『殺したいほどアイ・ラブ・ユー』:1990、アメリカ

ピザ屋の主人ジョーイは、ロザリーという妻がありながら多くの女と浮気を繰り返している。とはいえ、ロザリーに対する愛情が無いわけではないし、離婚する気も全く無い。ロザリーはジョーイを信じきっており、浮気していることは全く知らない。
アルバイトの青年ディーボはロザリーに好意を抱いており、ジョーイの浮気を知っていて彼女にそれとなく忠告する。全く気にしていなかったロザリーだが、図書館でジョーイが他の女と浮気している現場を目撃してしまう。
ロザリーは母親のナジャと相談し、ジョーイを殺してしまおうと考えた。大量の睡眠薬でジョーイを眠らせた2人だが、自分達で手を下すことが出来ない。そこで2人はディーボを呼んで射殺することを頼むが、なぜか弾丸が当たってもジョーイは死なない。
困った3人は、ジョーイの知り合いであるハーランと彼の従弟マーロンを呼び寄せて殺害を依頼する。ところが2人は麻薬常習者の上に、殺人の経験も無かった。それでも拳銃を撃った2人だが、やはり弾丸が当たってもジョーイは死ななかった…。

監督はローレンス・カスダン、脚本はジョン・コストメイヤー、製作はジェフリー・ルーリー&ロン・モーラー、共同製作はローレン・ワイズマン&パトリック・ウェルズ、製作総指揮はチャールズ・オークン&マイケル・グリロ、撮影はオーウェン・ロイズマン、編集はアン・V・コーツ、美術はリリー・キルヴァート、衣装はアギー・グーラード・ロジャース、音楽はジェームズ・ホーナー。
出演はケヴィン・クライン、トレイシー・ウルマン、ウィリアム・ハート、リヴァー・フェニックス、ジョーン・プロウライト、キアヌ・リーヴス、ジェームズ・ガモン、ヴィクトリア・ジャクソン、ミリアム・マーゴライズ、ジャック・ケーラー、キャスリーン・ヨーク、アリサン・ポーター、ジョン・カスダン、ヘザー・グラハム、ミッシェル・ジョイナー、ジョン・コストメイヤー他。


実話を元にしたコメディー。
ジョーイをケヴィン・クライン、ロザリーをトレイシー・ウルマン、ナジャをジョーン・プロウライト、ディーボをリヴァー・フェニックス、ハーラン&マーロンをウィリアム・ハート&キアヌ・リーヴスが演じている。
他に、店を訪れる女性ブリジットをヘザー・グラハム、アンクレジットだが、ジョーイがディスコで口説く女性をケヴィン・クライン夫人のフィービー・ケイツ、ディーボの弁護士をローレンス・カスダン監督が演じている。

ジョーイの浮気を知ってからロザリーが殺人を決意するまでの流れが、非常にあっさりしている。ここは物語を動かす“キメ”の部分なのだから、ポイントなのだと明確に示すような形の描写を用意した方が良かったと思う。
殺人未遂を繰り返すという行為を笑いで処理するというのはいいのだが、肝心の笑いの部分がヌルいのでは厳しい。殺人未遂のシーンにキレが無く、どこかマッタリしたままでピシッと決まらずに次の場面へと流れてしまう。

ナジャが「アメリカでは殺人は国技と同じ」と言うなど、シニカルな部分が見られる。
店にローマ法皇やキリストの絵を飾っているほどのカトリック信者が浮気を繰り返しているという部分からして、おそらくシニカルなギャグなのだろう。
ただし、シニカルな描写はあまり強くない。
やるなら徹底的にやるべきだろう。

ロザリーは殺人に積極的に加担しながらも、どこか引き気味になっているというポジションを取っている。彼女に夫への想いを残したのは、おそらく「ジョーイが妻の気持ちを汲み取って、2人は仲良くなりました」という結末のためだろう。
しかし、ロザリーが中途半端な態度を取るというのもヌルいし、さんざん殺そうとしておきながら元サヤというオチもヌルい。
ブラックに描くなら、徹底的にやるべきだろう。
その覚悟が無いなら、最初からプラック・コメディーなんて作るべきじゃない。

中心で行動するキャラクターが、進行の中でコロコロと変わっていく。
本来は中心のはずのロザリーは、殺しに覚悟が無いからグラグラしてしまう。
上映時間の割に内容が薄いので、かなり引き延ばしている。
テンポが遅いために、笑いを消す間が生まれている。

騒動の収束への流れも、妙にノンビリしている。
殺人未遂が警察にバレた時点で話はほぼ終わっているのに、取り調べや保釈要請などで長々と時間を割いている。
ヌルいハッピーエンドを用意するのは、ハリウッド風味ということか。

 

*ポンコツ映画愛護協会