『コングの復讐』:1933、アメリカ
カールはコングが死んだ1ヶ月前の出来事で多額の負債を抱え、借金取りから逃げ回る日々を過ごしていた。彼は好意的なアパート管理人に借金取りを追い払ってもらうが、今度は女性記者が押し掛けて来た。被害者が訴えていることについてコメントを求められたカールは、「俺は一文無しだと書いてくれ」と頼んで帰らせた。そこへ中国人コックのチャーリーが現れ、エングルホーン船長の手紙を渡した。手紙を読んだカールは裏口からエングルホーンの元へ行こうとするが、令状送達人のミッキーが待ち伏せていた。
「また来たのか。これで15回目だ。今度は何だ」とカールが辟易すると、ミッキーは「39番街の建物破壊と、精神的被害と捻挫」と語る。カールが脱出の手助けを頼むと、彼は馬車に乗せて港へ向かった。カールが船でエングルホーンと会い、「いい計画があって呼んだ」と言われる。そこにミッキーが現れたので、カールは苛立って追い払おうとする。ミッキーは「忠告に来た。大陪審が起訴するそうだ」と教え、船を去った。
「大陪審に何が分かる。コングが暴れて殺された責任を取れというのか」とカールが言うと、エングルホーンは「私も同類さ。この船も差し押さえだ。だから急いでる。3時間で出る」と話す。彼が「東インドに貿易船の行かない穴場の港がある。稼げるぞ」と持ち掛けると、カールは同行を快諾した。船がダカンの港に到着すると、エングルホーンはカールを伴って上陸した。「地元の商人もいる。少しは荷があるかも」と彼は言い、カールはサルとアシカの音楽ショーをやっていると知って見物することにした。
サルの曲芸を見たエングルホーンは退屈そうな様子を見せるが、カールは拍手を送る。ピーターソン団長の紹介でステージに上がった歌手のヒルダは、ギターを弾きながら歌を披露した。エングルホーンは興味を示さなかったが、カールは「個性がある。ここじゃ勿体無い」と感想を口にした。ショーが終わって外に出たカールは、「彼女を連れて帰れば女優として売り出せる」と述べた。カールは知らなかったが、ヒルダはピーターソンの娘だった。彼女はピーターソンの飲み友達が頻繁に来ることを、快く思っていなかった。
深夜、ピーターソンはヘルストローム船長と酒を飲み、すっかり泥酔する。「金も無いのに、どうやって出て行く気だ?」と訊かれた彼は、「近い内に判事が来る」と答える。「それがどうした?腐ったショーなど見向きもしない」とヘルストロームが言うと、ピーターソンは「失礼な。大サーカスの団長だったこともある」と声を荒らげる。彼はヘルストロームに罵声を浴びせ、「保険金目当てで船を沈めただろ。船も仕事も免許も無いくせに」と指摘した。
ピーターソンが苛立って酒瓶を奪い取ろうとすると、ヘルストロームは彼を突き飛ばした。するとピーターソンは燭台を倒してしまい、藁に引火してしまう。ピーターソンは転倒した時に気絶しており、ヘルストームは大きくなった火を消せずに逃亡した。目を覚ましたヒルダは火事に気付き、急いでサルたちを逃がした。彼女は父を引きずって小屋の外へ運び、わずかな荷物を持ち出した。既に父は死んでおり、小屋は全焼した。
翌朝、カールはヒルダを見つけて声を掛け、火事でピーターソンが死んだことを知った。彼女の身の上話を聞いたカールは、「もっと自信を持て」と告げた。カールと別れたヒルダはヘルストロームと遭遇し、「父さんのことを聞いた。力になろう」と言われる。彼女は「貴方が殺したのよ。火事じゃなくて殴られて死んだ。判事に言うわ」と彼を睨み、その場を去った。酒場に出掛けたヘルストロームは、旧知のカールがエングルホーンと飲んでいるのに気付いて声を掛けた。そこでカールはエングルホーンに、「コングの島の地図をくれた男だ」とヘルストロームを紹介した。
