『死霊のはらわた』:2013、アメリカ

森の中を歩いていた少女が、2人の男たちに捕まった。少女は山小屋に連行され、鎖で柱に拘束される。「乱暴しないで」と怯える少女に、老女は「心配しないでいいんだよ」と述べた。「貴方は誰?」と少女が尋ねると、老女は「邪悪な書物によって成されたことは、邪悪な書物によってのみ正される」と言いながら本を開く。山小屋に父親が現れたので、少女は驚いた。小屋には少女の知らない人々が集まっていたが、父親は「みんな助けに来てくれたんだ」と話す。
「ママはどこ?」と少女が訊くと、父親は「知ってるだろ、お前が殺したんだ」と告げる。老女から「やるのだ。娘の魂を救うには、それしか無い」と老女に指示された父親は、娘に「すまない」と詫びる。彼は娘の頭から油を浴びせ、マッチを擦った。それまで怯えた様子を見せていた少女は突如として変貌し、「お前の魂を引き裂いてやる」などと口汚く罵った。全身を炎に包まれた少女が「畜生」と叫ぶ中、父親はショットガンで娘の頭を撃ち抜いた。
デヴィッドと恋人のナタリー、高校教師のエリックと看護師のオリヴィアが、森の山小屋に集まった。そこはデヴィッドが幼い頃、家族で良く来ていた場所だ。今回、4人が集まった目的は、デヴィッドの妹であるミアの治療を手伝うためだ。ミアは麻薬中毒患者で、依存症を克服するために人里離れた場所に来たのだった。山小屋の扉は鍵が開いており、誰かが入った形跡があった。他の4人が散らかった小屋を掃除する中、ミアは母の写真を見つめる。デヴィッドが来たので、彼女は病死した母のことを語ろうとする。「今は悲しいことは考えない方がいい」とデヴィッドが言うと、彼女は「ママが悲しい思い出?」と絡む。
ミアが「ママは死ぬ前、私を兄さんと間違えてた」と話すと、デヴイッドは「俺だって見舞いに行きたかったが、シカゴで就職が決まったばかりだった。休みをくれとは言えなかった」と弁明した。エリックとオリヴィアはデヴイッドに、今回はミアを絶対に帰さない荒療治で行くつもりだと話す。去年の夏もミアは依存症克服に失敗しており、今回も挫折する可能性が高いと2人は考えていたのだ。エリックたちはデヴィッドに、ミアがオーバードーズで死に掛けたことがあると教えた。しかしデヴィッドは、「俺は妹と仲直りに来た。連れて帰ってくれと言われたら、その通りにする」と言う。
夜、ミアが禁断症状に苦しんで荒れる中、オリヴィアは注射を打って落ち着かせようとする。ミアは「この匂いに気付かないなんて変よ。何かが死んでる匂いよ」と言うが、他の4人は何の匂いも感じない。デヴィッドの愛犬であるグランパが壁のマットを外すと、床下点検口があった。デヴィッドたちが点検口を開けると階段があり、真っ暗な地下室の奥から異臭が漂って来た。デヴィッドとエリックが地下室に入ると、何匹もの猫の死骸が吊るされていた。燃えた形跡のある柱は、かつて少女が父親に殺された場所だった。しかし、もちろんデヴィッドたちは、そのことを知らない。
2人は袋に入れて鉄線で巻かれている1冊の本を発見し、それを持って地下室を出た。エリックは1人になった時、袋から本を取り出す。本を開いた彼は、そこに記されていた呪文を読み上げた。森を歩いていたミアは、少女の死霊を目撃する。山小屋に戻った彼女は、「ここから出て行かなきゃ頭が変になる」と言って帰ろうとする。しかしエリックとオリヴィアは「それは出来ない。最後まで頑張れ」と告げ、助けを求められたデヴィッドも「みんなの言う通りだ」と述べる。
