『紀元1年が、こんなんだったら!?』:2009、アメリカ

山奥の村で暮らす60名の原住民は、動物を捕まえたり果実を採集したりして生活していた。ゼドは動物ではなく仲間のエンメバラゲシに槍を突き刺し、狩りの上手なのマーラクから非難される。しかしゼドは悪びれた様子も見せず、謝罪もしなかった。集落に戻ったマーラクは、オーが集めた果実を乱暴に弾き飛ばす。ゼドは惚れているマヤを口説くが、「貴方は笑いの才能があるけど、私は甲斐性のある男の人がいいわ」と言われる。ゼドは狩りも採集もまるでダメだったが、めげる様子は見せなかった。オーはゼドの妹であるイーマに惹かれているが、声を掛けても無視された。
オーを連れて村を出たゼドは、禁断の実に手を出した。頭が良くなったような気分になるゼドだが、オーの質問には全く答えられなかった。その夜、村では宴会が催され、オーはゼドに背中を押されてイーマをダンスに誘う。しかしゼドから「女は頭を殴ればおとなしくなる」と助言されていたオーはイーマの頭を棒で殴り、怒りを買ってしまう。ゼドは禁断の実に手を出したことを知られ、祈祷師から「お前のせいで村人たちにも呪いが及ぶ。村を出ろ」と命じられた。
ゼドは自信に満ちた態度で、村人たちに「俺は狩りが苦手だ。他の道を探す。導いてやる。付いて来る奴はいないか」と呼び掛けた。だが、村人たちは冷たく見ているだけで、オーも手を挙げなかった。ゼドは「だったら1人で行く」と言い、松明を掲げるが、誤ってオーの家に火を放ってしまう。村人たちに追われたゼドは慌てて逃げ出すが、マーラクに見つかってしまう。しかしオーが駆け付け、マーラクを背後から殴り倒して失神させた。
ゼドはオーを連れて森を歩き、「外の世界でチャンスを掴むんだ」と元気に言う。翌朝、森を抜けて崖にやって来た2人は、眼下に広がる景色を目にして興奮した。ゼドは牛を見つけて捕まえようとするが、それはカインとアベルという兄弟の所有物だった。兄弟が言い争いを始めたので、ゼドは仲裁に入った。しかし喧嘩は殴り合いに発展し、カインがアベルを撲殺した。カインが「これは事故だ。人には口外しない方がいい」と言うので、ゼドとオーは話を合わせた。
ゼドとオーはカインから食事に招待され、怖いので承諾した。牛車に乗った2人は、初めての体験に興奮した。カインは父から「アベルはどうした。お前とあいつが口論しているのをリリスが目撃している」と追及され、「俺は弟の番人じゃない、知るかよ」と声を荒らげて食事の場を去った。村には添い寝の風習があり、カインの父はゼドにリリス、オーに息子のセスを付けた。リリスが美女なのでゼドは喜ぶが、彼女はレズビアンだった。
翌朝、村人たちがアベルを捜索していると知ったカインは、ゼドとオーに「一緒に逃げよう。死体が見つかれば余所者が疑われるぞ」と告げ、強引に村から連れ出した。しかし死体を発見した父はカインの仕業だと確信し、「奴を捕まえろ」と村人たちに命じた。牛車で逃亡したゼドたちは船に乗り、市場にやって来た。そこで彼らは、奴隷になっているマヤとイーマ、マーラクを発見した。村で火事が起きた後、山の部族に襲われて売り飛ばされていたのだ。
