『くるみ割り人形と秘密の王国』:2018、アメリカ&カナダ
ヴィクトリア朝時代、クリスマス・イヴのロンドン。クララ・シュタールバウムはニュートンの運動法則を利用した仕掛けを屋根裏部屋に作り、弟のフリッツと一緒に実験する。実験は成功し、2人は見事にネズミを捕獲した。しかしシュタールバウム家の料理人が来て屋根裏部屋の扉を開けたため、ネズミは逃げ出した。姉のルイーズはフリッツからクララに誘われてネズミ獲りをしていたと聞き、「クリスマス・イヴにネズミ獲りなんて」と顔をしかめた。
父のベンジャミンはツリーを用意して待っていたが、フリッツは「お母さんの飾り方と違う」と指摘した。ベンジャミンは亡き妻のマリーから託されていたプレゼントがあると明かし、子供たちに渡す。兵隊人形を貰ったフリッツは無邪気に喜び、すぐに遊び始める。ルイーズは母が気に入っていたドレスを貰い、頬を緩ませた。クララが受け取ったのは卵型の箱だが、鍵が掛かっていて開けられなかった。箱には母の手紙が添えられており、そこには「必要な物は全て中にある」と書いてあった。
父はクララを心配し、「箱のことは明日に回して、パーティーの準備をしよう。クリスマスを楽しもう」と促した。クララが「楽しみたくないのよ。今はそういう気分じゃない」と言うと、「気持ちは分かるが、家族の伝統を守るのも大切なことだ。周りの期待に応えないと」と彼は説く。クララは苛立ち、「周りの期待はそんなに大切?」と反発した。
ルイーズから「現実を受け入れる努力をしないと」と諭されたクララは、「現実の世界なんて、もう何の意味も無い」と口にする。卵型の箱を虫眼鏡で観察した彼女はDの文字を見つけ、名付け親のドロッセルマイヤーが作った物ではないかと推測した。一家は支度を済ませ、パーティーが開かれるドロッセルマイヤーの屋敷へ馬車で赴いた。邸内では舞踏会が盛大に開かれていたが、クララはそこを通り過ぎて地下の作業場へ向かった。
ドロッセルマイヤーと会ったクララは、彼の発明品を見せられる。「回転の動きが逆になる原因が分からない」と言われたクララは、原因を指摘して修正した。クララが卵型の箱を差し出すと、ドロッセルマイヤーはマリーにプレゼントした物だと教える。マリーは幼くして親を亡くし、ドロッセルマイヤーの家で養育されていた。最初の頃は部屋に閉じ篭もって本ばかり読んでいたが、やがて自分を信じてくれるようになったとドロッセルマイヤーは語った。
ドロッセルマイヤーはクララに、「お母さんが恋しいだろう。私もだ。お父さんも、どれだけ辛い思いをしているか」と話した。クララは「お父さんが気にするのは世間体だけ」と不満を漏らすと、ドロッセルマイヤーは「いや、お父さんも君と同じ気持ちのはずだ」と述べた。彼は「これは特に開けるのが難しい鍵だ」と言い、箱を返した。子供たちにプレゼントを配る時間が来たため、ドロッセルマイヤーは地下室を出た。屋敷中に張り巡らされたロープには番号札が結び付けられており、それを子供たちが辿ればプレゼントが手に入るようになっていた。
クララはベンジャミンに見つかり、「どこへ行っていたんだ?一緒に踊りたかったのに」と言われる。「本当に踊りたくないの」とクララが告げると、ベンジャミンは「なぜだ?お前は自分のことしか考えないのか」と説教する。クララは腹を立て、「お父さんに同じことを訊きたい」と反論した。クララはロープを辿って屋敷を歩き回り、くるみ割り人形を手に入れたフリッツと遭遇した。廊下を歩いていたクララは、雪深い森に迷い込んでしまった。すると巨大なモミの木が立っており、クララは鍵が吊るしてあるのに気付いた。
ドロッセルマイヤーの仕掛けだと推理したクララは、鍵を手に入れようとする。しかしネズミが鍵を奪い、凍り付いた川を渡って向こう岸に逃亡する。クララは追い掛けようとするが氷が割れそうになったため、橋を使おうとする。橋の近くには見張り小屋があり、くるみ割り人形に似た黒人兵士のフィリップが眠っていた。クララが頬に触れるとフィリップは目を覚まし、剣を抜いた。フィリップが止まるよう命じたので、クララは橋を渡りたいのだと説明した。