ミアは車を走らせて脱出を図るが、血まみれの少女が立ちはだかったのでハンドルを切る。ミアは事故を起こして沼に突っ込み、車は動かなくなった。死霊を見たミアは慌てて逃げ出すが、植物の蔓に体を拘束される。そこに死霊が現れ、ミアの体内に血まみれの蔓が入り込んだ。デヴィッドたちが駆け付けると蔓は無くなり、死霊も消えていた。「森に女がいた」「森に襲われた」というミアの証言は禁断症状と解釈され、信じてもらえなかった。
ミアの体には棘が刺さっていたが、オリヴィアはデヴィッドに「わざと茨の茂みに突っ込んだんじゃないかな。彼女は逃げ出すためなら何でもする」と言う。デヴィッドは納屋でグランパが血だらけになっているのを見つけ、ミアが襲ったと決め付ける。ミアがシャワーを浴びていると聞き、デヴィッドは浴室の扉を激しく叩く。ミアはシャワーの温度を上げ、熱湯を頭から浴びて火傷を負う。デヴィッドはミアを車に乗せて町へ戻ろうとするが、川の氾濫で行く手が遮られていた。
デヴィッドは山小屋に戻り、オリヴィアがミアに鎮静剤を打った。ミアは4人の前に来てショットガンを発砲し、デヴィッドは右肩に弾丸を浴びる。ミアは激しく彷徨した後、不気味な声で「お前たちは今夜死ぬ」と言い放つ。彼女はオリヴィアを取り押さえ、大量の血を放出する。オリヴィアが突き放すとミアは地下室に落下し、すぐにエリックが点検口を閉じた。エリックはデヴィッドに、「ミアがこうなった原因は、きっと地下室で行われた魔術の儀式だ」と言う。
洗面所で顔を洗っていたオリヴィアは死霊に憑依され、ナイフで自分の頬を切る。浴室に来たエリックが驚愕すると、オリヴィアは彼の体をナイフで突き刺す。何度も注射針を突き刺されたエリックは、オリヴィアを割れた洗面台の破片で撲殺した。エリックは手当てを施すデヴィッドに、「俺は本の一節を唱えた。あれは何かの封印を解く呪文だったらしい。邪悪な物を解き放ってしまった」と言う。ナタリーは点検口の蓋が開いているのを目撃し、泣いているミアから助けを求められる。手を差し伸べようとしたナタリーは、地下室に引きずり込まれてしまった。
ミアは不気味な声を発し、ナタリーの左手に噛み付いた。デヴィッドが点検口の蓋を開け、ナタリーは慌てて脱出した。デヴィッドは蓋に釘を打ち付け、鎖で封鎖した。エリックはバケツに本を入れ、火を付けた。しかし、どれだけ待っても本は全く燃えなかった。エリックはデヴィッドに本の内容を説明し、邪悪な存在がミアに憑依していること、終わらせたければ彼女を殺すしかないことを告げる。そう本に書かれているのだと聞かされたデヴィッドは、「妹を殺すなんて出来るかよ」と声を荒らげた。
デヴィッドは「雨は止んだ。川の水位も下がって、あと2時間もすれば全員で山小屋から出て行ける」と言うが、エリックは「どこに行っても関係ないんだ。今の内に手を打たないと、逃げ出す前に全員が殺される」と告げる。一方、ナタリーの左手は醜く変貌し、自分の意思では動かなくなっていた。死霊の憑依から逃れるため、ナタリーは左腕を切り落とした。デヴィッドはナタリーの姿を見て驚愕し、ミアは地下室で不気味に笑った。
デヴィッドはナタリーに応急手当てを施し、「俺とエリックで終わらせてくるから心配するな」と告げる。エリックは本を読み、「全てを終わらせるには憑依された者を浄化するしかない。その方法は3つ。生き埋め、体の切断、炎による清めだ」とデヴィッドに話す。まだ妹を殺すことを決断できないデヴィッドに、エリックは「お前は臆病者だ。やるべきことが分かってるのに、怖くてやらないだけだ。俺が小屋に火を付けて終わらせてやる」と述べた。そこに憑依されたナタリーが現れ、ネイルガンで2人を襲う…。