ヘルストロームはカールがコングで大儲けしたと思い込んでおり、「分け前をくれよ」と軽く言う。しかしカールが幾つもの裁判を抱えて一文無しだと知り、「では船に乗せてくれ。出て行きたいんだ」と頼む。「お前の船は?」とカールが訊くと、ヘルストロームは「座礁した」と答えた。「オランダ領の連中は俺を嫌ってる。よそに行きたい」と彼が言うと、エングルホーンが「かなり掛かるぞ。インド洋は横断できない」と難色を示した。
カールはヘルストロームに「コングの島の宝はどうした?」と問われ、「聞いたことも無い」と告げる。財宝の話が事実だと知ったカールは「もう一度行ってみるのも悪くない」と言い、エングルホーンも同調した。カールはヒルダを訪ね、今夜中に出航することを伝える。「何かの足しになれば」と彼が金を渡すと、ヒルダは連れて行ってほしいと頼む。カールは「無理だよ。別の船が来るから頑張るんだ」と語り、彼女の元を去った。
出航した船の中で、エングルホーンはカールに「ヘルストロームは何か企んでる。コングの島へは行きたがっていなかった」と述べた。ヘルストロームは水夫長のレッドに、「前は大勢が死んだらしい。今度はライフルがあるから平気だ」と話す。チャーリーは密航していたヒルダを発見し、レッドに伝えた。レッドたちはヒルダを捕まえ、カールとエングルホーンの元へ連行した。エングルホーンが「送り返すわけにもいかない」と言ってヘルストロームを呼び寄せると、ヒルダは彼を睨み付けた。
その夜、ヘルストロームはヒルダと2人で話し、「あのことは黙ってろ。面倒があれば追い出すぞ」と脅した。カールはヒルダに、「何かあったか知らないが、仲良くやってくれ。勝手に乗ったんだから、面倒を起こさないように」と告げた。船が島に到着すると、船員たちが銃を構えて反乱を起こした。彼らは上陸を拒否し、船の乗っ取りを通告した。ヒルダはカールに、ヘルストロームに父を殺されたことを明かした。カール、ヒルダ、エングルホーン、チャーリーがボートに追いやられた後、ヘルストロームはレッドたちに指示を出す。しかし船員たちはヘルストロームをボスとして認めず、海へ投げ込んだ。
カールたちはヘルストロームを救助し、島へ向かった。一行が上陸すると原住民が現れるが、彼らは「コングを連れ出したせいで村は破壊された」と激怒していた。カールたちはボートに戻り、岸を離れた。一行は別の場所から島に上陸し、カールが「様子を見てくる」と言うとヒルダが同行した。2人が崖を登ると、コングの息子がいた。沼に落ちたコング・ジュニアが上がれずに困っているのを知ったヒルダは、助けてあげるようカールに促した。カールが木を倒すと、それを使ってコング・ジュニアは沼から脱出した。
コング・ジュニアが去った後、エングルホーン、ヘルストローム、チャーリーがカールとヒルダの元に来た。カールはエングルホーンだけに、コングの息子がいたことを知らせた。エングルホーン、ヘルストローム、チャーリーは食糧の調達に行き、トリケラトプスに遭遇した。トリケラトプスに襲われた3人は、慌てて岩場に逃げ込んだ。一方、彼らと別行動を取っていたカールとヒルダは、巨大な熊に遭遇した。カールはライフルを発砲するが、古い寺院の前に追い込まれる。ヒルダの悲鳴を耳にしたコング・ジュニアは現場に駆け付け、熊と格闘して撃退した…。監督はアーネスト・B・シェードザック、脚本はルース・ローズ、製作総指揮はメリアン・C・クーパー、製作協力はアーチー・マーシェク、撮影はエドワード・リンドン&ヴァーノン・ウォーカー&J・O・テイラー、編集はテッド・チーズマン、チーフ・テクニシャンはウィリス・オブライエン、音楽はマックス・スタイナー。
出演はロバート・アームストロング、ヘレン・マック、フランク・ライチャー、ジョン・マーストン、ヴィクター・ウォン、エド・ブレイディー他。
1933年の映画『キング・コング』の続編。
