『クラッシュ・グルーブ』:1985、アメリカ

ラッセル・シモンズとリック・ルービンは、「クラッシュ・グルーブ・レコーズ」という小さな音楽レーベルを立ち上げた。ラッセルの弟であるランが所属するヒップホップ・グループ「Run-D.M.C.」は、地元では人気が高かった。Run-D.M.C.の3人は洗車場で働いていたが、勤務中も音楽を流して騒いでいたためにオーナーの怒りを買った。オーナーがクビを宣告すると、Run-D.M.C.の3人だけでなく他の面々も揃って洗車場の仕事を辞めた。
ラッセルとリックがRun-D.M.C.のレコードを発売すると、狭い事務所には注文の電話が殺到した。ラッセルとスタッフは次々に注文を受けるが、リックだけは懸念を抱いていた。レコードをプレスする金が不足しているため、現物が無いからだ。しかしラッセルは自信満々で、「金は俺が何とかする」と告げた。大学で解剖の授業に出ていたディスコ3の3人は、退屈を感じてしまった。ラップで授業を妨害した3人は、教師に追い出された。彼らは喜んで教室を出るとラジカセで音楽を流し、ラップをパフォーマンスした。授業を終えて教室から出て来た生徒たちは盛り上がるが、教師は呆れ果てた。
教会を訪れたRun-D.M.C.のランとDMCは、ウォーカー神父から仕事を辞めたことを叱責された。「俺たちはスターなんですよ。スターが洗車の仕事なんて」とランが言っていると、ラッセルがやって来た。ラッセルはレコードの注文が一万枚も入っていることをウォーカーに語り、5千ドルを貸してほしいと頼んだ。しかしウォーカーは「神が試練を与えているんだ」と告げ、金を貸すことを拒否した。
ラッセルとRun-D.M.C.の4人は、有名なディスコ「フィーバー」を訪れた。フィーバーは、そのステージに立てば必ずスターになれると言われている店だ。ラッセルたちが訪れた時は、シーラ・Eがバンドを従えて歌っていた。ラップのトップ・グループで新作を出そうと考えているラッセルは、キャピタル・ファーという会社を営むジェイBから名刺を渡された。ディスコ3は店に入ろうとするが、偽の身分証明書がバレて受付の男に追い払われた。
ライブを終えたシーラは、マネージャーのカレンに「こんな場所は嫌よ。もっとマシな契約を取って来て」と不満を漏らした。カレンは「レコードを出さないと無理よ。こういう場所で顔を打っておくの」と説くが、シーラは「もう嫌なのよ」と不機嫌なままだ。ランは彼女に好意を抱き、声を掛けて「レコードを出した祝いでシャンペンを抜いたんだ」とテーブルに誘う。アイシャはシーラを説き伏せ、強引に席へ就かせた。
そこにいるのが人気上昇中のランとDMCだと知ったカレンは、シーラを紹介した。シーラはRun-D.M.C.を知らず、「ラップは嫌い」と言う。しかしランとDMCが軽くラップを披露すると、シーラは笑った。ディスコ3はラップを披露し、店で歌わせてほしいと受付の男に頼む。しかし金を請求されたため、不貞腐れて立ち去った。シーラたちが飲んでいると、ラッセルがやって来た。ラッセルはシーラに「君の歌、すごく良かったよ」と告げた。
ラッセルとリックは銀行へ行き、録音機材を担保にして5千ドルを借りようとする。しかしラップ・ミュージックをやっていることを説明すると、「もっと事業が発展しないと貸すことは出来ません」と断られた。ランとDMCはシーラのリハーサルに参加し、彼女が軽くラップを披露するのを聴いた。ランは「それは使える」と言い、シーラにアドバイスした。ジェイBのことを思い出したラッセルはリックに内緒で彼の元を訪れ、金を借りてRun-D.M.C.のレコードをプレスした。
Run-D.M.C.のレコードは大ヒットを記録し、多くのメディアに取り上げられた。Run-D.M.C.だけでなく、クラッシュ・グルーブの発売したカーティス・ブロウのレコードもヒットした。Run-D.M.C.、カーティス・ブロウ、ドクター・ジキル&ミスター・ハイドというレーベル所属の3つのアーティストは、合同でコンサートを開催した。会場は満員となり、観客は大いに盛り上がった。ラッセルは大手レーベルであるギャラクシーのテリー・ベイカーから、高額の契約金で移籍を持ち掛けられた。
カーティスに続いてステージに登場したRun-D.M.C.は、シーラとバンドを呼び込んでパフォーマンスさせた。会場は盛り上がったが、何も聞かされていなかったラッセルは「俺の了解を取らずに勝手なことをするな」とランを叱責した。ランが腹を立てて去ろうとすると、彼は「ステージに立て」と要求した。ランはDMCとJMJのいるステージへ移動すると、ラッセルに対する怒りをパフォーマンスにぶつけた。
コンサートの後、ランがシーラやDMCたちとディスコで飲んでいると、ラッセルかやって来た。ランは「お客はラッセル-D.M.C.とは言わず、Run-D.M.C.と呼ぶんだ」と声を荒らげ、ラッセルへの怒りを示す。シーラは喧嘩を始めそうなランをテーブルから連れ出し、彼の態度を諭した。しかしランは聞く耳を貸さなかった。シーラがテーブルに戻ると、ラッセルは「悪かった。君たちの仲が悪くならなきゃいいんだけど」と謝った。シーラは「私とランはただの友達よ」と恋愛関係を否定するが、他の女と一緒にいるランを気にしていた。
ランはテリーから、「ギャラクシーに来れば贅沢な暮らしが出来る。テレビもツアーも何でも出来る」と誘われる。彼は「ラッセルに君の移籍を頼んだが、断られた。チャンスは滅多に無いんだ。返事は明日まで待つ。考えてくれ」と告げた。ランはラッセルがタクシーでシーラを送って行く様子を眺めた。ディスコ3は新聞広告で、フィーバーで開催されるコンテストのことを知った。優勝すればレコード会社との契約が待っており、今回は誰でも店に入れるということだった。
リックやDMC、JMJたちは事務所でオーディションを開き、ナヨビという女性の歌が気に入った。その日のオーディションを終わろうとしたリックたちだが、勝手に入って来たLLクールJという青年がパフォーマンスを始めた。そのラップが使えると感じた一行は、すぐに契約を決めた。事務所にやって来たランは、ラッセルがギャラクシーとの高額な契約を勝手に断っていたことを明かして不満を漏らした。
ラッセルがフィーバーのコンテストに審査員として参加していると、ジェイBが現れて借金の返済を要求した。ラッセルが所持金を渡すと、ジェイBは「これだと利子の分だけだ。耳を揃えて返さないと、ただじゃ済まないぞ」と脅した。ディスコ3はプリンス・マーキー・ディーとザ・ヒューマン・ビート・ボックスの2人がコンテストに乗り気で、クール・ロック=スキだけは「また馬鹿にされる」と消極的だった。しかし2人に説得され、彼も参加を承諾した。
コンテストに参加したディスコ3のパフォーマンスが審査員たちの心を掴む中、ラッセルだけはジェイBが気になって集中できなかった。テリーを見つけたラッセルは、契約金を吊り上げて交渉しようとする。しかしテリーは「もうランとは契約した」と冷たく告げる。一緒に店へ現れたランが昨日の内に契約したことを話すと、ラッセルは激怒して掴み掛かった。ラッセルは制止され、憤慨しながら店を出た。コンテストの優勝はニュー・エディションで、ディスコ3は2位に留まった。カーティスは泣いて悔しがる3人に声を掛け、「週末には飛び入りでステージに立てる」と励ました。
カーティスはラッセルと会い、話をしようとする。しかしラッセルはRun-D.M.C.だけでなくカーティスやジキル&ハイドもギャラクシーと契約したことに腹を立てており、「話すことなんて何も無い」と拒絶した。店を出たディスコ3は強烈な食欲を覚え、悔しさを忘れた。腹一杯になった3人は金を払わずにファストフード店から逃亡し、グループ名をファット・ボーイズに変更しようと決めた。所属していたミュージシャンをゴッソリと引き抜かれたラッセルは、シーラを売り出そうと考える…。

