『かぞくモメはじめました』:2012、アメリカ

アーティー・デッカーは野球チーム「フレズノ・グリズリーズ」の実況を担当し、シーズン最終戦を迎えた。オーナーに呼び出された彼は、チームを一新するのに伴って解雇すると通告された。若返りを図るオーナーにとって、フェイスブックを全く更新せず、アプリやゲームに全く興味の無いアーティーは要らない存在だった。彼が失意の中で帰宅すると、妻のダイアンが近所の主婦たちと一緒にポールダンスのレッスンを受けていた。
アーティーから解雇を知らされたダイアンは、「いいじゃない、夫婦の時間が増えるわ」と慰める。アーティーが「お前の買い物に付き合う時間が増える」と言うので、彼女は州立大で放送の講義をする仕事を引き受けるよう勧めた。しかしアーティーは「教えたくない。現役でいたいんだ。ジャイアンツの実況を担当する35年来の夢も捨てたくない」と語る。ダイアンは「貴方は世界一のアナウンサーだけど、もう声は掛からないと思うわ」と現実を告げた。
アリス・シモンズは夫のフィル、長女のハーパー、長男のターナー、次男のバーカーの5人で暮らしている。一家はフィルの転勤に伴い、1年前からアトランタで生活している。フィルは全自動で様々な家事をこなしてくれるシステム「Rライフ」を発明したエンジニアであり、シモンズ家でも導入している。そのRライフが年間最優秀作品の候補に入り、彼はアリスに「来週5日間、休暇を兼ねて授賞式に夫婦で出席する」と告げた。
アリスが子供たちの世話を理由に難色を示すと、フィルは「僕の両親に子守を頼もう」と告げた。しかし両親がクルーズに出掛けていたため、「君の両親に頼もう。1年も孫と会ってない」と提案する。アリスは「10ヶ月よ」と修正した上で、連絡を嫌がった。彼女は両親の話をすると、じんましんが出て体が痒くなるほどだった。「教育方針にいちいち文句を付けて。父は人の話を聞かないし、母は暴君よ」とアリスは拒絶反応を示すが、フィルが説得して電話を掛けさせた。
子守を頼まれたアーティーは嫌がるが、ダイアンは喜んで承諾した。「苦手なんだ。それに嫌われてる」とアーティーが言うと、ダイアン は「あまり会ってないから大丈夫よ」と話す。渋るアーティーは愚痴をこぼすが、ダイアンは半ば強引に連れて行く。ダイアンは「子育てをやり直すチャンスよ。アリスが言ってたわ、子供たちが喜んでるって」と彼に告げた。しかし実際は、3人とも祖父母が来ることを歓迎していなかった。アリスは「大丈夫、乗り切れるわ」と子供たちに言い、笑顔で両親を出迎えた。
アーティーとダイアンがRライフに驚いていると、フィルが音声で作動する全自動システムであることを説明した。彼は2人の情報を登録し、分からないことがあればターナーに尋ねるよう述べた。フィルの両親と孫たちの写真が何枚も飾ってあるのを見たダイアンは、「ここはアウェーよ。子供たちは向こうの両親に懐いてる」とアーティーに言う。彼女はアーティーに、孫から大好きになってもらう作戦を展開する考えを告げた。
家族はパン・アジア料理店「ヘルシー・タイガー」へ夕食を食べに行き、オーナーのチェンが挨拶に来た。チェンは1つ余計に席を用意し、疑問を呈したアーティーに「カール君の分です」と言う。それはバーカーの空想上の友達で、シモンズ家の面々だけでなくチェンもカールが存在するものとして話し掛けていた。バーカーはアーティーに、「彼はカンガルーなんだ」と告げた。バーカーがトイレへ行っている間に、フィルとアリスは糖分を与えないでほしいと頼む。過去に糖分を与えて、暴走してしまったのだという。
アリスは言葉遣いに関して、「ダメ」ではなく「良く考えてみて」、「いけません」ではなく「こうしたら?」と表現するよう求めた。「子供を尊重して、意見を聞いてあげて」と彼女は両親に説明した。アーティーは混ぜるのが嫌いなバーカーの前で料理を混ぜたため、「悪魔だ」と嫌われてしまった。アリスは子供たちから「行かないで」と頼まれて留まろうとするが、フィルが説得して車に乗せる。だが、アーティーが子供たちを車で学校へ送ろうとすると、アリスが戻って来た。彼女は両親に、「夜の便で向こうへ行くわ。クライアントから急ぎの仕事が入ったの」と説明した。
アーティーはアリスも車に乗せ、まずはハーパーとターナーが通うブルッククリフ小学校へ向かう。完璧主義症候群のハーパーは、たった1度の遅刻でも神経質に考えている。「色々と対応はしてる」とアリスが言うと、アーティーは「いつか爆発するぞ」と述べた。吃音のターナーは、年上の生徒たちからイジメの対象になっていた。アーティーが止めに行こうとすると、アリスが「親は入るなってセラピストが言ってるの」と告げた。
