『恋をしましょう』:1960、アメリカ

フランスの資産家一族の八代目に当たるジャン=マルク・クレマンは、クレマン社のニューヨーク支部にいた。広報担当のアレクサンダー・コフマンは会社の顧問弁護士であるジョージ・ウェルシュと会い、演劇新聞にクレマンの記事が出ていることを知らせた。コフマンとウェルシュがクレマンの元へ行くと、彼は買い漁っている絵画を眺めて満足そうにしていた。ウェルシュは小劇場が有名人の風刺劇を上演すること、その中にクレマンも含まれていることを説明し、「女性たちと人前に出るからです」と苦言を呈した。
ウェルシュはコフマンを警護に付けることをクレマンに告げ、行動に注意するよう説いた。彼はコフマンに、上演を中止させるよう命じた。クレマンはコフマンを呼び戻し、「私はジョークのネタにされても構わないが、女性たちに迷惑が掛かるとしたら問題だ」と話す。彼が「上演を中止にさせたら?」と尋ねると、コフマンは「余計に悪い評判が立ちます」と告げた。クレマンが「小さな劇場だろ。あまり客も来ないのでは」と言うと、彼は「当たればテレビでエド・サリヴァンが紹介し、ライフやルック誌に記事が載るかもしれません」と語る。「それはマズいな。私は笑われるのは嫌いだ」とクレマンが言うと、コフマンは「印象を良くするため、リハーサルを見学してはどうです。ユーモアのある人と分かれば、劇場の雰囲気も良くなります」と提案した。
クレマンはコフマンと劇場を訪れ、リハーサルを見学した。ダンサーを従えて歌うアマンダ・デルを見てクレマンは一目惚れし、コフマンに「彼女を食事に誘え」と指示した。クレマンと良く似た出演者だと誤解され、演出家から舞台に上がるよう促された。コフマンは演劇の広報を担当していた時代の顔見知りである劇場マネージャーのエイブ・ミラーと再会し、自身が転職したことを話す。クレマンがアマンダに話し掛けると、近くにいたプロデューサーのオリヴァー・バートンは「クレマンにそっくりだ」と興奮した。
アマンダもクレマンが出演者だと思い込み、「ニュース映画で見た彼にそっくり」と言う。クレマンが出演者を装うと、アマンダは「貴方の方が本物よりマシだけど」と口にする。「どうして?」とクレマンが訊くと、彼女は「あの人は女遊びばかりして訴えられてる」と語る。アマンダは舞台に出ているだけでなく、夜間学校に通って勉強に励んでいることを話す。書類作成のために名前を問われたクレマンは、咄嗟に「アレクサンドル・デュマ」と嘘をついた。
クレマンはアマンダに、「舞台に出るのは初めてなんだ」と話す。アマンダは「クレマンの演技を教えるわ」と述べ、もっと自信たっぷりで無神経な感じを出すよう助言した。彼女が「女は自分になびくと思ってる」と言うと、クレマンは「実際にそうだ。なぜかな」と尋ねる。アマンダは「お金よ」と返答し、クレマンが「魅力的だからじゃないのか」と告げると「2日目のデートで捨てる人が?」と口にした。クレマンが夕食に誘うと、アマンダは「7時から地理なの」と断った。
出演者のトニー・ダントンがベロベロに酔っ払って劇場に到着するとバートンは呆れるが、アマンダは心配して歩み寄った。バートンから「衣装替えの間に何かやれる物は無いか」と相談されたトニーは、歌を披露した。バートンが「皆も考えてくれ。面白ければ舞台で使う」と言うので、クレマンは自慢のジョークを披露した。しかし誰もが知っているジョークだったので、クレマンはコフマンに新しいジョークを買うよう指示した。コフマンはジョーク作家のチャーリー・ラモントに千ドルを支払い、ジョークを購入した。
クレマンはコフマンからジョークを書いた紙を受け取り、その内容に満足する。部下のウィルソンはアマンダに関する調査結果を報告し、トニー以外の既婚者と教会で密会していることをクレマンに教えた。クレマンはアマンダに会うため、リハーサルに参加した。しかし声を掛けようとした彼は、アマンダとトニーの仲睦まじい様子を見せ付けられた。クレマンはアマンダに「演技の助言が欲しいから」と告げ、夕食に誘う。アマンダが「明日は歴史のテストだから勉強しないと」と断ると、クレマンは「歴史は得意だから教える。だから、その前に食事をしよう」と食い下がった。
バートンは「舞台にジョークが必要だから」と言い、ラモントを連れて来た。クレマンはラモントを知らず、得意げに「私のジョークを聞いてくれ」とバートンに告げる。彼がジョークを披露すると、ラモントは「私が千ドルで売ったジョークだ。名誉棄損で訴える」と激怒した。バートンの質問を受けたクレマンは、10ドルで買ったと嘘をつく。誰から買ったのか問われたクレマンが答えないので、バートンは「言わないとショーには使えない」と告げる。アマンダが助け舟を出してくれたおかげで、ラモントは「ジョークが何者かに盗まれ、その相手からクレマンが買った」と誤解した。
クレマンはアマンダに礼を述べ、普段はフランスの会社でサラリーマンをしていると話す。彼はサンプル品として、他の女性にプレゼントする予定だった1万ドルのネックレスを見せた。アマンダが「本物みたい」と感心すると、クレマンは「5ドルだ。宣伝用の商品だから買ってくれないか」と持ち掛けた。アマンダが快諾するので、クレマンは彼女の首に付けた。そこへ出演者のリリー・ナイルスが来ると、アマンダは「たった5ドルなの」とネックレスを見せた。リリーが欲しがると、クレマンは「これしか無い」と告げた。
リリーが「母の誕生日なのに、買う時間が無くて。入院中なの」と困った様子を見せると、アマンダは「私のを持って行って」と渡した。アマンダが去った後、リリーはクレマンに「母は10年前に死んだわ」と軽く笑った。クレマンが「石を光らせるために放射能を当てた」と嘘をつくと、リリーは慌ててネックレスを返した。クレマンはタクシーを停めてアマンダを送って行こうとするが、金が無いので彼女に借りた。アマンダが聖ティモシー教会の前で降りたので、クレマンは「やめるんだ。君は欲張り過ぎてる」と止めようとする。アマンダは「何言ってるの。努力無くして成功無しよ」と告げ、教会に向かった。窓から覗いたクレマンは、彼女が牧師を務める父親と会っていると知って安堵した。
コフマンはミラーから、不動産会社に1年間の賃料の前払いを要求されたことを聞かされた。既にバートンは自宅を抵当に入れて製作費を工面しており、舞台は中止の危機に陥った。コフマンが調べると、不動産会社の大株主はクレマン社の子会社だった。クレマンはコフマンから非難され、「何も知らない。ジョージが手を回したんだろう」と告げる。彼は「皆が私の金を尊敬している。彼女だけは私を一人の男として見てくれた。どんなことがあっても失いたくない」と語り、協力を求めた。
コフマンはバートンの元へウェルシュを連れて行き、彼の職業を隠してスポンサー候補として紹介した。ウェルシュは全額を出資する条件として、権利の51パーセントを要求した。バートンはクレマンのパートを稽古していた時、アマンダとトニーの歌に物足りなさを感じた。そこで彼は、クレマンに途中で鶏の鳴き真似をするよう指示した。ウェルシュはクレマンに、「このままだと彼女はトニーと恋に落ちるでしょう。貴方に勝ち目は無い」と述べた。
クレマンが「強力な武器があれば別だ。ジョークなら勝てるかも。いい考えは無いか」と言うと、ウェルシュは「我が社は放送局の大株主。コムストックとイエールが局の役員になっています」と教える。彼はミルトン・バールに高額の報酬を渡し、クレマンのコーチを頼んだ。バールはクレマンに、受ける動きやジョークを指導した。彼はウェルシュの友人を装って稽古場に顔を見せ、「外で練習を見た。優秀なコメディアンがいる」とクレマンを称賛した。バールはクレマンに、皆の前で練習していた芝居を披露するよう促した。クレマンは練習の成果を披露し、アマンダたちの笑いを誘った…。

