『センター・オブ・ジ・アース』:2008、アメリカ

地質構造学を研究する大学教授トレヴァー・アンダーソンは、兄マックスが助けを求める夢で目を覚ました。マックスはマントルを貫く 裂け目を研究していたが、10年前に行方不明となった。トレヴァーは兄の意志を引き継ぎ、頼りにならない助手のレナードと共に大学で 研究を行っていた。マックスは29個の地震センサーを世界各地に設置したが、現在ではハワイ、モンゴル、ボリビアの3個しか稼動して いない。おまけにトレヴァーは同僚のアランから、大学が研究の打ち切りを決定したことを通告された。
帰宅したトレヴァーは、マックスの妻エリザベスが13歳の息子ショーンを連れて来る日だったことを思い出した。慌てて片付けをしている と、エリザベスがやって来た。彼女はカナダへ新居を探しに行くため、ショーンをトレヴァーに預かってもらうことにしたのだ。ショーン はトレヴァーに、ぶっきらぼうな態度を示した。エリザベスはマックスの荷物を詰めた箱をトレヴァーに渡した。
箱の中には、マックスの愛読書で発想の源でもあったジュール・ヴェルヌの小説『地底旅行』も入っていた。トレヴァーがページをめくる と、マックスは多くのメモを残していた。それを見たトレヴァーは、ショーンを連れて研究室へ向かった。センサーの数値を調べると、 マックスが失踪した時と全く同じだった。ショーンはモニターを見て、4つのセンサーが点滅していることを告げた。トレヴァーが画面に 目をやると、アイスランドに設置されているセンサーも稼動していた。
トレヴァーは「今なら兄が失踪した原因が掴めるかもしれない」と考え、アイスランドへ向かうことにした。するとショーンは同行を要望 した。2人はメモに書かれていた文字列を調べ、それが地震科学研究所のアスゲリソン博士を示していると突き止めた。アイスランドに 到着した2人は車で移動するが、道に迷ってしまう。辿り着いた小屋の前には、地震科学研究所の看板が立っていた。
小屋をノックすると、ハンナという女性が顔を出した。彼女はアスゲリソン博士の娘だった。博士は3年前に亡くなり、研究所は閉鎖 されていた。ハンナは「父はヴェルニアンだった」と言う。ヴェルニアンとは、ジュール・ヴェルヌの作品に書かれた内容が全て真実だと 信奉する面々のことだ。マックスのメモを見たハンナは、「父と同じ書き込みがある。彼もヴェルニアンね」と告げた。
トレヴァーは「ここから30キロ行った場所に地震センサーがある。その調査に来た」と説明した。ハンナは「そこへ向かう道は無いけど、 私は山岳ガイドだから案内しましょうか」と持ち掛けた。高額のギャラを要求されたトレヴァーだが、それを承諾した。山道を進んだ一行 は、センサーを発見した。トレヴァーが錆び付いたセンサーを取り外そうとした時、天候が悪化して雷鳴が轟いた。ハンナとショーンは 近くの洞窟に移動し、トレヴァーに早く避難するよう叫んだ。
ようやくセンサーを取り外したトレヴァーだが、落雷に襲われた。地震センサーが避雷針になっているのだ。トレヴァーはハンナに言われ 、センサーを投げ捨てて洞窟に飛び込んだ。落雷で洞窟の入り口が崩壊し、トレヴァーたちは閉じ込められた。一行は奥へ進むが、奈落へ 落ちそうになった。トレヴァーたちはロープを使って岩壁を下りた。すると、奈落の下には坑道があった。
ハンナが採掘用発電機を操作すると、坑道の照明が付いた。一行はトロッコに乗り、奥へと進んだ。穴の向こう側にある壁には、ルビーや エメラルド、ダイヤモンドの結晶が無数に埋まっていた。ショーンが喜んでダイヤをリュックに詰めていると、足元の白雲母が割れて3人 は墜落した。トレヴァーたちは洞窟湖に着水し、陸に上がった。見上げると、発光する鳥の群れが飛んで来た。それは1億5千万年前に 絶滅したはずの鳥だった。
トレヴァーたちが鳥を追い掛けて行くと、そこにはジュール・ヴェルヌの小説に書かれた光景が広がっていた。地下の別世界を探検した 一行は、マックスが生活していた痕跡を発見した。トレヴァーとショーンはマックスの死を悟り、涙を流した。火山活動による地震の発生 によって一気に気温が上昇し、マックスのように死んでしまう危険が迫っていた。マックスが残した手帳を読んだトレヴァーは、北へ 向かって海を渡り、間欠泉を見つけて地上へ脱出する方法をショーンとハンナに説明した。
トレヴァーたちはイカダを作り、海へ出た。嵐の中、ピラニアに似た怪魚の群れが襲い掛かってきた。トレヴァーたちは、野球の要領で 魚を打ち返した。そこへプレシオザルウスの群れが現れ、怪魚をエサにした。強風で帆が飛ばされそうになったため、慌ててショーンが ロープを掴んだ。しかし突風によってショーンは帆と共に飛ばされ、トレヴァーたちと離れ離れになってしまう…。

