『幸せの行方...』:2010、アメリカ

裁判に掛けられたデヴィッド・マークスは、判事から過去に関する質問を受けた。デヴィッドは7歳の時、母を亡くしている。母が死んだ時、彼は現場にいた。悲惨な死に方だったと、彼は判事に告げた。1971年、ニューヨーク。デヴィッドは父親が所有するアパートの配管トラブルで連絡を受け、ロングアイランドから引っ越して来たばかりのケイティー・マークスと知り合った。デヴィッドの父であるサンフォードは、ニューヨークで幾つもの物件を抱える不動産王だった。
デヴィッドはケイティーを連れて、父が開いたパーティーに出席した。サンフォードは遅刻したデヴィッドを注意し、ケイティーに高慢な態度を取った。デヴィッドはサンフォードの後継者とみなされているが、不動産業への興味は全く無かった。彼はケイティーに、健康食品の店を持ちたいという願望を明かした。ケイティーはデヴィッドに、医学部を目指していたが父の死を受けて断念したことを話した。
デヴィッドはサンフォードが自分の人生をコントロールしたがっていると感じていた。彼は父に反発し、バーモント州でケイティーと同棲を始めた。2人は狭い土地を購入して健康商品の店を開き、自然の中で暮らし始めた。1972年、サンフォードは店を訪れ、不動産業に加わるようデヴィッドに求めた。デヴィッドが断ると、父は自分の援助で店や土地を購入したことを嫌味っぽく告げた。サンフォードは「彼女がお前に目を付けた時、こんな田舎を望んだと?もっと上を望んだはずだ。お前の母と同じように」と述べた。
デヴィッドは店を売却し、家業を手伝うことにした。彼が父から与えられた仕事は、ミッドタウンの賃料回収係だ。そこは風俗店も多く、市長は部下のシドニーから「警察を使ってサンフォードを潰しましょう」と提案される。市長は「落ち着け。我々に損は無い。この町は奴の物だ」と告げた。広いアパートを購入したデヴィッドに、ケイティーは「子供が欲しくない?」と問い掛ける。するとデヴィッドは永遠に欲しくないことを話し、「僕はおかしい」と告げた。デヴィッドは母の死後、精神科医の診察を受けたことがあった。
デヴィッドはケイティーを連れて、作家デビューした友人のデボラ・ラーマンが開いたパーティーに参加した。デヴィッドは友人のトッドに、「ケイティーは僕の全てを肯定してくれる」と語った。トッドは「今だけだろ」と軽く告げる。ケイティーはデボラに、医学部へ行くための学校へ通おうと考えていることを話す。「彼は父親の会社でどんな感じ?」と問われたケイティーは、「大丈夫としか言わないの」と答える。するとデボラは、「母親を失った時と同じね」と口にした。
ケイティーはデボラから、「デヴィッドの母親は屋上から飛び降りたのよ。頭がパックリと割れたって。彼は見てたの。1週間、机の下に隠れた後、母親の存在を消し去った」と聞かされた。デボラはデヴィッドと2人になり、笑いながら「驚いたわ。玉の輿狙いと結婚なんて。彼女はアンタの壊れ具合を知ってるの?」と問い掛ける。デボラは彼に、出張セラピストを紹介した。セラピストはデヴィッドに叫ばせ、記憶が呼び起こす感情こそが問題なのだと語った。
デヴィッドはニューヨークの生活に馴染めなかったが、ケイティーは街が好きでアパートを整え、郊外の湖畔に別荘も購入した。別荘でパーティーを開いた時、ケイティーは隣人であるケリーと知り合った。お腹が大きいケリーに、ケイティーは妊娠していることを明かした。デヴィッドはケイティーから妊娠を聞かされ、激しく荒れた。ケイティーは出産を望んだが、「君の望みなら何でもするが、これだけは駄目だ」と言うデヴィッドに従うことにした。
デヴィッドはケイティーを車に乗せ、中絶のために病院へ向かう。その途中、警察の手入れを目撃した彼は、サンフォードに電話を入れた。所有する店へ回収に向かうよう命じられたデヴィッドは、ケイティーに「先に行ってて。後で追い付く」と告げて仕事に向かう。しかしケイティーの中絶手術に、デヴィッドは間に合わなかった。そのことで2人は、険悪な雰囲気になった。デヴィッドの友人であるトッドの妻ローレンから勧められ、ケイティーはデヴィッドに内緒でコカインを吸った。
ケイティーは学校に通い始めて別荘で暮らすようになり、仕事で多忙なデヴィッドとは週末で会うだけになった。医学部の受験を考えていたケイティーだが、そのことをデヴィッドには話していなかった。1978年、別荘を訪れたデヴィッドは大学の合格通知を見つけ、初めてケイティーの進学を知った。その場では何も口出ししなかったデヴィッドだが、ケイティーの大学行きを快く思っていなかった。
ケイティーはデヴィッドを実家へ連れて行き、家族が進学祝いのパーティーを開いてくれた。すぐにデヴィッドが家へ帰ろうとするので、「どうして?私はまだ帰らないわ。そんなに早く帰る急用でもあるの?」とケイティーは首をかしげる。苛立ったデヴィッドはケイティーの髪の毛を掴み、強引に車へ引きずり込んだ。ケイティーは別居を考えるが、デヴィッドにカードを止められる。ケイティーは弁護士に家族信託のことを相談するが、別居や離婚によって権利が消失すると聞かされた。
ケイティーはデヴィッドのオフィスに侵入し、不正帳簿を盗み出して地元選出のモイナハン議員の元へ送る。しかしサンフォードの世話になっていたモイナハンは、秘書に「家族の問題だ。送り返せ」と命じた。事実を知ったダニーはデヴィッドに、「仕事は役立たずで、妻も手に負えないのか。誰の邪魔にもならない3階のオフィスに移れ」と指示した。サンフォードは引退する時、会社をダニーに引き継がせた。1982年、デヴィッドとケイティーは週末を別荘で過ごした。ケイティーはデヴィッドが愛犬を殺したと気付き、激昂した。その日を境に、ケイティーは行方不明となった…。

