『恐怖の魔力/メドゥーサ・タッチ』:1978、イギリス&フランス

作家のジョン・モーラーは、アパートで月面基地を造る宇宙飛行士たちのテレビ中継を見ていた。ノックした知人を彼が「開いている」と招き入れた後、テレビではアンカーマンが宇宙飛行士との交信が途絶えたことを伝えた。男が「その時が来たか」と呟くと、知人は彼を銅像で何度も殴り付けた。2時間後、ブルネル警部やバリスター刑事が現場検証に入った。ブリュネルは先に到着していたダフ巡査部長から、ずっとテレビが付いていたことを聞いた。
ブルネルがモーラーの日記を見ると、「Lの気配は無い」「ゾンフェルド」といった言葉があった。隣人のペニントンは事情聴取に対し、ドアが開いていたこと、モーラーとは親しくないこと、テレビを見ていたので物音を聞いていないことを語った。モーラーが生きていることに気付き、ブルネルは救急車を呼ぶようバリスターに指示した。ブルネルは病院へ赴き、ヒューズ医師と会った。バリスターは管理人の事情聴取を終え、来客を見ていないと話したことをブルネルに報告した。
バリスターから精神科医のゾンフェルドを発見したと知らされ、ブルネルは会いに行く。受付に置いてある新聞では、月面での大惨事とジェット機の墜落事故が報じられている。ブルネルはゾンフェルドが女医だと知り、驚いた様子を見せる。ゾンフェルドはモーラーが患者だと告げ、「彼を憎んでいる人はいない」と言う。モーラーがクリニックを訪れた理由を問われ、ゾンフェルドは彼が来た時のことを話す。モーラーは「私は災いを招く人間だ」と話したが、ゾンフェルドは妄想だろうと考えた。
モーラーは幼少期に狂信的なメイドから恐ろしい話を聞かされ続けたこと、殺してほしいと悪魔に願ったこと、翌日には彼女が死んだことをゾンフェルドに語った。さらにモーラーは、両親と旅行へ出掛けた時のことを話した。母が自分を「死んだ魚の目をしている低能な子」と評している声を、彼は耳にした。父は「そんなことは無い」と否定するが、母は「貴方の血筋よ」と告げた。母が父に文句を付ける様子を見ていたモーラーは、車を凝視した。すると車は勝手に動き出し、両親をひいて崖下へと転落した。
モーラーはゾンフェルドに、「2人が死ぬのは事前に分かっていた。全ては必然だった」と述べた。ゾンフェルドはブルネルにモーラーのことを話し、診察予定が入っていることを告げる。ブルネルは他の事故についても詳しく聞くため、夜になってから出直すことにした。彼は日記にあった「西側の前面」という言葉について心当たりを訊くが、ゾンフェルドは「見当も付かない」と告げた。ブルネルは病院へ戻るが、モーラーの意識は戻っていなかった。ジョンソン医師は「意識が戻っても話すのは無理でしょう」と言い、損傷を受けた脳が生きていることを語った。
ブルネルは副総監から、他の事件は後回しにしてモーラーの件を最優先するよう命じられた。モールトン出版を訪れたブルネルは編集者と会い、モーラーの最新作が邪悪さと強大な力を組み合わせた内容であること、売れ行きが上々であることを聞いた。編集者はブルネルに、「神は絶望した人々に裁かれる」という表現に引っ掛かるとモーラーが「それなりの理由がある言葉だ」と説明したこと、「君の意見だと思われるぞ」と忠告すると「構わんさ。同じ意見だ」と言ったことを話す。モーラーはベンチの男に気付くと部屋を出て行き、彼と話し始めたのだと編集者は語った。
ブルネルはモーラーの日記を読み、「この力を抱えて死ぬことは出来ない」「どう転んでも悪夢だ」「ゾンフェルドは不可能の意味を知ってる」といった文章を確認する。彼はバリスターに、モーラーが数年前から大災害の記事を集めていることを教える。ゾンフェルドの元へ出向いたブルネルは、日記にあった「L」という人物について質問する。ゾンフェルドは心当たりが無いことを告げ、モーラーに嫌疑が掛かった出来事について話す。
