『人生、サイコー!』:2013、アメリカ

ブルックリン。父親の精肉店で働くデヴィッド・ウォズニアックはマルチ商法の会社に投資していたが、社長が逮捕されて8万ドルの借金を抱えた。彼は借金を返済するため、自宅でマリファナ栽培を始めている。デヴィッドは銀行を巡って融資を申請するが、ことごとく断られる。彼は父のミコワイや弟のヴィクター、店員のアレクセイたちとバスケットボールのチームを組んでおり、写真撮影のためにユニフォームを用意する仕事を任されている。しかしユニフォームを積んでおいたトラックを違法駐車でレッカーされてしまい、チームメイトは私服で撮影する羽目になった。
デヴィッドの恋人であるエマは警官なので、マリファナ栽培のことは隠している。早朝3時にエマの元を訪ねたデヴィッドは、妊娠を告げられて困惑する。その様子を見たエマは、「一人で育てるわ。信用できないし、借金もある。人生をちゃんと生きてない」と述べた。デヴィッドは弁護士として働く親友のブレットを訪ね、「最初は怖くなったが、人生で最高の出来事かもと思うようになった」と告げる。しかし子だくさんのアレクセイは、「中絶を勧めろ。ウチは手遅れだ」と忠告する。それでもデヴィッドは、子供が欲しいという気持ちを変えなかった。
デヴィッドが帰宅するとウィリアムズという弁護士が来ており、「1991年から1994年に掛けて、貴方はスターバックという名前で精子提供を行った。私は病院の代理です。証明できる書類もある。33ヶ月で提供回数は693回。代償として2万4255ドルを受け取っている」と語る。それから彼は、「ある期間、院長は女性の顧客全員に貴方の精子を与えた。貴方は533人の父親で、その内の142人が身元開示を請求しいます。契約は不当で、父親の正体を知りたいと訴えています」と説明した。
デヴィッドはブレットに相談し、弁護を依頼した。前例の無い複雑な案件に、ブレットは強い意欲を示した。彼は原告のプロフィールが入った封筒をデヴィッドに渡した上で、「開けるなよ」と釘を刺した。しかし家に戻ったデヴィッドは封筒を開け、1枚だけ書類を見た。するとニューヨーク・ニックスで活躍中のアンドリュー・ヨハンソンだったので、彼はブレットを誘って試合観戦に赴いた。彼は大声で応援し、アンドリューのブザー・ビーターに興奮した。
デヴィッドはエマの元へ行き、「父親にふさわしい人間に生まれ変わってみせる」と告げた。ヴィクターはデヴィッドから恋人の妊娠を聞かされ、「子供はいいぞ」と祝福した。デヴィッドが新たなプロフィールを見ると、ジョシュ・フリードマンというカフェ店員だった。デヴィッドは客を装って店に出向き、ジョシュの接客態度の悪さに苛立った。デヴィッドが注意するとジョシュは生意気な態度を取った。彼は役者志望で、大事なオーディションがあるのに店番を誰にも代わってもらえずイライラしていた。
一度は外へ出たデヴィッドだが、店に戻って「俺が店番をする。俺の車を預ける」とジョシュに言う。ジョシュが困惑して理由を尋ねると、彼は「誰かの成功を手助けしたという満足感を得たい」と答えた。デヴィッドはジョシュを見送って店を切り盛りするが、慣れない仕事なので行列が出来てしまう。そこへオーナーが現れ、鋭い口調で説明を要求した。オーナーはジョシュをクビにするが、戻って来た彼はオーディションに合格したことをデヴィッドに話した。
続いてデヴィッドは、クリステンという娘の家へピザの宅配業者を装って出向いた。するとクリステンは「お金を返して」と電話の相手に怒鳴り付けており、デヴィッドは事情を知ろうとする。しかしクリステンが薬物中毒で倒れたため、彼は慌てて救急車を呼ぶ。デヴィッドはクリステンに頼まれ、父親として女医と話す。女医は彼に、クリステンに更生プログラムを受けさせるための説得を要請する。しかしクリステンから「退院させて。自分で辞められる。死ぬほど恐い思いをしたもの」と頼まれ、デヴィッドは退院の書類にサインした。翌朝、クリステンが約束通りに勤務先へ来るのを確認したデヴィッドは、マリファナの水耕栽培から足を洗った。
デヴィッドは次々にプロフィールを確認し、原告であるアダムやテイラーたちの元へ出向いた。そして彼らの生活ぶりを観察し、時には手助けになるような行動を取った。彼はブレットに、「これは啓示だ。全員の父親になるのは無理だが、守護天使にはなれる」と話した。ブレットは「スーパーヒーローか」と呆れるが、デヴィッドは本気だった。エマからエコー検査があることを聞かされたデヴィッドは、喜んで病院へ同行した。エマが不安を見せると、彼は「立派な母親になれるよ」と元気付けた。
デヴィッドは知的障害者であるライアンのプロフィールを見て、彼が入っている養護施設へ赴いた。友人を詐称したデヴィッドは、少し様子を見ただけで立ち去ろうとする。しかし看護師から「思ったことを話せばいい。彼も喜ぶわ」と促され、しばらくライアンの介護を手伝った。何も話せなかったデヴィッドだが、看護師は「一緒にいたことが凄いわ」と述べた。デヴィッドはゲイである息子のチャニングを尾行してホテルに入るが、そこは「スターバック・キッズ」原告団の集会場だった。
集会場を出ようとしたデヴィッドだが、立ち上がったせいで意見があると誤解されてしまう。マイクを向けられた彼は、「全員がスターバックを見つけようとしている。だが、何があっても皆は兄弟姉妹だ。互いを見つけた」と話す。拍手を浴びたデヴィッドは集会の後、クリステンから「何してるの?」と問い掛けられる。彼はライアンの養父だと嘘をつき、そこへ来たテイラーやジョシュとも挨拶を交わす。デヴィッドはブレットから「子供たちと会うな」と諌められるが、「正しいことをしていると確信できる」と主張した。
デヴィッドが帰宅すると借金取りが待ち受けており、すぐに返済するよう迫られた。必ず返すと約束して借金取りを帰らせたデヴィッドだが、友人たちに電話を掛けても金は貸してもらえなかった。集会場にいたヴィゴはデヴィッドが父親だと見抜き、彼の家までやって来た。暴露されると困るため、デヴィッドは「貴方を知るために、しばらく滞在したい」という彼の要求を飲んだ。ヴィゴの滞在が2週間も続き、質問や干渉が続くため、デヴィッドはストレスが溜まっていることをブレットに話した。
デヴィッドからバスケに誘われたヴイゴは、嬉しそうな様子で同行した。「来週の土曜日も行こう。皆も呼ぶから」と言われたデヴィッドは、「エマと約束がある」と言う。「充分に付き合っただろ。俺にも本物の家族がいる」と彼が話すと、ヴィゴは「僕らも本物の家族だ」と腹を立てた。デヴィッドは仕方なく、エマとの約束をキャンセルしてヴィゴに付き合うことにした。するとヴィゴは、スターバック・キッズが集まるキャンプに彼を連れて行く。デヴィッドはキャンプに参加し、大いに楽しんだ。キャンプ場を去った彼は、養護施設からライアンを連れ出して絶景を見せた。養護施設に戻ったデヴィッドは、ライアンの耳元で「俺は君の父親なんだ」と囁いた…。

