『クライモリ』:2003、アメリカ

ウエスト・ヴァージニア州の森で、州立大生のリッチとヘイリーがフリークライミングを楽しんでいた。先にリッチが頂上へ着いたため、ヘイリーは引き上げるよう頼んだ。しかし応答が無く、再びヘイリーが呼び掛けるとリッチが倒れ込んだ。リッチは何者かに殺害されており、その死体が崖から放り投げられた。ヘイリーは犯人に引っ張り上げられそうになり、慌ててロープを切った。崖から落ちた彼女はリッチが死んでいるのを知り、慌てて逃亡を図る。しかし低い場所に張ってある有刺鉄線に足を引っ掛け、転倒してしまう。ヘイリーは何者かに足を掴まれて引きずられ、悲鳴を上げた。
病院の面接を受けるために車を走らせていたクリス・フリンは、事故による渋滞に巻き込まれてしまった。仕方なくUターンした彼は電話で連絡しようとするが、電波が途切れてしまう。古い給油所を見つけたクリスは公衆電話を借りるが、故障で使えなかった。給油所の老人によれば、他に電話は無いらしい。貼ってある地図にをやったクリスは、ベアマウンテン街道という未舗装の道路に気付いた。30キロほど先で国道と合流していることを知ったクリスは、そこを進んでみることにした。
車を走らせたクリスは分岐点の表示板を確認し、左の道を進む。道路脇にある鹿の亡骸に目を向けたクリスは、目の前に停まっていた車に衝突してしまった。怪我は無かったが、車は壊れてしまった。森の中にいたジェシー、カーリーと婚約者のスコット、エヴァンと恋人のフラニーという若者5人が、大きな音を聞いて駆け付けた。その面々は、停めてあった車でキャンプに来ていたのだ。しかし罠のように置いてあった有刺鉄線でタイヤがパンクしたため、立ち往生していたのだ。
ジェシーたちが給油所へ電話を借りに行こうとするので、クリスは「あそこに電話は無い」と教える。エヴァンとフラニーがそこに残ると言うので、他の面々は公衆電話のある場所まで歩いて行くことにした。焚き火を見つけたスコットは「誰かいるのか」と呼び掛けるが、返事は無い。クリスは「きっと誰かいる」と確信するが、先へと進む。エヴァンとフラニーは2台の車を物色し、食べ物を探す。エヴァンが姿を消したので、フラニーは森を捜索する。千切れた耳を見つけた直後、彼女は何者かに襲われた。
クリスたちは古びた小屋を発見するが、ジェシーは薄気味悪さを覚える。クリスはドアをノックして呼び掛けるが、応答は無い。クリスが電話を探すために不法侵入しようとすると、ジェシーとスコットは制止する。しかしクリスと尿意を催したカーリーが中に入り、ジェシーとスコットも後に続いた。人が住んでいる気配はあるが、呼び掛けても返事は無い。色んな物が散乱しており、室内は随分と汚れている。トイレに入ったカーリーは、複数の入れ歯が瓶詰めにされているのを見つける。
ジェシーは有刺鉄線、クリスは冷蔵庫の臓物を発見し、カーリーはバスタブの汚れた水に浮かぶ人間の手首を目撃する。4人は小屋から逃げようとするが、そこへクリスとフラニーの車を牽引した住人のトラックが戻って来た。4人は裏口へ向かうが、板が打ち付けられていて外に出られない。クリスとジェシーはベッドの下に隠れ、カーリーとスコットは奥の部屋に身を潜めた。やがてトラックを降りた3人の男たちが、小屋に入って来た。クリスとジェシーは、床に放り投げた男の一人がフラニーの死体を目にした。