監督はアンドリュー・ジャレッキー、脚本はマーカス・ヒンチー&マーク・スマーリング、製作はマーク・スマーリング&アンドリュー・ジャレッキー&ブルーナ・パパンドレア&マイケル・ロンドン、共同製作はデヴィッド・ローゼンブルーム&マーカス・ヒンチー、製作総指揮はボブ・ワインスタイン&ハーヴェイ・ワインスタイン&ミシェル・クラム&ジャニス・ウィリアムズ&バーバラ・A・ホール、製作協力はジェニファー・ローゲン&コリン・ウィルム、撮影はマイケル・セレシン、編集はデヴィッド・ローゼンブルーム&シェルビー・シーゲル、美術はウィン・トーマス 衣装はマイケル・クランシー、音楽はロブ・シモンセン、音楽監修はスーザン・ジェイコブス。
出演はライアン・ゴズリング、キルステン・ダンスト、フランク・ランジェラ、フィリップ・ベイカー・ホール、ダイアン・ヴェノーラ、リリー・レイブ、クリステン・ウィグ、ジョン・カラム、トリニ・アルヴァラード、デヴィッド・マーグリース、マイケル・エスパー、ニック・オファーマン、スティーヴン・クンケン、マギー・カイリー、リズ・ストーバー、マリオン・マッコリー、ミア・ディロン、トム・ケンプ、ブルース・ノリス、フランシー・スウィフト、グレン・フレッシュラー、スティーヴン・シンガー、フランシス・グイナン、エレン・セクストン他。


不動産王セイモア・ダーストの息子ロバートが容疑者となった実際の未解決事件を基にしている作品。
監督のアンドリュー・ジャレッキーは2003年のデビュー作『Capturing the Friedmans』でアカデミー賞長編ドキュメンタリー賞にノミネートされた人物で、劇映画は本作品が初めて。
デヴィッドをライアン・ゴズリング、ケイティーをキルステン・ダンスト、サンフォードをフランク・ランジェラ、デボラをリリー・レイブ、ローレンをクリステン・ウィグが演じている。

モチーフとなった未解決事件に関して予備知識がある人なら、大まかな筋書きは容易に予想できる。事件を知らなくても、途中で大まかな方向性は何となく予想が付くだろう。
そして本作品は、そういった予想を全く裏切らない。
モチーフの事件は未解決なので、この映画なりの答えが用意されているわけだが、そこに驚きや意外性があるわけでもない。そこも含めて予定調和になっている。
しかも、明確に事件の真相を描こうとするのではなく曖昧な部分を残しており、その辺りに中途半端さも感じてしまう。
まだロバート・ダーストが健在なので配慮したってことかもしれんが、それにしては明らかに彼を犯人扱いしているしなあ。

