『決闘の大地で』:2010、韓国&ニュージーランド

遠い昔、遥か彼方の土地に、史上最強の剣士を目指すヤンという男がいた。暗殺集団「悲しき笛」の一員であるヤンは、史上最強の剣士を倒して目的を果たしたが、心の中には虚しさがあった。長きに渡って2つの一族が対立しており、敵を全て抹殺することが掟となっていた。しかしヤンは、最後の一人となった赤ん坊を殺せなかった。そのために彼は、悲しき笛から命を狙われる身となった。ヤンは戦友であるスマイリーを頼り、赤ん坊を連れて旅に出た。
船で海を渡ったヤンは、ロードという砂漠の町に足を踏み入れた。小人のエイトボールが声を掛けて来たので、ヤンはスマイリーの写真を見せた。するとエイトボールは、クリーニング店の主人だったスマイリーが既に死んでいることを教えた。ヤンが空き家になっている店にいると、背後からリンという女が棒で襲い掛かった。棒はヤンの肩で真っ二つに折れた。リンは薬を渡し、「剣の達人かと思って。いつもスマイリーが話していたから。でも人違いみたいね」と言う。彼女はヤンに、店を引き継いではどうかと持ち掛けた。
ヤンが「やり方を知らない」と告げると、リンは「剣術を学ぶ代わりに手伝っていたから、教えてあげるわ」と言い、勝手に共同経営することを決めた。仕事を始めたヤンはエイトボールに連れられ、彼が団長を務めるサーカス小屋へ赴いた。リンはナイフ投げの練習をしており、他には数名の芸人と酔いどれ老人のロンがいた。ヤンはリンから仕事を教わり、町の人々とも打ち解けた。ヤンはエイトボールたちと一緒に夕日を眺めたり、花を育てたりして日々を過ごした。
ある日、墓参りをしているリンに気付いたヤンは、エイトボールに何があったのかと尋ねる。するとエイトボールは、かつて大佐の一味が町へ来た時の出来事を語る。大佐はリンを手籠めにしようとしたが抵抗され、顔に火傷を負った。リンは激昂した大佐に背中を撃たれ、彼女の両親と赤ん坊だった弟のジョニーは皆殺しにされた。大佐の一味が町を去った後、エイトボールたちはリンが生きているのに気付く。回復して以来、ずっとリンは復讐心を燃やしているのだとエイトボールは語った。
エイトボールはヤンに、「リンはナイフ投げを練習しているが、才能が無い」と告げる。リンが石を標的に投げる練習をする様子を見たヤンは、「腕が悪いんじゃない」と告げる。彼はリンに目隠しをさせて的の前に立ち、ナイフを投げるよう促した。リンがためらっていると、ヤンは「心の問題だ。集中しろ」と告げる。思い切ってリンがナイフを投げると、全てギリギリの位置に突き刺さった。リンは興奮し、ヤンに感謝の言葉を告げた。
リンが赤ん坊を狙って石を投げると、ヤンは背中を向けたままキャッチした。そこでリンは、ヤンがスマイリーから聞かされていた男だと確信した。組織に入った理由を問われたヤンは、「強くなるためだ。幼い頃、刀の切れ味を試そうとした剣士に父親が殺された。その時に父親への怒りを感じた」と述べた。リンは彼に、母の形見であるネックレスをプレゼントした。ヤンはリンに刀を見せるが、「身を守るための物であって、殺しに使う物じゃない」と言う。
クローゼットには封印された剣があり、リンが気付くとヤンは「これなら俺が奪った魂の泣き声が聞こえない。昔の仲間に聞かれたら、平和な日々は終わる」と告げた。その頃、悲しき笛はヤンを見つけ出すため、船員を皆殺しにして船を乗っ取っていた。ヤンの師匠である組織の頭領は海を渡りながら、手下たちに「耳を澄ませば必ず奴を見つけ出せる」と告げた。ヤンは今までと同じように町での暮らしを続けながら、リンに刀の使い方を教えるようになった。
クリスマスの日になると、エイトボールたちはパーティーを開いた。ヤンとリンは町を離れ、砂漠で刀の稽古をする。リンは不意にキスをして、ヤンの元から走り去る。その頃、大佐の一味が町に乗り込んでいた。一味は道化師を標的にした銃撃遊びに興じ、ロンの首に縄を付けて馬で引きずり回した。「他の仲間も合流する。昔のように楽しもう」と大佐は告げ、その場を去る。住民たちは町を守るため、復讐を目論むリンを縛り付けて地下室に閉じ込めた。しかしリンはヤンたちが去った後、密かに縄を切った。
大佐は1人の女に目を付けるが、夫が助けを求めると2人とも撃ち殺した。大佐は夫婦の娘に狙いを変えるが、リンは娼婦に化けて身代わりになった。しかしリンは大佐に正体を見抜かれて復讐に失敗し、一味に捕まった。大佐が強姦しようとしたところへヤンが乗り込み、一味を始末した。ヤンが大佐を殺そうとすると、リンが「こいつは私の獲物よ」と邪魔をした。すると大佐は窓を突き破り、馬に乗って逃亡を図る。リンはナイフを投げ、大佐の背中に突き刺した。
リンが落馬した大佐に歩み寄ろうとすると、住民が彼のマスクを剥がした。すると、それは大佐ではなく替え玉だった。ヤンは悲しき笛が来ることを感じ取り、町を出ようとする。彼が「みんなに危険が及ぶ」と言うと、エイトボールは「とっくに危険だ。大佐が仲間を連れて戻って来る。奴らを倒せる人間が必要だ」と告げる。しかし住民たちは大佐の報復を恐れ、町を捨てて逃げ出そうと考える。エイトボールが「銃を取って戦おう」と持ち掛けると、住民たちは「どこに銃があるんだ」と声を荒らげた。
ヤンはリンから「ごめんなさい。私のせいで」と謝罪されると、「仕方が無かった」と告げる。「みんなが助かっても町を出て行くの?」と問われたヤンは、「そのつもりだ」と答える。するとリンは、「私も連れて行って。考えておいて」と口にした。エイトボールはロンの承諾を取り、彼が棺に隠してあった大量の銃と爆薬を掘り起こして住民たちに見せた。しかもロンは射撃の名手だったため、住民たちは活気付く。しかしロンはヤンの前で「ダイナマイトと少しの銃では勝てない」と言い、死を覚悟していることを明かした。
ロンはヤンから銃を捨てた理由を尋ねられ、かつては銀行強盗や列車強盗を繰り返す無法者だったこと、愛する女と出会って足を洗ったことを話す。しかし追っ手であるレンジャーたちとの銃撃戦に巻き込まれ、彼女が命を落とした。死ぬ間際に彼女が「二度と銃を手にしないで」と言ったので、ロンは約束を守って今まで暮らして来たのだ。ロンはヤンに、「俺もお前も所詮は人殺しだ。愛する者に出会ったら、出来る限り遠ざかるべきだ」と告げた…。

