『コードネーム:ストラットン』:2017、イギリス
英国の特殊舟艇部隊(SBS)のSBSのストラットンとマーティーは、潜水艦を出てイランの海岸に到達した。チームのカミングス、アギー、スピンクスは、2人の動きを離れた場所から観測していた。上陸したストラットンとマーティーはは連結部のポンプを通って、化学工場へ潜入しようとする。しかし水に含まれる腐食性物質で装備が損傷し、ボンベの酸素が途中で切れてしまう。2人は何とかポンプを突破するが、脱出プランの変更を余儀なくされた。
施設に人の気配が無かったため、ストラットンとマーティーは不審を抱く。爆弾を取り付けた2人は連絡を入れ、アギーがヘリコプターを脱出地点に送ることを伝える。施設を調べたストラットンたちは、職員が皆殺しにされているのを知る。まだ遺体は温かく、死んでから時間が経っていないと推測された。保管庫からは目的の化学物質が盗み出されており、嫌な予感を覚えたストラットンは脱出地点の再変更を要求した。敵集団の攻撃を受けたストラットンとマーティーは、応戦しながら車で逃走した。
2人はヘリコプターの到着を待ちながら銃撃戦を展開するが、マーティーが首を撃たれて重体に陥る。ストラットンはヘリコプターに乗り込むが、マーティーは助からなかった。ストラットンがマリーナに停めてある自分の船に戻ると、「もう終わりよ。二度と連絡しないで」という恋人の置手紙が残されていた。ストラットンは里親であるロスの元へ行き、一緒に酒を飲んだ。ロンドンの秘密情報部MI6本部へ赴いたストラットンは、ボスのサムナーと会う。勝手な作戦変更を謝罪したストラットンに、サムナーは「謝る必要はないわ。作戦はこれからが本番よ」と告げた。
ストラットンはアギー&カミングスと共に、敵に待ち伏せされた現場の映像を確認する。彼は集団のボスを特定するが、映像が鮮明ではないので顔は分からなかった。マーティーの後任として、ハンクという男が赴任した。ハンクはマーティーの部下だったこと、彼が恩人であることをストラットンに語った。昇進の話を断って着任したハンクに、ストラットンは「マーティーの仇討ちをするつもりならアメリカに帰ってもらう」と告げた。
サムナーはSBSの面々に、奪われたのが致死率の高いサタン・スノーと呼ばれる生物兵器であることを語った。ストラットンが組織のボスと特定した人物の顔写真を見た彼女は、MI6の諜報員6名を殺した元FSBのバロフスキーだと断言する。顔認識データにバロフスキーの情報は無かったが、それは20年前に死んだとされているからだ。サムナーはストラットンとカミングスだけを呼び出し、MI6が1995年の作戦で「バロフスキーは二重スパイ」という情報を流したこと、バロフスキーがFSBの暗殺者に始末されたはずであることを語った。
サムナーは現場をストラットンに任せ、MI6は援護役に回ることをカミングスに話す。バロフスキーの組織はウクライナでサタン・スノーを町に放出し、多くの犠牲者が出た。化学物質を爆弾に出来る人物として、アギーはタリク・アラウィーの名を挙げた。ストラットンたちはタリクを捕まえるため、ローマへ飛んだ。タリクを拉致したストラットンは、情棒を吐くよう要求した。タリクは余裕の態度で、拡散装置を作る仕事を受けたことを話した。
使う場所と時間を教えるようストラットンが要求すると、タリクは「私は金を貰って作るだけだ。後は関係ない」と言う。アギーはタリクの家族を撮影している映像を見せ、ネイビーシールズの狙撃手が息子を狙っていることを教える。脅しに屈したタリクは、グレコというドローンの製造者がいる作業場の場所を教えた。ストラットンとアギーは、タリクを始末して立ち去った。ストラットンとハンクはグレコの作業場に潜入して現場を撮影し、隠しカメラを取り付けて去った。
その夜、ストラットンたちが張り込んでいると、バロフスキーがグレコの作業場にやって来た。ハンクは「すぐに捕まえよう」と言うが、ストラットンは「生物兵器の場所が分かっていない」と止める。バロフスキーは隠しカメラに気付き、グレコが裏切ったと誤解して「誰が見てる?」と脚を撃つ。グレコは潔白を主張するが、バロフスキーは信じずに抹殺した。外へ出たバロフスキーは周囲を警戒し、見張っている人間を見つけ出そうとする。ストラットンはアギーに応援の要請を指示するが、ハンクが車を飛び出して発砲する。バロフスキーが車に乗り込んだのでストラットンは追跡するが、逃げられてしまった。
