『恐竜100万年』:1966、イギリス
遠い昔、この世界が誕生して間もない頃。活火山の麓にある洞窟に、アクホバを長とする部族が暮らしていた。ある日、アクホバは猪を 誘い出し、用意しておいた落とし穴に落下させた。待機していた部族の男たちが集まり、アクホバは長男のサカナに猪退治を任せようと する。しかし次男のトゥマクがサカナを邪魔して名乗りを挙げたので、アクホバは彼に任せた。トゥマクは猪を仕留め、勝ち誇った態度を 見せた。夜になって洞窟に戻った男たちを、部族の女であるヌポンディたちが迎えた。
猪が焼けると、部族は肉を奪い合った。アクホバはトゥマクの肉を奪い、それを取り戻そうとしたトゥマクと戦いになる。アクホバは トゥマクを棒で激しく殴り、崖から転落させた。意識を取り戻したトゥマクは、荒野を歩き始めた。巨大トカゲに襲われた彼は、洞穴に 逃げ込んだ。湧水で喉を潤したトゥマクだが、洞穴に住んでいる猿人を目撃し、すぐに外へ出た。しばらく歩いていた彼は、恐竜と遭遇 した。見つからないように逃げ出したトゥマクだが、今度は巨大タランチュラを目撃する。
巨大タランチュラから逃走したトゥマクは、砂漠を歩き続けた。灼熱の太陽に照らされた彼は、海の近くまで来て倒れ込んでしまった。 しばらくして意識を取り戻したトゥマクは、海で漁をしている女たちを発見するが、また倒れ込んでしまった。女たちのリーダー的存在で あるロアナは、トゥマクに歩み寄った。ロアナと仲間たちが警戒しながらトゥマクの様子を見ていると、巨大な亀が出現した。ロアナは 法螺貝を吹いて、部族の男であるアホトたちに知らせた。男たちは急いで駆け付け、亀を攻撃して海へと退散させた。
ロアナやアホトたちは、トゥマクを海辺の村へ運んだ。ロアナは他の仲間たちに任せず、トゥマクの面倒を見た。一方、洞窟の部族では、 サカナが狩猟の最中にアクホバを崖から蹴落とし、族長の座を奪い取った。トゥマクはロアナから食事を渡され、警戒しながら貪り食った 。サカナが族長となった洞窟には、大怪我を負ったアクホバが戻って来た。トゥマクは子供たちに高い木の上の果実を取ってやり、ロアナ から魚の獲り方を教わった。
海辺の村に恐竜が現れ、1人の男が犠牲になった。村の人々が逃げ出す中、1人の少女が取り残された。トゥマクは槍を持ち、彼女を助け に行く。他の男たちもトゥマクに続き、恐竜に戦いを挑んだ。また1人の男が殺されるが、トゥマクは何とか恐竜を退治した。村の人々が 犠牲者を埋葬している間に、トゥマクはアホトの槍を盗もうとする。それを見つけたアホトが激怒して殴り掛かり、トゥマクも反撃する。 トゥマクがアホトを殺そうとしているところへ他の住人たちが戻り、彼を取り押さえた。
族長はトゥマクに、村から出て行くことを要求した。ロアナがトゥマクに駆け寄ると、アホトは彼に槍を手渡した。ロアナはトゥマクと 一緒に村を出ることにした。トゥマクはロアナを連れて、猿人の洞穴に入った。しかし猿人の群れが戻って来たので、急いで身を隠した。 翌朝になって洞穴から脱出した2人は、恐竜と遭遇した。慌てて逃げ出そうとすると別の恐竜が現れ、目の前で2頭が戦い始めた。
トゥマクが岩場に隠れている間に、ロアナはその場から離れた。サカナと洞窟の部族たちに包囲された彼女は、法螺貝を吹いた。その場に 駆け付けたトゥマクはサカナと戦い、怪我を負わせた。トゥマクが殺そうとすると、ロアナが制止した。他の連中は抵抗を止め、サカナを 助け起こした。トゥマクがロアナを連れて洞窟に戻ると、半身不随となったアクホバの姿があった。トゥマクが槍で殺そうとすると、母親 のトハナが制止した。
トゥマクに好意を寄せるヌポンディは、嫉妬心からロアナに飛び掛かった。ロアナがヌポンディを捻じ伏せると、洞窟の部族たちは大きな 石を手渡し、殺害するよう促した。ロアナが困惑していると、トゥマクが止めに入った。トゥマクとロアナはサカナから邪魔者扱いされた ため、村を出て行くことにした。湖にやって来た2人は新たな部族と出会い、一緒に水浴びをして楽しんだ。そこへ翼竜が現れ、ロアナを 捕まえて飛び去ってしまう…。監督はドン・チャフィー、オリジナル脚本はミッケル・ノヴァク&ジョージ・ベイカー&ジョセフ・フリッカート、脚本はマイケル・カレラス、製作はマイケル・カレラス、製作協力はハル・E・ローチSr.&アイダ・ヤング、撮影はウィルキー・クーパー、編集はトム・シンプソン、編集監修はジェームド・ニーズ、美術はロバート・ジョーンズ、衣装はカール・トムス、特殊視覚効果創作はレイ・ハリーハウゼン、特殊効果はジョージ・ブラックウェル、音楽はマリオ・ナシンベーネ、音楽監修はフィリップ・マーテル。