監督のアーネスト・B・シェードザック、脚本のルース・ローズは、前作からの続投。
カール役のロバート・アームストロングとエングルホーン役のフランク・ライチャー、チャーリー役のヴィクター・ウォンは、前作に続いての出演(ヴィクター・ウォンは前作ではアンクレジット)。前作でヒロインを務めたフェイ・レイは続投していない。
ヒルダをヘレン・マック、ニルスをジョン・マーストン、チャーリーをヴィクター・ウォン、レッドをエド・ブレイディーが演じている。『キング・コング』が大ヒットしたことを受け、プロデューサーのメリアン・C・クーパーや監督のアーネスト・B・シェードザックたちは、すぐに続編の製作を決めた。
しかし脚本のルース・ローズや特殊効果のウィリス・オブライエンは乗り気ではなく、前作に比べると取り組み方の熱は落ちた。
製作費は前作の半分以下に減額され、それに伴ってストップモーション・アニメーションの規模も小さくなっている。
撮影スケジュールは短く、前作から9ヶ月後の公開に漕ぎ付けている。前作の上映時間は100分だったが今回は69分なので、大幅に短くなっている。だったら、かなり早い段階でコングを登場させた方がいい。
100分の映画で開始から40分後にコングを登場させても、まだ60分も残っている。でも69分の映画だったら、残りは29分しか無いわけで。
つまり「開始から何分後」ってことじゃなくて、全体の尺を考えた上で「どのタイミングで、どういうイベントを発生させるか」ってことを考えるべきだと思うのだ。
この映画は、そこの計算を間違えている。
カールたちが上陸してコング・ジュニアを発見するのは、映画が始まってから約43分後。コングの島に到着するまでがダラダラと長いし、そこで描かれる内容には何の面白さも無い。邦題は『コングの復讐』だが、これは内容と全く異なっている。
そもそも前作でコングは死んでいるんだから、復讐なんて出来ないわけで。
いや、「実は生きていた」という強引な設定を用意するなり、「幽霊として復活する」というオカルト風味で味付けするなりすれば可能ではあるけど、そんな方法を製作サイドは採用していない。
原題は「The Son of Kong」で、そのまま日本語にすると『コングの息子』になる。この続編で登場するのは、前作で死んだコングの息子なのだ。息子ではあっても、「前作で死んだ父親の恨みを晴らす」という話にすれば、それは「復讐」ってことになるだろう。しかし製作サイドは 続編を作るに当たり、前作とは大きく違うテイストを持ち込んだ。
前作はモンスター映画であり、観客を怖がらせようとしていた。しかし今回は「コングが人間と仲良くなる」という部分に重点を置いており、すっかり子供向け映画と化している。
例えるなら、『ゴジラ』がシリーズ2作目で『怪獣島の決戦 ゴジラの息子』になるみたいなモンだ。
『キング・コング』の続編が子供向け映画になっちゃうのは、考え方として正解だとは到底思えない。『悪魔のいけにえ』の続編で、ホラーからコメディーに寄せちゃうぐらい間違っている。
ただ、それよりも大きな問題があって、それは「子供向け映画としてもクソほど面白くない」ってことなのだ。コングだってアンに惚れて仲良くなろうとしたんだから、コング・ジュニアが人間に懐く展開を百歩譲って受け入れるとしよう。しかし、それにしても懐く相手が違うでしょ。前作のアンやジャックならともかく、なんでカールに懐くんだよ。
そいつは前作でコングを捕獲し、ニューヨークで見世物にしようとした男だぞ。元を辿れば、コングが死ぬ原因を作った張本人だぞ。
そんな奴にジュニアが懐くのを、皮肉として描いているわけではないし。カールの悪行を知ったジュニアが、態度を変えて襲い掛かるわけでもないし。
