『終戦のエンペラー』:2012、アメリカ&日本

1945年8月30日。原爆投下によって降伏した日本へ向けて、GHQを乗せた米軍の飛行機が飛んでいた。その中には、島田アヤという女性の写真を持参したボナー・フェラーズ准将の姿もあった。日本の専門家である彼は、狙撃を心配するダグラス・マッカーサー元帥に「天皇は降伏を宣言せずに日本人を降伏させました。その真実性も、国民の忠誠も、私は疑いません」と述べた。マッカーサーは部下たちに、「武器を持たずに飛行機を降り、恐怖心の無さを見せ付けてやるのだ」と告げた。
フェラーズやマッカーサーたちは焦土と化した日本の国土をジープで移動し、GHQ総司令部のある第一生命館へ赴いた。その向かいにある皇居には、米軍も立ち入りが禁じられている。マッカーサーはA級戦犯を裁判に掛けるため、天皇の側近である約30名を逮捕するようフェラーズに命じた。フェラーズは部下のロジャースたちを集め、なるべく全員を同時に逮捕するよう指示した。フェラーズの元に運転手兼通訳の高橋が来て、用事を言い付けるよう告げた。フェラーズは部下たちに内緒でアヤの写真と資料を渡し、捜索を指示した。
フェラーズはリクター少将たちと共に東條英機の屋敷へ向かうが、銃声が響いて来た。急いで屋敷に乗り込むと、東條は拳銃自殺を図っていた。しかし心臓を外れていたため、すぐにフェラーズは軍医を呼んだ。総司令部へ戻ったフェラーズとリクターに、マッカーサーは「任務が変更された。天皇は保護リストから外され、裁判の対象となった。10日間で戦争における彼の役割を調査する」と語る。リクターが「裁判は連合国の総意では?処刑を求める声は高い」と言うと、マッカーサーは彼を立ち去らせた。
マッカーサーはフェラーズに、「確かに天皇の処刑は連合国の総意だが、私には無意味だ。私の使命は日本の再建だ。天皇を逮捕すれば集団自決や反乱を招く。天皇が去れば共産主義者が入り込む。君が阻止しろ」と告げて調査を命じた。総司令部を出てうどん屋に入ったフェラーズは、過去を回想する。1932年、ダグラストン大学に通っていた頃、彼は留学生のアヤと出会い、たちまち恋に落ちた。
総司令部へ戻ったフェラーズは、東京にあるアヤのアパートが3ヶ月前に爆撃されて全壊ことを高橋から知らされ、「彼女は静岡で代用教員をしていた。叔父の鹿島大将に連絡を。彼なら知ってる」と告げた。フェラーズは直属の部下たちに任務の変更を説明し、関係者の捜索を開始する。天皇の側近全てに尋問するのは難しいと考えたフェラーズは、巣鴨拘置所に収容されている東條に目を付けた。彼は東條と面会し、高橋を通じて「貴方は絞首刑になる。天皇にもそれを望むか」と質問した。彼は3名の証人を挙げるよう要求し、名簿を差し出した。すると東條は、近衛文麿だけに印を付けた。
フェラーズは近衛を訪ね、逮捕リストから一時的に外したことを明かした。その上で彼は、天皇が戦争に反対していたかどうか質問する。近衛が「陛下は全ての戦争に反対です。平和主義で、お優しいお方です」と言うと、フェラーズは「しかし真珠湾攻撃を承認した」と指摘する。近衛は「東條と軍部が権力を掌握した時、陛下は巻き込まれた」と告げ、軍部が戦争回避に全く興味を示さなかったことを語った。フェラーズが「天皇の下で大勢が死亡し、残虐行為が繰り返された」と話すと、近衛は「貴方たちは日本の2つの都市を焼き払った。日米双方が有罪だ」と反論した。
さらに近衛は、フェラーズに「武力で領土を奪うことが国際犯罪なら、英国や米国の指導者を誰かが裁きましたか。日本は貴方たちを手本にしただけだ」と述べた。近衛は「私は貴方の力になれない」と告げ、内大臣の木戸幸一と会うよう勧めた。要請を受けた木戸は、料亭を面会場所に指定した。木戸を待つ間、フェラーズはアヤと過ごした日々を回想する。しかし楽しい時間は長くは続かず、アヤは何も言わずに日本へ帰国してしまった。
