『キングダム・オブ・ヘブン』:2005、アメリカ&イギリス&ドイツ&スペイン&モロッコ

キリスト教徒とイスラム教徒、双方の聖地であるエルサレムを十字軍が奪ってから約百年が経過した。ヨーロッパは慢性的な圧政と貧困に苦しめられ、農民も貴族も救いを求めて遠い聖地を目指した。そして1人の騎士が、まだ見ぬ息子を捜して故郷の地へ戻って来た。1184年、フランス。イベリンの領主であるゴッドフリーは十字軍の騎士たちと共に、丘の墓地を通って村へ赴いた。鍛冶職人のバリアンという青年が働く場所に到着した一行は、蹄鉄の付け替えと食事の提供を要請した。
ゴッドフリーは側近のホスピタラーから、「丘の上で葬られていたのは、バリアンの妻です。赤ん坊の死に耐えられず、自殺したのです」と聞かされる。ゴッドフリーはバリアンに実父であることを明かし、赦しを求めた。「エルサレムに百人の兵がいる。私と一緒に来れば、暮らしは保証する」とゴッドフリーが言うと、バリアンは即座に断った。ゴッドフリーは「我々はメッシーナを経由して、エルサレムへ向かう」と告げ、町を去った。
村の司祭はバリアンに、「十字軍に参加しろ。奥さんを地獄から救える。自殺者は地獄行きだ」と話す。司祭が妻の十字架を下げていることに気付いたバリアンは激昂し、彼を殺害した。馬に飛び乗ったバリアンは村を飛び出し、ゴッドフリーの一行に追い付いた。バリアンは一団に同行し、森で休息を取った。バリアンがゴッドフリーの部下たちから剣の使い方を教わっていると、司教の命を受けた執行官の一団がやって来た。司祭殺しのバリアンを引き渡すよう要求されたゴッドフリーは、それを拒否した。
軍勢が急襲して来たため、ゴッドフリーたちは反撃する。ゴッドフリーは多くの家臣を失い、自らも矢を受けるが、何とか敵を全滅させた。残った一行は重傷を負ったゴッドフリーを運び、巡礼キャンプ地に辿り着く。ホスピタラーがゴッドフリーの手当てをしていると、騎士のギー・ド・リュジニャンが現れた。嫌味っぽい態度を取るギーに、ゴッドフリーも皮肉で返した。ゴッドフリーはメッシーナに着くが、容体は悪化する一方だった。
ゴッドフリーはバリアンに、「お前は私の息子だ。エルサレム王に仕えねばならん」と説く。「私に何が出来ます?」とバリアンが訊くと、彼は「夢に描いた世界を築くのだ。キリスト教徒とイスラム教徒が共存できる世界。サラディンとエルサレム王が手を結ぶ世界がある」と語った。バリアンが外で食事を取っていると、ギーが現れて「今の王が死んだら、イスラム教徒の友達はエルサレムに入れん。お前の父のように、キリスト教徒を裏切った者もな」と言い放った。
ゴッドフリーはバリアンを呼んで騎士の任命式を執り行い、「怯まず敵に立ち向かえ。神は正義と勇気を愛される。例え死に至るとも、常に真実を語れ。エルサレム王を守れ。王の亡き後は、民を守れ」と語って息絶えた。バリアンはゴッドフリーの家臣たちと別れ、帆船でエルサレムを目指す。しかし嵐に見舞われて船は難破し、バリアンが気付くと浜辺に漂着していた。他の乗組員は全滅しており、バリアンは浜辺で見つけた馬に乗って砂漠を進んだ。
バリアンはイスラムのマメッド・アル・ファイスという勇士と遭遇し、馬を渡すよう要求された。バリアンは拒否し、マメッドと戦った。マメッドを殺害したバリアンは、その従者であるイマドにエルサレムまでの案内を要求した。エルサレムに到着すると、バリアンはイマドに「ここでお別れだ」と告げた。バリアンはゴルゴダの丘で一夜を明かし、妻の墓を作った。町に戻ったバリアンは、ゴッドフリーの家臣たちと遭遇して父の屋敷へ案内された。
バリアンが屋敷にいると、馬に乗った女性が現れて「水を飲ませて」と言う。バリアンが井戸水を与えると、彼女は「ゴッドフリーの息子に伝えて。シビラが立ち寄ったと」と告げて去った。ホスピタラーがバリアンの元を訪れ、「エルサレムはどうです?」と問い掛けた。バリアンが「神の声は聞こえない。私は信仰心を失ったようだ」と語ると、彼は「信心深いのも考えものです。神の意志と称し、信者がいかに非道なことを行ったか。聖人とは、弱き者のために勇気を持って正義を行う人々のことです」と述べた。