脚本&監督はイ・スンム、追加脚本はスコット・レイノルズ、製作はバリー・M・オズボーン&イ・ジュイック&マイケル・ペイサー、共同製作はスティーヴン・ナム&トミー・スウェードロウ、、製作総指揮はティム・ワイト&ホン・ウイ&チャ・スンジェ&ナンサン・シー&井関惺&マシュー・ジェナー&デヴィッド・ミルナー&キャシー・モーガン、共同製作総指揮はケユール・パテル&アナール・ウダイバブ&ダグ・ファルコナー&ミシェル・ハートリー、製作協力はキャロル・キム&ステイシー・ラッペル&リズ・タン&ユ・ウンジョン、撮影はキム・ウヒョン、編集はジョノ・ウッドフォード=ロビンソン、美術はダン・ヘナー、衣装はジェームズ・アチソン、視覚効果監修はジェイソン・ピッチオーニ、視覚効果製作はアーノン・マナー、音楽はハヴィエル・ナヴァレテ、音楽製作総指揮はポール・ブロウチェク。
出演はチャン・ドンゴン、ケイト・ボスワース、ジェフリー・ラッシュ、ダニー・ヒューストン、トニー・コックス、ティ・ロン、アナリン・ラッド、マーカス・ハミルトン、ロッド・ルイジック、マット・ギランダース、クリスティーナ・アッシャー、ジェド・ブロフィー、カール・ブランド、イアン・ハーコート、トニー・ワイス、ライアン・リチャーズ、ニック・サンプソン、アッシュ・ジョーンズ、フィル・グリーヴ他。