監督はマイケル・シュルツ、脚本はラルフ・ファークハー、製作はマイケル・シュルツ&ダグ・マクヘンリー、製作総指揮はジョージ・ジャクソン&ロバート・O・カプラン、共同製作&ストーリー・コンサルタントはラッセル・シモンズ、製作協力はシャーリー・キャロウェイ&グロリア・シュルツ&ドワイト・ウィリアムズ、撮影はアーネスト・ディッカーソン、編集はジェリー・ビックスマン&コンラッド・M・ゴンザレス、編集監修はアラン・J・コズロウスキー、美術はミーシャ・ペトロウ、衣装はダイアン・フィン=チャップマン、振付はロリ・イーストサイド、音楽監修はカーティス・ブロウ。
出演はブレア・アンダーウッド、シーラ・E、Run-D.M.C.、ファット・ボーイズ、カーティス・ブロウ、ニュー・エディション、リチャード・E・グラント、リサゲイ・ハミルトン、ダニエル・シモンズ、ラッセル・シモンズ、チャールズ・ステットラー、リック・ルービン、サル・アバティエロ、ビースティー・ボーイズ、ドニー・シンプソン、カレン・モス、ドクター・ジキル、ミスター・ハイド、ギャラクシー、チャド・エリオット、マイケル・ルイス、B−ファイン、ポール・アンソニー他。