逮捕を恐れた木戸が料亭に現れず、フェラーズはマッカーサーから絶対に見つけ出すよう命じられる。フェラーズは部下たちに、開戦を決定した会議の重要人物を洗い直すよう指示した。町へ出たフェラーズは、また過去を回想する。1940年、フィリピン勤務だった彼は任務で日本を訪れ、東京で英語教員をしていたアヤを見つけ出した。何通も手紙を出したが、アヤからは一度も返事が来ていなかった。そのことについてフェラーズが質問すると、アヤは「もう来ないで」と冷たい態度で走り去る。しかし学校の前でフェラーズが待ち続けたので、仕方なくアヤは彼と話す。アヤはフェラーズに、「父は米国人と結婚しないと私に約束させた。その父が病に倒れ、私は帰国した。父は他界した」と語った。
フェラーズはリクターから、「マッカーサーに利用されてるぞ。彼は天皇を無罪にすべく、君の尻を叩いている」と言われる。さらにリクターは、「彼は大統領選に出馬する野心がある。アメリカ国民は天皇の処刑を望んでいる。彼は天皇を救っておいて、その責任は君に背負わせるつもりだ」と語る。フェラーズは高橋に、アヤの調査状況を尋ねた。高橋は鹿島と連絡が取れないことを告げ、「彼女が教員をしていた静岡周辺が空襲を受けて大部分が焼けました」と述べた。
フェラーズは車で静岡へ向かいながら、また過去を回想する。東京での駐在中、フェラーズは男子学生に石を投げられて額に軽い怪我を負った。アヤは手当てのために彼を自宅へ招き入れ、軍が「外国人を憎め」と教える冊子を配っていることを教えた。フェラーズはアヤの手を握り、そしてキスを交わした。静岡に到着したフェラーズは、空襲で焼け野原となった町を目にする。彼が生存者のリストを求めると、高橋は「死者のリストならあります」と告げた。
総司令部に戻ったフェラーズは、写真撮影ばかりを気にしているマッカーサーの様子を見て苛立った。またフェラーズは回想に入り、アヤの家で日本兵の心理に関する論文を書こうとしていた時のことを思い出す。彼が何も書けずに困っていると、アヤは鹿島を紹介した。鹿島はフェラーズに、「日本人は1つの価値観を信奉している。君には理解できないだろう」と言う。天皇が日本兵の思考に与えている影響についてフェラーズが訊くと、彼は「陛下に奉じるからこそ、日本兵は米兵より優れている。義務感が違う」と答えた。
フェラーズは宮中で影響力の強かった次官の関屋貞三郎に目を付けるが、電話しても連絡が取れない。しかも関屋の執務室があるのは、警備の厳重な皇居の中だ。フェラーズはマッカーサーに事情を説明し、皇居へ突入するために武器が必要だと訴えた。するとマッカーサーは命令書を用意し、護衛の兵士数名を連れて行くよう指示した。フェラーズたちが皇居へ行くと、皇宮警官たちが立ち塞がる。フェラーズは命令書を渡し、関屋との面会を要求した。武器を携帯せずに1人で面会するという条件で、彼は皇居への立ち入りを許可された。
フェラーズは関屋に、開戦前後の天皇の気持ちが反映された文書の提示を求めた。しかし関屋は、天皇が気持ちを文書に残すことは無いと話す。手紙やメモの存在をフェラーズが尋ねると、関屋は開戦3ヶ月前の御前会議で天皇が朗読した短歌の存在を明かした。そして彼は、その短歌が平和を望む内容であることを説明した。説得力の無さを指摘するフェラーズに、関屋は「陛下にとっては勇敢な行動です」と言う。真珠湾攻撃の命令を下したのかとフェラーズが尋ねると、彼は「陛下は短歌を朗読されました」と繰り返した。
うどん屋に立ち寄ったフェラーズは、その苛立ちを客にぶつけ、暴行を受けた。総司令部に戻ったフェラーズは、アヤに手伝ってもらって論文を執筆した日々を回想する。アヤは彼に、「ルーツは宗教にある。信奉を理解すれば日本を理解できる」と述べた。鹿島はフェラーズに、“建前”は表向きの言葉、“本音”は嘘偽りの無い心だ。日本はアジアで最も近代化された国に見えるが、それは建前だ。この国の根底にあるのは、古来からの武士道精神だ。忠義と服従だ」と語った。
フェラーズは総司令部でタイプライターを叩き、「徹底的に調査したが、天皇を無罪とする証拠は見つからない。彼も太平洋戦争の扇動者だと結論付けるしかない」と打った。転寝していたフェラーズは高橋に起こされ、木戸が来ていることを知らされる。木戸はフェラーズに、8月9日の深夜に降伏するか否かの御前会議が開かれたこと、意見が割れる中で天皇が降伏の受諾を求めたこと、陸軍の狂信者たちを封じるために玉音放送を決断したことを話す。天皇の録音盤を狙った兵士たちが皇居を襲撃したが、反乱は鎮圧された。しかし証拠は全て焼却され、証人の大半が自決したと彼は語る…。

