『子猫になった少年』:1991、アメリカ&イギリス

犬のパトゥーたちと農場で暮らすニワトリのシャンテクレアは、超一流の歌い手だった。彼の農場での役割は、その美しい歌声で太陽を起こすことだった。だが、ある日の夜明け前、よそ者のニワトリが農場へ現れてシャンテクレアに襲い掛かる。ニワトリを差し向けたのは、シャンテクレアの存在を疎ましく思っていたフクロウの公爵だった。シャンテクレアは勇敢に戦って勝利するが、まだ歌わない内に太陽が昇った。太陽を昇らせていたのは自分の声ではなかったと知り、シャンテクレアは落胆した。農場の動物たちから詐欺師呼ばわりされたシャンテクレアは、仕事を求めて町へ去った。やがて雨が降り始め、公爵がのさばり始めた。
幼い少年のエドモンドは、寝室で母のドリーからシャンテクレアの物語を読み聞かせてもらっていた。彼は質問する際、公爵の眼鏡を指で押さえた。公爵がシャンテクレアを排除しようと企んだ理由について彼が尋ねると、ドリーは「フクロウは暗い場所や雨が大好きなのよ」と教えた。父のフランクが2人の元へ来て、豪雨が続いて農場に危険が迫っていることを話した。フランクは砂袋を積んで農場を洪水から守るため、長男のスコットと次男のマークに手伝わせることにした。エドモンドが手伝いを志願すると、「大きい子だけでいいのよ」とドリーはベッドで眠るよう促した。
エドモンドは不満を抱きながら物語の続きを1人で読み、シャンテクレアがいれば農場は助かると考えた。エドモンドはドリーが堤防の決壊に気付くのを見ると、大きな声でシャンテクレアを呼んだ。すると近くの木に雷が落ち、エドモンドの寝室には公爵が現れた。公爵は眼鏡を潰したことを指摘し、エドモンドを食べる考えを明かす。公爵は巨大化し、エドモンドを子猫の姿に変貌させた。エドモンドは公爵に連れ去られそうになるが、そこへパトゥーが駆け付けて助けた。
エドモンドが懐中電灯で照らすと、公爵は慌てて逃亡した。エドモンドは自分が猫になっていると知り、「どうしよう」と激しく狼狽する。パトゥーの仲間であるネズミのピーパーズが姿を見せると、エドモンドは無意識の内に食べようとしてしまった。パトゥーはカササギのスナイプスなど多くの動物たちと共に、町を目指していた。動物たちはシャンテクレアに謝罪し、農場に戻って来てもらおうと考えていた。エドモンドは町の場所を知っており、ピーパーズに挑発されて案内役を引き受けた。そこへ大水が流れ込み、多くの動物たちはベッドに飛び乗って避難する。エドモンド、パトゥー、ピーパーズ、スナイプスはオモチャ箱に乗り、町へ向かって出発した。
公爵はアジトに手下たちを集め、パトゥーとエドモンドを見つけて退治するよう命じた。公爵の甥のハンチはアジトに戻り、パトゥーたちの動きを報告した。ハンチと手下たちがオモチャ箱を襲撃すると、エドモンドはピーパーズたちにカメラのフラッシュを使わせた。一味を撃退したエドモンドたちだが、下水道に飲み込まれてしまった。箱は転落の衝撃で壊れるが、一行はドラム缶に乗って町に着いた。ハンチはアジトに戻り、パトゥーたちを下水道に落として始末したと報告する。公爵は彼の愚かしい勘違いに激怒し、「奴らを殺すまで戻って来るな」と命じた。
町に入ったエドモンドたちはシャンテクレアを捜索するが、なかなか見つからなかった。しかし休憩中に劇場の看板を見たピーパーズは、キングという名でショーに出ている歌手がシャンテクレアだと気付いた。シャンテクレアは大人気のスターとなり、観客を熱狂させていた。マネージャーのピンキーがシャンテクレアを見つけ、スターに育て上げたのだ。女性歌手のゴールディーは、彼の人気に嫉妬していた。ゴールディーがコーラスを務めることに不満を吐露すると、ピンキーは「嫌なら辞めろ」と冷たく告げた。
ショーを終えたシャンテクレアは大勢のボディーガードに守られ、専用機で飛び去った。彼は友達が1人もいない生活に寂しさを感じており、農場を懐かしんだ。エドモンドが農場に電話を掛けると、ブタのスチューイが受話器を取った。スチューイは懐中電灯が切れそうだと焦り、早くシャンテクレアを連れ戻してくれと頼む。スチューイは受話器を投げ捨て、慌てて仲間の元へ戻る。農場へ来ていた公爵は受話器を拾い上げ、エドモンドを脅すような言葉を浴びせて電話線を引き千切った。
公爵は手下であるピンキーに連絡し、絶対にシャンテクレアとエドモンドたちを喋らせるなと命じた。エドモンドたちはシャンテクレアに手紙を書き、ウエイターに届けてほしいと頼んだ。ピンキーはゴールディーに公爵から命じられた仕事を説明し、シャンテクレアを誘惑するよう要求した。エドモンドたちは用心棒に捕まりそうになり、慌てて逃げ回る。エドモンドはステージで熱唱するシャンテクレアに手紙を渡し、そのまま逃亡した。しかしピンキーの指示を受けたゴールディーがシャンテクレアを誘惑し、手紙を奪い取った。
シャンテクレアはビル屋上に用意した憩いの場でゴールディーと楽しく過ごす。ただしゴールディーはシャンテクレアに本気で恋をしてしまい、そこはピンキーの予定外だった。エドモンドは映画でシャンテクレアと共演するゴールディーのトレーラーに侵入し、協力を要請する。しかしゴールディーは「今すぐ出て行って」と悲鳴を上げ、エドモンドを追い出した。エドモンドと仲間たちはピンキーの一味に捕まり、ゴールディーは責任を感じた。
シャンテクレアはゴールディーから、エドモンドたちが来ていることを知らされる。ピンキーは手下にシャンテクレアを拘束させて脅迫し、捕まえた仲間を助けたければ指示に従うよう要求した。シャンテクレアは撮影用のバイクにゴールディーを乗せ、スタジオから飛び出す。そのまま彼はトレーラーへ突っ込み、監禁されていたエドモンドたちと会う。そこへピンキーの一味が追って来たので、エドモンドたちは慌てて逃げ出した…。