アメリカのレコードレーベル「デフ・ジャム・レコーディングス」が設立された当時の出来事をモチーフにした作品。
ただし、かなり脚色が入っており、例えばシーラ・Eはデフ・ジャムの所属じゃないし、Run-D.M.C.たちが一斉にレーベルを抜けたことも無いし、ラッセルとランが仲違いしていた事実も無い。ラッセル・シモンズは劇中ではラッセル・ウォーカーという名前に変更され、ブレア・アンダーウッドが演じている。
それ以外の主要キャストはシーラ・E、Run-D.M.C.、ファット・ボーイズ、カーティス・ブロウ、ニュー・エディションの全てを本人が演じている。
上述した面々以外も、リック・ルービン、「フィーバー」のオーナーであるサル・アバティエロ、ビースティー・ボーイズ、ドクター・ジキル&ミスター・ハイド、チャド・エリオット、ミスター・マジック、LLクールJ、ナヨビといった面々が本人役で出演している。
また、ラッセル・シモンズがディスコ経営者のクロケット役で、ファット・ボーイズのマネージャーだったチャールズ・ステットラーがテリー役で、ラッセル&ランの父親であるダニエルがウォーカー神父役で出演している。
監督は『サージャント・ペッパー』『ラスト・ドラゴン』のマイケル・シュルツ。

デフ・ジャム・レコーディングスの設立は1984年で、この映画の公開は1985年。
実在の企業や団体を第三者が映画で取り上げる場合、「既に解散したけど過去にブームを巻き起こした団体」とか、「長く続いている企業の創立当時」といった感じで、かなり以前の出来事を描写するのが普通ではないだろうか。
この映画のように、設立当時の出来事を翌年に描くというのは、珍しいように思う。
それを考えると、これはデフ・ジャム・レコーディングスがプロモーションのために仕掛けた映画じゃないかという気がする。
しかも白人であるリック・ルービンの存在感が著しく低いことからすると、黒人のマーケットを意識して作られた作品ではないかと思われる。

前述したように、主要キャストの大半を本人が演じているってことは、つまりブレア・アンダーウッドの脇にミュージシャンばかりが揃っているということだ。
本職が俳優じゃない上に、演技経験も皆無に等しい面々ばかりが大挙して出演しているわけだから、言うなれば文士劇のミュージシャン版みたいなモンだ。
だから見世物的な面白さはあるだろうけど、あくまでも「大勢のミュージシャンが芝居をしている」という物珍しさを楽しむモノだ。
作品としての質は、考えないようにすべきなんだろう。

文士劇と大きく異なるのは、こっちはシナリオからしてグダグダになっているってことだ。
ファット・ボーイズが学校でパフォーマンスするシーンなんて、流れとか繋がりなんて完全に無視しているもんな。
「まずミュージシャンがパフォーマンスするシーンありき」で構成が考えられていて、後から強引にエピソードとエピソードを繋げている感じだ。
そもそも、彼らが豚の胎児を解剖する授業を学校で受けている時点で、「そのシーンはホントに要るのか?」と思ってしまう。

ディスコ「フィーバー」のシーンで最も重要なのは、「ラッセルがシーラと出会う」という出来事だと思うんだよな。そこでラッセルはシーラに好意を抱き、そこから2人の恋愛劇ってのがあるわけだから。
それを考えると、そこでの2人の絡みってのが薄すぎるでしょ。シーンの終わりになって、ようやくラッセルがシーラに挨拶するだけなんだから。
ところが、その段階でラッセルがシーラに好意を抱いている気配が漂ってているんだよな。
挨拶するだけで終わるなら、それは早すぎるわ。

