼らに群がるが、いつの間にかマネキンに変化していた。
誰かが次々にテレビのチャンネルを変える中、上半身裸で砂漠を放浪するミッキーの姿が写し出される。コーラの自販機を見つけた彼は喜ぶが、硬貨を入れると売り切れだった。どこからか聞こえていた女の声に腹を立て、ミッキーは言い争いになって「黙れ」と怒鳴った。しかし本当に彼女の声が聞こえなくなると、ミッキーは狼狽した。そこへ馬に乗った現地人が来るが、すぐに去った。続いて戦車が登場し、乗っていた男が興奮した様子で話し掛けた。ミッキーには言葉が分からなかったが、男は拳銃を渡して降伏の意思を示した。同行していた面々も同様で、彼らは列を作って立ち去った。ミッキーは戦車の大砲を撃ち、自販機を破壊して笑顔を浮かべた。
ミッキーは砂漠の酋長になり、女たちの踊りを眺めて楽しんだ。西部の騎兵隊になった彼は、テスティーという女から指の毒を吸い出してほしいと頼まれた。矢で撃たれたマイクは、それを抜いてくれとミッキーに頼んだ。「他の2人は?」とミッキーが尋ねると、彼は「砦へ派遣した」と答えた。テスティが死んだフリをする中、ミッキーは「作り物の木に偽物の矢、もう辞めた」と呆れた様子を見せた。彼が背景を破ってスタジオの外に出たので、慌ててマイクは後を追った。
ピーターを除く3人は黒いマントの男に声を掛けられ、共演しないかと持ち掛けられた。「歴史超大作だ。大ヒット間違いなしだ」と男は言うが、3人は相手にせず立ち去った。彼らがレストランに入るとピーターがいて、「飢えている移民がいるのに食えない」と漏らした。デイヴィーはウェイトレスのエースに話し掛けた後、ボクサーとしてリングで戦う。強烈なパンチを何度も浴びて倒れる彼の姿を、客席でミッキーとマイクが見ている。ミニーが「お願い、もう辞めて」と願うミニーの姿に、デイヴィーは気付いた。
試合の前にも、デイヴィーはミニーから反対されていた。しかし彼は「ヴァイオリン弾きで終わりたくない。カーネギーホールなんて、夢のまた夢だ。僕はチャンプになりたい」と言い、対戦相手を選んだ。リングに乱入して暴れたミッキーが警官に取り押さえられていると、ピーターが現れて「馬鹿なのは僕だ。昔から」と口にした。レストランにいるピーターは、エースから「利口な連中の言うことは無視よ。彼らは人を傷付けるのが趣味なの」と告げられた。
ピーターがエースを殴り付けると、「カット」という監督の声が掛かる。エースは「良かった」と言うが、ピーターは「マズいよ。僕のイメージに傷が付く。子供向けだろ。教育上も良くない。僕が女を殴るなんて、ファンにはショックだ」と懸念する。監督は「編集の時に考えるよ」と言うが、彼は信用しなかった。ピーターが隣の部屋に移動すると、天上から雪のように埃が降って来た。ピーターは雪原を歩き、他の面々は密林や砂浜を歩いた。
4人は工場を訪れて説明を受けながら案内されるが、暗闇の部屋に閉じ込められた。「前へ進んで」という男の声が聞こえたので指示に従うと、巨大な頭髪のセットが置いてあった。4人が指示されるまま中に入り、激しく飛び跳ねた。それはヴィクタ・マチュアの頭髪で、4人は掃除機に吸い込まれた。3人が中に落下するが、デイヴィーだけは外に出た。スタジオで歌い踊った後、彼は牛を連れた男に「音楽に専念しろ。アメリカの若者の将来は、君たちに懸かっている」と告げられた。
デイヴィー以外の3人が外に出ると、ラピッド巡査に「怪しい奴らだ。何をしていた?」と尋問される。兵隊が行進している間に3人は立ち去り、デイヴィーと合流する。トイレに入ったデイヴィーは、鏡を開くと巨大な目が写ったので驚く。改めて開くと何も無かったので安堵するが、今度はトイレが不気味な館に変化してしまう。探検家のミッキーは部族に捕まり、ピーター&マイクと共に繋がれる。壁が反転してトイレに移動し、3人はラピッドから尋問される。「トイレでデイヴィーを見たのが最後」と説明すると、ラピッドは「すぐに見つける」と告げて解放する。ヴィクターを見た彼は失神し、ザ・モンキーズの4人が登場する夢を見た…。