モーラーの学生時代、ウォルターという同級生が教師からイジメのような態度を受けた。授業中に余所見をしていたモーラーは、注意を受けても見下すような態度を取った。腹を立てた教師は、1149枚の落ち葉を集めろと要求した。1枚でも誤差があれば厳しい罰を与えると宣告した教師だが、モーラーは1149枚の落ち葉を集める。しかし教師は「濡れているから受け取れない」と言い、乾かすよう指示した。モーラーは教師を睨み付けた後、焼却炉に行って落ち葉を投げ込んだ。校舎は炎上し、教師1名と生徒4名が死亡した。
火事の原因は焼却炉の扉の閉め忘れだったが、故意ではないと判断された。モーラーはゾンフェルドに、「教師が死ぬのは分かっていた。生徒は分からない。私は放火などしていない。他の力だ」と語っていた。改めて日記を読んだブルネルが「テレキネシス」という言葉に目を留めていると、バリスターがやって来た。彼はブルネルに、ディーンの妻はモーラーのせいで自殺したという噂があることを話した。ブルネルの尋問を受けたペニントンは、「奴は殺されて当然の男だ。銃が無くても殺すことは可能だ」と言う。
ある日、ペニントンは妻のグレースから、些細なことで責め立てられた。ペニントンは落ち着かせようとするが、グレースは窓を開けて「私なんて死んだ方がいいのよ」とヒステリックに喚いた。モーラーが「そうだ、飛び降りろ」と叫ぶと、グレースは飛び降りて死亡した。ブルネルはディーコン弁護士と会い、かつてモーラーが彼の下で働いていたことを聞く。弁護士を辞めた理由についてブルネルが質問すると、ディーコンはモーラーが戦争博物館の爆破を目論んだラブラスの弁護を担当した案件について語る。
モーラーは弁論が長すぎるためマッキンリー判事から注意された。しかしモーラーは構わずに熱弁を振るい、「戦争博物館など破壊してしまえばいい」と言い放った。有罪判決が下されると、モーラーは判事を睨み付けた。1時間後、判事は心臓発作で死亡した。ブルネルはアパートへ戻り、テレキネシスに関する資料映像を視聴した。翌日、彼はバリスターと会い、ラブラスを捜せと指示した。彼は副総監から、「政治家がモーラーの日記を欲しがっている。政治の裏側を知り過ぎているようだ」と告げられた。
ブルネルはゾンフェルドの元へ行き、テレキネシスについて質問する。するとゾンフェルドは、「モーラーに能力があるとは思えません」と否定した。かつてモーラーは彼女に、「悪魔の存在を信じないというのか。私が授かった息子は恐ろしい姿で産まれた。医者は死んで安堵していた。偶然とは言わせない」と感情的になったことがあった。モーラーは恐怖を拭い去るため、占い師を訪ねたことを話した。しかし占い師はモーラーを見た途端に怯えた表情を見せ、気分が悪くなったので、お引き取り下さい」と告げた。
モーラーは妻のパトリシアと愛人のパリッシュに殺意を抱き、2人は交通事故で死亡した。モーラーはゾンフェルドに、事故の原因は自分だと主張した。ブルネルはゾンフェルドを病院へ連れて行き、一緒にジョンソンの説明を聞く。ジョンソンは2人に、モーラーの脳波が強くなっていること、特別な脳が死を拒んでいることを話した。ゾンフェルドはブルネルから「彼は君の患者だ」と言われるが、戸惑いの表情で「分からないわ」と口にした。
ゾンフェルドはブルネルに、モーラーから呼び出されて彼のアパートで会ったことがあると明かした。「全ての事故は私が引き起こした」とモーラーが訴えるので、ゾンフェルドは薬を飲んで眠るよう忠告した。彼女が「話は明日にでも」と告げると、彼は「今夜だ」と強い口調で告げた。その直後にジェット機の墜落事故が発生し、モーラーは「なぜか分からないが、私の行為は破壊的だ。世界中の惨事を引き起こしていると感じる。だが、それは違う。人間は悪魔の子だ。狂った人間は全てを破壊する」と語った…。