ホスピタラーはバリアンを裁判所へ案内し、「この6年、王はサラディンと和平を結び、あらゆる宗教の人々にエルサレムを祈りの場として開放しました」と説明した。テンプル騎士たちがアラブ人を殺した罪で処刑される様子をバリアンが目にすると、ホスピタラーは「ローマ教皇の命令で処刑されるのです」と述べた。同じ頃、カラクの領主であるルノー・ド・シャティヨンはティベリウス卿から「あの騎士たちは貴公の襲撃で斬首刑になった。城は王が取り上げるであろう」と非難され、「やってみるがいい」と言い返していた。
ホスピタラーはバリアンを伴い、ティベリウス卿の元へ赴いた。ティベリウスはサラセンの王であるサラディンについて。ダマスカスだけでも20万の軍を抱えていると話す。彼は「戦えば必ず勝つのに、ヨーロッパから流れて来るルノーのような信者どもの挑発には乗らぬ」とサラディンを評価し、「私も平和の維持に努めているが、より良い世界を作れるのは我が王とサラディンだ」と述べた。ティベリウスから誘われたバリアンが会食の席へ行くと、ギーがシビラを伴って現れた。シビラは王の妹で、ギーの妻だった。
ギーはバリアンの身分を侮蔑し、不愉快そうに退席した。バリアンはシビラと会話を交わした後、エルサレム王であるボードワン4世と面会する。ボードワンは重い病気を患い、仮面で顔を隠していた。彼はバリアンに、「父上の城へ行き、巡礼者の安全を守るのだ。私が力尽きた時には守ってくれ」と告げた。バリアンが家臣を率いてイベリンへ到着すると、城の周囲は荒地が広がっていた。千エーカーの領地には百の家族が暮らしており、キリスト教徒もユダヤ教徒もイスラム教徒も含まれていた。
領地には水が不足しており、バリアンは民と共に地面を掘って井戸を作った。そこへシビラが現れ、カナへ行く途中なので泊めてほしいと頼んだ。バリアンは快諾し、彼女と話し込む。ギーとの結婚についてバリアンが訪ねると、彼女は「母が決めた縁組よ。私は15歳だった」と答えた。その夜、シビラはバリアンの部屋を訪れ、カナ行きが嘘であることを打ち明けた。シビラが恋心を素直に示すと、バリアンは彼女と肉体関係を持った。
ルノーとギーはテンプル騎士団を率いて、サラセンの隊商を襲撃した。ティベリウスが批判すると、ギーとテンプル騎士団は悪びれずに「サラディンと戦って滅ぼすべきだ」と主張した。ボードワンはサラディンが軍勢を率いてカラクへ向かっているという情報を知らされ、ティベリウスに「サラディンがルノーの城を攻める前に彼と会う。バリアンに人々を守らせよ」と耳打ちした。知らせを受けたバリアンはシビラと少数の兵を伴い、カラクへ向かった。
バリアンはシビラをカラク城に入らせると、兵隊を率いてサラセン軍の先発隊を待ちうけた。バリアンと家来たちはサラセン軍と戦うが、多勢に無勢で惨敗を喫した。先発隊の体長がイマドだと知り、バリアンは驚いた。「あの時は従者かと」と彼が口にすると、イマドは「彼が従者だ」と教えた。サラディンの率いる本隊が到着すると、イマドはバリアンに「城へ去るがいい。そこで死ぬ」と告げた。そこへボードワンが軍勢を率いて到着し、サラディンと交渉する。ボードワンが「ルノーには私が処罰を下す。約束する」と述べて戦闘の回避を求めると、サラディンは了承して兵を引き上げた。
ボードワンはルノーを厳しく叱責するが、体調の悪化で倒れ込む。ティベリウスは家臣にルノーを逮捕させ、死罪を宣告した。ボードワンはバリアンに、「目覚ましい働きだ。我々の役に立ってもらいたい」と述べた。エルサレムへ戻った彼は、バリアンに「エルサレムの全軍の指揮を執ってもらいたい」と持ち掛けた。バリアンが引き受けると、彼は「妹がギーと縁を切ったら、妻として迎えてくれるか」と質問した。バリアンが「ギーはどうなります?」と尋ねると、同席したティベリウスが「死罪に処す」と答えた。
バリアンは「良心が咎めます」と言い、シビラとの結婚を断った。「なぜギーを庇う?この国を救うためだ」とティベリウスが言っても、彼は「良心を欠いたエルサレムは無です」と考えを変えなかった。一方、ギーは入牢しているルノーと会い、バリアンの殺害を促された。ボードワンが死去したため、シビラの夫であるギーが王の座を継いだ。ギーはルノー刺客を差し向け、バリアンを襲撃させた。彼はルノーを釈放し、サラセンとの戦いを決意する。2人は戦いの火種を作るため、サラディンの妹を惨殺した…。