台に乗せたカーリーを解体していた男たちは、途中で眠り込んでしまった。4人は音を立てないよう気を付けながら、逃亡を図る。クリスはドアのバネを押さえて、3人を先に行かせる。バネに指の肉を挟まれて出血しても声を漏らさずに我慢したクリスだが、男たちが目を覚ましてしまう。クリスは他の3人を追い掛け、全速力で走った。男たちが車を発進させたので、4人は必死で逃げ続けた。
4人が開けた場所に到達すると、血の付着した何台もの車が放置されていた。男たちのトラックが来たので、クリスたちは急いで身を隠す。武装した男たちは、エンジンを掛けたままトラックから降りて来た。クリスは他の3人に、「トラックを奪って逃げるんだ」と告げる。一人が囮になる陽動作戦をスコットが提案すると、クリスが囮として飛び出した。彼は森へ向かって走るが、銃で足を撃たれた。
スコットはクリスと逆の方向へ飛び出し、男たちの目を引き付ける。ジェシーとカーリーがクリスに肩を貸し、トラックへ向かう。転がり落ちたエヴァンの死体に驚きながらも、3人はトラックに乗り込んだ。トラックを走らせたクリスたちは、スコットを見つける。トラックに駆け寄ろうとしたスコットだが、男の放った矢を受けて死ぬ。トラックも攻撃を受けたため、止むを得ずクリスたちは逃走した。
日が暮れて来る中、クリスたちのトラックは倒木に行く手を遮られている場所に出てしまった。3人は引き返そうとするが、ぬかるみにタイヤを取られてバックも出来ない。クリスたちはトラックを捨てて、森を歩き出す。トラバサミの罠を危うく回避した3人は、見張り台を発見した。3人は登って周囲を見回すが、どこまでも森だった。救急箱が見つかったので、ジェシーはクリスの怪我を手当てした。見張り台には無線機もあったが、呼び掛けても応答は無かった。
クリスは松明を持った男たちが近付いて来るのに気付き、灯りを消して身を潜めるようジェシーとカーリーに指示する。その時、無線機にレンジャー部隊の応答が入った。しかし松明を持った男たちが音を聞き付け、見張り台に迫って来た。ジェシーは早口で状況と大まかな居場所を説明し、助けを求めた。男たちは梯子からの侵入を阻止されると、見張り台に火を放った。カーリーが窓ガラスを割って飛び降りようとするので、ジェシーが制止した。しかしクリスは「焼け死ぬよりマシだ」と、飛び降りることを主張した。
クリスは見張り台から飛び降り、木の枝を掴んで地上への落下を回避した。カーリーとジェシーも後に続き、木の枝に捕まった。男たちが矢を放って攻撃して来たので、3人は移動しようとする。しかし男が追い掛けて来て、カーリーを斧で殺害した。クリスは逆襲を決意し、反動を付けた枝を以て待ち構えるようジェシーに指示する。自分が囮になろうとするクリスに、ジェシーは「私の方が早く動ける」と言う。彼女は男をおびき寄せ、クリスが叩き落とした。クリスとジェシーは森から脱出するが、まだ敵は2人残っている…。