『ブラザーフッド』『タイフーン TYPHOON』のチャン・ドンゴンがハリウッド進出を狙って主演し、そしてハリウッド進出に失敗した作品。
『決闘の大地で ウォリアーズ・ウェイ』『決闘の大地で -THE WARRIOR'S WAY-』という別タイトルもある。
脚本&監督は本作品が長編デビューとなるイ・スンム。
ヤンをチャン・ドンゴン、リンをケイト・ボスワース、ロンをジェフリー・ラッシュ、大佐をダニー・ヒューストン、エイトボールをトニー・コックス、師匠をティ・ロンが演じている。

「チャン・ドンゴンのハリウッド・デビュー作」と紹介されることも多いみたいだが、実質的には韓国映画みたいなモンだから、ちょっと違うと思うのよね。
ジャッキー・チェンがハリウッド進出を狙って作った『レッド・ブロンクス』みたいなモンだと解釈すればいいんじゃないかな。
でも残念ながら、チャン・ドンゴンにとっての『レッド・ブロンクス』じゃなくて、『プロテクター』になったわけだね。

冒頭、ナレーションによる説明が入る中でヤンと敵対勢力の戦いがチラッと描かれる。数名の相手と対峙したヤンが刀を抜いて瞬時に通過すると、その全員が大量出血して絶命する。
これ、見せ方としては悪くないんだけど、せっかく「一瞬で全員を始末しました」というのを示す演出なのに、そこをロングショットで撮っちゃうのよね。そうじゃなくて、もっと寄らないと効果的じゃないわ。
あと、敵のボスが登場すると「史上最強の剣士」というスーパーインポーズが出て、そいつを倒すとヤンに「史上最強の剣士」という文字が被さる演出は、かなりカッコ悪いぞ。それってコメディーやパロディー映画の演出だぞ。
それと最初の数名だけじゃなくて史上最強の剣士も軽く倒しちゃうので、ヤンってオープニングにして無双状態なのよね。で、別に圧倒的な強さを誇る男として描くのは構わないんだけどさ、そうなると終盤の大佐一味との戦いも、相手が銃を持っていようとヤンだけで充分じゃないかと思うのよ。
実際、圧倒的な強さを見せているので、最初からヤンだけで戦っていれば、住民は一人も死なずに死んだんじゃないかと思ってしまうぞ。

ヤンは登場した時点で「虚ろな目をした剣士」と紹介されており、「史上最強の剣士になることを人生の目的にしていた」「目的は達成したが、虚しさは晴れなかった」というナレーションが入るんだけど、ずっと虚しいのなら、そんな目的を捨てれば良かったんじゃないかと思ってしまう。
それと、ずっと虚しさを感じており、戦いに対して全く積極的な様子ではないので、「赤ん坊を殺せない」というところに感情の変化が見えない。赤ん坊を殺すことに対する苦悩や葛藤も感じないし、「赤ん坊の笑顔を見たことで、虚しかった心に一筋の明かりが灯った」という風にも見えない。
ハードボイルドにやろうとしているのは分かるけど、あまりにもヤンの感情表現が乏しすぎる。
「幼い姫君の笑い声が男の心に響いた」というナレーションだけでは、ちっとも伝わらない。

それと赤ん坊の首根っこを掴んで無造作に持ち運んでいるので、すんげえ危なっかしい。
ロードに行く時も、棒に縄を付けて、それで赤ん坊を吊り下げている状態なのよね。
赤ん坊の笑い声で「こいつを守ってやろう」という目的意識を持ったはずなのに、ちっとも可愛がろうという意識が見えないのよ。
ヤンを「クールな戦士」として見せたいのは分かるけど、それでも赤ん坊はちゃんと抱いて運ぶべきだわ。それが嫌なら、乳母車的な物を用意しようぜ。

