『9か月』:1995、アメリカ

サミュエルは子供専門の精神科医だが、実は子供が大嫌い。そのため、恋人のレベッカとは5年に渡って結婚もせず、子供も作らずに今までやって来た。ビーチに出掛けた2人は、友人ショーンの姉ゲイルと夫マーティーのドワイヤー夫婦と、3人の子供達に出会う。彼らの行動に接して、ますますサミュエルは子供は要らないと感じる。
だが、サミュエルは避妊対策を取っていたはずのレベッカから、妊娠した可能性が高いことを告げられる。騙されたと怒り心頭のサミュエルだが、喜ぶレベッカを目の前にすると、堕胎しろと言い出すことが出来なかった。2人は病院に出向き、ロシアから来たコソヴィッチ医師の診察を受けるが、やはり妊娠は事実だった。
サミュエルは、出産が近付くに従って苛立ちを募らせるようになり、レベッカの超音波検診の予定を忘れてしまう。慌てて自宅に戻ったサミュエルに、レベッカは子供は自分1人で育てると言い残して立ち去り、ドワイヤー夫妻の家に行ってしまう…。

監督&脚本はクリス・コロンバス、原案はパトリック・ブラウデ、製作はクリス・コロンバス&マーク・ラドクリフ&マイケル・バーナサン&アンヌ・フランソワ、製作総指揮はジョーン・ブラッドショウ&クリストファー・ランバート、撮影はドナルド・マッカルパイン、編集はラジャ・ゴズネル、美術はアンジェロ・P・グラハム、衣装はジェイ・ハーリー、音楽はハンス・ジマー。
主演はヒュー・グラント、共演はジュリアン・ムーア、トム・アーノルド、ジョーン・キューザック、ジェフ・ゴールドブラム、ロビン・ウィリアムズ、ジョーイ・シムリン、アシュレイ・ジョンソン、ミア・コテット、アレクサ・ヴェガ、エミリー・ヤンシー、エイズリン・ローチェ、ヴァル・ダイヤモンド、アンジェラ・ホプキンス、ダイアン・エイモス、ベッツィ・アイデム、テレンス・マクガヴァーン他。


1994年のフランス映画『愛するための第9章』をハリウッドでリメイクした作品。
俳優のクリストファー・ランバートが製作総指揮に携わっている。
サミュエルをヒュー・グラント、レベッカをジュリアン・ムーア、マーティをトム・アーノルド、ゲイルをジョーン・キューザック、ショーンをジェフ・ゴールドブラム、コセヴィッチをロビン・ウィリアムズが演じている。

ヒュー・グラントは2枚目俳優のはずだし、この作品でもハンサムな男として登場しているはず。だが、この映画で見る限り、かなり老けている印象を受ける。
若々しさに欠けるというか、くたびれているというか。
この頃は私生活の問題で、老け込んでいたのか。

まあ、そういう印象はともかくとして、ヒューは主人公としても、やや精彩を欠いている。どうにも元気が無いように見えてしまう。
脇役のロビン・ウィリアムスが怪演を見せており、完全に主役を食っている。
まあ、この人はコメディー映画では、常にハシャギまくってる感じがするけど。

もちろん本来は違うのだろうとは思うが、この映画は、まるでロビン・ウィリアムズに合わせて作られたかのようなタッチになっている。
彼が登場していない場面のドタバタ劇は、無理をしてドタバタをやっているような感じがしてしまうんだな。これは彼のための映画だよ。

この作品は、主人公がドワイヤー夫妻&ガキどもの奔放な振る舞いによって困らされるというシーンで、笑いを取りに行っているのだろうと思う。
ところが、これが笑えないんだなあ。
これは、演出もそうだろうし、役者の資質も関係しているのかもしれない。
つまり、例えばマーティー役がトム・アーノルドでなければ、もう少し笑えたのかも。

で、ドワイヤー夫婦の行動が笑えないだけでなく、傍若無人ぶりにイライラしてしまう。
「干渉しすぎるだけでなく、その奥に優しさが見える」というわけではない。
ひたすら傍迷惑なだけ。
一方で、ショーンは何のために出て来たのか良く分からない。

クライマックスを出産シーンにしたのは、失敗ではないだろうか。
そこをドタバタ騒ぎで見せることによって、コメディーらしさを強調しているつもりかもしれないが、どうも蛇足に思えてしまった。
大切なのは出産そのものではなく、サミュエルが出産への理解を示すことだから、2人が仲直りするシーンをクライマックスにした方が良かったのでは。

 

*ポンコツ映画愛護協会