監督はエリック・ブレヴィグ、脚本はマイケル・ウェイス&ジェニファー・フラケット&マーク・レヴィン、製作はシャーロット・ ハギンズ&ボー・フリン、共同製作はダグラス・ジョーンズ&アレックス・シュウォーツ&マイラン・ステパノヴィッチ&エヴァン・ ターナー&ケイル・ボイター&マイケル・ディスコ、製作総指揮はトビー・エメリッヒ&ブレンダン・フレイザー&マーク・マクネア& トリップ・ヴィンソン、撮影はチャック・シューマン、編集はポール・マーティン・スミス&ダーク・ウェスターヴェルト&スティーヴン ・ローゼンブラム、美術はデヴィッド・サンドファー、視覚効果監修はクリストファー・タウンゼンド、音楽はアンドリュー・ ロッキングトン、音楽監修はリンゼイ・フェローズ。
主演はブレンダン・フレイザー、共演はジョシュ・ハッチャーソン、アニタ・ブリエム、セス・マイヤーズ、ジャン・ミシェル・パレ、 ジェーン・ウィーラー、フランク・フォンテイン、ジャンカルロ・カルタビアーノ、カニーティーオ・ホーン、ガース・ギルカー他。


ジュール・ヴェルヌの空想小説『地底旅行』(『地軸への旅』)をモチーフにした作品。
トレヴァーをブレンダン・フレイザー、ショーン をジョシュ・ハッチャーソン、ハンナをアニタ・ブリエム、アランをセス・マイヤーズ、マックスをジャン・ミシェル・パレ、エリザベス をジェーン・ウィーラーが演じている。
監督のエリック・ブレヴィグは特殊効果マン出身でこれが劇場映画デビュー作。
日本で全国上映された、最初のフル3D実写映画である。

3D映画(昔は「立体映画」と表現した)は、かなり前から製作されている。
1950年代と1980年代に、それぞれ2年か3年ぐらいの短いブームが到来した。
1950年代には『肉の蝋人形』や『大アマゾンの半魚人』、1980年代には『ジョーズ3』や『13日の金曜日PART3』といった作品が立体 映画として作られた。
それらの映画に共通して言えるのは、「とにかく映像が飛び出すという表現ばかりが強調され、作品としての質やバランスは二の次に なっている」ということだ。

時代も21世紀になり、3Dの技術は以前より遥かに進歩している。
そんな中で登場した本作品は、3Dの新しい可能性をどのように追求しているのか、3Dの特徴を活かした新しい表現がどんな風に 使われているのか、そんなことを思いながら観賞に入ったのだが、すぐに「これって、昔の立体映画と同じじゃん」と気付かされた。
そう、この映画は3Dの新しい可能性をアピールするのではなく、「かつてブームになった頃の懐かしい3D映画を思い起こさせる」と いう、レトロ感覚に覆い尽くされた作品だったのだ。

具体的に、何が懐かしい3D映画を思い起こさせるのかというと、「とにかく色んな物が飛び出す映像を詰め込めばいいんでしょ」という 製作方針だ。
基本的に製作サイドは、3D映画を「絵が飛び出す」という観点でしか解釈していないのだ。
序盤、「トレヴァーがうがいをして吐いた水を、下からカメラが写す」という、「飛び出す映像」を露骨に意識した演出には苦笑 させられた。
その他にも、「飛び出す映像」を意識したシーンが幾つも用意されている。
崖下に落ちて来るマックス(落ちて行くのではなく、落ちて来るという映像になっている)、ショーンが飛ばすヨーヨー、トレヴァーが 放り投げる地震センサー、奈落に落下するペンライト、3人が乗って疾走するトロッコ、海からジャンプかる怪魚、襲い掛かる巨大な 食虫植物など、色々な物が「画面の向こうからこちら側に向かって飛び込んでくる」ということを意識した映像で表現されている。

一応、ただ「飛び出す映像」だけでなく、奥行きも意識しているようだが、いずれにせよ、製作サイドが考えているのは「立体映像」の ことだけだ。
物語の中身はペラペラである。
アトラクション映画として割り切るべきなのかもしれないが、地下にある別世界に広がりが感じられず、まさに「閉じられた空間に設置 されたアトラクション」という印象になっているのは、いかがなものか。

ショーンは登場した時、トレヴァーにマトモな挨拶もせず、無愛想に対応している。
だが、トレヴァーと全く会話をする気を見せないのかと思うと、マックスの荷物には関心を示し、「ママはあまり話してくれない」と自ら 喋っている。
反抗的なキャラとして登場したはずだが、その性格設定はものすごくユルい。トレヴァーがヨーヨーを見せると、すぐに興味を示して 「やらせて」と言う。
最初は反抗的だったショーンが冒険を通じてトレヴァーと仲良くなるとか、心を開くとか、そういった人間ドラマや成長物語は皆無だ。

ロープを使って奈落を下りる時に転落しそうになったり、トロッコで移動する時に線路が途中で切れていたりと、それぞれの活劇シーンに 対して、それなりのピンチは用意されている。
だが、いずれも命を落とすような危機は全く感じさせない。
言ってみれば、「安心設計のサスペンス」に留まっている。
あくまでも子供向け映画だから、刺激も控え目にしておこうということなんだろう。

「トロッコに乗って坑道を猛スピードで移動し、途中で線路が切断されていてピンチ」なんていうのは、冒険映画では既視感に満ち溢れた シーンである。
それを逆手に取ってパロディー的なネタを用意するとか、意外な展開に持って行くとか、そういうことは無い。
そのシーンに限らず、最初から最後まで低いレベルの予定調和が遵守されている。
冒険活劇だが、ある意味で冒険を避けている。

アンパンマンやポケモンを楽しめるような、幼い児童を対象にした映画なんだろう。大人の観賞に耐える映画ではない。
ただし、では子供向け映画としては面白いのかと問われると、それも微妙だ。
シナリオも演出も、手抜きにしか思えない。
この映画は、見慣れた光景、ありがちな展開を、そのまんま提示している。
新しい味付けとか、捻りを加えるとか、そういう意識は全く感じない。
製作サイドは、「子供向け」と「子供騙し」を混同しているのではないか。

(観賞日:2010年7月23日)

 

*ポンコツ映画愛護協会