出演はラクエル・ウェルチ、ジョン・リチャードソン、パーシー・ハーバート、ロバート・ブラウン、マルティーヌ・ベズウィック、ジーン・ウラドン、リサ・トーマス、マリア・ナッピー、リチャード・ジェームズ、ウィリアム・ライオン・ブラウン、フランク・ヘイデン、テレンス・メイドメント、イヴォンヌ・ホーナー、ミッキー・デ・ローチ他。
1940年のアメリカ映画『紀元前百万年』をリメイクした作品。
製作会社は『フランケンシュタインの逆襲』や『吸血鬼ドラキュラ』などゴシック・ホラーを多く生み出していたイギリスのハマー・フィルム・プロダクションズ。
監督は『アルゴ探検隊の大冒険』のドン・チャフィー。
ロアナをラクエル・ウェルチ、トゥマクをジョン・リチャードソン、サカナをパーシー・ハーバート、アクホバをロバート・ブラウン、ヌポンディをマルティーヌ・ベズウィックが演じている。序盤、猪が焼けると、洞窟の部族は肉を奪い合って争う。
どんだけ統制が取れてないんだよ。食べる量を配分したり、順番を決めたり、争いを制止したりするような力も族長のアクホバは持っていないのね。それどころか、トゥマクの肉を奪って食べちゃう。
「族長が他の奴の肉を取っても、誰も逆らえない」というぐらい強大な権力を持っているのかと思いきや、トゥマクは激怒して襲い掛かっている。「野蛮で原始的な部族である」ってことを表現したいんだろうけど、飯を奪い合って親子が激しい争いになるって、幾ら原始的な部族であってもアホすぎるだろ。
猪を仕留める仕事を任せるぐらい息子を厚遇していたはずなのに、肉を奪って崖から突き落とすってのもメチャクチャだし。 大体さ、そこで争いが起きるってことは、今までも獲物を手に入れる度に喧嘩が起きていたってじゃないのかよ。冒頭、紀元前100万年の景色が写し出され、「遠い昔、この世界が誕生して間もない頃の話」「黎明期、それは生命の歴史の夜明け。過酷で敵意に満ちた自然」「息を殺して獲物を待ち、生きるために牙を剥く」「人類は知恵によって他の動物を制した」といったナレーションが入るが、明確に「紀元前100万年」と表示されるわけではない。
原題が『One Million Years B.C.』なので、紀元前100万年が舞台になっていると判断できるだけだ。
アクホバが狩りをするシーンが描かれ、「人類は少数の部族に分かれて暮らしており、互いの存在さえ知らなかった」「凶暴な動物と戦い、食料を探し求める日々。強い者が勝つ、それが掟だ」「洞窟に住む部族の長、アクホバ。そして息子たちのサカナとトゥマク」「これは肉親さえも争う時代の物語である」というナレーションが入り、彼らが洞窟の部族であることと、アクホバ&サカナ&トゥマクという3人の名前だけは分かる。
だが、それ以降、言葉による内容の説明は無い。
と言うのも、マトモなセリフが無いのだ。部族の連中は、漫画『怪物くん』のフランケンの「フンガー」的な意味不明な言葉は喋るが、それ以外は「サカナ」とか「トゥマク」といった名前を口にする程度。
「古代の部族が英語を喋っていたら、雰囲気が出ないだろ」ってことで、紀元前100万年らしさを出すために、意味のある言語を喋らせていないんだろう。
ただ、それが効果的かと問われたら、答えはノーだな。こいつらが英語を喋っても、それで雰囲気が壊れたとは思わないと思うよ、たぶん。そういう類の、つまり「バカっぽいのも有り」という映画だからさ。
だってさ、そもそも「紀元前100万年に恐竜がいて人間と共存している」という時点で、デタラメでしょうに。ただ、ちゃんとしたセリフが無くても、そんなに支障は無い。
「登場人物の名前が分からない」という問題に関しては、分からなくても大丈夫だ。前述した3人以外で判別すべきなのは、ロアナとヌポンディぐらい。
その2人に関しては「ロアナは海の部族の娘、ヌポンディは洞窟の部族の娘」ということさえ分かれば、名前が分からなくても大して問題は無い。
そして、海の部族と洞窟の部族、それぞれで目立つ女性キャラは1人ずつしかいないので、簡単に判別は出来る。ストーリー展開に関しても、セリフの説明が無くても理解できる程度のシンプルな内容だ。細かい心情の変化などは分からないが、そんな繊細な心情ドラマがある話じゃない。かなり大雑把でテキトー話だ。
