『死と処女』:1994、アメリカ&イギリス&フランス

独裁政権が崩壊した直後の南米某国。ポーリナ・エスコバーは自宅でラジオのニュースを聞いていた。就任2日目となるロメロ大統領が、軍事政権下の1975年から1980年までに起こった拷問と暗殺事件の調査委員会を設置することが報道されていた。
そしてニュースは、弁護士で市民権運動の活動家ジェラルド・エスコバー氏が委員長に任命されたことを伝えた。それはポーリナの夫であった。その日の夜、ジェラルドは帰宅途中で車のタイヤがパンクしたため、通り掛かった医学博士ロベルト・ミランダの車に乗せてもらって帰宅する。
その日の深夜になって、ロベルトが再びジェラルドとポリーナの家にやって来た。ジェラルドのスペアタイヤを届けてくれたのだ。ジェラルドは彼を家に招き入れる。寝室にいたポーリナは衣服や金を持って家を抜け出し、ロベルトの車を奪って逃げ去ってしまう。
ポーリナは車を崖から転落させ、自宅に戻る。彼女は眠り込んでいたロベルトを殴り倒し、手足を椅子に縛り付けて銃を突き付ける。ポーリナには学生活動に携わっていた頃、拷問されて何度もレイプされた過去があった。そして、その時に拷問した男がロベルトだと確信したのだ…。

監督はロマン・ポランスキー、原作はアリエル・ドーフマン、脚本はラファエル・イグレシアス&アリエル・ドーフマン、製作はトム・マウント&ジョシュ・クラマー、共同製作はボニー・ティマーマン&アリエル・ドーフマン、製作協力はグラディ・ネダーランダー、製作総指揮はジェーン・バークレイ&シャロン・ハレル、製作監修はスザンヌ・ウィーゼンフェルド、撮影はトニーノ・デリ・コリ、編集はハーヴ・デ・ルーズ、美術はピエール・グフロイ、衣装はミレーナ・カノネロ、音楽はウォジシェッチ・キラー。
主演はシガニー・ウィーヴァー、共演はベン・キングズレー、スチュアート・ウィルソン、クリスティア・ムーヴァ、ジョナサン・ヴェガ、ロドルフ・ヴェガ、ジルベルト・コルテス、ホルヘ・クルス、カルロス・モレーノ、エデュアルド・ヴァレンズエラ、セルジオ・オルテガ・アルヴァラード他。


ブロードウェイの戯曲を映画化した作品。
主要な登場人物はわずか3人で、舞台はほとんど自宅の中。狭い空間で小人数が繰り広げる心理サスペンス。ポーリナをシガニー・ウィーヴァー、ロベルトをベン・キングズレー、ジェラルドをスチュアート・ウィルソンが演じている。

作品中で、ポーリナがレイプされたのが1977年。
その年、ポランスキー監督は13歳の少女をレイプした容疑で逮捕され、事実上はアメリカから国外追放となっている(仮釈放中にヨーロッパに逃亡した)。
そう考えると、こんな作品を作るってのはスゴイよな、ある意味。

もうキャスティングの時点で失敗してるよな。
だってポーリナ役がシガニー・ウィーヴァーだよ。
エイリアンと戦ってたリプリーだよ。
しかも、この作品の中で演じているキャラクターまで、リプリーに似てるのよね。
車を持ち上げて崖に落とすんだから、その強さはどう見てもリプリーでしょ。

序盤、ポーリナは丸焼きの鳥を手でむしり取って皿に乗せ、あぐらをかいて床に座って手酌でワインを飲む。帰って来た夫に食事を出す時も、無造作にサラダを皿に落とし入れる。夫が自分の尋ねた質問から話を反らそうとすると、いきなり料理を捨てる。
その態度を見れば、誰だってポーリナが強くてたくましくて冷徹な女だと思うだろう。
彼女が弱さや優しさの感じられる女性であれば、彼女がロベルトを厳しく問い詰めていく展開も、かなり違った印象を与えることが出来たはずだ。
ただし、それでもキャスティングの問題は残るが。

ポーリナは完全にクレイジー。
いきなりロベルトを監禁し、やめさせようとする夫に火の付いたタバコを投げ付けたり発砲したりする。彼女はロベルトが犯人だと思い込んでいて自白させようとするのだが、もしも彼が無実だったらどうすんのよ。

ポーリナは「声を聞いてロベルトが自分を拷問した男だと気付いた」というのだが、だとすれば自分の衣服や金を持って家を抜け出した理由が付かなくなる。
声で気付いたのなら自白させるために最初から戻るつもりだったはずだから、衣服や金を持って行く必要は無いのである。

映像でポーリナが拷問されてレイプされている現場を見せてくれるわけではないので、それを証明するのはポーリナの言葉だけ。
しかし、言葉でどれだけ酷かったのだと訴えられても、証拠が無いためにポーリナの怒りや悲しみが心に全く響いてこない。

ポーリナはマトモな精神状態じゃないし、ちゃんとした証拠も無いのに「犯行を自白しないと殺す」と完全に脅迫する形で、ロベルトに自白を強要する。
だから、拷問を受けたポーリナの悲しみやレイプした男の酷さよりも、ポーリナのクレイジーっぷりと恐ろしさばかりが伝わって来てしまう。

証拠も無いのにロベルトを犯人だと断定した上に、転落死に見せ掛けて殺害することさえ冷酷に行おうとする。しかも、自分ではなく夫にやらせようとする。
「もしロベルトが無実だったら?」とジェラルドに尋ねられても、「だったら、よっぽど運の悪い男ね」と平然と言ってのける。
鬼畜である。

ポーリナにとっては、ロベルトが本当に犯人かどうかは問題ではないのだ。自分の復讐心を満足させるために、誰でもいいから犯人と断定して自白させたかっただけだ。
ロベルトの最後の告白にしたって、真実とは限らない。そう言えば助かるかもしれないと思って作り上げたウソかもしれない。

結局、ポランスキー監督はこの作品で何が言いたかったんだろうか。
もしかすると、「過去のレイプ事件の真実を追及しようとしても、虚しい結果に終わるだけだ」という結末を示し、自分のレイプ事件について弁明しようとしているのかなあ。

 

*ポンコツ映画愛護協会