フィリップは「第4の国に渡るには摂政の許可が必要だ」と言い、ここはクリツマスツリーの森で橋の向こうにある第4の国は他の3つの国と戦争中だと語る。クララがマリーの娘だと知ったフィリップは、慌てて許しを求めた。彼はクララを「女王陛下の娘」と呼び、何でも命令してほしいと告げる。第4の国に行く必要があるのだとクララが言うと、フィリップは馬を連れて同行した。森に入ったクララは、鍵を盗んだネズミを見つけて追い掛ける。しかし彼女はネズミの群れが作り出した巨大な王に襲われ、フィリップに救われた。そこに第4の国のマザー・ジンジャーが現れ、フィリップから「すぐに戻ろう」と促されたクララは承諾した。
ジンジャーはクララに気付いて「鍵は私が持っている」と言うが、フィリップは「あれは罠だ。もし行ったら二度と戻って来られない」とクララに告げた。彼はクララを馬に乗せ、宮殿へ向かった。門番たちは不遜な態度を取るが、フィリップからクララの正体を聞いて狼狽した。宮殿に通されたクララは、巨大な母の肖像画が飾られているのを目にする。クララはフィリップに案内され、花の国のホーソーン、雪の国のシヴァー、お菓子の国のシュガー・プラムという3人の摂政と面会した。マリーとの再会を待ち望んでいた3人は、クララから彼女の死を知らされて驚いた。
シュガーたちはクララを王女として歓迎し、祝宴を開くと言い出す。クララが「おじさまのパーティーに戻らないと」と遠慮すると、3人は時の流れが異なると言う。クララからマザー・ジンジャーのことを訊かれたシュガーは、元々は第4の国の摂政だったが追放されたことを教える。ジンジャーは力ずくで他の国を支配しようと目論んだことが露呈して民に見放され、第4の国は荒廃したとシュガーは説明する。彼女はクララを案内し、巨大な装置に入った。それはドロッセルマイヤーの家にあった時計と似ていたが、大きさが全く違った。クララがシュガーに促されて巨大時計の台に乗ると、歯車が回転した。すると台が移動してドロッセルマイヤーの家に戻るが、パーティー客の動きが異常に遅かった。シュガーはクララに、時間の進み方が違うのだと説明した。
クララは第4の国に戻り、シュガーは彼女が祝宴で着るドレスや髪飾りを選んだ。祝宴が盛大に催され、バレエが上演される。シュガーはクララに「お母様が4つの国を見つけた。その物語がバレエになっている」と解説した。ステージではバレエダンサーが華麗に踊り、王女が花の国、雪の国、お菓子の国を順番に発見する物語を演じた。第4の国を発見する場面になるとネズミが登場し、シュガーは「ここから災いが始まった」と口にした。
シュガーは「マザー・ジンジャーが戦争を始めた。貴方なら止められるかも」と言い、バレエが終わるとクララを別の場所へ連れて行く。彼女はクララに、「マリー女王の存在が歯止めになっていたけど、今の私たちは完全に無力。私たちはオモチャの人形だったの。お母様が来て、私たちに命を与えてくれた。」と語る。彼女はクララにマリーが作った巨大エンジンを見せ、「お母様はこれで私たちを人間にしてくれた」と話す。そして、もうすぐジンジャーが軍隊を率いて攻め込んで来ること、自分たちも巨大エンジンで軍隊を作って対抗するしか手が無いことを語る。しかし鍵が見当たらないため、巨大エンジンは動かなくなっているのだと彼女は言う。
鍵穴を見たクララは、卵型の箱と同じ鍵で開けられると確信した。フィリップはシュガーに、ジンジャーの手下であるマウスミクスが鍵を奪ったのだと知らせた。ジンジャーに奪われた鍵を奪還するため、クララは第4の国へ行くことを決意した。寝室で眠りに就こうとした彼女は、生前のマリーから「私が子供の頃に見つけた国を思い出すわ」と言われた時のことを思い出した。窓の外にフクロウが現れるのを見たクララは、屋上に出た。彼女は母がいない寂しさを感じ、「近くにいて導いてほしかった」と弱音を吐いた。
