『きみがくれた物語』:2016、アメリカ

トラヴィス・ショウは花を摘み、病院を訪れた。医者のライアン・マッカーシーは、「愛する人への贈り物?」とトラヴィスに問い掛ける。「彼女に会いに来た」とトラヴィスが言うと、ライアンは「そうするのが君のためにもなる」と述べた。7年前、ノースカロライナ州ウィルミントン。獣医のトラヴィスはプレイボーイで、気に入った女性には片っ端から声を掛けて口説く。友人のベンとマットは既に結婚しているが、トラヴィスは独身生活を楽しんでいる。
その日もトラヴィスが女性を口説いていると、モニカがやって来た。モニカはトラヴィスの元カノで、2人は付き合ったり別れたりを繰り返していた。ある日、トラヴィスがベンたちを呼んでバーベキューをしていると、大音量の音楽を耳にした隣人のギャビーが外に出て来た。彼女は不愉快そうな表情を浮かべて屋内に戻るが、トラヴィスは全く気付いていなかった。その夜、またトラヴィスが外で大音量の音楽を流したので、腹を立てたギャビーは抗議に出向いた。
トラヴィスが全く悪びれずに口説き始めたのでますますギャビーは憤慨する。彼女は音楽だけでなく、愛犬のモリーをトラヴィスの飼っているモビーが孕ませたと非難する。トラヴィスが軽薄な態度を変えないので、ギャビーは声を荒らげる。ギャビーが「医学生だから妊娠は分かる」と言うと、トラヴィスは「親子でやってる動物病院が街にある」と告げた。家に戻ったトラヴィスは妹のステフからギャビーのことを問われ、「ただの隣人だ。イラつく女だ」と吐き捨てた。
ギャビーは病院でマッカーシー医師の研修を受けており、その息子であるライアンと婚約している。モリーを動物病院へ連れて行った彼女は、獣医のシェップに診察してもらう。やはりモリーは妊娠しており、3人の子供を1ヶ月後に出産することを彼女は聞かされた。そこへトラヴィスが現れ、ギャビーは彼がシェップの息子だと知った。トラヴィスは「6ヶ月前のモビーはシェルターに避難していた」と言い、無実だと告げた。彼が「一緒に飲んで仲直りしよう」と提案すると、ギャビーは「お断り」と冷たく拒絶した。
トラヴィスがベンたちと夜の遊園地へ遊びに行くと、モニカもやって来た。モニカはギャビーを見つけると、トラヴィスに「2人にしてあげる」と告げて立ち去った。ギャビーがトラヴィスに声を掛けられて少し喋っていると、ライアンが来たので紹介する。そこへモニカが戻って来たので、トラヴィスは彼女を紹介した。ライアンはギャビーと両親でゴルフを楽しんだ後、アトランタへ出張した。トラヴィスはステフから、「どうやらモニカとヨリを戻したらしいわね。今回は彼女も腰を据えるらしいわ。家も借りて菜園を作っているらしい」と告げられる。「何か言いたそうだな」とトラヴィスが探りを入れると、ステフは「兄さんのチャンスは隣家にある。手に入れるのは大変」と軽く笑いながら述べた。
その日の深夜、ギャビーはトラヴィスの家へ行き、「子犬の件よ。様子がなの」と助けを求めた。トラヴィスはモリーの子宮が破裂したことに気付くが、無事に出産させた。彼はギャビーに、「名前は付けるな。別れが辛くなる」と助言した。トラヴィスはモリーの検査が必要だと言って病院へ連れて行き、ギャビーは礼を言った。トラヴィスは仲間とボートで遊びに出る時、モニカを呼ばずにギャビーを誘う。家に戻ったトラヴィスはギャビーを夕食に誘うが、断られてしまった。しかしギャビーは1人でポーチに座って酒を飲むトラヴィスの様子を見ると、自分から夕食に誘った。彼女は恋心を吐露してしまい、トラヴィスのキスを受け入れた。2人は激しく体を求め合い、翌朝を迎えた。
ギャビーはライアンからの留守電メッセージを聞くと顔を強張らせるが、トラヴィスとデートに出掛けて楽しく過ごした。トラヴィスはステフと父の3人で誕生日を祝う時、ギャビーも家に招いた。ギャビーはシェップの誕生日だと思っていたが、「私ではなく、彼らの亡き母であるキャサリンの誕生日だ」と聞かされる。シェップは彼女に、「トラヴィスが14歳の時、彼女は癌で死んだ。私は聖書にのめり込み、トラヴィスは反発した」と語った。トラヴィスは1人になりたい時に訪れる場所へギャビーを案内し、星と月を見せた。
ライアンは予定より早く出張から戻り、ドックサイドにギャビーを呼んで両親と夕食を取った。たまたまドックサイドへ1人で来ていたトラヴィスは、その様子を目撃した。彼はライアンたちに挨拶し、その場を去った。慌ててギャビーが追い掛けると、トラヴィスは「彼に全て打ち明けるか」と質問する。「分からない、どうすれば?」とギャビーが言うと、彼は苛立ったように「休暇中に火遊びを楽しんだお嬢様は、リッチな恋人の元へ戻るわけだ」と告げる。「何も知らないくせに」とギャビーが反発すると、トラヴィスは「君を愛してる。この関係を続けたい。ライアンに全て打ち明けよう」と告げる。しかしギャビーが泣きながら「分からない」と言うので、彼は「もういい、分かった」と告げて立ち去った。
後日、ギャビーはトラヴィスに、「ライアンに全て話して激怒された。だけど次の日にプロポーズされた」という内容の手紙を届けた。トラヴィスはモニカから、「私より彼女が好きなのね。プライドは捨てて。女なら誰でも戦う男を望んでる。彼女も貴方を思ってる」と告げられる。トラヴィスはギャビーの自宅へ押し掛け、「君を愛してる」と言う。ギャビーは「私は愛してない」と拒絶するが、両親は自分の気持ちに嘘を付くなと促す。トラヴィスがプロポーズすると、ギャビーは素直な気持ちになってOKした。2人は結婚して3人の子供に恵まれるが、予期せぬ出来事が待ち受けていた…。