監督はジョージ・キューカー、脚本はノーマン・クラスナー、追加脚本はハル・カンター、製作はジェリー・ウォルド、撮影はダニエル・L・ファップ、美術はライル・R・ウィーラー&ジーン・アレン、編集はデヴィッド・ブレサートン、衣装はドロシー・ジーキンス、音楽はライオネル・ニューマン、音楽協力はアール・H・ヘイゲン、作詞&作曲はサミー・カーン&ジミー・ヴァン・ヒューゼン、主題歌はコール・ポーター、ミュージカルシーン演出はジャック・コール。
出演はマリリン・モンロー、イヴ・モンタン、トニー・ランドール、フランキー・ヴォーン、ウィルフリッド・ハイド=ホワイト、デヴィッド・バーンズ、マイケル・デヴィッド、マーラ・リン、デニス・キングJr.、ジョー・ベッサー他。


『スタア誕生』『魅惑の巴里』のジョージ・キューカーが監督を務めた作品。
脚本は『ホワイト・クリスマス』『恋は巴里で』のノーマン・クラスナー。
アマンダをマリリン・モンロー、クレマンをイヴ・モンタン、コフマンをトニー・ランドール、トニーをフランキー・ヴォーン、ウェルシュをウィルフリッド・ハイド=ホワイト、バートンをデヴィッド・バーンズが演じている。
アンクレジットだが、エルヴィス・プレスリー役でディック・デイルが出演し、プロローグのナレーターをリチャード・ヘイデンが担当している。
また、俳優のジーン・ケリー、歌手のビング・クロスビー、コメディアンのミルトン・バールが、本人役で出演している。