監督はジャック・ゴールド、原作はピーター・ヴァン・グリーナウェイ、脚本はジョン・ブライリー、製作はアン・V・コーツ&ジャック・ゴールド、製作協力はデニス・ホルト、製作総指揮はアーノン・ミルチャン、撮影はアーサー・イベットソン、美術監督はピーター・マリンズ、編集監修はアン・V・コーツ、編集はイアン・クラフォード、特殊視覚効果はブライアン・ジョンソン、音楽はマイケル・J・ルイス。
出演はリチャード・バートン、リノ・ヴァンチュラ、リー・レミック、ハリー・アンドリュース、アラン・バデル、マリー=クリスティーヌ・バロー、ジェレミー・ブレット、マイケル・ホーダーン、ゴードン・ジャクソン、デレク・ジャコビ、ロバート・ラング、マイケル・バーン、ジョン・ノーミントン、ロバート・フレミング、フィリップ・ストーン、マルコム・ティアニー、ノーマン・バード、ジェニファー・ジェイン、アヴリル・エルガー、ジェームズ・ヘイゼルディン、ウェンディー・ギフォード他。


ピーター・ヴァン・グリーナウェイのミステリー小説を基にした作品。
監督は1975年に『Man Friday』でカンヌ国際映画祭パルム・ドール候補となったジャック・ゴールド。
脚本のジョン・ブライリーは、後に『ガンジー』や『コロンブス』を手掛ける。
モーラーをリチャード・バートン、ブルネルをリノ・ヴァンチュラ、ゾンフェルドをリー・レミック、副総監をハリー・アンドリュース、バリスターをアラン・バデル、パトリシアをマリー=クリスティーヌ・バロー、パリッシュをジェレミー・ブレットが演じている。
TV特撮ドラマ『サンダーバード』や『スペース1999』で特殊効果監督を務めていたブライアン・ジョンソンが、特殊効果監修として参加している。

イギリスが舞台なのだが、事件を捜査するのはブルネルというフランス人の刑事だ。演じているのがフランス映画界で活躍したリノ・ヴァンチュラだから、それに合わせた設定ってことだ。
で、そのために「フランスから研修に来ている」という、まるで意味の無い設定を持ち込んでいる。
そんな無理をしてまで、わざわざリノ・ヴァンチュラを起用する意味ってあったのかね。
っていうか、そもそもリノ・ヴァンチュラって活動拠点はフランスだけど、出身はイタリアだぞ。

7度もオスカー候補になっている(1度も受賞できなかったが)リチャード・バートン、フランス映画界の名優だったリノ・ヴァンチュラ、『酒とバラの日々』でオスカー候補になったリー・レミックというスターを揃え、パルム・ドール候補が監督を務めているわけだから、かなり製作サイドも力を入れた映画だったものと思われる。
しかし公開すると酷評を浴びて興行的にも失敗に終わり、映画評論家のロジャー・イーバートはライバル新聞の映画評論家だったジーン・シスケルと共に司会を務めていたテレビ番組『Sneak Previews』で「1978年の最低映画」とコメントした。
この作品が酷評された原因の1つに、「あのヒットした映画と似ているよね」ってことが挙げられる。その映画とは、ブライアン・デ・バルマが監督を務めた『キャリー』だ。
あの映画の公開が1976年で、その2年後の作品なので、そりゃあ「似てる」ってことがマイナス査定に繋がるのも仕方が無い。
原作小説があるので、模倣したってのは違うかもしれないけど、どっちにしろ公開時期は良くなかったわな。
実のところ、そんなに酷似しているわけではないんだけど、だからって出来栄えが良いわけでもない。

序盤から「大雑把で適当なシナリオ&演出だなあ」と感じさせられる。
まず、ブルネルたちが殺人事件の現場検証に入っているのに、途中でモーラーが生きていると気付いて救急車を呼ぶ展開にゲンナリさせられる。
ブルネルたちが登場した時点で、現場から立ち去る検視医が「死後2時間です」と言っているのよね。
だから、モーラーが生きていると分かった時点で、「いや有り得ないだろ」と言いたくなってしまうのだ。モーラーは特殊な人間だけど、そこの描写は違うだろうと。

ブルネルは管理人の事情聴取を終えて報告したバリスターに、「管理人はゾンフェルドを見ているはずだ」と言う。
でも、それは変だ。
彼がモーラーの日記を見た時に、カメラがアップで捉えたのは「Lの気配は無い」「ゾンフェルド」といった文字だけだが、それ以外に多くの文章が書き込まれていた。「ゾンフェルド」ってのは、その中にある1つのワードに過ぎない。
だから、その日記を読んだだけでブルネルが「モーラーの元にゾンフェルドが来ていた」と確信するのは、デタラメすぎるってことになるのだ。
ところが、なぜか簡単にゾンフェルドを発見しているのよね。
そこの展開は、あまりにも強引だわ。