翌朝、クララはシュガーが選抜した兵隊に加え、志願した門番たちを率いて第4の国に向かう。日暮れになってから一行が第4の国に入ると、霧が出ていた。すると森には落とし穴が彫ってあり、ネズミの大群が出現した。兵隊は散り散りに逃げ出し、クララはサーカス小屋でジンジャーに捕まる。フィリップが手下の道化たちと戦っている間に、クララはジンジャーの隙を見て鍵を入手した。ジンジャーは「その鍵は危ない。戻りなさい」と叫ぶが、クララは無視してフィリップと共に逃走した。ジンジャーは「私たちの未来はあの子に懸かってる」とマウスミクスに言い、宮殿へ行くよう指示した。
クララが鍵を使って卵型の箱を開けると、ただのオルゴールだった。答えが見つからずに落胆したクララは、フィリップに鍵を渡して家に帰ろうとする。「僕らには君が必要だ」とフィリップが言うと、「必要なのは母でしょ。私じゃない」と彼女は告げる。しかしフィリップが「君の居場所はここだ」と励ますと、王国を救うために協力する気持ちを取り戻した。彼女はシュガーの元へ戻り、鍵を渡した。するとシュガーは興奮し、エンジンを作動させた。
シュガーがブリキの兵隊人形を部下に運ばせると、フィリップは「あいつらは中身が空っぽで使えません」と進言する。しかしシュガーは「だから私の命令通りに動く。完璧な兵隊よ」と言い、スイッチを押して人形を人間に変身させた。シュガーが兵隊に「進軍の準備」と命じると、クララは「王国を守るための準備でしょ?」と困惑する。シュガーは「攻撃は最大の防御よ」と悪びれず、クララに「貴方は用済みよ」と言い放つ。彼女はクララとフィリップを衛兵に拘束させ、「マリーは私たちを見捨てた。私は好きなようにやらせてもらう」と告げた。
シュガーはジンジャーと他の摂政の命を奪い、王国を支配しようと企んでいたのだ。塔に幽閉されたクララは、フィリップに「家へ帰ろうとしていたのに、貴方が止めたから何もかもダメになった」と厳しい言葉を浴びせる。落ち込んだ彼女はオルゴールを触り、鏡が付いているのを見つけた。「必要な物は全て中にある」という母の言葉を思い出した彼女は、それが「自分の中にある」という意味だと気付いた。クララはフィリップに謝罪し、シュガーの計画を阻止するために動き出す…。監督はラッセ・ハルストレム&ジョー・ジョンストン、映画原案&脚本はアシュリー・パウエル、原作はE・T・A・ホフマン&マリウス・プティパ、製作はマーク・ゴードン&ラリー・フランコ、製作総指揮はサラ・スミス&リンディー・ゴールドスタイン、共同製作はジェレミー・ジョンズ&アリソン・ベケット&マーク・ウェイガート、撮影はリヌス・サンドグレン、美術はガイ・ヘンドリックス・ディアス、編集はスチュアート・レヴィー、衣装はジェニー・ビーヴァン、視覚効果監修はマックス・ウッド、視覚効果プロデューサーはマーク・ウェイガート、音楽はジェームズ・ニュートン・ハワード、バレエ音楽『くるみ割り人形』はピョートル・イリイチ・チャイコフスキー。
出演はキーラ・ナイトレイ、マッケンジー・フォイ、エウヘニオ・デルベス、モーガン・フリーマン、ヘレン・ミレン、ミスティー・コープランド、ジェイデン・フォーラ=ナイト、マシュー・マクファディン、リチャード・E・グラント、セルゲイ・ポルーニン、エリー・バンバー、オミッド・ジャリリ、ジャック・ホワイトホール、ミーラ・サイアル、トム・スウィート、マリーをアンナ・マデレイ、マックス・ウェストウェル、アーロン・スマイス、グスタヴォ・デュダメル、ニック・モハメッド、チャールズ・ストリーター他。
E・T・A・ホフマンの児童文学『くるみ割り人形とねずみの王様』とバレエ作品『くるみ割り人形』を基にした作品。
