『キスへのプレリュード』:1992、アメリカ
科学関連の出版社で課長をしているピーターは、友人テイラーの部屋で開かれたパーティーの場で、不眠症のリサと出会った。翌日、ピーターはリサがバーテンをしている店に行き、彼女を部屋まで送った。2人は一夜を共にして、付き合うようになった。やがてピーターはリサにプロポーズし、結婚式を挙げることになった。
ピーターとリサの結婚パーティーが開かれている現場に、1人の老人が現れた。老人は娘夫婦の家に同居していたが、パーティー会場に紛れ込んでしまったのだ。老人からキスをさせてほしいと告げられた花嫁姿のリサは、それを承諾する。
だが、リサと老人がキスをした瞬間、2人の中身が入れ替わってしまった。新婚旅行に出掛けたピーターは、リサが以前とすっかり変わってしまったことに戸惑う。やがて老人が乗り移ったリサは実家に戻り、父を通じてピーターに離婚の意思を告げる。老人と再会したピーターは、リサと老人の中身が入れ替わったことに気付く…。監督はノーマン・ルネ、原作&脚本はクレイグ・ルーカス、製作はマイケル・グラスコフ&マイケル・I・レヴィー、共同製作はクレイグ・ルーカス&ノーマン・ルネ、製作総指揮はジェニファー・オグデン、撮影はステファン・チャプスキー、編集はスティーヴン・A・ロッター、美術はアンドリュー・ジャックネス、衣装はウォーカー・ヒックリン、音楽はハワード・ショア。
出演はアレック・ボールドウィン、メグ・ライアン、シドニー・ウォーカー、キャシー・ベイツ、ネッド・ビーティー、パティ・デューク、スタンリー・トゥッチ、リチャード・リール、ロッキー・キャロル、デブラ・モンク、レイ・ギル、ウォード・オーマン、アニー・ゴールデン、フランク・カリロ、サリー・マーフィー、サリー・リチャードソン、ヴィクトリア・ハース、フェーン・パーソンズ他。
クレイグ・ルーカスの戯曲を彼自身が脚本化した作品。
ピーターをアレック・ボールドウィン、リサをメグ・ライアン、老人をシドニー・ウォーカー、老人の娘をキャシー・ベイツ、リサの父をネッド・ビーティーが演じている。この映画の最大の欠点は、バランスが悪いということにあると思う。
まず冒頭から、ピーターとリサの出会い、そして2人の恋愛模様から結婚を決めるまでが、たっぷりと時間を掛けて描かれる。
そして結婚式が始まるまでに、映画の前半を消費してしまう。
そこは短くして、もっと早い段階でリサとピーターを入れ替わらせるべきだろう。
出会いから結婚までをノッペリと綴るのではなく、いきなり結婚式のシーンから初めて、それまでの経緯は回想の形でダイジェストで見せても構わないぐらいだ。一方、ピーターとリサの描写に比べて、入れ替わるまでの老人の描写は少ない。
これもバランスが悪い。
結婚式での入れ替わりシーンまでに、ピーター&リサと同じぐらいの分量で、老人の人物像や周囲の状況を見せておくべきだったと思う。キスによる入れ替わりシーンまでに老人の生活風景が描かれていないから、女性の体を手に入れて、何の罪悪感も無く、やりたい放題になっている老人の姿を見ても、彼の気持ちに入っていくことが難しくなっている。
後から説明があるが、それは先にしておくべきことだろう。この作品ではピーターが語り手を務めており、主人公は彼になっている。
だが、2人の入れ替わりに気付かないピーターを通して話を見せようとしても、観客はキスの直後には入れ替わったことに気付いている。
だから、ピーターの視点には立てない。ピーターの視点で物語を描くことの弊害として、老人の体になってしまったリサが、入れ替わった後でどうしていたのかということが、ピーターと再会するまで描かれない。
そもそも、彼女が自分はリタだと主張する場面が無いのも奇妙だし。中身が入れ替わるのは老人とリサなのだから、ピーターよりもリサの方が語り手としてはふさわしかったのではないだろうか。
いや、というよりも、そもそも今作品は、ストーリーの語り手など必要としていないタイプの映画だったのではないだろうか。そんな風に感じる。ピーターがリサの体になった老人と一緒にいる間は、老人の体になったリサは全く姿を見せない。そして老人(中身はリサ)がピーターと一緒に過ごすようになると、今度はリサ(中身は老人)が完全に消える。
そこは並行して、2人の様子を描くべきだろう。この映画には、おそらく老人とリサの中身が入れ替わることによって巻き起こる事態の面白さを見せる意図は無くて、そのことを通して男女のあり方や結婚について問い掛けるという恋愛ドラマとして作られているんだろう。
ただ、そのテーマが曖昧模糊としている。
だから、ただの冴えないハートフル・コメディーのようにしか思えない。