そりゃあ、沼にハマっているジュニアをカールは助けているから、信頼して懐くってのは筋が通っているのよ。だけど前作を見ている人間からすると、「それで全てがチャラになるわけではないぞ」と言いたくなるのよ。冒頭でカールは、「連れて来なければよかった。コングが私の犠牲になった」と言っている。そんな台詞を語らせることで、前作で悪玉になっていた彼の印象を払拭しようとしているんだろう。でも、それ以降はコングの死に関する罪悪感を抱いている気配が全く見えないのよ。
そりゃあ起訴されたら大変なのは分かるけど、「大陪審に何が分かる。コングが暴れて殺された責任を取れというのか」と言っているし。
つまり、「コングが暴れて殺された責任なんて自分には無い」ってことでしょ。
「ヒルダを連れて帰れば女優として売り出せる」と口にするのも、まるで別問題かもしれないけど、何も反省していないように思えちゃうし。それでも基本的には、カールを善玉として動かそうとしている。何しろ今回の主人公なので、そりゃあ当たり前だよね。
だけど、やっぱり前作で悪いことしかやっていない奴をベビーフェイスにターンさせるってのは、ものすごく無理があるのよ。
前作で主人公のジャックを演じたロバート・アームストロングが続投を拒んだとしても、代わりがカールってのは無いでしょ。続編なので前作の出演者を出来るだけ続投させたいってのは分かるけど、だからってカールが主人公ってのは無いでしょ。
こいつは脇に回しておいて、新キャラを主役にすれば良かったんじゃないかと。カールが財宝があると知って何の迷いも無くコングの島へ向かうのは、もちろん「無一文だから金が必要」ってことではあるのよ。
だけど、相変わらずの山師根性って感じが強いし。
実際、島に着いてコング・ジュニアと仲良くなった後も、財宝を手に入れることにばかり意識は向いているし。
ヘルストロームという新たな悪役を登場させることで、前作で植え付けられたカールの印象を払拭しようとしているのかもしれないけど、それが成功しているとは到底言い難い。あと、「ヒルダの悲鳴でコング・ジュニアが駆け付けて巨大な熊と戦う」というシーンがあるんだけど、そうなると「ヒルダにも懐いている」ってことになるよね。だったら、懐く相手はヒルダだけで良くないか。
「それだと前作と同じ」と思うかもしれないけど、そこは大きく異なる。
前作のコングは、ヒロインを「自分の女」として支配しようとしていた。しかし今回のジュニアに、そういう感情は無い。
だからヒルダとは「飼い主とペット」、もしくは「母親と息子」みたいな関係を築けるはずなのだ。
あと今回はユーモラスな描写が多いから、そういう意味でも前作とは大きく異なるし。終盤、唐突に大きな地震が発生し、島が崩れ始める。
「誰かが何かをやったから地震が起きた」みたいな手順は何も踏んでおらず、ただ話を畳むために強引極まりない御都合主義に頼っているだけだ。
ヒルダ、エングルホーン、チャーリーはボートで脱出するが、カールは島に取り残される。しかし島が沈む中で、コング・ジュニアが彼を抱え上げて何とか助けようとする。
そしてヒルダたちのボートが通り掛かり、カールを助ける。こうしてカールたちはボートで無事に脱出するのだが、コング・ジュニアは取り残されて島と共に沈む。カールはコング・ジュニアに3度も命を救われ、宝石の発見にも手を貸してもらったのに、見捨てているわけだ。
助けられる状況ではないから、見捨てるのは仕方がないだろう。しかし、せめてジュニアの死に対して、何か反応しろよ。
船に救助されてから「チビのことを考えている」とは口にするけど、それだけで終わりだ。
それはヒルダも同様で、「コング・ジュニアが可哀想」なんてことは微塵も考えない。そして2人の恋愛模様を描く手順に入って、映画は終わってしまう。
こいつら、最低である。(観賞日:2020年10月18日)