ゼドはマヤとイーマを助けようとするが、金で売り買いされていることさえ理解できていなかった。カインは「俺に任せておけ」と言うが、ゼドとオーを奴隷商人に売り飛ばして逃亡した。商人が奴隷を移送して砂漠を横断中、サルゴンの率いる兵隊が襲って来た。兵隊は奴隷を奪うが、ゼドとオーは逃げ出した。2人は兵隊の野営地を見張るが、転寝している間に移動してしまった。サルゴンが「ソドムへ行く」と口にしていたので、2人はソドムを目指すことにした。
砂漠を抜けたゼドとオーは、アブラハムが息子のイサクを殺して神に捧げようとしている現場に遭遇した。ゼドとオーが止めに入ると、アブラハムは「なぜ止める?神の使者なのか」と問い掛けた。ゼドが「そうだ」と答えたので、アブラハムは息子の殺害を中止した。彼はゼドとオーを連れて、近くにある親族の家へ赴いた。2人をもてなしたアブラハムは、「お国には?ソドムやゴモラではないだろうな」と尋ねた。ゼドが「いい所か?」と訊くと、「その堕落ぶりで神に呪われた町だ」とアブラハムは答えた。
アブラハムは忌々しそうに、「男は飽食で太った酔っ払いばかり、女は常に発情しており、男を誘惑する」と語る。「ソドムとゴモラ、どっちの方が悪いの?」と尋ねると、アブラハムは「ソドムへは行くな。私は神に聞いた。あの町を焼き尽くすと。民も罪を背負い、全員が焼き殺される」と告げた。彼は「私は神と契約し、広大な土地を貰った。その証として今日、割礼する。君たちもだ」と言う。割礼が嫌なので、ゼドとオーはさっさと村から逃げ出した。
イサクがゼドとオーの後を付いて来て、「一緒に行く」と告げた。彼は2人に、たまにソドムへ来て羽目を外していることを打ち明けた。しかし兵士たちが来てゼドとオーを捕まえると、イサクは逃げ出してしまった。2人はサルゴンの元へ連行されるが、殴られそうになっているところへカインが現れた。サルゴンの兵士になっていた彼はゼドたちに「仲間よ」と抱き付き、2人を助けた。ゼドは売られた恨みを口にするが、カインは軽い調子で「根に持つなよ」と受け流した。
カインは商人を脅して食料や酒を奪い、ゼドとオーに「衛兵になれよ。給料は安いが、町ではやりたい放題だぞ」と勧めた。衛兵になった2人は、カインと共に町の見回りへと出向いた。ソドムの王は雨乞いのために6名の町人を神への生贄として捧げていたが、晴れの日が続いていた。側近は「物資の値段が高騰し、飢えた民が町に流れ込んでいます」と言い、サルゴンは暴動に備えるべきだと進言した。だが、王は「貧しい者が飢えるのは宿命だ」と突き放すように告げた。
王から占いを求められた司祭長だが、ちゃんとした答えを出せなかった。側近が新たな人材の登用を提案したので、司祭長は恨みを抱いた。ゼドはイナンナ王女を見て、その美貌に心を奪われた。王や王妃と違い、継娘であるイナンナは庶民の困窮を気に掛けていた。ゼドたちが神殿へ行くと、王が処女を火に投げ込んで神に捧げる雨乞いの儀式が執り行われようとしていた。インナンはゼドを呼び寄せ、オーには宦官のザフティヒをあてがった。
ゼドが案内されたのは、男女の宴が開かれている場所だった。ゼドは案内役の女がマヤと知って驚いた。使用人として働いているマヤは「助けに来たんだ」というゼドの言葉を信じず、冷たい態度を取った。マヤだけでなく、イーマも働かされていた。オーは全身に金粉を塗られ、像として宴の会場に立たされた。イナンナはゼドをバルコニーに呼び出して2人きりになり、「貴方は選ばれし者よ。いつか偉業を成し遂げる」と告げた。彼女はセドを聖堂へ案内し、「中に入って神と対話してほしいの」と持ち掛けた…。