ストラットンはサムナーと会い、4機のドローンの内の1機しか回収できなかったことを報告した。彼が資料にあったセルゲイ・オルロフという人物について尋ねると、サムナーはバロフスキーの元上司だと教える。バロフスキーの暗殺を指示したオルロフは出世し、2ヶ月前には内務大臣に任命されている。彼はバロフスキーを匿い、活動資金を提供してイランの化学工場での行動も指示した。バロフスキーはオルロフを殺害し、生物兵器を手に入れていた。
ストラットンの指摘を受けたサムナーは、工作員だった頃にバロフスキーを失脚させる任務を受けて接触していたことを明かす。ハンクは作戦失敗の責任を感じ、任務を降りると言い出した。ストラットンは彼をマリーナへ連れて行き、ロスに会わせた。ロスはハンクに、施設に入っていた9歳のストラットンを引き取ったことを語った。スピンクスはドローンの飛行パターンを解析したが、座標は分からなかった。サムナーはロシアとの連携が必要だと考え、カミングスにモスクワへの呼び掛けを命じた。
オフィスに戻ったカミングスは、ボロフスキーから届いた封筒を見つけた。そこには「お前のボス、オルロフは死んだ。これからは内通者として私のために働いてもらう」というメッセージがあり、カミングスは極秘情報が入っているドローンの記憶装置を返すよう要求された。カミングスはサムナーに「モスクワと情報を共有する際、使える駒があります」と言い、捕虜にされているアメリカ人ジャーナリストのトーマス・ミラーの存在に触れる。カミングスはサムナーに、自分たちの情報とミラーを交換してはどうかと提案した。
ミラーがウズベキスタンで引き渡されることになり、ストラットンとハンクが現場へ赴いた。しかしボロフスキーの手下であるボロディンとヴォルコフがミラーを暗殺し、偽者を連れてストラットンたちの前に現れた。ストラットンとハンクは罠に気付き、ドローンの記憶装置と資料を受け取って自分たちを始末しようとするボロディンとヴォルコフを射殺した。ストラットンはカミングスが内通者だと睨むが、既に彼は姿を消していた。バロフスキーの標的がロンドンだと判明し、ストラットンたちは計画を阻止するために動き出す…。監督はサイモン・ウェスト、原作はダンカン・ファルコナー、脚本はダンカン・ファルコナー&ウォーレン・デイヴィス、製作はガイ・コリンズ&ポール・レヴィンソン&マシュー・ジェンキンス、製作総指揮はジブ・ポヒマス&マイケル・ライアン&フレッド・ヘッドマン、共同製作はサニー・ヴォーラ&マリア・ウォーカー、製作協力はアマンダ・カーリッジ&エドゥアルド・ブッシ&アラン・ルドフ&キンバリー・ファーガソン、撮影はフェリックス・ウィードマン、美術はジョナサン・リー、編集はアンドリュー・マクリッチー、衣装はステファニー・コーリー、音楽はナサニエル・メカリー。
主演はドミニク・クーパー、共演はオースティン・ストウェル、ジェマ・チャン、トーマス・クレッチマン、デレク・ジャコビ、コニー・ニールセン、トム・フェルトン、タイラー・ホークリン、イガル・ノール、ジェイク・フェアブラザー、リジー・ウィンクラー、リナット・キスマトゥーライン、オレガー・フェドロー、ユーリ・コロコルニコフ、イラン・グッドマン、トム・ベイリー、アゴスティーノ・デ・チェザリス他。
ダンカン・ファルコナーの冒険小説シリーズを基にした作品。
監督は『エクスペンダブルズ2』『ワイルドカード』のサイモン・ウェスト。
脚本は原作者のダンカン・ファルコナーとアニメーション映画『Night of the Living Dead: Darkest Dawn』のウォーレン・デイヴィス。
ストラットンをドミニク・クーパー、ハンクをオースティン・ストウェル、アギーをジェマ・チャン、バロフスキーをトーマス・クレッチマン、ロスをデレク・ジャコビ、サムナーをコニー・ニールセン、カミングスをトム・フェルトン、マーティーをタイラー・ホークリン、タリクをイガル・ノール、スピンクスをジェイク・フェアブラザーが演じている。冒頭、SBSについて「第二次世界大戦中、英国海軍によって秘密裏に結成された精鋭部隊。米国のネイビーシールズのモデルになった」という説明のナレーションが入る。