監督はリドリー・スコット、脚本はウィリアム・モナハン、製作はリドリー・スコット、製作総指揮はブランコ・ラスティグ&リサ・エルジー&テリー・ニーダム、共同製作はマーク・アルベラ&デニース・オニール&ヘニング・モルフェンター&ティエリー・ポトク、製作協力はテレサ・ケリー&タイ・ウォーレン、撮影はジョン・マシソン、美術はアーサー・マックス、編集はドディー・ドーン、衣装はジャンティー・イェーツ、音楽はハリー・グレッグソン=ウィリアムズ、音楽監修はマルク・ストライテンフェルト。
出演はオーランド・ブルーム、エヴァ・グリーン、リーアム・ニーソン、ジェレミー・アイアンズ、デヴィッド・シューリス、ブレンダン・グリーソン、マートン・ソーカス、マイケル・シーン、ハッサン・マスード、アレクサンダー・シディグ、ハレド・ナバウィー、ケヴィン・マクキッド、ヴェリボール・トピッチ、ジョン・フィンチ、ウルリッヒ・トムセン、ニコライ・コスター=ワルドー、エドワード・ノートン、イアン・グレン、エリック・エブアニー、フィリップ・グレニスター、ヨウコ・アホラ、ブロンソン・ウェッブ、ショーン・アトウール、ジャンニーナ・ファシオ他。


『ブラックホーク・ダウン』『マッチスティック・メン』のリドリー・スコットが監督を務めた作品。
脚本のウィリアム・モナハンは、これがデビュー作。
バリアンをオーランド・ブルーム、シビラをエヴァ・グリーン、ゴッドフリーをリーアム・ニーソン、ティベリウスをジェレミー・アイアンズ、ホスピタラーをデヴィッド・シューリス、ルノーをブレンダン・グリーソン、ギーをマートン・ソーカス、司祭をマイケル・シーンが演じている。
他に、ボードワン4世をエドワード・ノートン、イングランド王リチャード1世をイアン・グレン、サラディンをハッサン・マスード、イマドをアレクサンダー・シディグが演じている。