監督はドン・ブルース、原案はドン・ブルース&ジョン・ポメロイ&デヴィッド・スタインバーグ&デヴィッド・N・ワイズ&T・J・クエンスター&ゲイリー・ゴールドマン、脚本はデヴィッド・N・ワイズ、製作はン・ブルース&ゲイリー・ゴールドマン&ジョン・ポメロイ、製作総指揮はジョン・クエステッド&モリス・F・サリヴァン、共同監督はゲイリー・ゴールドマン&ダン・クエンスター、製作協力はサド・ウェインレイン、プロダクション・デザイナーはデヴィッド・ゴーツ、アート・ディレクターはドン・ムーア、追加台詞はT・J・クエンスター、音楽はロバート・フォーク、歌曲はT・J・クエンスター。
声の出演はフィル・ハリス、グレン・キャンベル、エディー・ディーゼン、クリストファー・プラマー、サンディー・ダンカン、ウィル・ライアン、チャールズ・ネルソン・ライリー、エレン・グリーン、ソレル・ブーク他。
出演はキャスリン・ホルコム、トビー・スコット・ギャンガー、スタン・アイヴァー、クリスチャン・ホフ、ジェイソン・マリン他。


『ニムの秘密』『アメリカ物語』のドン・ブルースが監督を務めた作品。
脚本は『天国から来たわんちゃん』でもドン・ブルースと組んだデヴィッド・N・ワイズ。
エドモン・ロスタンの舞台劇『東天紅』から着想を得ている。
パトゥーの声をフィル・ハリス、シャンテクレアをグレン・キャンベル、スナイプスをエディー・ディーゼン、公爵をクリストファー・プラマー、ピーパーズをサンディー・ダンカンが担当している。ドリーをキャスリン・ホルコム、エドモンドをトビー・スコット・ギャンガー、フランクをスタン・アイヴァー、スコットをクリスチャン・ホフ、マークをジェイソン・マリンが演じている。

言わずもがなだろうが、シャンテクレアたちが登場するパートがセルアニメで、エドモンドと家族のパートが実写だ。エドモンドの前に公爵が現れるシーンは、実写とアニメの合成。そしてエドモンドが子猫に変身させられると、そこからは背景も含めた全てがアニメになる。
その融合が上手く行っているとは到底思えないが、それはひとまず置いておこう。
気になるのは、まず急に公爵が巨大化する展開だ。「エドモンドよりサイズが小さいと怖さが乏しい」ってことなんだろうけど、そこだけ都合良く特殊能力を使うのは安っぽい。
さらに気になるのは、「なぜ子猫?」ってことだ。公爵は「子猫にした方が肉が食べやすいだろう」と言うけど、フクロウは人間も猫も食わないだろ。どうしてもエドモンドを子猫に変身させたいのなら、もう少し上手い理屈を用意しようよ。

原題の「Rock-a-Doodle」は、シャンテクレアの「ロックを歌うニワトリ」という設定から来ている。そのキャラは、明らかにエルヴィス・プレスリーを意識している。また、公爵もシャンテクレアを嫌う理由として、「ロックンロールが大嫌いだ」と言っている。
ただ、冒頭でシャンテクレアが披露する歌って、ジャンル的にはカントリー・ロックなのよね。
いや、もちろんカントリー・ロックもロックではあるけど、どちらかと言えば「カントリー」としての色が濃い歌なのよ。
それで「ロックンロールを歌うニワトリ」という設定だと、なんか半端じゃないかと。「農場で暮らしてカントリー・ロックを歌う」って、そんなにスペシャリティーを感じないし。