アリスはクライアントであるESPNの仕事へ行き、アーティーはバーカーをチャーター・スクールまで送り届けた。ハーパーが友人のアシュリーと一緒にいると、同級生のコーディーがやって来た。彼は金曜の誕生会に2人を誘うが、ハーパーは「次の日に予定があるの」と断った。学校が終わってから、ダイアンとアリスはハーパーを連れて買い物に行く。彼女はハーパーに、「貴方ぐらいの頃、放課後はたくさん遊んだ」と告げた。
アーティーはスピーチ教室に通っているターナーに付き添い、パントマイムをさせるプログラムに不満を抱いた。彼は講師のカサンドラに「子供たちは1時間、何も喋っていない」と言い、馬鹿にしたような態度を示す。カサンドラは冷静な口調で「これはハウトン・メソッドです。話すプレッシャーから解放してあげるため、体を動かすんです」と語った。ハーパーはヴァイオリンを習っており、アリスは選考会のために地味な服を購入しようとする。しかしダイアンは「目立つが勝ちよ」と言い、派手な服をハーパーに与えた。
アーティーがターナーの機嫌を取るために部屋へ入ろうとすると、バーカーがドアの前に立ちはだかった。バーカーはアーティーから金を受け取り、ドアの前から去った。ターナーは機嫌を直す条件として、両親から禁じられていた『ソウ』のDVDを観賞することを求めた。アーティーは一緒にDVDを見た後、ターナーとバーカーにアイスのケーキを与え、「映画のことをママに内緒にしてくれたら、ケーキのことも内緒にしてやる」と告げた。
Rライフのモニターに、ESPNからアリス宛てのメールが届いた。アナウンサーのオーディションに関するメールだと知ったアーティーは勝手に担当者のローゼンと連絡を取り、オーディションを受けようとする。アリスはダイアン&ハーパーと帰宅し、ターナーとバーカーがケーキを食べて部屋を汚しまくっている様子を目撃した。ハーパーもケーキに貪り付き、「ママの嘘つき、ヨーグルトと全く味が違う」と口にした。アーティーが『ソウ』を見せていたことも露呈し、アリスはフィルに電話を掛けて愚痴る。彼女は「やっぱり任せられない」と言い、明日の朝になってから発つと告げた。ダイアンはアーティーを非難し、挽回するよう要求した。
翌朝、ダイアンはハーパーの音楽学校へ付き添い、練習を聞いて「素晴らしい」と褒める。しかしハーパーは全く納得しておらず、講師のシュヴィアーも「これでは落選します。もっと練習しなさい」と厳しい言葉を口にした。ダイアンは力を抜くよう助言し、「金曜の夜に友達と遊ぶとか」と告げた。「実は誘われてるの」と笑顔で言うハーパーだが、すぐに「あと3日しかないの。1秒も無駄に出来ない」と気を引き締め直した。
ターナーが少年野球の試合に参加するので、アーティーとアリスは観戦に行く。アリスが「吃音のせいで引っ込み思案になった」と言うと、アーティーは「子供は自分で乗り越える」と告げる。アリスは「放っておいたら刑務所行きよ」と返した。ピッチャーのターナーがいじめっ子のアイヴァン三振に取ったので、アーティーは興奮する。しかしアウトが無くて出塁するまで打つルールになっており、スコアも存在せず引き分けでゲームセットが決まりだと知って、アーティーは呆れ果てた。フィルはアリスに電話を掛け、「金賞を獲得した」と報告する。アリスは喜ぶが、「2人には任せられない」と授賞式に行かないことを告げた。ダイアンは「愛する人の夢を応援するのよ」と説得し、アリスを出発させた。
翌朝、アーティーが目を覚ますと、バーカーが顔に落書きしていた。消そうとしても色が残ってしまい、仕方なく彼は汚れた顔で演奏会へ行くことになった。アーティーやダイアンたちはホールに到着して着席し、ステージではオーケストラの演奏が始まった。バーカーが席を立って会場を走り回り、慌ててアーティーは連れ戻しに行く。アーティーがバーカーを捕まえて尻を叩こうとするので、ダイアンが制止した。アーティーが「我慢の限界だ。親は子供にお仕置きもしなければ、野球の試合もさせない。口で言う前に、まず子供にダメなことを教えろ」と大声で訴えると、観衆から拍手が起きた。
夜、帰宅したアーティーはローゼンと電話で話し、明日のオーディションの場所を確認した。彼はターナーに、「アイヴァンはクズだ。立ち向かえ。自分を信じれば何でも出来る」と告げた。翌朝、ダイアンはアーティーに「バーカーは友達と遊ぶ日よ」と面倒を見るよう言い、ハーパーを車に乗せて学校へ送って行く。ターナーはアイヴァンに「バカにしたらタダじゃおかないぞ」と告げ、顔を殴られた。アーティーはターナーを連れて、オーディションの行われるXゲーム会場へ赴いた。超有名スケートボーダーであるトニー・ホークの顔さえ知らないアーティーだったが、練習を本番のように実況するオーディションに挑む。しかし台の上からターナーが小便したため、練習していたトニーが転倒してしまった…。