監督はロス・カッツ、原作はニコラス・スパークス、脚本はブライアン・サイプ、製作はニコラス・スパークス&ピーター・サフラン&テレサ・パーク、製作総指揮はハンス・リッター、共同製作はダン・クリフトン、撮影はアラー・キヴィロ、美術はマーク・E・ガーナー、編集はジョー・クロッツ&ルーシー・ドナルドソン、衣装はアレックス・ボーヴェアード、音楽はマーセロ・ザーヴォス、音楽監修はマーガレット・フィリップス。
出演はベンジャミン・ウォーカー、テリーサ・パーマー、マギー・グレイス、アレクサンドラ・ダダリオ、トム・ウィルキンソン、トム・ウェリング、ブレット・ライス、ブラッド・ジェームズ、ジェシー・ボイド、ノリー・ヴィクトリア、アンナ・エンガー、アシュリー・ルコンテ・キャンベル、ルー・ルー・サフラン、ヴァンス・グリズウォルド、シャロン・ブラックウッド、マーティー・ストーンロック、ダイアン・セラーズ、ウィルバー・フィッツジェラルド、カラン・ホワイト、ブレット・ケリー他。


ニコラス・スパークスの小説『きみと歩く道』(『きみと選ぶ道』という邦題でも刊行されていた)を基にした作品。
脚本は『雨の日は会えない、晴れた日は君を想う』のブライアン・サイプ。
『マリー・アントワネット』や『ロスト・イン・トランスレーション』など多くの作品にプロデューサーとして参加してきたロス・カッツが、2014年の『Adult Beginners』に続いて2度目の劇場映画監督を務めている。
トラヴィスをベンジャミン・ウォーカー、ギャビーをテリーサ・パーマー、ステフをマギー・グレイス、モニカをアレクサンドラ・ダダリオ、シェップをトム・ウィルキンソン、ライアンをトム・ウェリング、ライアンの父をブレット・ライス、ベンをブラッド・ジェームズ、マットをジェシー・ボイド、リズをノリー・ヴィクトリア、メーガンをアンナ・エンガー、メアリーアンをアシュリー・ルコンテ・キャンベル、ケイティーをルー・ルー・サフランが演じている。

ニコラス・スパークスの原作はアメリカ映画界で高い人気を誇っており、これまで1999年の『メッセージ・イン・ア・ボトル』を皮切りに本作品まで11作品が映画化されている。
その大半は芳しい評価を得られていないのだが、興行的には成功するケースの方が多いので、人気が衰えないんだろう。
映画会社にとって何よりも大切なのは、「後々まで残る高い評価」じゃなくて「その時に稼げる価値」だからね。例え多くの評論家からボロクソに叩かれたとしても、大ヒットすれば勝ちだからね。
で、この映画だが、評価が芳しくないだけでなく興行的にも失敗したので、完全に負けだ。