しかも、これって1991年の作品だからね。なんで今さらエルヴィス・プレスリーなんだろう。
もっと時代に合わせたロックンロール、当時の流行に合わせた音楽にしておいた方がいいんじゃないかと思うんだよなあ。ホントに1991年の作品なのかと思うぐらい、そこに古臭いセンスを感じてしまうんだよねえ。
そこは「ファミリー映画なので、最近の音楽にするのはどうなのか」という判断だったのかな。
まあ適当に書いてみたものの、まるでワケの分からん理屈だけど。

エドモンドは家族が洪水対策に奔走する中、「シャンテクレアがいればいいんだ」と言い出す。彼は絵本の「シャンテクレアが去ってから雨が降り始めた」という文章を読んで、そういう考えに至ったわけだ。
なので理屈は分かるが、「幾らファミリー映画でも、ちょっと強引じゃないかな」とは言いたくなる。
さらに引っ掛かるのは、彼がシャンテクレアの名を呼んだ途端、落雷と共に公爵が現れること。
いや、なんでだよ。「公爵はエドモンドがシャンテクレアの名を呼んだこと自体を問題視した」ってことならともかく、そうじゃないからね。
彼はエドモンドを食べようと目論んでいるんだけど、その目的と登場のタイミングが上手く結び付いてくれないわ。

ゴールディーはシャンテクレアが人気スターになっていることに嫉妬し、ピンキーに抗議する。
しかしシャンテクレアに対して敵対心を燃やすことは無いし、ピンキーから計略を持ち掛けられると反対している。そしてシャンテクレアを誘惑する仕事は仕方なく引き受けるが、本気で惚れてしまう。
でも、それならシャンテクレアの人気に嫉妬している最初の設定は要らなくないか。
ピンキーからの扱いに不満を抱いているだけで良くないか。

エドモンドは町に着いた後、農場へ電話を掛けている。そこで彼はスチューイと電話で話し、「もうすぐ明かりが切れそうだ」と焦った様子で言われている。公爵から脅しの言葉も浴びているし、電話線は切断されている。
なので、農場に残った動物たちが危機的状況に追い込まれていることは理解できるはずだ。
しかし、それを受けてエドモンドたちが「可及的速やかに問題を解決しないと」という必死の思いで行動を起こしているようには、到底思えない。
だったらエドモンドが農場と電話で話した意味は何なのかと。

エドモンドはピンキーの一味から逃亡する時、ピーパーズに指示されてトレーラーを牽引するキャデラックを運転する。
彼はピーパーズからトレーラーを切り離す仕事を頼まれるが、「出来ないよ」と怖がって尻込みする。ピーパーズが「この意気地なし」と罵って動くが、投げ出されてピンチに陥る。
ここでエドモンドは幻想に見舞われ、「お前は意気地なし」と色んなキャラから嘲笑される。すると彼は「僕は意気地なしじゃない」と腹を立て、一味と戦うために戻る。
でも、そこまでのエドモンドが常に臆病者だったわけでもないので、唐突に「それまでは意気地なしだったのが勇気を出して」という展開を用意されてもピンと来ないよ。

シャンテクレアからするとエドモンドは「誰か全く知らない奴」でしかないので、そこの関係で終盤のドラマを作られても気持ちが乗っていかない。
エドモンドが太陽を昇らせるために鳴くよう頼んでも、シャンテクレアにしてみりゃ「初めて会った奴に言われても」という話でしょ。実際、公爵のせいで鳴けなくなったシャンテクレアが声を取り戻すのは、仲間たちの励ましがきっかけだし。
なのでエドモンドって、実は「要らない子」なのよね。
だから「死んだと思われていたエドモンドが、太陽の光と共に人間の姿に戻る」というのをアニメパートのラストに持って来られても、「最後までシャンテクレアとの関係性は薄っぺらいままだったな」としか感じない。

公爵が登場してエドモンドを子猫に変身させた時点で感じるのは、「これって夢オチなのかな」ってことだ。
その直前、エドモンドは早く寝るようドリーに言われてベッドに入っていた。その流れからすると、「公爵が出現したのも、子猫に変身したのも、全て夢でした」というオチに辿り着きそうな匂いがプンプンと漂って来るのだ。
あまりにも安易だし、幾らファミリー映画とは言えヌルすぎる子供騙しにも思えることは確かだ。
でも完全ネタバレを書くと、その予想通りの結末が待ち受けている。

もはやジャンルを問わず、最も避けるべき夢オチを雑で安易に使っていることに対しては、まあ良しとしよう(ホンマはアカンねんで)。
ただ、「シャンテクレアは本当に太陽を昇らせる力を持っていた。彼が鳴いたから太陽が昇った」という形で締め括るのは、どう考えてもダメだわ。
冒頭で「彼と太陽の動きは無関係」と証明したくせに、なんで「そうじゃなかった」というトコに収束してんのよ。そうじゃなくて、「太陽を昇らせる力は無いけど、それでも農場の動物たちにとって彼は大事な仲間」というトコに収まるべきじゃないのか。
そうじゃないと、「動物たちがシャンテクレアに戻ってほしいのは、彼の能力が欲しいから」ってことになっちゃうでしょ。

(観賞日:2021年7月29日)

 

*ポンコツ映画愛護協会