マリリン・モンローはセックスシンボルとしてハリウッドの人気スターになったが、「オツムの弱いセクシーなブロンド娘」のイメージを脱却したいと思っていた。
所属する20世紀FOXに反発して独立を画策したり、アクターズ・スタジオで演技の勉強に励んだりした。
1956年の『バス・ストップ』や『王子と踊子』では、演技力も評価された。
しかし休暇や流産を経て1958年に復帰すると、『お熱いのがお好き』で再び典型的な「バカでセクシーな金髪女」を演じた。

当時のマリリン・モンローは、決して人気が低迷して「ダム・ブロンド」の役を受けざるを得ない状況に陥っていたわけではない。様々な問題を起こしてはいたが、相変わらず彼女は人気スターだった。
また、演技派への脱皮を図ったものの、それに失敗してダム・ブロンドしか出来なかったわけでもない。前述したように、演技力が評価された作品もあった。20世紀FOXは相変わらずダム・ブロンドな役ばかりを要求したが、それを拒否することも出来たはずだ。
しかし契約の問題などもあり、仕方なく引き受けたようだ。
それでも映画がヒットすれば少しは救いになったかもしれないが、『お熱いのがお好き』と違って本作品は不評で興行的にも失敗した。

コフマンはウェルチから上演を中止させるよう命じられ、「取り掛かります」と快諾して会社を出て行こうとする。しかしクレマンに呼び戻されると、「中止にしたら余計に悪い評判が立ちます」と話す。
クレマンは風刺劇について知らされ、「私はジョークのネタにされても構わないが、女性たちに迷惑が掛かるとしたら問題だ」と言う。しかしコフマンが「当たればテレビでエド・サリヴァンが紹介し、ライフやルック誌に記事が載るかもしれません」と説明すると、「私は笑われるのは嫌いだ」と口にする。
どっちのケースでも、さっき口にした自分の言葉と矛盾したことを喋っている。
どういうことなのか、サッパリ分からない。

クレマンが女好きであることは、台詞によって語られている。しかし、実際に彼がプレイボーイとして行動している様子を、冒頭で見せておいた方がいい。
女性へのプレゼントについて語るシーンもあるけど(それがネックレス)、実際に女性と会うシーンは無いのよね。
噂が全て嘘なら、それでも構わないのよ。でもクレマンがプレイボーイで多くの女性と交際しているのは事実なのよ。
だったら、それは実際に見せておくべきでしょうに。

っていうかさ、クレマンはアマンダに一目惚れするけど、そこから「プレイボーイだったけど、アマンダに対して一途になる」というわけでもないんだよね。
アマンダに惚れるシーンを描いた後で、他の女性へのプレゼントについて話すシーンがあるのよね。
アマンダと会った後、他の女性との関係を全て切ろうとする様子も無いし。
なので、他の女性と同じようなノリで、プレイボーイとしてアマンダを口説き落とそうとしているように見えちゃうのよ。

クレマンの言動を見ている限り、「こんな気持ちは今まで無かった。初めて真剣に女性を好きになった」という印象は皆無だ。
教会の前で「女たらしの金持ちが本気で恋をする」と言ってるけど、そうは見えない。
そういう物語に見せたいのなら、まずクレマンがプレイボーイであることを、もっと明確に示すべき。その上で、そこからアマンダに会って大きく変化するというのを描くべき。
ビフォーもアフターも、まるで描写が足りていないのよ。

クレマンはコフマンに、「皆が私の金を尊敬している。彼女だけは私を一人の男として見てくれた」と話す。
しかし彼はアマンダを口説き落とすために、権力と金を使いまくっている。
ラモントに高額を支払ってジョークを買い、それを披露してアマンダの気持ちを掴もうとする。
ウェルシュに舞台の権利を購入させ、自分がアマンダと仲良くなるために内容を変更させる。
「劇団は高いジョークを買えないが、私なら買える」と堂々と言い、ウェルシュが高額で雇ったミルトン・バールにコーチしてもらう。

クレマンはウェルシュに「重要会議の議長を務め、1千万ドルの投資を決める姿を見れば、アマンダは貴方に恋をするかもしれない」と言われ、「それは権力だ。代々続く億万長者の姿で、私じゃない。本当の私に恋してほしいんだ」と告げる。
でも彼はアマンダをモノにするために何度も権力と大金を使っているんだから、「億万長者の権力者」こそがクレマンの本当の姿なのよ。思い通りに事が運ばないと、ショーを中止にするし。
結局、最後までクレマンは権力と金に頼っていて、それ以外でアマンダをその気にさせることは出来ていない。
そして反省も改心も無いまま「お金持ちの権力者」としてアマンダとカップルになるので、「なんだかなあ」と言いたくなるわ。

(観賞日:2023年5月28日)

 

*ポンコツ映画愛護協会