脚本&監督はケン・スコット、オリジナル脚本はケン・スコット&マルタン・プティ、製作はアンドレ・ルロ、製作総指揮はレイ・アンジェリク&スコット・メドニック&マーク・スーリアン、共同製作はホリー・バリオ、製作協力はマキシム・ヴァナッス、撮影はエリック・エドワーズ、美術はアイダ・ランダム、編集はプリシラ・ネッド・フレンドリー、衣装はメリッサ・トス、音楽はジョン・ブライオン、音楽監修はジョナサン・カープ&デイナ・サノ。
主演はヴィンス・ヴォーン、共演はクリス・プラット、コビー・スマルダーズ、ブリット・ロバートソン、デイヴ・パッテン、アダム・チャンラー=ベラット、ジャック・レイナー、サイモン・デラニー、アンジェイ・ブルーメンフェルト、ボビー・モナハン、ダミアン・ヤング、ブルース・アルトマン、エイモス・ヴァンダーポール、マシュー・ダダリオ、ジェシカ・ウィリアムズ、レスリー・アン・グロスナー、デリック・アーサー、マイケル・オーバーホルツァー他。


2011年のカナダ映画『人生、ブラボー!』を、ハリウッドでリメイクした作品。
オリジナル版と同じくケン・スコットが脚本&監督を担当している。
デヴィッドをヴィンス・ヴォーン、ブレットをクリス・プラット、エマをコビー・スマルダーズ、クリステンをブリット・ロバートソン、アダムをデイヴ・パッテン、ヴィゴをアダム・チャンラー=ベラット、ジョシュをジャック・レイナー、ヴィクターをサイモン・デラニー、ミコワイをアンジェイ・ブルーメンフェルトが演じている。