監督はロブ・シュミット、脚本はアラン・マッケルロイ、製作はスタン・ウィンストン&ブライアン・ギルバート&エリック・フェイグ&ロバート・クルツァー、製作総指揮はドン・カーモディー&アーロン・ライダー&ミッチ・ホーウィッツ&パトリック・ワックスバーガー、共同製作総指揮はスヴェン・エベリング&ハーゲン・ベーリング、撮影はジョン・S・バートレイ、編集はマイケル・ロス、美術はアリシア・キーワン、衣装はジョージナ・ヤーヒ、メイクアップ効果監修はシェーン・マハン、音楽はエリア・クミラル、音楽監修はランディー・ガーストン。
出演はデズモンド・ハリントン、エリザ・ドゥシュク、エマニュエル・シュリーキー、ジェレミー・シスト、ケヴィン・ゼガーズ、リンディー・ブース、ジュリアン・リッチングス、ギャリー・ロビンス、テッド・クラーク、イヴォンヌ・ゴードリー、ジョエル・ハリス、デヴィッド・ヒューバンド、ウェイン・ロブソン、ジェームズ・ダウニング他。


特殊メイクのビッグネームであるスタン・ウィンストンが初めて製作を手掛けた劇場用作品(過去にテレビ映画は製作している)。
監督は『クライム・アンド・パニッシュメント』のロブ・シュミット、脚本は『スポーン』『バリスティック』のアラン・マッケルロイ。
クリスをデズモンド・ハリントン、ジェシーをエリザ・ドゥシュク、カーリーをエマニュエル・シュリーキー、スコットをジェレミー・シスト、エヴァンをケヴィン・ゼガーズ、フラニーをリンディー・ブースが演じている。

原題は「Wrong Turn」だが、日本語タイトルは「クライモリ」で、まるで関係が無い。
かつて東宝東和はホラー映画に『サスぺリア』『ゾンゲリア』『サンゲリア』『サランドラ』『バタリアン』と原題とは無関係で無意味なカタカナ5文字のタイトルを付けていた時代があったが、そのデタラメ邦題のパターンを使うのは久しぶりじゃないか。
今回は一応、「暗い森」という意味に捉えることも出来るので、ただのデタラメなカタカナの羅列というわけではないけど。

ほとんどホラー映画を見たことが無い人であれば、この映画にある種の引っ掛かりを抱くことは無いだろう。
ただし、素直に楽しめるかというと、それは話が別だ。
ほとんどホラー映画を見た経験が無いってことは、そもそもホラー映画が好きじゃない可能性が高い。
ほとんどホラー映画を見たことが無く、なおかつホラー映画に対する拒否反応が薄い人であれば、それなりに楽しめるだろうとは思うけど、そんな人は、ごく少数だろう。

で、何が引っ掛かるのかというと、「どっかで見たような」という既視感が強い映画ってことだ。
過去にヒットした様々なホラー映画の要素を抽出し、それを組み合わせて作られた映画という印象が強い。
っていうか、模倣と合成によって作られた映画だと言い切って間違いないだろう。
具体的に挙げるなら、『サランドラ』と『悪魔のいけにえ』シリーズ、それに『13日の金曜日』シリーズ辺りを混ぜ合わせたという感じかな。

奇形が殺人鬼ってのは『サランドラ』で、ドラッグをやったりセックスに興じたりするアーパーな若者が殺されるのは『13日の金曜日』シリーズだ。
給油所のオッサンが怪しげなのと、ポツンと建つ家に住む連中が殺人を繰り返して死体を解剖するのは『悪魔のいけにえ』だな。
劇中で「『サランドラ』という映画を見たことはあるか?」というクリスのセリフがあるので、意図的に模倣しているんだろう。
っていうか、そのセリフ、ネタバレだろ。

過去の作品から美味しいトコを拝借するのが、全面的にダメというわけではない。それを下敷きにして捻りを加えたり、新しい調理方法を試してみたりすれば、それは「単なる模倣」に留まらない。
また、オマージュを捧げるという意味で、過去の作品の要素を持ち込むケースもある。クエンティン・タランティーノだって過去の作品から色々とネタをパクって来るけど、それで批判されるようなことはない。
ただ、この映画の場合、「過去の作品からネタを拝借して組み合わせ、そこで思考がストップしている」という印象を強く受ける。そこに捻りを加えるとか、調理法を工夫して違った物に作り変えるとか、凝った飾り付けでバージョンアップさせるとか、そういう意識が見えて来ない。
オマージュを捧げているわけでもない。しかもネタを拝借している映画がヒット作なので、「使い古されたオーソドックスなパターンを組み合わせて、使い古された印象を受けるホラー映画を作った」というだけになっている。

『サランドラ』にしろ『悪魔のいけにえ』シリーズにしろ、一家が旅行者を襲うので、「殺人鬼が1人じゃない」ってのは既にやっている。そこに新鮮味があるわけではない。
マウンテンマンは様々な武器を使用するが、武器を使う殺人鬼が珍しいわけでもない。
用意されている台詞や会話劇が魅力的というわけでもないし、ドラマ演出や映像表現が凝っているわけ。
シナリオに破綻は無いし、演出に粗さも無いが、特に優れているわけでもなく、いずれも凡庸の範疇だ。