監督はピーター・ウェーバー、原作は岡本嗣郎、脚本はデヴィッド・クラス&ヴェラ・ブラシ、製作は奈良橋陽子&ゲイリー・フォスター&ラス・クラスノフ&野村祐人、共同製作はティム・コッディントン、撮影はスチュアート・ドライバーグ、編集はクリス・プラマー、美術はグラント・メイジャー、衣装はナイラ・ディクソン、音楽はアレックス・ヘッフェス、音楽監修はデイヴ・ジョーダン。
出演はマシュー・フォックス、トミー・リー・ジョーンズ、初音映莉子、羽田昌義、桃井かおり、西田敏行、コリン・モイ、中村雅俊、夏八木勲、伊武雅刀、片岡孝太郎、火野正平、アーロン・ジャクソン、ニック・サンプソン、ウィル・ウォレス、ケルソン・ヘンダーソン、スティーヴン・パップス、宇佐美慎吾、菊池隆則(現・樋口隆則)、イングリッド・パーク、奈良橋陽子ら。


岡本嗣郎のノンフィクション『終戦のエンペラー 陛下をお救いなさいまし』(映画公開に合わせて改題)を基にした作品。
監督は『真珠の耳飾りの少女』『ハンニバル・ライジング』のピーター・ウェーバー。
脚本は『絶体×絶命』『ワイルド・タウン/英雄伝説』のデヴィッド・クラスと『ウーマン・オン・トップ』のヴェラ・ブラシ。
フェラーズをマシュー・フォックス、マッカーサーをトミー・リー・ジョーンズ、アヤを初音映莉子、高橋を羽田昌義、鹿島の妻を桃井かおり、鹿島を西田敏行、リクターをコリン・モイ、近衛を中村雅俊、関屋を夏八木勲、木戸を伊武雅刀、昭和天皇を片岡孝太郎、東條を火野正平が演じている。

この映画は、昭和天皇の戦争責任が回避されるまでの経緯を描いている。
そんなモノを見たがるアメリカ国民が、どれほどいるんだろうか。決して多くないことは確かである。
実際、北米での興行成績は散々な結果に終わっている。
しかし製作サイドとしては、もちろんヒットするにこしたことは無いが、北米でコケても別に構わないという思いがあったのではないだろうか。日本の興行収入で結果を出せば、それでOKという考えだったのではないだろうか(ハリウッド映画としては、それほど高額な製作費を投入しているわけではないので、日本で受ければ黒字が出るのだ)。