私はオリジナル版の方を見ていないのだが、まるっきり同じと言ってもいいぐらいの内容らしい。
カナダ映画ではあるが台詞はフランス語なので、アメリカ市場に適した作品とは言えない。アメリカでは、多言語の映画を字幕で見る習慣が全く根付いていないからだ。
だから、英語でリメイクするってのは、筋としては通っていないわけじゃない。
ただ、わずか2年前に公開されたカナダ映画を、「英語じゃないから」ってだけで安易にリメイクするのは、やっぱりセンスとしてはいかがなものかと思うぞ。

まず序盤で感じるのは、デヴィッドが「どうしようもないダメ男」ってことだ。
「愛すべきダメ男」なら問題は無いのだが、残念ながら全く愛せない類のダメ男だ。
彼は借金を抱えているが、そこに情状酌量の余地は無い。マリファナ栽培に手を出しているのも、まるで笑いに結び付いていない。
妊娠を告げられて困惑し、エマから「人生をちゃんと生きていない」と指摘される段階に至っても、まるで同情心は湧かない。
少なくとも序盤における彼の印象は、最低レベルにあると言っていいだろう。

とは言え、それが意図的な導入部であることは容易に想像できる。「最初に主人公の好感度を最低レベルでスタートさせて、そこからの展開によって彼を精神的に成長させ、それに伴って観客の気持ちを引き付ける」ということを狙っているんだろうってのは明白だ。
その手の作りになっている映画ってのは山ほどあるが、ベタとしての良さがあるので、パターンを使うのは悪くない。ただし成長と変化のドラマを見せるにしても、ちょっとリカバリーが厳しいかなあと思うような状況ではあるので、そう簡単じゃないことは確かだ。
しかし、ともかく「ダメ男が体験を通じて気持ちを変化させ、人間的に成長する」という作りにしていることは序盤でハッキリするので、問題は「その目論見が成功しているか」ってことだ。
しかし、のっけから「それはどうかな」と感じる描写が待ち受けている。それは、エマから「一人で育てる」と告げられた直後、アレクセイを訪ねたデヴィッドが「最初は恐怖を感じたが、子供が欲しいと気付いた」と口にすることだ。
そんなに早く変化しちゃったら、せっかくの仕掛けが死んじゃうでしょ。

その後には、「デヴィッドが精子提供した子供たちから身元開示を請求する裁判を起こされる」という展開がある。
その段階では、彼は何とか身許開示を阻止したいと考えている。
もちろん「いきなり142人の父親になるなんて絶対に無理」ってことではあるんだけど、それは「父親になることを嫌がっている」という部分にも繋がるわけで。その前に「子供が欲しい」と言っていると、そこが上手くリンクしてくれないのだ。
それよりは、「デヴィッドはエマとの子供なんて欲しいと思っていなかったが、精子提供した面々と接する中で気持ちが変化し、父親になる自覚が芽生える」という形にした方が、相乗効果に繋がると思うんだよね。

ブレットは原告側が説得材料として送って来たプロフィールをデヴィッドに渡した上で「開けるなよ」と言うけど、だったら渡さなきゃいい。開けちゃダメなのにデヴィッドに渡すのは、無理があり過ぎる。
もちろん「デヴィッドがプロフィールを見てしまう」という手順を消化するための段取りだけど、そこからの逆算が下手すぎる。
で、そんなプロフィールでデヴィッドが最初に知る息子はNBA選手のアンドリューなのだが、そんな人間が父親の身元開示を請求する裁判の原告になるってのは、どうにも違和感がある。
スキャンダルになるような事柄なので、むしろ隠したがるんじゃないかと思ってしまう。

次にデヴィッドが知るのはジョシュで、今度は店へ赴いて会話を交わしている。
そして「オーディションを受けさせるために店番をする」という行動を取るのだが、これは「ジョシュのために」ってことではなくて、父親にふさわしいことを示すためだ。
ただし、それはエマに対してアピールしなきゃ全く意味が無いことなので、そこでデヴィッドが「ジョショの役に立つことで父親にふさわしいことを証明する」という思いを持っていても、ただの自己満足に過ぎない。
そして、「ただの自己満足に過ぎない」ってことが笑いに繋がっているか、あるいはドラマとして機能しているかというと、それは見えない。

「ジョシュはクビになるけどオーディションに合格する」ってのは、流れとして分からなくはないが、あまりにも都合が良すぎて気持ちが萎える。
ただし、それは「都合が良すぎるから」ってことよりも、「都合が良すぎる展開を喜劇として処理していないから」ってのが大きい。
そこをコメディーとしてバカバカしいテイストで描いていたら、笑いの勢いやパワーで突破できた可能性はあると思うのよね。
ところが、笑いが薄い(っていうか全く無い)もんだから、御都合主義が不恰好な形で伝わってしまう。