監督はアンディー・フィックマン、脚本はリサ・アッダリオ&ジョー・シラキューズ、製作はビリー・クリスタル&ピーター・チャーニン&ディラン・クラーク、製作総指揮はケヴィン・ハロラン&サマンサ・スプレッチャー、撮影はディーン・セムラー、美術はデヴィッド・J・ボンバ、編集はケント・バイダ、衣装はジュヌヴィエーヴ・ティレル、音楽はマーク・シェイマン、音楽監修はジュリア・ミシェルズ。
出演はビリー・クリスタル、ベット・ミドラー、マリサ・トメイ、トム・エヴェレット・スコット、ベイリー・マディソン、ジョシュア・ラッシュ、カイル・ハリソン・ブライトコフ、ジェニファー・クリスタル・フォーリー、ローダ・グリフィス、ゲディー・ワタナベ、トニー・ホーク、スティーヴ・レヴィー、ケイド・ジョーンズ、マヴリック・モレノ、マディソン・リンツ、コーリー・ジェームズ・ライト、ジャスティン・ケネディー、フョードル・チェルニャフスキー、ブラッド・ジェーズ、クリスティン・レイキン他。


ビリー・クリスタルが主演と製作を兼ねた作品。
監督は『ゲーム・プラン』『ウィッチマウンテン/地図から消された山』のアンディー・フィックマン。
脚本のリサ・アッダリオとジョー・シラキューズは、1997年の『Candy Lover Girl』で共同監督&共同脚本を務めたコンビ。
アーティーをビリー・クリスタル、ダイアンをベット・ミドラー、アリスをマリサ・トメイ、フィルをトム・エヴェレット・スコット、ハーパーをベイリー・マディソン、ターナーをジョシュア・ラッシュ、バーカーをカイル・ハリソン・ブライトコフ、カサンドラをジェニファー・クリスタル・フォーリー、シュヴィアーをローダ・グリフィス、チェンをゲディー・ワタナベが演じている。
スケートボーダーのトニー・ホークとESPNキャスターのスティーヴ・レヴィーが、本人役で出演している。