もちろん意図的に描いているのだが、序盤のトラヴィスはクソ野郎だ。
単に「プレイボーイで色んな女を口説いている」というだけなら、それを「クソ野郎」とイコールで繋げようとは思わない。
そうではなく、彼の態度や発言が何かに付けてクソ野郎なのだ。
迷惑を掛けても悪びれずに口説き落とそうとする態度も、軽薄な言葉も、全てが不快指数を高めている。一応はユーモラスなテイストで描いているのだが、何の手助けにもなっていない。

ただし最初の印象を悪くしておけば、ちょっと改善されただけでも良く見えるという効果が出る可能性はある。というか、そもそも「最初は嫌な奴だったけど、少しずつ違う面が見えていき、どんどん好感度が上がって行く」ということを狙っているのは最初から分かり切っている。
なので、こっちとしては「そのお手並みを拝見しましょう」という気持ちで観賞を続けることになる。
しかし困ったことに、表面上は予想された通りの段取りを踏んでいるのだが、充分な結果は伴っていない。
その理由は、「ずっとトラヴィスが不愉快な奴だから」ってことではない。好感度を少しずつ上昇させていくための手順を踏まず、雑に処理しているからだ。

もう1つの大きな問題として、「トラヴィスとギャビーが惹かれ合っていく理由がサッパリ分からない」ってことが挙げられる。
遊園地で偶然に遭遇した時点では、まだ互いに好意など全く無いはずだ。特にギャビーなどはトラヴィスの嫌な部分しか見ていないし、そもそもライアンとラブラブ状態だしね。
ところがシーンが切り替わり、ギャビーが自宅から船の手入れをするトラヴィスとモニカの様子を眺める様子が描かれた時、どう考えても「ギャビーがトラヴィスを意識している」という表現になっているのだ。
でもギャビーがトラヴィスを意識する要素なんて何も無かったはずなので、どういこうとなのかと困惑してしまう。

そこから次のシーンに入ると、今度は「トラヴィスが自宅のポーチで椅子に座り、ギャビーとライアンの様子を眺める」という様子が描写 される。そして今度は、「トラヴィスがギャビーを意識している」という表現になっているので、これまた困惑させられる羽目になる。
「最初は互いに嫌な感情しか無かったが、次第に気持ちが恋愛感情へと変化していく」というベタベタな恋愛劇をやるのは、別に構わない。
ただ、それは使い古されたパターンなので、何かしらの仕掛けや捻りを用意するなり、心情の変化を丁寧に描いて上質に仕上げるなり、かなり神経を使った作業が求められる。
ところが本作品は心情が変化していく経緯を雑に処理しているのだから、そりゃあ低品質になってしまうのは当たり前だ。

ステフはトラヴィスがモニカとヨリを戻すことに賛同しておらず、「兄さんのチャンスは隣の家にある」とギャビーとくっ付くことを推奨する。
だけど、そこまでにステフは、ギャビーを1度しか見ていない。それもトラヴィスの大音量に怒ってギャビーが抗議し、言い争いをしている様子を目撃しただけだ。
それなのに「ギャビーとカップルになるべきだ」と主張するのは、どういう理由なのか全く理解できない。
モニカとの交際を快く思わないとしても、「ギャビーがいい」ってのは不自然で強引すぎる。

モニカの存在意義は、最後まで全く分からない。
トラヴィスはモニカと付き合ったり別れたりを繰り返している設定だが、ギャビーと知り合った後は、まるでモニカへの恋心なんて見えない。ギャビーと親しくなる一方でモニカとも付き合いが続くとか、ギャビーに気持ちが行くけどモニカから積極的にアプローチされるとか、そういう描写も無い。
そもそもトラヴィスとギャビーの距離が近付くと、モニカは全く登場しなくなるのだ。そして忘れた頃になってようやく再登場すると、あっさりと別れてくれるどころか後押しまでしてくれる。
別の意味で、ものすごく都合のいい女になっている。

ギャビーは初めてトラヴィスの仲間と遊びに出掛けた時、ステフから兄の印象を問われて「人を引き付ける。お人好しなところもあっ 魅力的。女は全てを捧げちゃう。彼も女性が離れられないほど多くの物を与えるけど、関係が深まると怖じ気付く」と評する。
それは「ギャビーが的確にトラヴィスの性格を見抜いているので、ステフは大変だと感じる」ってことを表現するための台詞なのだが、それよりも気になるのは「もうギャビーはトラヴィスに好意を抱きまくりじゃねえか」ってことだ。
いざとなると怖じ気付くと評してはいるものの、人を引き付けるだの、魅力的だのと、ギャビーはトラヴィスを絶賛している。でも、その直前のシーンでトラヴィスは好感度を上げる行動を取っただけなのに、ものすごく安易だと感じる。
トラヴィスの方は、モニカとは付き合ったり別れたりを繰り返している関係だし、そもそも他の女を口説きまくっていた奴だから、ギャビーに惹かれるようになっても、まあ理解できる。しかしギャビーの方は、ライアンと婚約しているし、ラブラブな状態で出張を見送っていたはずなのに、なぜトラヴィスから誘われて遊びに出掛けるのかと。
あと、なんで精神科医でも心理学を学んだわけでもないのに、正確に分析できるんだよ。