終盤の展開も、ロアナがプテラノドンに連れ去られたのだから、トゥマクが助けに行くのかと思いきや、「プテラノドンは別のプテラノドンと戦いになってロアナを落とし、地面に叩きつけられたロアナが自力で海辺の村へ戻り、仲間を引き連れてトゥマクの元へ行く」という展開になる。
で、海辺の部族が洞窟へ乗り込んで戦いになり、どうやって話をまとめるのかと思ったら、急に火山が爆発して戦争どころではなくなり、生き残った面々が歩いている様子でエンディング。
投げっ放しジャーマンみたいな終り方だ。ただし、そもそも極端に言ってしまえば、この映画におけるストーリーやドラマなんて、そんなに重要ではない。
いや、「そんなに」というレベルじゃなくて、まるで重要ではない。
この映画、ザックリと言うならば「レイ・ハリーハウゼンの仕事」と「ラクエル・ウェルチのお色気」を楽しむ作品である。
ストーリーは、その2つの要素を盛り込んで「1本の映画」として仕立て上げるために付け加えられた、オマケのようなモンだと思っても構わない。まず「レイ・ハリーハウゼンの仕事」だが、彼が特撮を担当しているのだから、もちろん師匠であるウィリス・H・オブライエン譲りのストップモーション・アニメーションによる恐竜が登場するものだと期待する。
ところが、旅に出たトゥマクが最初に遭遇する生物は、なんと巨大トカゲ。
「でもストップモーション・アニメーションなんでしょ」と思うかもしれないが、そうではない。
本物のトカゲを撮影して、それを巨大生物に見せ掛けるというバート・I・ゴードン的アプローチなのだ。オリジナル版の『紀元前百万年』がトカゲ特撮の手法を採用していたからって、オマージュでも捧げたつもりなのか。いきなりトカゲ特撮ってのは、すげえ萎えるわ。
しかも、他にも巨大タランチュラや巨大な亀が登場するんだよな。
そんなに幾つもバート・I・ゴードン的な生物を登場させるのなら、レイ・ハリーハウゼンを雇わなくてもいいでしょうに。
ただ、巨大な亀なんかも単なるトカゲ特撮なのかと思ったら、これがストップモーション・アニメーションで動かされているんだよな。
だったら、なんで巨大な亀なのよ。そこは恐竜を作ってストップモーション・アニメーションで動かした方がいいでしょうに。巨大トカゲの後に登場する恐竜は、ストップモーション・アニメーションで表現されている。
ただ、「特撮てんこもり」ってことで観客を引き付けたかったんだろうけど、トカゲ特撮の巨大トカゲ、人間が演じている猿人、ストップモーション・アニメーションの恐竜、そして巨大タランチュラが立て続けに登場するので、「バラバラだなあ」という印象を受けてしまう。
巨大トカゲと恐竜の2つだけでも、生物としての種類が全く別物なので、統一感が無いなあと感じるぐらいなのに(トカゲが巨大化しているのであれば、他の敵も全て巨大化した生物にすべきじゃないかと)。
その後はトリケラトプスやティラノサウルス、プテラノドンなど、恐竜(学術的な分類だとプテラノドンは恐竜じゃないけど)ばかりが登場するんだから、巨大生物が邪魔なんだよなあ。「ラクエル・ウェルチのお色気」に関しては、「見れば分かる」ということで終わらせてもいいのだが、そういうわけにもいかないだろう。
『ミクロの決死圏』で注目を集めるようになった彼女は、この映画への出演でセクシー&グラマーな女優としての人気を一気に高めた。
「原始人なのにビキニみたいな服装は変」とか、そんな野暮なことは言っちゃいけない。
むしろ、この手の映画で原始人の女性が登場したら、無意味に露出度の高い格好であるべきだ。途中で衣装を着替えて露出度が低くなるという無粋なことは無くて、最後までラクエル・ウェルチは皮ビキニのまま。
無駄にフェロモンの多いラクエル・ウェルチだけでなく、他の女性たちも同様にセクシーなコスチュームを着用している。
もちろん1966年の映画だから、今の感覚からすればお色気サービスは大したことが無いだろう。
しかし、健康的でありながら艶っぽさを振り撒く若い女性たちが何人も出て来るわけで、そりゃあ当時の男性からすれば、かなり引き付けられるモノがあっただろう。「この映画で何を重視すべきか、観客が何を望んでいるのか」ってのは、ドン・チャフィー監督も良く分かっている。
ロアナとヌポンディの格闘なんて、物語の流れだけを考えれば「さっさとトゥマクが止めるべきだろ」ってことになってしまう。
だが、たぶんラクエル・ウェルチとマルティーヌ・ベズウィックの「女闘美」を長く見せることを優先したんだろう。
この感覚はテレンス・ヤング監督に受け継がれ、後に『アマゾネス』が作られることになる(というのは大ボラである)。(観賞日:2014年1月15日)