オープニング・クレジットで「マウンテンマン」と呼ばれる能力の異常に発達したフリークスらしき連中の伝説があることが提示されるので、そいつらがリッチ&ヘイリーを殺したことも、これから出て来る連中を殺すことも分かる。
若者グループが登場し、クリスを含む4人が歩き始めた時点で、もう「残ったエヴァンとフランシーヌは最初に殺される。どっちも生き延びるか、どっちか片方になるかは分からないけど、ともかく最後まで残るのはクリスとジェシー」ってのは簡単に予想できるし、予想通りになる。
この映画に「意外性」という要素は存在しない。
全てが定番、全てがパターンやセオリー通り、全てが容易に予想できる範囲内に収まっている。

「スコットが結婚式について熱心に話しているとカーリーが姿を消すので慌てるが、彼女は隠れていただけ」という肩透かしがあったりするが、「いや、要らないから、そんなの」という感想しか沸かない。
それは「エヴァンを捜索していたフラニーが襲われる」という様子と交互に描かれているので、「片方は本当に襲われるけど、もう片方はドッキリ」という比較としてやっているんだろうとは思うけど、どういう理由であれ肩透かしには違いないわけで、根本的に「そんな肩透かしは要らない」ってことだから。
「ドッキリだったけど、安堵した直後、殺人鬼に襲われる」という見せ方をするなら話は別だけど。
っていうか、それを交互に描くにしても、せめて先にドッキリの方を見せて、後から殺人鬼に襲われる方を描くべきでしょ。

マウンテンマンは「身体能力が異常に発達したフリークス」という設定であり、まず見た目に大きな特徴があるはずなのだが、どこがどう奇形なのかが良く分からない。
その理由は簡単で、外見がハッキリと示されないからだ。
最初の内は、意図的に全身を写さず、奇形であることを隠したまま進めているんだろうと解釈できた。ただ、クリスたちを追い掛け始める辺りで全身をハッキリと捉えたり顔を正面から写したりするカットがあるのだが、やっぱり奇形ってことが分からない。引いた絵でサイズが小さかったりするのだ。
その後も何度かマウンテンマンの顔や全身が写るシーンはあるのだが、なぜか引いた絵ばかり。
結局、最後まで「殺人鬼はフリークス」ということを映像としてアピールしようとする意識は薄い。

っていうか、ジェシーが囮になっておびき寄せる時には初めて大きなサイズでハッキリと姿が写るが、ちっとも奇形に見えないぞ。
奇形の設定が「手の指が3本」「ノコギリ歯」「隻眼」と、おとなしいんだよな。
だから、ただ単に「みすぼらしい格好をした薄汚れている不細工な連中」という程度にしか見えない。
っていうか、もはや奇形を殺人鬼にしている時点でモラルもへったくれもないんだから、そこで変に遠慮する意味は無いんだし、もっと奇形っぷりを強調すればいいのに。例えばエレファント・マンぐらいに。

前述した『悪魔のいけにえ』シリーズのレザーフェイスにしろ、『13日の金曜日』シリーズのジェイソンにしろ、見た目にインパクトや際立った特徴があり、それが殺人鬼キャラクターとしての魅力にも繋がっていた。
しかし本作品のマウンテンマンは、設定から期待するほどのアクの強さが無い。
奇形であることを本人たちは全く隠そうとしていないんだから、どこかのタイミングで奇形としての見た目を鮮明に披露し、クリスたちと同時に観客を脅かすべきだったんじゃないかと。

殺人鬼の見た目にインパクトがあるわけでもないし、3人の能力や特技に違いを設けて個性を付けているわけでもないので誰が誰なのか区別が付かない。
殺人シーンがケレン味たっぷりで「残酷ショー」としての面白味に満ち溢れているわけでもない。
ゴア描写がキレキレというわけでもない。
「ホラー作家のスティーヴン・キングが年間ベスト1に挙げた作品」ということが影響して、ものすごく過大評価されているんじゃないかと思うぞ。これって、ただの凡庸なB級ホラー映画に過ぎないよ。

(観賞日:2014年4月17日)

 

*ポンコツ映画愛護協会