監督はボブ・ラフェルソン、脚本&製作はボブ・ラフェルソン&ジャック・ニコルソン、製作総指揮はバート・シュナイダー、撮影はマイケル・ヒューゴ、編集はマイク・ポーゼン、美術はシドニー・Z・リトワック、衣装はジーン・アッシュマン、振付はトニー・バジル、付随音楽はケン・ソーン。
出演はピーター・トーク、デヴィッド・ジョーンズ、ミッキー・ドレンツ、マイケル・ネスミス、ヴィクター・マチュア、アネット・ファニセロ、ティモシー・ケリー、ローガン・ラムジー、エイブラハム・ソファー、ヴィトー・スコッティー、チャールズ・マコーリー、T・C・ジョーンズ、チャールズ・アーヴィング、ウィリアム・バグダッド、パーシー・ヘルトン、ソニー・リストン、レイ・ニシュケ、キャロル・ドゥーダ、フランク・ザッパ、ジューン・フェアチャイルド、テリー・ガー、I・J・ジェファーソン他。


1966年にデビューしたアメリカのバンド、ザ・モンキーズが主演した映画。
後に『ザ・モンキーズ/HEAD!』『ヘッド』といった別タイトルでビデオ発売された。
ザ・モンキーズの仕掛け人であり、TVシリーズ『ザ・モンキーズ・ショー』のプロデューサーでもあったボブ・ラフェルソンが監督を務めている。
ラフェルソンと共同で脚本&製作を担当したのは、役者として売れる前のジャック・ニコルソン。
日本では1981年になって、初めて劇場公開された。

ザ・モンキーズのピーター・トーク、デイヴ・ジョーンズ、ミッキー・ドレンツ、マイク・ネスミスは、本人役での出演。ヴィクター・マチュアも本人役で登場。
ミニー役でアネット・ファニセロ、ボクサー役でソニー・リストン、牛を連れた男の役でフランク・ザッパ、テスティー役でテリー・ガーが出演している。
アンクレジットだが、デニス・ホッパーとボブ・ラフェルソンが本人役、トニー・バジルがデイヴィーの歌唱シーンで踊るダンサー役、ジャック・ニコルソンがレストランでピーターと話す監督役、トー・ジョンソンが工場の警備員役で出演している。
トー・ジョンソンは、これが遺作となった。

そもそもザ・モンキーズは、ザ・ビートルズの人気を見たボブ・ラフェルソンとバート・シュナイダー(本作品の製作総指揮)がアメリカでも同様のグループを作り、TV番組を使って人気を集めようと考えたところから始まっている。
そういう経緯で開かれたオーディションによって4人のメンバーが揃ったため、どうしても「作られたグループ」という印象は否めない。しかしラフェルソンたちの作戦は見事に当たり、ザ・モンキーズのファースト・アルバムは大ヒットした。
その後、楽曲製作を巡るトラブルはあったものの、ザ・モンキーズはシングルとアルバムをヒットさせ、あっという間にアメリカでもイギリスでも高い人気を誇るグループへと成長した。
しかし人気は急激に上昇したが、同じぐらい下降線を辿るのも早かった。1968年に入るとアルバムの売り上げは落ち、ついにチャート1位を記録することが出来なくなった。さらに『ザ・モンキーズ・ショー』も3月で終了してしまい、野心的プロジェクトとしてのザ・モンキーズは終わりを迎えつつあった(とは言え、まだまだ世界的には充分すぎるほど人気があったのだが)。

そんな状況の中で製作されたのが、この映画である。
ボブ・ラフェルソンとしては、それまでアイドル路線で売っていたザ・モンキーズの新たな一面を見せることで、もう一稼ぎしようと目論んだようだ。しかし結果は酷評の嵐で、興行的に惨敗した。
そもそも、なぜかザ・モンキーズとは無関係な映画のように装って宣伝するという本末転倒なことをやったりしたので、その時点で迷走していると言えるだろう。
しかも、ザ・モンキーズの面々が脚本にも関わったのにクレジットから外され、それに怒ったピーター・トーク以外の面々が撮影初日にボイコットするなど、作っている最中からトラブルが起きていたみたいだし。