デヴィッドはジャンキーのクリステンを病院に運んだ際、女医から更生プログラムを受けさせるための説得を要請する。しかしクリステンから「退院させて」と頼まれると、書類にサインする。
でも、本当に父親として娘のことを考えれば、更生プログラムを受けさせるのが正解じゃないかと思うのだ。
クリステンは「自分で辞められる。死ぬほど恐い思いをしたもの」と訴えるけど、そんなのはジャンキーの常套句であり、また手を出す可能性が高いわけで。
結果的には「クリステンが自力で麻薬から足を洗う」ってことなるので、デヴィッドの判断が正解だったということになるんだけど、そこの御都合主義は不自然だし無理がありまくりなので賛同しかねるなあ。

子供たちの大半は、そんなに大きな問題を抱えているわけじゃない。ダイジェストで処理される面々は、もちろん稼ぎの格差はあるだろうけど、デヴィッドがそれほど深刻に考えなきゃいけないような問題は抱えていないだろう。
そんな中で、中盤に入ると知的障害を抱えるライアンが登場する。
彼は物語に大きな変化を生じさせるべきキャラクターなのだが、あまり上手く活用できていない。
なぜなら、彼のプロフィールを手にしたデヴィッドは、これまでと同じように会いに行くからだ。
そうではなくて、例えば最初の内はデヴィッドを「幸せな子供、恵まれた子供、活躍している子供の様子だけを見てみたいという奴」に設定しておく。そして、その段階でライアンのプロフィールを手に取って、「深刻な問題と向き合う覚悟が無いので、見なかったことにする」という形にしておく。その上で、「大勢の子供たちと接する中で心境に変化が生じ、守護天使としての自覚が芽生え、それまでは触れようとしなかったライアンと向き合おうとする」という変化を持たせた方が効果的じゃなかったかなと。

そんなライアンの扱いは、最後まで違和感に満ちている。
デヴィッドが「俺は君の父さんだ」と打ち明けても、それに対する反応は何も無い。
もちろん「知的障害があるから理解できなかったと」と解釈すりゃいいんだろうけど、何のリアクションも無いのなら、デヴィッドが告白する手順の意味も無くなっちゃうんじゃないかと。
後からライアンに変化が生じるのかと思いきや、何も起きないどころか、そこでライアンの出番は終わってしまうのだ。デヴィッドが引き取るとか、他の子供たちを連れて養護施設へ通う様子が描かれるとか、そういうフォローも全く用意されていない。
あまりにも不憫な扱いである。

ライアンと同じか、あるいはそれ以上に重要であるべきキャラが、1人だけデヴィッドの素性に気付くヴィゴだ。彼は家に押し掛けて居候を決め込むわけだから、デヴィッドとの交流は他の子供たちよりも充実するはずだ。
ところが実際には、居候を持ち掛けた後、カットが切り替わるとデヴィッドが「もう2週間だ」と言っている。その後も、ヴィゴがデヴィッドの家で一緒に暮らす様子は全く描かれないのだ。
だったら、彼が居候する展開にした意味が無いでしょ。
そこは使い方を間違えているとしか思えない。

ヴィゴには「自分からは要求しないけど、デヴィッドがバスケに誘うと嬉しそうに付いて来る」という様子を見せるシーンがある。彼は父親の愛情を求めているが、やや屈折した性格ということなんだろう。
ただし、そういうことが充分に表現できているとは言い難い。
それは表現方法が下手だということじゃなくて、単純に「ヴィゴを描く時間が短すぎる」ってことが大きい。
せっかく彼だけを特別な立ち位置にしておきながら、それに見合うだけの存在価値を発揮させられていない。

ライアンやヴィゴで気になったのが、子供たちと養父母との関係だ。
彼らだけじゃなくて他の子供たちにしても、原告側の面々には育ての親がいるはずだ。そういう養父母との関係がどうなっているのか、そこが気になってしまう。
関係は良好だけど本物の父親を知りたいと思ったのか、あるいは養父母との関係に問題があるから本当の父親を知りたいと思ったのか。
それによって、デヴィッドとの関係性も違ってくるわけで。

例えばヴィゴなんかは、養父母との関係が良好じゃないからこそ、デヴィッドに「僕らも本物の家族だ」と強く訴えたんだろう。
そういう背景が伝わって来れば、ヴィゴというキャラクターにも、デヴィッドとの関係にも、もっと深みが出たかもしれない。
そりゃあ養父母との関係まで描いていたら、とてもじゃないが捌き切れない可能性は高い。ただ、原告団の数を減らしてでも、そっちに少しぐらい触れた方が、ドラマとしては厚みが出たんじゃないかと。
「533人の父親で、142人が原告団」という数のインパクトを重視したせいで、「質より量」になっちゃってる印象を受けるんだよね。

(観賞日:2016年5月17日)

 

*ポンコツ映画愛護協会