病院に運び込まれたモーラーは瀕死の状態であり、包帯グルグル巻きで色んな装置を付けられている。意識は戻っていないし、下手すりゃ助からないんじゃないかというぐらいの状態に見える。
それなのにルュネルは、ヒューズに「被害者に話を聞く」と言っている。それは難しいんじゃないかと思うが、ヒューズは普通に受け入れる。
もちろん、その時点で話を聞こうとするわけではないが、そこはヒューズに「無理ですよ」とか「回復は難しい」とか言わせた方がいいんじゃないのか。
後になってブルネルが病院へ戻った時、別の医師が「意識が戻っても話すのは無理でしょう」などと言うけど、だったら最初の段階でヒューズにそう言わせろよ。

モーラーがゾンフェルドに「私は災いを招く人間だ」と話し、その経験を語る回想シーンがある。
最初のメイドの事件については、「悪魔に祈ったら翌日に知んだ」とゾンフェルドが語るだけで、該当する出来事は描写されない。
両親が死ぬシーンでは、モーラーが車を凝視すると動き出す様子が描かれる。そしてモーラーが鋭い視線を向ける中、両親が車にひかれて崖下へ転落する。
でも、そういう描写を挿入することによって、「私は災いを招く人間だ」というモーラーの説明と整合性が取れなくなってしまう。

モーラーが「私は災いを招く人間だ」と相談するのであれば、「自分の本意ではないのに、特殊な能力によって周囲の人間を不幸にする」という形であるべきだろう。ところが両親が車にひかれて転落死する際、モーラーは明らかに「両親を殺そう」という意志を持って車を操っている。
それはダメでしょ。
そうじゃなくて、「妄想していたら車が動き出してしまう。モーラーが慌てる中、両親が車にひかれる」とか、あるいは「モーラーが見ていない内に車が両親を殺す」とか、そういう形にしておくべき。
あと、そもそも両親を殺そうとする理由が分からん。母はともかく、父はモーラーを擁護していたんだから。
だったら母だけを殺すべきでしょ。

ブルネルがモーラーの日記にある「ゾンフェルドは不可能の意味を知ってる」などの文章を読んだ後、室内にある絵画をチェックしていると、何者かがドアを開ける。その人物の顔が写らないまま、不安を煽るBGMのボリュームが次第に上がる。で、音楽が止まると同時に顔が写り、バリスターだと判明する。
つまり、いわゆる「肩透かし」ってやつだ。
そういうの、ホントに要らないわ。
この映画に限ったことではないけど、「不安を煽っておいて、実は何でも無かった」という肩透かしがプラスに作用するケースって、コメディーならともかく、シリアスな映画の場合は、ほぼゼロだぞ。

バリスターが来ると、ブルネルは「今夜中に調べてもらいたい人物がいる」と言う。だから当然、その次に来るのは「その人物は誰か」という答えのはずだよね。
ところが彼はバリスターに、モーラーが集めていた新聞記事のスクラップを見せる。そして調べてもらいたい人物が誰なのかを言わないまま、彼はクリニックへ向かってしまう。
いやいや、どういうことだよ。
あと、そのシーンの始まりはモーラーの日記を読むよりも、むしろ記事のスクラップを見ている形にした方がいいだろ。そんで「モーラーが大災害の記事を集めていた」ってことを、そういう形で観客に知らせた方がいいだろ。

学生時代のモーラーが教師に注意され、見下すような態度で言い返す回想シーンがある。その後、教師の要求を受けて落ち葉を集めた彼は、受け取りを拒否されて睨み付ける。焼却炉に行って落ち葉を投げ込み、校舎が炎上する様子を冷淡な表情で眺める。
ここは両親の時と同じで、「モーラーがハッキリとした意志を持って殺人を遂行した」という形になっている。
それは「自分が災いを招いてしまう」という悩みを抱えるような人物の行動じゃないでしょ。
生徒4名も巻き添えで死んでいるけど、そこでの罪悪感も見せていないし。

ブルネルはゾンフェルドからモーラーの学生時代の事件について聞かされた後、電話を掛けて焼死した生徒と遺族の調査を指示している。
そういう手順を挟むんだから、当然のことながら後になって「生徒の情報から手掛かりが得られる」とか、「ブルネルが遺族と会って話を聞く」といった展開が用意されているものだと思っていた。
ところが、そんな展開なんて全く無いのだ。
だから、ブルネルが電話で調査を指示する手順は、まるで意味が無い行為になっている。