まず最初に引っ掛かるのが、『かぞくモメはじめました』という邦題だ。原題は『Parental Guidance』だから、まるで違う。
まあ内容を考えると、まるで合致していないわけではない。ただ、誰がどう見たってキャサリン・ハイグルが主演と製作総指揮を兼ねた2010年の映画『かぞくはじめました』を模倣していること明らかだ。
何かヒット作があった場合、それに便乗しようとする邦題を付けるのは珍しいことじゃない。ただ、この映画は『かぞくはじめました』と出演者もスタッフも重なっていない。
しかも、『かぞくはじめました』は日本未公開作品であり、そんなに有名なわけではない。
そこに便乗しようってのは、どういうセンスなのかと。

まず導入部のシーンで、「どういうテイストで、どういう方向性で行きたいのか」というところに疑問を抱く。
解雇を知ったダイアンが「いいじゃない、夫婦の時間が増えるわ」と言うとアーティーが「お前の買い物に付き合う時間がな」と愚痴る。だが、ダイアンは腹を立てることもなく、州立大の仕事を受けるよう促す。
アーティーが現役への執着を語ると、ダイアンは「貴方は世界一のアナウンサーだけど、もう声は掛からないと思うわ」と現実を告げる。だが、アーティーは腹を立てることも、ショックを受けることもない。
そもそもダイアンも穏やかな笑顔で話しているし、アーティーは納得した様子で彼女と抱き合う。

デッカー夫妻の会話シーンに、笑いの要素は全く盛り込まれていない。
アーティーがオーナーから解雇を通告される辺りではコメディーの匂いがしたのに、っていうか全体としてもコメディー映画のはずなのに、そこは普通に「ロートルの寂しい引退」という描写になっている。
しかし、そこでデッカー夫婦のターンがひとまず終わり、シモンズ一家に移ることを考えても、コメディーとして区切った方がいいんじゃないかと思ってしまうのだ。

アーティーとシモンズ家は「アナログ爺さんとハイテク一家」という対比になっているが、それならシモンズ家の様子に切り替わってRライフが紹介される前に、アーティーの機械オンチをアピールしておくべきだろう。
一応、オーナーとの会話シーンにおいて、フェイスブックを全く更新していないとか、ハッシュタグを知らないといったことには触れている。だが、それは「インターネット世界の進化に順応できていない」というだけだ。
実際は固定電話も満足に操作できないぐらいの機械オンチなんだから、その程度では不充分。
しかも、セリフでしか触れていないが、そうではなくドラマの中でアーティーの機械オンチを描くべきだし。
アリスから電話が掛かって来るシーンで保留に出来ない様子が描かれているが、そこで彼の機械オンチを初めて描くってのはタイミングとして遅い。

Rライフの見せ方も上手くない。
シモンズ家が初登場すると、Rライフによって勝手にガレージが開いて自動車の充電が始まり、ソーラーパネルが作動し、朝食の準備が始まる。
それは「自動で家事を担当してくれて、主婦の生活が楽になる」というシステムであるべきだろう。
しかし実際には、アリスもフィルも電話の対応で忙しくしており、子供たちの相手も充分にしてやれない。
つまり2人の朝は、ちっともRライフによって楽になっていないのだ。