そこから本編に突入するので、もちろん我々はストラットンたちがSBSだと思って観賞する。実際、そのはずだ。
ところが、マーティーがストラットンに「それは俺たちアメリカ海軍のスローガンだ。お前らSBSの物じゃない」と言うシーンがある。そうなると、「おやっ?」ってことになる。
他の面々はSBSで、マーティーだけはネイビーシールズなのか。その作戦はSBS単独じゃなくてネイビーシールズと共同なのか。
そういう疑問が湧くが、その答えは用意されないまま、話が進んでしまう。その作戦が失敗に終わった後、ストラットンはMI6本部へ赴く。そこで彼はサムナーのことを、「ボス」と呼んでいる。
ストラットンはSBSのはずなのに、なぜMI6の人間がボスなのか。SBSはMI6の内部組織なのか。その辺りも良く分からない。
これは「日本人だから英国の組織のことが分からない」ってことじゃなくて、単純に説明不足じゃないかと思うんだよね。
そんなのは序盤のナレーションで少し触れるだけで、簡単に解決できる問題なんだし。さらに話が進んで敵のボスがバロフスキーだと判明した後、サムナーが「現場をストラットンに任せ、MI6は援護役に回る」と言うシーンがある。
この時、カミングスは「MI6は援護役ですか」と反発して、サムナーが「仲間割れしてる場合じゃない」と諌めている。
つまり、カミングスはSBSじゃなくて、MI6の人間ってことだ。なので冒頭の作戦もMI6とSBSの共同作戦で、だからストラットンがサムナーをボスと呼んでいたわけで。
そういう組織や人間の関係性が、無駄に分かりにくくなっているんだよね。マーティーを失ったストラットンが、船に戻って恋人の置手紙を見るシーンがある。その後、彼はロスの元へ行って酒を飲み、「辛いか」と問われて「ああ」と答える。
だけど、それだと「マーティーを失った悲しみ」と「恋人が去ったことに対する悲しみ」が無駄に混同してしまうでしょ。ロスがマーティーの死を知っているはずはないんだし。
どう考えてもストラットンはマーティーを失って心を痛めているわけで、そこに「恋人が去った」という手順を入れる必要性は皆無。
っていうか、すんげえ邪魔。マーティーが死んだ後、ストラットンが彼との思い出を回想するシーンが何度か挿入される。彼が従事している任務の遂行には何の関係も無いことなので、ちょっと不自然にも感じてしまう。
例えば「マーティーが死んだと思わせておいて、実は敵の一味やボス」という設定があるなら、伏線として回想シーンを入れておくのは分かる。でもマーティーはストラットンに看取られて死んでいるので、そういう設定があるはずもない。
もちろん、仲間が殺されたら、それを引きずるのは当然っちゃあ当然だ。
ただ、何度も回想を入れるほど、そこを強調するのは違うんじゃないかと。ストラットンはハンクに、マーティーの仇討ちをする考えを持たないよう説く。彼は「感情的になれば判断を誤ることになる。復讐心で暴走して人を巻き込むな」と話す。
でもマーティーの死を引きずる様子を過剰にアピールしているので、「お前が言うな」と言いたくなる。
「ハンクを諭しているように見えて、実は自分に言い聞かせている」という表現なのかもしれない。ただ、そうだとしても失敗している。
っていうか、もっと根本的な問題に触れちゃうと、「マーティーの死ってホントに必要なのか」と感じるんだよね。敵の待ち伏せで襲撃を受けて、でも何とか脱出できたという展開でも大して変わらないんじゃないかと。「マーティーの死」という要素は、少なくともストラットンの行動には、そんなに影響を与えていない。マーティーが生きていたとしても、「待ち伏せした奴らの正体を特定して撲滅しようとする」という展開には何の変化も無い。
ハンクが指示を無視してバロフスキーに発砲したせいで逃げられるという展開はあるけど、これも「マーティーの仇討ちに燃える」という要素が無くても成立させられる。
それだけでなく、ハンクが勝手な行動を取らなくても、「バロフスキーを捕まえようとしたけど逃げられた」というだけで済む。