監督は『マダム・マロリーと魔法のスパイス』『僕のワンダフル・ライフ』のラッセ・ハルストレムが務めたが、スケジュールの都合で再撮影に参加できず、その部分は『ウルフマン』『キャプテン・アメリカ ザ・ファースト・アベンジャー』のジョー・ジョンストンが担当した。
シュガーをキーラ・ナイトレイ、クララをマッケンジー・フォイ、ホーソーンをエウヘニオ・デルベス、ドロッセルマイヤーをモーガン・フリーマン、ジンジャーをヘレン・ミレン、王女役のバレリーナをミスティー・コープランド、フィリップをジェイデン・フォーラ=ナイト、ベンジャミンをマシュー・マクファディン、シヴァーをリチャード・E・グラント、お菓子の国の騎士役のバレエダンサーをセルゲイ・ポルーニンが演じている。冒頭、クララはピタゴラスイッチ的な仕掛けを用意しており、それを動かしてフリッツに解説する。ネズミを捕獲し、2人は喜ぶ。つまり、そこでの2人は「楽しく暮らしている」という状態に見える。
しかし設定としては、少なくともクララは「母を亡くしたばかりで悲しみを引きずっている」という状態なのだ。だったら、それを先に示した方がいい。
「明るく振る舞っているけど実は喪失感を抱えている」という風に見せるやり方も、もちろん作品によっては有効だろう。
でも、この映画では喪失感のアピールを優先すべきだ。そして、例えば「独りになった時に悲しみの表情を浮かべるが、父や弟の前では明るく振る舞う」という形にでもした方がいい。屋根裏部屋のシーンが終わると、しばらく「クララが暗い顔をしている」という時間帯が続く。父からクリスマスを楽しむよう言われると、「楽しみたくないのよ。今はそういう気分じゃない」と言う。
だけど、そういう気分じゃない奴が、ネズミ捕獲作戦を楽しそうにやっていたのかと。
最初に楽しそうな様子を見せておいて「楽しむ気分じゃない」と否定されても、「さっきのアレは何なのか」と言いたくなる。
そういう余計な引っ掛かりを生まないためにも、「だったら見せる表情の順番が逆じゃね?」と思うんだよね。序盤、クララはベンジャミンから「周りの期待に応えないと」と言われ、「周りの期待はそんなに大切?」と反発する。踊るのを嫌がって「自分のことしか考えないのか」と責められると、「お父さんに同じことを訊きたい」と批判する。
で、これを最終的に「クララも悪い」ってことで処理しているんだよね。
でも、それは絶対に違うでしょ。クララが母を亡くした悲しみで塞ぎ込んでいるのなら、ベンジャミンは父親として、彼女に寄り添ってあげるべきでしょ。
それなのに、パーティーで一緒に踊ることを求め、「周りの期待に応えろ」と説教するのは、どう考えたって父親失格だ。
「ベンジャミンも悪いけど、クララも悪い」という問題でもないぞ。クララは屋敷の中を歩いていたのに、いつの間にか雪深い森に出てしまう。彼女は見つけた鍵をネズミに奪われ、追い掛けていく。
そんな展開を見ている時に感じたのは、「これって『くるみ割り人形』っていうか、『不思議の国のアリス』っぽくねえか?」ってことだった。
もちろん厳密に言うと、全く違うのよ。でも、なんか類似したモノを感じてしまうのよ。『くるみ割り人形』と『不思議の国のアリス』を組み合わせたような、そんな雰囲気を感じてしまうのよね。
「異世界に迷い込んで不思議な体験をするのに、クララがそんなに驚かずに順応する」という辺りも、なんかアリスと似ているし。ハリウッドでは「ホワイト・ウォッシング」に対する批判を避けるため、異なる人種の役者を積極的に起用することが増えている。しかし、人種差別への批判に対して過剰に敏感になってしまい、それが違和感に繋がるというケースも生まれている。本来は白人の役なのに黒人でリメイクする「ブラックウォッシング」という現象も起きている。
この映画にも、それが見られる。なんと、フィリップを演じるのが黒人のジェイデン・フォーラ=ナイトなのだ。