冒頭、ゴッドフリーがバリアンを訪ね、実の父だと打ち明ける。しかしバリアンは、ほとんど表情を変えずに対処する。
「妻が自殺して心が沈んでいるから、それどころじゃない」ということなのかもしれないが、だったら「ゴッドフリーが父だと知っていた」という設定でも大して変わらないでしょ。「ゴッドフリーが今までバリアンの知らなかった事実を打ち明ける」というイベントを用意しておきながら、それにバリアンが無反応で返しちゃったら、その仕掛けが死ぬでしょ。
そもそも「妻の自殺」という設定は、本当に必要だったのかと思ってしまう。それさえ無ければ、ゴッドフリーの告白にバリアンが驚く」という形は普通に取れるわけで。
妻の自殺という要素は、ただバリアンを陰気で惹き付けられない奴にしているだけだ。バリアンは十字軍に参加するが、そこに「妻を地獄から救うため」というモチベーションは見えないし。
っていうか、単純に「父がいるから付いて行く」ということで成立するわけだし。

「妻のいた場所だから」ってことでゴッドフリーへの同行を断ったバリアンは、司祭が妻の十字架をしているのに気付いて殺害し、すぐに後を追って同行することになるんだけど、それも無駄な手順にしか思えない。「ゴッドフリーに誘われ、迷った末に同行を決める」という形にしておけばいいわけで。
司祭を殺したことで身柄の引き渡しを要求する軍勢が現れ、戦いが勃発してゴッドフリーと数名が死ぬのだが、「バリアンの愚かな行動のせいで余計な犠牲者が出た」と感じるので、すんげえマイナスだし。
あと、ちょっと剣の使い方を教わっただけなのに(しかも数分程度だぞ)、なんでバリアンは森の戦いで普通に活躍できているんだよ。「バリアンには戦闘における天才的な能力が備わっていた」とでも解釈しろってことなのか。
しかも剣の扱いに長けているというだけでなく、ただの鍛冶職人だった奴が、攻撃を受けても全く怯まず勇敢に戦えているんだよな。
そもそも司祭を殺した時点で、「初めて人を殺した」ということへの恐怖に見舞われてもおかしくないのに、そこも全く引きずらないし。

限られた上映時間の中で多くの内容を詰め込まなきゃいけないので、かなり駆け足になるのも分からなくはない。しかし、それにしても説明不足だし、かなり淡白な進行になっている。
ゴッドフリーがメッシーナで息を引き取る時も、バリアンは無反応に近いし、話としても余韻は無い。そしてゴッドフリーが死ぬと1分程度でバリアンは海に出て、そこから1分程度で浜辺に漂着している。
そんなに短く「海に出たら難破して浜辺に漂着する」という手順を片付けるぐらいなら、そこは要らなくないか。
っていうかさ、船が嵐で難破して他の乗組員は全滅しているのに、バリアンだけは大したダメージも受けずに生き残るって、どんだけ都合が良すぎる展開なのかと。
出航前にホスピタラーが「危険な旅ですが、神が意図された旅なら無事に到着できます」と話しているので、「神の意図」ってことを示したいのかもしれないよ。ただ砂漠で都合良くイスラムの勇士に遭遇するとか、その側近にエルサレムまで案内してもらうとか、その辺りも含めて、もはやコメディー・タッチじゃないと成立しないぐらいのラッキーマンだわ。

ゴッドフリーは自分の死期を悟り、バリアンに「夢に描いた世界を築くのだ。キリスト教徒とイスラム教徒が共存できる世界。サラディンとエルサレム王が手を結ぶ世界がある」と話す。
だけど、そこまでに彼のスタンスは全く示されていなかったので、唐突で違和感がある。
ギーが「今の王が死んだら、イスラム教徒の友達はエルサレムに入れん。お前の父のように、キリスト教徒を裏切った者もな」と言うので、ゴッドフリーが和平推進派だったことは伝わる。ただ、それを台詞から推測させるだけってのは、上手い方法とは言えない。
だから本当ならゴッドフリーが生きている間に、ドラマや掛け合いの中で彼の考えを示しておきたいところなのよね。