ロードの町は、いかにも「セットでござい」という見栄えになっている。
あそこまでセット感が丸出しってことは、たぶん意図的にやっているんだろうと思う。ひょっとすると、ファンタジーとしての色合いを出そうという狙いなのかもしれない。
しかし、意図的であっても、そうでないにしても、どっちにしろ失敗だろう。
確かに寓話的な匂いの強い作品ではあるが、ロードの町に関しては、ちゃんと「アメリカ西部にありそうな場所」としての見栄えにしておいた方がいい。

ヤンを寡黙で渋くてハードボイルドな男に設定しているんだけど、ロードの町でリンやエイトボールと絡み、クリーニング店を引き継ぐようになると、ちょっとコメディー的なノリが入って来るんだよね。
どれだけ「俺は寡黙でクールで史上最強の戦士だぜ」という感じで振る舞っていても、洗濯屋の大将として客と接する様子なんかは、完全に喜劇の味わいなのよ。
これがアクション・コメディーであれば、そして「寡黙で渋く振る舞っているヤンが、周囲の人々のペースに巻き込まれて変化していく」という展開にするのであれば、それも構わないのよ。だけど実際は、最後までハードボイルド色に染めようとしているわけで。
だったら脇のキャラをコメディー・リリーフとして動かしたり、リンをお転婆娘として動かしたりするのはいいけど、ヤンを喜劇のノリに巻き込むのはダメでしょ。

ヤンがリンの家で蓄音機から流れて来るオペラに耳を傾けていると、「砂漠の果ての荒廃した町で、戦士は人並みの生き方を学び始めた」というナレーションが入る。そしてヤンがリンから洗濯の方法を教わる様子やギャンブルに参加する様子、畑仕事をする様子、髪を洗う様子などをチラッと見せて、「汚れ物を綺麗にする喜びや、負ける喜びも知った。仲間と共に働く幸せや、労働の後で疲れを癒やす穏やかな時間も知った。そして友人と一緒に見る夕日の美しさも。だが、何より学んだのは命を育てる喜びだ」という語りも入る。
ようするに、本来なら、「それまで史上最強を目指して戦いだけに生きて来た男が、町の人々と触れ合う中で人間らしい心を取り戻し、少しずつ変化していく」という経緯をドラマとして描くべきなのに、わずかなナレーションと短い補足映像だけで説明してしまうのだ。
それって、すんげえ雑だわ。もっと時間を掛けて、丁寧にやるべきトコでしょ。
なんで「ヤンが人間らしい心を取り戻し、町の人々と仲良くなった」ってのを3分にも満たないナレーションだけで淡白に済ませちゃうのよ。

ヤンがリンに刀の稽古を付けるシーンが、何となく「楽しいシーン」になっているのは見せ方として明らかに間違っている。
ヤンは戦いの中で人生を過ごして来たんだし、登場した時点で虚ろな目をしていたんだから、いかに戦いが虚しさに満ちているかを知っているはずだ。また、復讐を果たそうとするにしても、もちろん自分が死ぬ可能性だってあるし、かなり危険は高い。
つまり「練習を積んで刀の技術を向上させ、復讐に向けて準備を整える」ってのは、決して楽しいことなんかじゃないはずなのだ。
他のシーンで明るさや楽しさを醸し出すのは別にいいとして、そこに明るさや楽しさを持ち込んじゃいけない。

っていうか、そもそもヤンが最初からリンの復讐に手を貸すような形になっていることからして、大いに引っ掛かるんだよな。
繰り返しになるが、ヤンは戦いの中で虚しさを感じ、ロードの人々と触れ合う中で人間らしい心を取り戻したはずだ。だったら、戦いに対して消極的になるべきなんじゃないか。
つまり、「戦いは虚しいだけだ」などとリンに復讐心を忘れるよう説いて、それでもリンの怒りや悲しみが深いことを知り、彼女から頼まれたので、「だったら戦いには否定的だけど、とりあえず稽古は付けてあげよう」という流れにした方がいいんじゃないかと。
踏むべき手順を飛ばしている印象を受けるんだよな。