そもそも、簡単に隠しカメラを発見されている時点で、大きなヘマだと感じるし。ハンクがアギーの前で、「マーティーの死はストラットンのせい」と思わせる言葉を口にするシーンがある。ではハンクがストラットンに憎しみや疑念を抱いているのかというと、そういう様子は無い。
前述したようにハンクはバロフスキーを狙って勝手な行動を取るが、それをストラットンが叱責して2人の関係性が変化するようなこともない。
そもそも、ハンクはマーティーの後任として登場するが、そこから「ストラットンとハンクのコンビ」に重点を置いて話を進めているわけでもないのだ。
ハンクはあくまでも「チームの一員」という扱いに留まっており、わざわざ「マーティーの後任」として配置しただけの存在意義は全く無いのだ。ハンクが任務を降りると言い出した時、ようやく「ストラットンの相棒」として少しだけフィーチャーされる。ただ、それもオマケ程度のモノであり、以降は再び「チームの一員」に戻る。
それと、ハンクが任務を降りると言い出すシーンの内容も、「それで正解なのか」と言いたくなるんだよね。
ストラットンは「付いて来い」と言うんだから、ハンクが考えを撤回するような行動を取るんだろうと思うでしょ。だけど実際は、ロスが「ストラットンを引き取って育てた」と話すだけなんだぜ。
それを聞いたハンクが「やっぱり任務を続けよう」と決める心情は、サッパリ分からんよ。一言で表現するならば、「凡庸の極み」である。どこからどう見ても、何から何までB級っぽさに満ち溢れている。
しかも、「B級だけど面白い」という映画もあるけど、これは「B級としてザ・凡庸」なのだ。
B級アクションでも、この手の作品はバカみたいに幾つも存在する。そんな中で、この映画が他より秀でているポイント、この映画ならではの特徴を挙げろと言われた時、何も見当たらない。
たぶん、っていうか確実に、1年も経たない内に内容を完全に忘れているだろう。世の中には「見ている時は楽しいけど、見終わって何も残らない」という映画もある。だけど、それはそれで、映画としての価値は充分にあると言っていい。
しかし本作品の場合、見終わって何も残らないだけでなく、見ている間も「楽しい」とは微塵も感じない。
見ている間は「凡庸だなあ、つまらないなあ」と思わせて、見終わった時には「印象に残るシーンは1つも無かったな」という感想になるのだ。
劇中の大半のシーンがアクションなのに、ここまで退屈に感じさせるってのは、逆に凄いぞ。特殊舟艇部隊(SBS)が主役の映画は、かなり珍しい。
ただし、そこがセールスポイントになるのかと言うと、答えはノーだ。ぶっちゃけ、「SBSならでは」と感じさせるポイントは、何も無いからね。
他の特殊部隊と何が違うのかって、それも全く分からないし。
任務や行動する場所が異なるんだろうとは思うけど、素人からすると「特殊空挺部隊(SAS)だろうがMI6だろうが、大差は無いんじゃないか」という程度の感覚でしかない。そして本作品を見ていても、「SBSだからこそ」の特徴や面白さは見出せない。ドミニク・クーパーはアクション俳優ではないし、格闘技の素養が備わっているわけではない。なのでアクション映画ではあるが、格闘系の動きは期待できない。
そっち方面の能力がある人なら、格闘アクションのシーンが売りになることもある。「シナリオも演出もドイヒーだけど、主演俳優の格闘アクションだけは素晴らしい」という風に、そこが救いになるケースもある。
でも、本作品は、そういうトコに面白味を見出すことすら出来ない。
他には、映像演出でケレン味を出して、そこを売りにするってことも可能だ。
だけど監督がサイモン・ウェストなので、そんな方向性があるはずもなく。あまりにもチープな出来栄えだったら、そこにツッコミを入れながら楽しむという観賞方法も可能だ。アンディー・シダリス大先生の映画ぐらい突き抜けてくれれば、そのバカバカしさを楽しむことも可能だ。
でも本作品は、そういう楽しみ方が出来るほどチープや荒唐無稽に傾いているわけではない。ただシンプルに、つまらないだけだ。
それでも何とか見所を探すなら、「トム・フェルトン」ってことぐらいだろうか。
『ハリー・ポッター』シリーズの熱烈なファンだった人に限定されるけど、「トム・フェルトンがこんな風に成長しましたよ」という姿を見ることが出来る映画、という程度の価値はある。(観賞日:2019年12月12日)