と言うのも、この映画、最初から日本を主戦場として企画されている匂いがプンプンと漂って来るのだ。
ポイントになるのは、本作品のプロデューサーを務めた奈良橋陽子だ。
奈良橋は数多くのハリウッド映画で日本人のキャスティングを担当しているが、そんな彼女が「日本から発信するハリウッド映画」として企画したのが、この作品なのだ(ちなみに、劇中に登場する関屋貞三郎は彼女の祖父だ)。
ようするに、「ハリウッド映画」という皮を被っているが、ほぼ日本映画と言ってもいいようなシロモノなのだ。

そもそも「主人公が終戦直後の日本で天皇の戦争責任について調査する」という話の段階で、まるでアメリカ人向けではない。
「A級戦犯を裁判に掛けるために天皇の側近を逮捕する」とか、「天皇が去れば共産主義者が入り込む」とか言われても、当時の日本に強い興味がある人じゃなかったら、あまりピンと来ないだろう。
近衛文麿や東條英機といった人物が登場しても、誰なのか分からない人も多いだろう。
そういった人物や当時の状況について、あまり知識が無く、そして大して興味も無いであろうアメリカ人に噛み砕いて説明するような意識も見られない。
おまけに、これは単に終戦直後の日本を描いているというだけでなく、「昭和天皇に戦争責任は無い」と訴えるプロパガンダ映画なのだ。

フェラーズが会う関係者は全員が天皇への忠誠心を示して擁護し、最後に天皇自らが「戦争遂行に関する全責任は私にあります。懲罰の一切を受けるのは私個人であることを希望します」と語る。
そうすることで、「昭和天皇は関係者に信奉されていただけでなく、優れた人格者であった」ということをアピールして、「だから天皇の訴追を回避した結論は正しいってことでいいよね」という風に持って行くわけだ。
そりゃあ、そんなモンがアメリカで受けるはずがない。
監督がアメリカ人ではなくイギリス人のピーター・ウェーバーという辺りも、映画の中身や企画の意図を考えると「なるほどね」と感じる。オファーを出せば雇われ監督として引き受けてくれるアメリカ人監督もいるだろうけど、まあイギリス人を選んだ方が無難だわな。

「この内容なら、アメリカ人キャストを招聘して日本で制作した方がいいんじゃないのか」と思った人もいるかもしれない。
しかし、これが東宝や東映のような日本の映画会社ではなく、ハリウッドで製作されたことには、実は大きな意味がある。
私も含めて日本人ってのは愚か者が多いので、「天皇の戦争責任を取り上げたハリウッド映画」と「天皇の戦争責任を取り上げた日本映画」では受ける印象が全く違うのだ。
「戦後の日本を舞台にしたハリウッド映画」というだけで、そこに箔が付くのだ。

冒頭で原爆投下の様子が描写され、「最も恐ろしい兵器、原子爆弾を投下されて日本が降伏した。国は焦土と化した」というフェラーズのモノローグが入る。
フェラーズが総司令部を出て夜道を歩くシーンでは、「1945年3月10日の夜、米軍の空襲で東京は世界最大の火葬場と化した。1度の爆撃で10万人が焼死した。遺体の悪臭が未だに漂っている。この国は飢え崩壊寸前の状態だ」というモノローグが入る。
そのようにして、この映画は「日本は被害者、アメリカは加害者」ということをアピールする。
冒頭の原爆投下シーンなんて、物語の展開や内容だけを考えれば全く必要性は無いが、被害者アピールのためには重要な映像となる。