監督はハロルド・ライミス、原案はハロルド・ライミス、脚本はハロルド・ライミス&ジーン・スタプニツキー&リー・アイゼンバーグ、製作はハロルド・ライミス&ジャド・アパトー&クレイトン・タウンゼント、共同製作はローレル・ウォード、製作総指揮はロドニー・ロスマン、製作協力はアンドリュー・エプスタイン、撮影はアラー・キヴィロ、編集はクレイグ・P・ハーリング&スティーヴ・ウェルチ、美術はジェファーソン・セイジ、衣装はデブラ・マクガイア、音楽はセオドア・シャピロ。
出演はジャック・ブラック、マイケル・セラ、オリヴァー・プラット、ハンク・アザリア、デヴィッド・クロス、クリストファー・ミンツ=プラッセ、ヴィニー・ジョーンズ、ジュノー・テンプル、オリヴィア・ワイルド、ジューン・ダイアン・ラファエル、ザンダー・バークレイ、ジア・カリデス、ホレーショ・サンス、デヴィッド・パスクエジ、マシュー・J・ウィリグ、ハロルド・ライミス、ローダ・グリフィス、ガブリエル・サンデー、エデン・リーゲル、カイル・ガス、ビル・ヘイダー他。


『悪いことしましョ!』『アナライズ・ユー』のハロルド・ライミスが監督&原案&共同脚本を務めた作品。
ゼドをジャック・ブラック、オーをマイケル・セラ、司祭長をオリヴァー・プラット、アブラハムをハンク・アザリア、カインをデヴィッド・クロス、イサクをクリストファー・ミンツ=プラッセ、サルゴンをヴィニー・ジョーンズ、イーマをジュノー・テンプル、イナンナをオリヴィア・ワイルド、マヤをジューン・ダイアン・ラファエルが演じている。
他に、王をザンダー・バークレイ、王妃をジア・カリデス、エンメバラゲシをホレーショ・サンス、王の側近をデヴィッド・パスクエジ、マーラクをマシュー・J・ウィリグが演じており、ジャック・ブラックの盟友であるカイル・ガスがザフティヒ役で、ビル・ヘイダーが村の祈祷師役で出演している。アンクレジットだが、サルゴンの腹心であるリックをリック・オーヴァートン、アベルをポール・ラッドが演じている。

旧約聖書をベースにしたパロディー作品なので、ある程度は旧約聖書の内容を知っていた方が理解の助けになる。
ただし、詳しい知識が無ければダメというわけではなくて、出て来るのは「カインとアベル」「アブラハムとイサク」「ソドムとゴモラ」といった、かなり有名なエピソードなので、旧約聖書を読んだことが無くても何となく元ネタが分かる、という人も多いんじゃないかな。
しかも、「旧約聖書のパロディーじゃなくてもいいんじゃないか」と思うぐらい、各エピソードのパロディーとしてのアプローチは、それほど面白くないし。
結局、旧約聖書の登場人物って「ゼドとオーが関わりを持つ相手」として登場するだけで、ストーリー展開への積極的な関与という意味では物足りないし。
積極的に動かされているのは、映画オリジナルのキャラクターばかりなんだよね。

序盤、ゼドは禁断の実に手を出すのだが、その動機がハッキリしない。その直前、彼はマヤを口説いて笑顔で断られているが、それでショックを受けている様子も無い。
マーラクが獲物をマヤに渡す様子を見ているが、それでマヤが落ちるわけでもないし、だからゼドが女を奪われてヤケになるってわけでもない。
仲間スクワントが来て排便し、「みんなが俺の家でクソをいる」と文句を言っているので、それが直接のきっかけなのかもしれないが、だとしても「だから禁断の実を食べる」ってのは論法として理解できない。
ゼドは「あんな村にはウンザリした。見てろ。頭を変えるんだ」と言っているが、ウンザリするようなエピソードが仲間の排便だけでは弱すぎる。

ゼドが禁断の実を食べて、何があるのかと思ったら、「頭が良くなったように思えるが、質問には答えられない」というだけで終わってしまう。
禁断の実を使ったネタとしては、あまりにも弱すぎる。
一応、村に戻った後もゼドが「実を食べてから様々な疑問が沸くんだ」と言い出し、その例を幾つか挙げているけど、「だから何だ」としか思えない。
「そこを笑いに繋げないのか」ってことが気になる。

ゼドが禁断の実を食べた後、オーの体に大蛇が巻き付いてピンチに陥る。
どうやって解決するのかと思ったら、助けを求められたゼドが「待て、もっと実を食う」と言って、夜の宴会シーンに切り替わってしまう。
どうやって事態を打破したのかは全く分からない。
いやいや、そこは「分かるか分からないか」という尺度じゃなくてさ、それはオチを付けるべきコントのオチを放棄しているようなモンだぞ。