ギャビーがライアンとの交際で自分を偽っていたとか、不満を抱いていたとか、そういうことでもないので、「トラヴィスと一緒に過ごすことに喜びを感じる」ってのが尻軽の浮気女にしか見えない。自分から夕食に誘うのも、段取りとしては理解できるが、納得はしかねる。
あえて擁護するなら「1人でいるトラヴィスが寂しそうに見えて同情した」という感情が考えられるが、だからって「婚約者を裏切っても仕方が無いよね」と思えるほどではない。
しかもギャビーは簡単にセックスまでしちゃうし、ライアンからの留守電メッセージを聞いても後悔してトラヴィスとの関係を断とうとはしない。まるで悪びれることなく、平気でトラヴィスとデートに出掛けたり再びセックスしたりする。
その時点でトラヴィスの不快指数は完全無くなっているけど、その代わりにギャビーがクソ女に成り下がってしまう。
ライアンを裏切ることへの罪悪感を全く抱かないって、どんだけ神経が太いのかと。

ドックサイドでトラヴィスが来た時にギャビーが顔を強張らせるのも、「彼が全て暴露したらヤバい」ってことであって、罪悪感はゼロだからね。
その後で「ライアンに全て打ち明けよう」と提案されて「分からない」と泣くけど、これっぽっちも同情心は湧かないぞ。
結局は全て打ち明けて別れているけど、それでリカバリーできるわけでもないし。
何の落ち度も無いライアンを、彼の出張中に平気で裏切ったという酷い行為は消えないからね。

映画開始から1時間15分ほど経過して、トラヴィスとギャビーは結婚する。まだまだ時間は残っているので、もちろん平穏無事で最後まで物語が進行するはずもない。
そしてニコラス・パークス大先生は、結婚式から5分ほど経過した辺りで、「ギャビーが交通事故に遭って意識不明の重体に陥る」という展開を用意する。
病気じゃなくて事故なので、もちろん何の予兆も無い。仕方の無いことではあるのだが、あまりにも唐突で脈絡の無い出来事に唖然とさせられる。
でも、それがニコラス・パークス節ってことなんだろう。

ギャビーが昏睡状態に陥った後、意識不明のまま90日目を過ぎると意識が戻る確率は統計的に1%以下であり、彼女が蘇生処置拒否指示の書類に署名していたことが明かされる。ライアンから承諾を求められたトラヴィスは、もちろん即答できない。彼の苦悩を描くのに時間を使うのは、当然の処置だ。
さて、どういう結末を用意するのかと思っていたら、たぶん誰も予想できないであろうゴールが待っていた。たぶん誰もが「署名する」「署名しない」の二択と思うだろうが、そうではなかった。
なんと「答えを出せずに悩んでいたトラヴィスが連絡を受けて病院へ行くと、ギャビーが意識を取り戻していた」というオチが待ち受けているのである。
前述した交通事故なんて何の問題も無いと思えるほど、唖然とさせられる展開である。

退院したギャビーは「2人で乗り越えた」と言い、泣いてトラヴィスと抱き合う。ハッピーエンドではあるのだが、ちっともハッピーな気持ちが湧かないという困った結末である。
冒頭でトラヴィスは、「大したことの無い選択が、人生を左右する大きな道を作っていく。1つの選択が道を作り、別の選択へ繋がる。人生を変えてしまう選択もある。今後の人生が、その選択に懸かっているのだ。僕は今、その選択に直面している」とモノローグを語っていた。ギャビーの手紙には、「人生は1つ1つの選択によって築かれると思う。様々な選択がある。正しいか間違っているかは関係ないわ。人生は待ってくれない。じっと座っていたら取り残される」と記されていた。
だったら、トラヴィスは絶対に何かしらの選択をしなきゃダメなんじゃないのか。
さんざんネタ振りをしておいて、「選択できずに悩んでいたら勝手に答えが出た」って、そこからどんなメッセージを感じ取ればいいんだよ。

(観賞日:2017年12月18日)

 

*ポンコツ映画愛護協会