最初の段階では、「ひょっとするとミュージック・フィルムの数珠繋ぎなのか」とも思った。ザ・モンキーズの歌が流れ、それに合わせた映像が画面に写し出されるってのを繰り返していくのかと思ったのだ。
それなら普通の映画を期待する人々はともかく、ファンであれば、それなりに満足できたはずだ。
だが、この映画は、ミュージック・フィルムとして楽しむことも難しい。
そして、なぜファンにもソッポを向かれたのかは、すぐに分かった。この映画は、そんなに単純な構成の分かりやすいシロモノではなかったのだ。

導入部で「飛躍の連続、縦横無尽、エンドマークで、また始まり。何か意味を求めたい人、お帰りはあちらだよ。混乱してるわけじゃなく、初めから時空を超えているんだ」という語りが入る。
それが本作品を見る人に対する宣言になっている(もしくは言い訳と表現してもいいが)。
つまり、この映画に意味を求めちゃダメなのだ。ナンセンスを楽しまなきゃダメなのだ。
ただし「君たちか見たい物を1から10までお見せしよう」「お金さえ払えば幾らでも楽しませてあげる」ってのは嘘になってるけどね。

上述した粗筋を読んでも、たぶん本作品のストーリーを理解できる人は皆無だろう。
でも、それは決して私の文章が稚拙だからではなく、貴方の理解力が低いわけでもない。
そもそも、この映画にストーリーらしきストーリーは存在しない。1つ1つのエピソードで捉えても、やはりストーリーらしきストーリーは存在しない。
それどころか、「エピソードを連ねる」という構成さえ取っていない。何か1つのエピソードが始まりそうになったら、唐突に別のカットへ切り替わったりする。

砂漠のシーンなんかは、それなりに時間を割いているけど、やはりエピソードとしてはワケが分からないモノになっている。それ以降のシーンも、粗筋を読めば何となく分かるかもしれないが、とにかく支離滅裂だ。
寝ている時に見る夢は、次から次へと場面が転換したり、急に内容が変化したりするが、そういうモノに近い。
それで何となくイメージは伝わるだろうか。
とにかく、真面目に整合性を考えたり、展開を追い掛けたりしても無駄だ。
だって、そこに真っ当な意味なんか無いんだから。

一言で言えば、これはドラッグ・ムービーである。 ピーターが川に飛び込むとサイケな色遣いに変化し、ファンに「戦争」と叫ばせると戦地の様子が細かいカットで連なる。4人がステージで演奏すると、反転映像を重ねたりする。
そんな風に「映像に凝ってみよう」という意識は、あちこちで感じられる。
この作品はストーリーとかドラマってのを全く無視して、とにかくシュールでサイケデリックな映像表現を自由気ままに見せようってことなのだ。

ただし、このドラッグにドップリと浸ることの出来る人は、そんなに多くないだろうと推測される。
その前に退屈を感じたり、あるいは苛立ちを覚えたりして、途中で投げ出してしまう人の方が遥かに多いんじゃないだろうか。
最後まで観賞したとしても、ただ我慢しただけであって、ドラッグで気持ち良くなったわけじゃないという人も少なくないんじゃないか。
ともかく、この映画を見ても、決してドラッグの代替品にならないことだけは確かだ。

完成したフィルムは110分だったが、試写の反応が酷かったため、86分まで短縮された。
しかしハッキリ言うが、時間の長さが云々という問題ではない。60分だろうと、120分だろうと、そんなに大きく印象は変わらなかっただろう。
あえて違いを見つけるなら、「短い方が退屈な時間が減る」というぐらいだ。
カルト映画と呼ばれる作品は世の中に色々とあって、これもカルト映画の部類に入るんだけど、じゃあカルト映画として面白いのか、楽しめるのかというと、相当に厳しいぞ。

『ザ・モンキーズ・ショー』は分かりやすいコメディー・ドラマだったのに、同じメンバーが主演し、同じクリエーターが監督と脚本を務めた映画がサイケデリックで難解な内容なんだから、そりゃあザ・モンキーズのファンが困惑しても当然だろう。
そういう無理のある突飛な変革を求めてファンに敬遠され、だからと言ってザ・モンキーズのファンじゃない観客に歓迎してもらえるような映画でもなく、単なるクリエーターの自慰行為になっている。
でも芸術ってのは基本的に作り手の自慰行為だから、芸術映画として捉えれば、それはそれでいいんじゃないかな。
いやホントはダメだけどね。どうしようもなくダメだけどね。

(観賞日:2015年11月2日)

 

*ポンコツ映画愛護協会