「戦士が幼い子供を殺せなかったために組織を裏切る形となる」というのも、「戦士が人々と触れ合う中で人間らしい生き方に目覚める」というのも、使い古されたパターンだ。
しかし、使い古されているからダメというわけでもない。
キャラクターを深いトコまで掘り下げたり、人々との交流を充実させたり、心理描写を繊細で丁寧にやったりすれば、「ベタだけど質の高いドラマ」として仕上がる可能性は充分に考えられる。
しかし本作品は雑にやっているので、「既視感に満ち溢れた出来の悪い映画」でしかない。

「安らぎを知った戦士が再び戦いに身を投じる」という展開はベタではあるけれど、この映画が使っているプロットだと他に選択肢が無いし、それは一向に構わない。
ただし、赤ん坊の笑い声が心に響いたことでヤンが組織を裏切って戦いを捨てているんだから、それ以降の展開は彼と赤ん坊の関係を軸にして進めて行くべきなのだ。それは「ヤンが赤ん坊を守るために戦う」という形にするのが最もベタで分かりやすいけど、赤ん坊を重視するなら他の形を取っても構わない(他の形は全く思い付かないけど)。
ところが実際には、ロードに到着して以降、赤ん坊は全く必要性の無い存在に成り下がっているのだ。それはダメだろ。
ヤンがロードで暮らし始めた後は、リンとの関係が重視されているのよね。恋愛劇を入れるのは構わないけど、赤ん坊との関係を捨て去って、その代わりにリンとの関係を描くのはダメだろ。リンを重視するにしても、だったら「赤ん坊を含めての疑似家族」として描くべきだ。
例えば「組織は対抗勢力の最後の生き残りである赤ん坊を始末しようと目論んでいる。リンは赤ん坊に愛情を抱いくようになっており、ヤンだけでなく彼女も命懸けで赤ん坊を守ろうとする」という形にでもすりゃいいだろう。

それと、「リンの復讐劇」という要素が入って来ることで、問題が生じている。
戦士の過去が「心に傷を負って戦いを捨てた」というだけなら何の問題も無いのだが、彼は組織に追われる身だ。だから、そこに決着を付ける必要があるし、実際に組織が捜索している様子が描写されている。
だったら、「組織との決着」に向けて話を進めるべきなのだ。
そして、「組織との決着」に向けて道を進んでいくのあれば、「リンの復讐劇」ってのは邪魔になる。そこは全く別の話だからだ。
リンの復讐相手も悲しき笛であれば、分かりやすいけど、そうじゃないからね。

そこを上手く絡ませようとする方法はあって、例えば「悲しき笛と大佐の一味がヤンを倒すために結託する」とか、「実は大佐の背後に悲しき笛の存在があった」とか、とにかく2つの組織を同じ目的に向けて動く一味として合体させてしまえばいい。
しかし、そういう作業は行われない。
その結果、どういうことになっているかというと、終盤に入って三つ巴の戦いが行われる展開が待ち受けてるのだ。
だが、その三つ巴の戦いは、構図として成立していない。

何しろ、ロードの住民や大佐の一味にとって、悲しき笛は何の関係も無い組織だ。
そして悲しき笛にとって、ロードの住民や大佐の一味は全く関係の無い連中だ。
ロードの住民が「ヤンに協力して悲しき笛と戦おう」と考えているわけではない。大佐の一味が「悲しき笛は邪魔だから始末しよう」と目論んでいるわけではない。
互いのベクトルが向けられていない状態で、三つ巴の戦いが勃発しているのだ。
だから、そこの三つ巴は、構図として上手く成立していないのだ。ただ散らかっているだけなのだ。

(観賞日:2015年2月14日)

 

*ポンコツ映画愛護協会