監督はフェデ・アルバレス、オリジナル版脚本はサム・ライミ、脚本はフェデ・アルバレス&ロド・サヤゲス、製作はロブ・タパート&サム・ライミ&ブルース・キャンベル、共同製作はニコール・ブラウン&マシュー・レオネッティーJr.製作総指揮はネイサン・カヘイン&ジョー・ドレイク&J・R・ヤング&ピーター・シュレッセル、撮影はアーロン・モートン、編集はブライアン・ショウ、美術はロバート・ギリーズ、衣装はセーラ・ヴーン、メイクアップ&特殊デザインはロジャー・マーレイ、視覚効果監修はジョージ・リッチー、音楽はロケ・バニョス。
出演はジェーン・レヴィー、シャイロー・フェルナンデス、ルー・テイラー・プッチ、ジェシカ・ルーカス、エリザベス・ブラックモア、フェニックス・コノリー、ジム・マクラーティー、シアン・デイヴィス、スティーヴン・バターワース、カール・ウィレッツ、ランダル・ウィルソン他。


サム・ライミの監督デビュー作である1981年の同名映画をリメイクした作品。
当初は自ら監督を務めてリメイクする構想も抱いていたライミだが、オリジナル版のプロデューサーだったロブ・タパート、主演俳優だったブルース・キャンベルと共に製作だけを担当している。
監督はウルグアイ人のフェデ・アルバレスで、これがプロとしてのデビュー作。2009年に300ドルの予算で作った短編映像『Panick Attack!』をYoutubeにアップして注目を浴び、ライミやキャンベルたちが監督に抜擢した。アルバレスは共同脚本も担当している。
ミアをジェーン・レヴィー、デヴィッドをシャイロー・フェルナンデス、エリックをルー・テイラー・プッチ、オリヴィアをジェシカ・ルーカス、ナタリーをエリザベス・ブラックモアが演じている。

この作品に限らず、かつてヒットしたホラー映画のリメイクは何本も作られている。
その多くで見られるのが、ゴア描写の度合いを上げるというアプローチだ。
オリジナル版をトレースするだけならリメイクの意味が無いし、酷評されることも間違いないので、もちろん何か変化を付ける必要はある。
スプラッター系ホラーの場合、残酷描写をアップさせるというのが、たぶん「違いの付け方」として最も簡単に思い付く方法だろう。
それが間違った方向性だとは言わないが、そこだけに頼るのは安易で雑だと感じる。

残念ながら本作品も、オリジナル版との差異は「ゴア描写の度合いが増している」という部分が大半だ。
しかし、それによって果たして映画としての面白さが感じられるのかというと、「まるで感じない」という答えになってしまう。
ハッキリ言って、ゴア描写なんて他にも数多くのスプラッター映画でもやっているわけで、それらと比較して本作品にズバ抜けたモノがあるのかというと、特に何も無い。
もはや「ゴア描写で観客を引き付けよう」なんてのは使い古されている手口であって、それだけでは厳しいのだ。

そもそも、ゴア描写の数々は、「痛み」と「怖さ」を勘違いしているとしか思えない方向性になっている。
「痛そうだなあ」という印象は、「怖い」という感想には直結しないのだ。
それと、映像の質はオリジナル版に比べると格段に進歩しているのだが、それが全面的にプラスには働いていない。オリジナル版の方がチープではあるのだが、そのことが作品の味わいに繋がっていた。
このリメイク版の方が素材としての質は上がっているけど、調理方法や飾り付けがイマイチなんだろう。

オリジナル版との違いを付けた方がいいのは当然だが、一方で「変えすぎるとリメイクである意味が無い」とも言える。そこはバランス感覚の問題だが、大まかなストーリー展開の部分でオリジナル版を踏襲するケースが多い。
この映画でも、途中までの大まかな展開は、オリジナル版と同じだ。
ただし、そこを踏襲しても、観客を引き付ける力は弱い。
なぜなら正直に言って、オリジナル版はストーリー展開が斬新だったわけではないし、そこに面白味があったわけでもないからだ。

実はオリジナル版も、かなりグロテスクな描写が多かった。しかしながら、ただ残酷描写が多いだけには留まっていなかった。
だからこそシリーズ化されたのだし、今でも根強い人気を誇っているのだ。
オリジナル版の魅力は、「サム・ライミが自作のステディーカムであるシェイキーカムで撮影した“走るカメラ”の映像」「ブルース・キャンベル」「どことなく可笑しさを感じさせる雰囲気」といった辺りにあった。
特に大きいのは、3つ目だろう。

今回のリメイク版では、「森の悪霊が空を猛スピードで飛んで来る」という映像はオリジナル版を踏襲しているが、後者2つは踏襲していない。
もちろん主役はブルース・キャンベルではないし、「恐怖と笑いは紙一重」という言葉が良く分かる雰囲気だったオリジナル版とは大きく異なり、徹底してシリアスなテイストだ。
ブルース・キャンベルが主役じゃないのは、「若者グループ」の話なので仕方が無いとしよう。
しかしコメディー色を感じさせる雰囲気が消えたことに関しては、大きな痛手となっている。

最初にデヴィッドたちが登場した時点で、もう暗くて陰気な雰囲気が漂っている。
何しろミアが薬物依存という設定であり、その治療で集まっているので、「おバカで浮かれた連中が惨劇に引きずり込まれる」という落差が全く生じない。
「浮かれポンチな若者たちが犠牲になる」ってのがスプラッター映画の王道なので、あえて外してみたのかもしれない。
ただし、ベタを外して大失敗するぐらいなら、ベタを丁寧にやった方が遥かにマシなのである。