話が進む中で、Rライフがちっとも役に立たないとか、「子供たちの世話を機械に任せてばかりではダメだ」という答えに行き着くとか、そういうことなら理解できる。
しかし、最初から「Rライフがあっても忙しさは解消されず、子育ての面倒も全く改善されていない」という様子が描写されるのは、見せ方として明らかに間違っている。
っていうか、そもそも「Rライフ」というギミックが、物語の中で有効に活用されているとは言い難い。それが無くても、何の問題も無く話が成立してしまう。
アーティーがRライフに翻弄されるとか、そのせいでトラブルが起きるってのも、ネタの1つとして扱われる程度に過ぎないのだ。だから、むしろ邪魔な要素に思えてしまう。
結局、「アナログ爺さんとハイテク一家」という対比が物語の軸になっていないんだから。

フィルの両親と孫の写真が幾つも飾ってあるのを見たダイアンは「ばあば大好き作戦よ」と言い出し、アーティーが「俺は?」と訊くと「知らない」と冷たく告げる。
だけど、とりあえずは一枚岩で動かすべきでしょ。2人で協力して、一緒に孫たちから好かれようとさせるべきでしょ。
そんなに序盤の段階でバラバラに動かすのは望ましくない。それは映画そのものをバラバラにしてしまう。
ただし、じゃあダイアンがどんな作戦を展開するのかと思いきや、特に何も無いんだよな。普通に夕食のシーンへ移行し、そこで「ばあば大好き作戦」が実行されることも無い。
だったら、そんな中途半端にダイアンの独善的な態度を示す意味が無いぞ。

っていうか、アーティーが主役であるならば、ダイアンは基本的にサポート役に回った方がいいと思うのよ。
それは「アーティーが孫たちから好かれるためのサポート役」という意味ではなくて、映画におけるポジションとして「アーティーが主役、ダイアンは準主役、もしくは脇役」という関係性にした方がいいんじゃないかってことだ。
しかし何しろベット・ミドラーを起用しているぐらいだから、当然のことながらサポート役としての徹底はされていない。
これが「ダイアンに翻弄されるアーティー」という2人の関係を軸にした物語なら、それでもいいだろう。しかし孫たちとの関係が軸になるわけで、その中でアーティーとダイアンを2人とも主役のように扱った結果、「両雄並び立たず」の如き状態になっている。

朝食の準備をする際、アーティーが料理を上手くこなせずアタフタするのは分かるが、ダイアンも同じようにアタフタするのは解せない。まだアリスが実家にいた頃、ダイアンが朝食を用意していたはず。
っていうか夫婦2人になってからも、アーティーと自分の朝食は用意しているんじゃないのか。
もちろん他人の家だし、自宅とはメニューも異なるから、そこに戸惑いがあるのは理解できる。しかしダイアンの慌てぶりは、まるで初めて朝食を用意したかのような様子なのだ。
そもそも、そこまで慌てる必要があるのかと思ってしまう。もう少し落ち着いて用意しても、そんなに困らないんじゃないかと。なんか無理に「慌ただしい様子」を演出している印象が強いのよ。

ターナーについてアリスは、「スポーツも理科も得意だし、映画も好きよ。吃音のせいで引っ込み思案に」と言う。
その直後、ターナーは少年野球の試合に出場し、アイヴァンを相手にしても全く怯まずに堂々たるピッチングで三振に取る。
そのシーンでは、ちっとも「吃音のせいで引っ込み思案になっている」という印象を受けない。試合中にアイヴァンがターナーを苛めるとか、ターナーが引っ込み思案なトコを露呈するとか、そういうことも無い。
それはキャラの動かし方が一貫していないと感じるぞ。

アリスが授賞式に行かずに留まろうとすると、ダイアンは笑顔で空港へ向かうよう促し、「パパもママも折れて、貴方のやり方に従った」と言う。
「どこがよ」とアリスが言うが、その通りだ。ちっとも折れちゃいない。
「子守を頼んでおいて任せてくれないじゃない」とダイアンは批判するが、それは実際に見て「これは任せられない」と感じたからだ。そして、そのように感じたアリスに賛同できる。
「完璧な親になろうとしても、そんなの無理なのよ」とダイアンは言うが、そういう問題ではない。