そこで既に恋愛の予感を抱かせるなら、「ラッセルがシーラのライブを見て興味を抱く」ってのを、もっとキッチリとアピールしておくべきだ。それに、ランがシーラをテーブルに誘った時、そこにラッセルも同席させて、それなりに会話を交わさせるべきだよ。
あと、その段階ではランがシーラに好意を抱いている様子だったが、そういう線はいつの間にか消滅しちゃうんだよな。
その一方、ラッセルとシーラの恋愛劇も、ラッセルが彼女を売り出すと決めた途端、急にダイジェスト処理の中でキス・シーンが入るという雑な処理。
そこまでに2人の恋心が高まって行くようなドラマは皆無なので、取って付けた感たっぷりだ。

ファット・ボーイズはラッセルたちがディスコを訪れるシーンでも登場し、「入れてもらおうとするが追い払われる。ラップを披露して歌わせてほしいと頼むが、金を請求されたので腹を立てて帰る」というエピソードが描かれる。
だけど、これも前述したシーンと同様で、「それってホントに要るのか」と思ってしまう。
ただし、ここに関しては、パフォーマンスがあるわけでもないんだよな。
ってことは、どうやら全体を通して「まずミュージシャンがパフォーマンスするシーンありき」で構成しているわけではないようだ。

最初はファット・ボーイズをコメディー・リリーフ的に使おうとして、それが上手く行っていないってことなのかと思ったりもしたのだが、そうではなかった。
レコード会社の経営に奔走するラッセルが主人公というわけではなくて、それと並行して「スターを夢見るファット・ボーイズ」と「レコード発売を目指すシーラ・E」の様子も描こうという構成なのだろう。
で、それが残念ながら上手く噛み合わず、相乗効果も発揮されず、どれも薄っぺらくなってしまったということなんだろう。

他にも「ラッセルがジェイBに借金して返済を迫られる」とか、「ラッセルとランの関係が不和になる」とか、様々な出来事が描かれていくのだが、それらが巧みに絡み合うことは無く、スムーズな流れを生み出すことも無い。
どれも消化不良で、ツギハギ状態で散漫な印象ばかりが強くなっている。
特にツギハギ感が強いのは、ファット・ボーイズのエピソードで、その理由はデフ・ジャムと無関係だから。
ラッセルは彼らの参加したコンテストで審査員を務めているが、レーベルに引き入れるわけじゃない。
ファット・ボーイズを見出すのはカーティスで、彼はギャラクシーに移籍してから彼らを売り込むので、ラッセルやデフ・ジャムとの距離が遠いのだ。

これってファット・ボーイズの部分だけで1本の映画にした方が、絶対にスッキリするぞ。
この映画では邪魔になっているけど、実は最も面白くなりそうな気配があるのもファット・ボーイズのエピソードなんだよな。
っていうか、どれが邪魔とかいう問題じゃなくて、そもそも「これが中心」ってのが本作品には無いんだけどね。
本当ならラッセルとランの兄弟関係が軸になっているべきなんだろうけど、他の雑多な要素に邪魔されていることもあって、そこもペラッペラだし。

全体を通して「まずミュージシャンがパフォーマンスするシーンありき」で構成しているわけではなさそうだと上述したが、それでもパフォーマンスのシーンが本作品で最も重要な要素になっていることは間違いない。
ラッセルが企画した合同コンサートのシーンなんかは、物語の進行やドラマとしての面白さだけを考えれば、「遅れて来たランが無断でシーラに歌わせ、ラッセルが腹を立てる」という部分に重点を置くべきだろう。しかし実際には、カーティス・ブロウやシーラ・Eのパフォーマンスにたっぷりと時間を割いている。
コンテストのシーンではビースティー・ボーイズとファット・ボーイズがたっぷりとパフォーマンスするし、タレント・コンテストにファット・ボーイズが代打で参加するシーンでも彼らのパフォーマンスを存分に見せるし、そこが本作品の軸ってことなんだな。
ただ、それならそれで、パフォーマンスのシーンをスムーズに繋ぐようにドラマ部分を構築すべきだろうに、そこがギクシャクして邪魔になっているんだから、それじゃあマズいでしょ。

(観賞日:2014年9月8日)


第6回ゴールデン・ラズベリー賞(1985年)

ノミネート:最低オリジナル歌曲賞「All You Can Eat」

 

*ポンコツ映画愛護協会