グレースが飛び降りて死亡するシーンは、見せ方がおかしい。
グレースがディーンに喚き散らしている途中、執筆作業をしているモーラーが疎ましそうな表情を浮かべる様子が挟まれる。
しかし、それは「ディーンがブルネルとバリスターに過去の出来事を語っている」という回想シーンなので、彼が目撃していないモーラーの様子が入るのは不自然だ。
また、「飛び降りろ」という叫びをディーンは耳にしていないんだから、「彼のせいで妻が死んだ」と確信するのも辻褄が合わない。

ブルネルはテレキネシスに関する資料映像を視聴した翌朝、バリスターに「ラブラスを捜せ」と指示している。
ホントはモーラーが裁判でラブラスを弁護したことに触れた直後、捜索を指示する構成にしておいた方が望ましい。
ただ、そんなことより問題なのは、ブルネルがラブレスの捜索を指示した後、そこを完全に忘却したまま話が進むってことだ。
っていうか結局のところ、ラブラスの捜索を指示した行動なんて全くの無意味になっちゃうし。

モーラーは占い師に未来を診てもらおうとする際、相手が怯えた様子で「気分が悪くなって」と言い出すと、鋭い眼光で睨み付ける。
それは変でしょ。
その視線は、両親や教師、判事を殺害した時と同じ類の物だ。つまり、殺意や憎しみを抱いているようにしか見えないのよ。
だけど、どうやら占い師は殺していないみたいだし、そもそも殺意を抱くのは変だし。
そうじゃなくて、「占い師の反応によって、自分に災いを招く力があることを確信し、焦りや恐れを抱く」ということになるべきじゃないのかと。

モーラーはゾンフェルドをアパートに呼んだ時、「話は明日にでも」と帰ろうとする彼女に「今夜だ」と強い口調で訴える。その直後、彼は窓の外に視線を送り、飛行中のジェット機を凝視する。するとジェット機が墜落するのだが、途端に彼は無念そうな様子を見せる。
だが、そもそも飛行機を凝視している時点では、「墜落させてやるぞ」という意志が感じられた。
だから、墜落した後で「私の本意でない」みたいな態度を見せられても、「だったらジェット機が墜落するまで凝視していたのは何なのか」と言いたくなるのよ。凝視しなけりゃ墜落しなかったんじゃないかと思えるのよ。
それまでの事件は全て、彼が睨み付けたことで起きているんだから。

だから、モーラーが「頭が狂い出す前に、私を助けてくれ」とゾンフェルドに訴えるのも、「それまでの行動や態度と整合性が取れていない」と感じてしまう。
繰り返し、もしくは「まとめ」みたいなことになるけど、彼は両親の時も、教師の時も、判事の時も、妻と愛人の時も、全て「殺してやる」という強い意志を持って標的を睨み付け、死に追いやっているのよ。
「助けを求める苦悩の男」として配置したいのなら、明らかに描き方を間違えているのよ。
しかも、最終的にはモーラーを「権力を憎み、式典の行われる大聖堂を崩壊させようとする男」として描くんだから、じゃあ「明確な殺意を持つ男」ってことになっちゃうでしょうに。

ゾンフェルドはアパートでの出来事を打ち明けるまで、モーラーのサイコキネシス殺人を全面的に否定している。
そしてブルネルも、他に犯人がいるという線で捜査を進めている。
だが、こっちは早い段階で、「モーラーがサイコキネシスによって次々に殺人を遂行している」ってことを知っている。
それは回想シーンの描写によって明白になっており、「本当にサイコキネシスか、それともモーラーの妄想か」というミステリーは存在しない。

そういう風に、「サイコキネシス殺人」が最初から明確な状態であるならば、モーラーの殺人を全て回想で描くってのは上手い方法ではない。全て現在進行形で描いた方が、間違いなく効果的に作用する。
つまり、そもそも構成として大いに難があるってことが言える。
完全ネタバレになるが、ひょっとすると終盤に用意されている「モーラーが目を開く」というシーンのインパクトありきで、そこからの逆算だったのかもしれない。
ただ、トータルの収支を考えると、マイナスの方が大きい。
例えば、「モーラーは終盤まで普通に活動しており、終盤に入って事故か事件で意識不明の重体となる」ってことでも、終盤の展開は成立させられるわけだしね。

(観賞日:2016年5月19日)

 

*ポンコツ映画愛護協会