ダイアンは「1つ教えてあげる。愛する人の夢を応援するの。夢が実現するなら、傍にいなきゃ」と言うが、それは自分たちが孫から愛されるために厄介者のアリスを追い払っただけにしか思えない。
で、実際にそういう狙いがあったとすれば、それはそれで別にいいのよ。
そこを笑いに変換してくれたら、コメディーとしては有りだ。
しかし、ダイアンの本音がどこにあるのかは明確に示されていないので、何となくモヤッとしたモノが残ってしまう。

この映画の大きな欠陥は、アーティーとダイアンが本当に身勝手なジジババでしかないってことだ。
アリスの教育方針に口を挟んでも、聞く耳を貸さずに自分たちのやり方を押し通しても、結果的に孫たちが良い方向へ進んだり、抱えている問題が解決されたりすれば、それは結果オーライだし、2人に対する不快感も消えるはずだ。
しかし、アーティーとダイアンが孫たちを正しい方向へ導き、ちゃんと問題を解決しているとは到底思えないのだ。

そりゃあ、やたらと禁止事項の多いアリスの教育方針が全面的に正しいとは思わないし、もう少し子供たちに自由を与えてやった方がいいとは思う。
しかし、「禁止事項の多いアリスの教育方針」を全否定するモノとして、アーティーとダイアンのやり方が適しているとも思えない。こちらの2人は、なんでもかんでも自由させすぎだし、遊ばせすぎなのだ。
しかもアーティーに関しては、孫たちの世話よりも自分のオーディションのことで頭が一杯になっちゃうし。
これに関しては、そもそも詰め込み過ぎだと思うぞ。「アーティーが孫たちの世話をすることになって云々」という部分に話を絞り込むべきだわ。

ダイアンが遊ぶことを推奨した結果して、ハーパーは音楽学校に入る選考会を放棄し、5歳から続けてきたヴァイオリンを辞めてしまう。
ずっと根を詰めて練習に打ち込むのではなく、気晴らしに遊ぶということなら、それは分かるのよ。だけど、完全にヴァイオリンを辞めてしまうってのは、彼女にとって本当に正しい選択なのかと。
そりゃあ本人は遊びたがっていたから、その時は練習から解放されて、好きなことも出来て、ハッピーだろうとは思うよ。だけど長期的に考えた時に、「やっぱり続けておけば良かった」と後悔すること請け合いに思えてしまう。
遊ぶのは結構だが、ジュリアードに進学し、憧れのベルリン・フィルハーモニーに入る夢まで捨てるのかと。

アーティーはターナーに「お前くらいの頃、背の低さに引け目があった。劣等感なんて捨てろ」と言い、自分が実況アナウンサーを目指すきっかけとなった実況の音声を聴かせる。その結果としてターナーは、聴いた内容をそのまま完コピし、ドモらずに喋ってみせる。
吃音が治ったという意味では、アーティーのやり方が正しかったと言えるかもしれない。しかし、そのせいでターナーは、少年野球を辞めて実況に回るのだ。
いやいや、せっかく少年野球で見事なピッチングをしていたんだから、そこの才能を伸ばしてやるべきじゃないのか。つまり、そういう風にアーティーを動かすべきじゃないのかと。
「ターナーは吃音が直ってアナウンサーになる」という展開を用意するなら、彼が少年野球で見事な投球をする様子を描くのは邪魔でしょ。

ところが困ったことに、映画としては「アーティーとダイアンのおかげで孫たちの問題は解決されました」という形に描いてあるのだ。
だからこそ、余計に違和感が強くなってしまう。
そもそも、なんでも自由にさせて遊ばせてやったら孫たちが懐くのは当然だし、問題の解決方法や導き出された結果も本当に正解だとは思えない。
それで「アーティー&ダイアンが孫たちと仲良くなりました」というハッピーエンドのように着地するのは、ちょっと違うんじゃないかと。

(観賞日:2015年8月4日)

 

*ポンコツ映画愛護協会