でも、フリッツがクララに見せたくるみ割り人形は、黒人じゃなかったわけで。そこに黒人を起用するのは変だろ。
そこに白人を起用しても、誰も文句なんか言わないっての。クララはネズミの王に襲われても、「すぐに戻ろう」というフィリップに反発して「鍵を取り戻さないと」と言う。しかしジンジャーが現れて「私の国に侵入したのは誰?」と口にすると、フィリップに「そうね、今すぐ戻らないと」と告げる。
もちろん「ジンジャーを見て怖くなったから」ってのは、段取りとしては分かるのよ。
でも、ネズミの王に襲われて怖い目に遭っても、鍵を取り戻す気持ちは揺らいでいなかったはずで。
それなのに、なぜジンジャーを見た時は「すぐに逃げなきゃ」ってことになるのか。祝宴のシーンではバレエダンサーのミスティー・コープランドやセルゲイ・ポルーニンたちが登場し、バレエが披露される。それを使って、クララの母が4つの国を発見したことや、第4の国が災いが起きたことを説明する。
だけど、そこでバレエを挿入することが、本当に必要なのかと言いたくなる。
そりゃあ原作はバレエ作品として有名になっているし、そういう意味では自然な流れと言えるのかもしれない。だけど、それなら全体を通して「バレエ」を軸にした構成にすればいいはずで。
そこだけ急にバレエを入れるのは、厳しい言い方をすると「余計な道草」であり、「時間の浪費」だ。あと、バレエのシーンに関連して、「説明がめんどくせえ」ってのを強烈に感じてしまうんだよね。
バレエの中では、マリーが4つの国を発見したことが説明される。その後、ネズミが登場するシーンがあってバレエが終了すると、シュガーが「オモチャの人形だったけど、マリーがエンジンで人間にしてくれた。でもジンジャーが軍隊を率いて攻め込んで来る」ってなことを説明する。
そこが「無駄に面倒な設定だなあ」と感じるんだよね。
もう少し整理した単純な設定に出来なかったものかと。もしくは、設定はそのままでいいから、もう少し時間を掛けて少しずつ設定を解きほぐしていく形にするとかさ。
まあ全体の尺を考えると、その時間は無いだろうけど。クララが鍵を奪還するため第4の国へ向かうのは、映画開始から50分ほど経過した辺り。本編の尺が90分ぐらいなので、もう半分を過ぎてからってことになる。
これは全体の構成を考えると、始動が遅いと言わざるを得ない。
ただ、それはあくまでも「ジンジャーが敵」という設定で最後まで貫くことを想定しての意見だ。ここから「実は本当のワルはシュガーだった」という展開に突入すると、状況は大きく変化する。
ただし、「それなら今までの文句は全て無かったことに」とか、「時間配分は何の問題も無い」とか、そういうことではない。別の問題が生じるだけだ。その問題を具体的に言うと、「もっとめんどくせえ」ってことになる。
前述した設定だけでも充分に面倒だったが、「善玉と思っていた奴が悪玉で、悪玉と思っていた奴が善玉で」という捻りを加えたことで、余計に面倒なことになっている。
そこはシンプルでいいわ。そんな程度で、ストーリーの面白さが格段に上昇しているわけでもないし。
そこで申し訳程度に面白さを出そうとするよりも、物語は単純でいいからファンタジーとしての映像表現に凝った方が、遥かに映画の質を向上させられたと思うぞ。そもそも、「ヒロインが母の死を乗り越える」という話として作り変えたのが失敗で、そこを『くるみ割り人形』をベースにした物語の中で上手く消化できていない。
それと、クララの母がシュガーを生み出したのなら、彼女を悪玉のままで終わらせちゃダメだろ。
「マリーに捨てられた」という思い込みから寂しさを感じて暴走するのは許容するにしても、「反省して改心する」という形で善玉に戻してやるべきでしょ。
そうじゃないと、生前のマリーや「クララにとってのマリーの思い出」まで否定することに繋がっちゃうんじゃないか。(観賞日:2020年10月11日)