ゼドはエデンの園に入ったことをマーラクに知られて「ぶっ殺してやる」と凄まれるが、ゼドがどうやって切り抜けるのか、もしくは村を追放されるといった展開があるのかと思ったら、オーが「あっ、流れ星だ」と嬉しそうに前を横切り、それで次のシーンに切り替わってしまう。
ゼドが祈祷師から「村を出ろ」と命じられ、カメラが切り替わって、村人たちがそれを見ていたことが分かるんだけど、マーラクの怒りは収まったのかよ。
それに、祈祷師が介入するなら、「祈祷師が仲裁に入りました」という手順は踏もうよ。
そこを省略したせいで、繋がりがギクシャクしてしまっている。

この映画、「後はどうなったか分からない」という形でシーンを終わらせるパターンが多い。
例えば、村を出たゼドとオーが迷子になり、ピューマと遭遇するシーン。ゼドはオーを置き去りにして逃げ出し、オーがピューマに襲われる。で、「どうなったのか」と思ったら、シーンが切り替わって翌朝になっている。オーは元気じゃないけど、そんなに重傷を負っているわけでもない。
たぶんピューマを倒したか、もしくは逃げ延びたってことなんだろうけど、そこの決着を描かないのはダメでしょ。
決着を描かずに翌朝のシーンに切り替えて、そこで「こういうことになりました」という笑いが用意されているなら別に構わないよ。
だけど、オーが笑えるような状態になっているわけでもないから、ピューマに襲われた後の展開を描かないのは「笑いを損している」としか感じない。

サルゴンはゼドとオーが逃げ出すのを見るが、「どうせ生き延びることは出来ない」ということで捕まえようとしない。
しかしゼドとオーは、あっさりと砂漠から抜け出している。
「砂漠でピンチに陥るが、何らかの方法で抜け出すことに成功」というところでストーリーを膨らませたり、笑いを取りに行ったりすることは無い。
だからと言って、「脱出不可能なはずの砂漠を簡単に突破する」というのが笑いになっているわけでもない。

ゼドとオーはアブラハムから「ソドムは男は飽食で太った酔っ払いばかり、女は常に発情しており、男を誘惑する」と聞かされる。
それは2人、特にゼドにとっては望ましい環境のはずだが、「喜んでソドムへレッツ・ゴー」という展開には行かない。
まあアブラハムは「神がソドムを滅ぼす」とも語っているので、それで積極的になれないということなんだろう。
だけど、そうなると「アブラハムにとってのソドムは汚らわしい場所だが、セドたちにとっては享楽にふけることが出来る楽しい場所」という仕掛けが活きない。

ゼドとオーはカインから勧められてソドムの衛兵になるのだが、そこにも「楽しい生活を過ごすことが出来るから、喜んで衛兵になる」という高いモチベーションは感じられない。
何となく、流れとして、っていうか段取りとして、2人が衛兵になっているだけのように思えてしまう。
マヤとイーマを救いに来たはずのゼドとオーが、それよりも衛兵になって自分たちが楽しむことを優先してしまうってのは、笑いを作るポイントの1つになっているべきだと思うんだけど、なんかボンヤリした状態で流れて行ってしまう。

クライマックスとして、ゼドが民衆を扇動して兵隊と戦うアクション・シーンが用意されている。
喜劇だけで最後まで引っ張るのは難しいし、コメディー映画でもクライマックスにアクションを持って来るってのは、良くあるパターンだ。ただ、そんなに笑いが弾けているわけでもないので、安易な道に逃げちゃったなあという印象が否めない。
戦いが終わると、急にゼドが「俺は選ばれし者じゃないけど、仲間がいる」と演説する真っ当な善人になる。
さんざんバカをやった主人公が最後に真っ当な奴になり、ちょっぴりハートウォーミングな着地にするってのもコメディー映画では良くあるパターンだけど、これもやっぱり安易な道に逃げちゃったなあと感じる。

(観賞日:2014年1月9日)

 

*ポンコツ映画愛護協会