ミアを薬物依存という設定にしたことで、「彼女の発言が全て禁断症状だと思われ、信じてもらえない」というトコロに繋げている。
そういう風に書くと、「ちゃんと意味のある使われ方だし、効果的に機能しているんじゃないか」と思うかもしれない。
しかし冷静に考えてほしいんだが、仮にミアが薬物中毒じゃない設定だとして、その上で「森に女がいただの、襲われたと言っても信じてもらえない」という展開にしても、何の問題も無いのである。
実際、「変な物を見たり、変な体験をしたと言っているのに仲間から信じてもらえない」なんていう描写は、映画では良くあるパターンでしょ。

つまり「ミアが薬物依存」ってのは、話を無駄に陰気な雰囲気にしているだけであって、何の効果ももたらしていないのである。
そりゃあ、オリジナル版と同じような雰囲気を出すってのは、決して簡単な作業じゃないだろう。
だから徹底してシリアスなテイストにしても、それによって映画が別の面白さを醸し出すのであれば、それはそれで構わないんじゃないかという気はする。
しかし実際にはマイナスにしか作用していないので、大失敗だと言わざるを得ない。

「デヴィッドが母が死んだ時に駆け付けず、そのことで妹と疎遠になっているし、負い目を感じている」という設定があって、そこを使ったドラマも描かれるのだが、「そんなの要らんわ」と言いたくなる。
その設定を使い、終盤には「デヴィッドがミアを蘇生させた後で死亡し、ミアが悪霊と戦う」という主役の交代が行われるのだが、まるで意味が無いし。
そりゃあデヴィッドに主役としての魅力があったかと問われたら、答えはノーだ。
だけど、悪霊に憑依されて仲間たちを怯えさせていたミアが終盤になって急に善玉へ転向した上に主役の座まで奪い取るってのは、まるで気持ちが乗って行かないわ。

他にもオリジナル版との違いは幾つかあるが、その中でプラスに作用していると感じた箇所は1つも無い。
山小屋の地下で儀式が行われたという設定は、特に効果的に機能しているとは思えない。
最初に少女が殺されるシーンを描くことで観客の気持ちを掴もうとする狙いがあったのかもしれないけど、それほど有効だとも感じないし。
地下室で儀式が行われた設定にするのなら、もっと現在の物語の中で意味のある使い方をすべきだろうに、「かつて儀式がありました」というだけで終わっている感じだし。

死霊の復活はオリジナル版が「地下室にあったテープレコーダーをアッシュたちが再生すると、吹き込まれていたノウビー教授の声で呪文が唱えられる」という形だったのに対し、リメイク版では「エリックが本を開いて呪文を唱える」という形に変えてある。
だが、有刺鉄線を切ってまで本を読もうとするエリックの感覚が不可解だし、呪文を読むのも無理を感じる。
話を展開させるために、エリックというキャラを強引に動かしているように感じられるのだ。
これが「アホな男が好奇心で本を開けて、調子に乗って呪文を唱える」ということならともかく、そういうキャラではないし。

ナタリーが死霊(邦題に合わせて「死霊」と書いているけど、設定では「悪魔」ってことになっている)に憑依された左腕を伝導ナイフで切断するシーンは、オリジナル版では『死霊のはらわた2』でアッシュがやっていたのと同じ行動だ。
だけど、そっちでは「別の意思を持つ自分の右腕に襲われる」というブルース・キャンベルの一人芝居を堪能するシーンだったのよ。
今回はシリアス一辺倒だから、そういうのは無くて、ただ痛々しいだけ。だったら、片腕だけ憑依されるシーンなんて無くてもいいんじゃないかと思ってしまう。

ちなみにクロージング・クレジットでは、オリジナル版で使われたノウビー教授の独白が流れて来る。そしてクロージング・クレジットが 終わるとブルース・キャンベルが画面に写し出され、『死霊のはらわた2』と同じ「イカすぜ(Groovy!)」というセリフを口にする。
ブルース・キャンベルが登場するのは、普通に考えれば嬉しいサービスだ。
ただし、本編の内容からすると、そこで彼が「イカすぜ」と言うのは、明らかに浮いている。
そういうサービスをするなら、中身も合わせないとダメだわ。中身をシリアス一辺倒にするなら、彼のカメオ出演もそれに合わせた形でハメ込むべきだし。

(観賞日:2015年3月20日)


2013年度 HIHOはくさいアワード:7位

 

*ポンコツ映画愛護協会