ともかく、この映画は何の捻りも無く、大半の観客が思うであろう筋書きを、そのまんま描いているだけだ。だから物語としての面白味は、まるで無い。
カメラワークや編集など、映像面で凝ったことをやって観客を引き付けようという意識も無い。
そうなると、デヴィッドが犯行に至るまでの心理を繊細かつ丁寧に描写していくぐらいしか無いんじゃないかと思うのだが、そこも掘り下げが浅い。
だから、ただイカレた男の殺人をボンヤリと薄っぺらく見せられるだけになってしまう。

この映画は、肝心な部分をことごとく曖昧にしたり描かなかったりする。
例えばデヴィッドの母親の死については、セリフで簡単に説明されるだけ。その時の様子は描かれず、デヴィッドがフラッシュバック的に思い出すことも無い。
だから、母の自殺を目撃したことがデヴィッドの人格形成に大きく影響してイカレちゃってるってことが、あまり伝わらな
そもそも、母が自殺した原因が不明だし、そのの出来事についてサンフォードがどう思っているのか、その出来事で父子関係が変化したのかどうかも分からない。

「母の自殺を目撃した」という要素が薄いために、デヴィッドは「サンフォードの抑圧によってストレスを溜め込んで精神が狂っていく」という部分が圧倒的に強く、身内の人生をコントロールしたがるサンフォードの性質を引き継いでいると考えた方が分かりやすい。
ただし、そこも因果関係を充分に表現しているとは言い難い。
なぜデヴィッドがケイティーをコントロールしたがるのかも、良く分からないモノになっている。

デヴィッドが子供を欲しがらないってのは、その理由が全く分からない。
母の自殺が関係していると解釈するにしても、その因果関係はサッパリ不明だ。監督が理解できているとしても、こっちには伝わって来ない。
そもそも子供が欲しくないなら、なぜ避妊しないのかと。
っていうか永遠に子供が欲しくないんだから、パイプカットすりゃあいいだろうに。
そういうことをやらずにセックスしておいて、妊娠したら「子供は産むな」ってメチャクチャじゃねえか。そんな奴に、共感も同情も沸かないぜ。

デヴィッドは、ケイティーが学校へ通い始めることに関しては何の文句も言わず精神的におかしくなることもないのに(週末以外は別居状態なのに)、医学部合格の途端に支配したい欲求でおかしくなってしまう。
そもそも医学部を諦めないよう言ったのは本人なのに。
「ケイティーが学校へ通い始めた頃と、医学部合格の頃では、デヴィッドの精神状態が異なっている」ということなのかもしれないけど、そういうのは伝わって来ないから、そこに引っ掛かってしまう。

ケイティーがデヴィッドの通帳を盗み見るシーンや、ローレンに勧められてドラッグをやるシーンは、何の意味があるのか良く分からない。
それを描くことで、「デヴィッドだけでなくケイティーの方にも行動に問題があった」と思わせたいんだろうか。そういう狙いが仮にあったとすれば、まるで効果は発揮されていない。
もしもモデルになったキャスリーン・マコーマックがそういう行動を取っていて、それを映画に持ち込んでいるのだとしても、ドラマの中で無意味になっているのではダメでしょ。
実際の事件と何の関係も無い映画オリジナルの要素だとすれば、もっとダメだし。

これは「妻を支配下に置こうとするデヴィッドがどんどん狂っていき、それに気付いたケイティーが恐怖を抱き、デヴィッドが殺そうとするけどケイティーが何とか回避し、デヴィッドが命を落とすなり逮捕されるなりという決着を見る」という娯楽映画としての王道の展開が用意されている映画ではない。ケイティーはあっさりと殺されるし、殺人シーンをケレン味たっぷりに描いているわけでもない。
だから殺人者の心理の変遷や犯行動機を詳しく描くすべきだろうに、そこがボンヤリしている。
しかもデヴィッドは無罪放免になってしまうので、ものすごく後味が悪い。
ただの不愉快なクソ野郎が人を殺して無罪放免になっちゃうんだから、そりゃ後味は悪いよ。

(観賞日:2014年9月13日)

 

*ポンコツ映画愛護協会