近衛はフェラーズに対し、「日本は大勢を殺したが、アメリカは原爆投下で大勢を殺した。日米双方が有罪だ」とか「日本は中国の領土を奪ったが、英国やポルトガルはどうです?シンガポールやマレーシアを奪ったが、英国から奪ったのです。フィリピンも米国から奪った。その米国は元々、スペインから奪っている。武力で領土を奪うことが国際犯罪なら、英国や米国の指導者を誰かが裁きましたか。日本は貴方たちを手本にしただけだ」と反論する。
その反論は、「それを言っちゃあ、おしめえよ」という内容だ。
ある意味では正論かもしれないが、ただの開き直りでしかない。
なんでもかんでも恐縮する必要は無いけど、そこは自己の醜い正当化でしかない。

「アメリカ人向けじゃない」と前述したが、では日本人が見れば面白いのかというと、そうでもない。
描かれている内容が理解できる割合はアメリカ人に比べれば圧倒的に多いだろうが、歴史ドラマとして引き付けられるモノが薄い。
基本的には「フェラーズが関係者と面会して天皇に関するコメントを聞く」→「フェラーズがアヤを回想する」という繰り返しで、たまに他の要素も入って来るけど、メリハリや抑揚には欠けている。
しかも、関係者への尋問が続く中で、次第に真相が見えて来るとか、意外な新発見が待ち受けているとか、そういう展開も無い。天皇に関してコメントする関係者は総じて人物としての厚みに欠けるし、会話劇としての面白味も無い。

かなりノンフィクションっぽく作られているが、事実とは異なる点も多く含まれている。
フェラーズが昭和天皇の訴追回避を進言する報告書を作成する際、実際には河井道というクリスチャンの意見が大きな影響を与えており、原作も彼女とフェラーズに重点を当てている(映画公開以前の題名は『陛下をお救いなさいまし―河井道とボナー・フェラーズ』だった)。
しかし映画版では河井道の存在を抹消し、代わりに「フェラーズは日本人女性に恋をしていた」というフィクションの要素が盛り込まれている。

最初から「全て事実です」と謳っているわけではないし、フィクションの要素が盛り込まれるのは別に構わない。河井道を登場させると焦点がボヤける可能性もあるから、彼女を外してフェラーズだけを中心に据えるのも理解できる。
ただし、フェラーズとアヤの恋愛関係を盛り込んだことは、結果としては大きな失敗になっている。
何しろ、その恋愛劇は、フェラーズが天皇の戦争責任について考える中で、何の関係も無い要素なのだ。
それなのに回想劇として何度も挿入すると、「フェラーズが天皇の訴追回避を進言したのは、日本が惚れた女のいる国だったことが大きく影響している」という風に受け取れないこともない。でも、それじゃあ絶対にダメなわけで。

単独で恋愛劇を見ても、ちっとも魅力が感じられない。
せめて再会に向けてのドラマがあるならともかく、まるでアヤの消息に近付かない情報が幾つか提示され、終盤になってフェラーズが鹿島の元を訪ねて「アヤが戦争で死んでいた」ということが明らかになるのよね。
で、それが明らかになった時に、「だから何なのか」と思ってしまうのよ。そこまでに描かれたアヤに関する回想シーンって、何のためのモノなのかと思うのよ。
それと、なんで最初からフェラーズは鹿島を訪ねようとしなかったんだよ。5年前と同じ家に住んでいるんだから、行けば会えたでしょ。そうすりゃ、すぐにアヤの消息は判明していただろうに。

しかも、「アヤを愛していた」という以外の部分で、フェラーズという人物の内面が見えてくる部分が少ないんだよね。
本来なら、調査を進める動きの中に色んなドラマがあり、そこでフェラーズという人物の厚みが生じるべきだろう。しかし実際のところ、政治ドラマにおけるフェラーズは、ストーリーを進行するための駒に近い。
いや、それよりもプロパガンダ映画としての意見を主張するための駒と言った方がいいだろうか。リクターがフェラーズを妨害しようと目論んだりしているんだけど、全く意味の無い要素になっているし。
とにかく、この映画からはプロパガンダ以外の要素が見えて来ないんだよね。

(観賞日:2015年1月9日)

 

*ポンコツ映画愛護協会