メッシーナでゴッドフリーが死んだ後、バリアンは帆船で海へ出る。
だが、なぜホスピタラーたちと別れて一人でエルサレムを目指すのか、それが良く分からない。
そこまでゴッドフリーの一団と一緒に進んで来たんだから、エルサレムま同行すればいいんじゃないのか。彼だけが別行動を取らなきゃいけない事情が全く分からない。
ホスピタラーはバリアンに「危険な旅」と言っているけど、本人はエルサレムで平然と再登場するので、「アンタらは楽な旅だったのかよ」と思っちゃうし。

リドリー・スコットはホスピタラーに、「信心深いのも考えものです。神の意志と称し、信者がいかに非道なことを行ったか」と十字軍を厳しく批判させる。
また、ティベリウスには「戦えば必ず勝つのに、ヨーロッパから流れて来るルノーのような信者どもの挑発には乗らぬ」とサラディンを称賛させる。
そこには、現在の中東和平を巡る宗教対立へのメッセージを訴えようという意図があるんだろう。
ただ、そういうのを声高に訴えるのも結構だが、そっちばかりに気を取られて映画の出来栄えが悪くなったら本末転倒なわけで。

バリアンは妻の自殺を引きずったままエルサレムを訪れ、そこで彼女の墓を作っている。
ところが、墓を作って満足したのか、それで完全に妻のことは忘れてしまう。そしてシビラに出会うと簡単に惚れてしまい、死んだ妻の存在は何のストッパーにもならない。
そうなると、ますます妻の存在は邪魔なだけだ。
そりゃあ妻を亡くして独身だから、バリアンが他の女に惚れるのは自由っちゃあ自由だろう。だけど、まだ妻の自殺から間もないわけで、どんだけ気持ちの切り替えが早いのかと。

イベリンに到着したバリアンは、父の家臣だったアルマリックから「キリスト教徒とユダヤ教徒とイスラム教徒が住んでいる」という説明を受ける。
だけど、そこはバリアンが「異なる宗教の人々が共存している」ってのを目で見て、感じる様子を描くべきじゃないのかと。そうしないと、ゴッドフリーの功績が伝わりにくい。
いっそのこと、そこまではバリアンが周囲の人々から父に関する言葉を聞かされてもピンと来ておらず、イベリンで異なる宗教の人々が共存する姿を見て初めて偉大さに気付くという形でもいいぐらいなのよ。
その辺りを淡々と処理しているので、まるで心に残る物が無い。

バリアンは何の実績も無い若者であり、最近までは鍛冶職人だった奴だ。それなのに「ゴッドフリーの息子」というだけで、父の家来たちは最初から全面的に受け入れて従順に従っている。ティベリウスはバリアンを最初から認めているし、ボードワンは「父の城で巡礼者の安全を守れ。私が力尽きた時には守ってくれ」と全面的に信頼して仕事を任せている。
バリアンが最初から特別扱いを受ける理由が、全く分からない。
むしろギーやルノーのように見下す態度を取る方が、よっぽど腑に落ちるわ。
バリアンがカリスマ性やオーラを放っているわけでもないんだし。

カラクへ赴いたバリアンは、自分が指揮する最初の戦闘でも全く怯まないどころか、普通にリーダーとして軍を率いている。そんな技能を、どこで習得したのか。
で、勇ましく突っ込んで惨敗を喫するのだが、たまたま敵の隊長がイマドだったというラッキーで殺されずに済む。「城へ行け。そこで死ぬ」と宣告されるが、ちょうどボードワンの軍が到着し、戦いは回避される。
またもバリアンは、単なる運の良さだけで助かっているわけだ。
っていうかね、そもそも彼は父からイスラム教徒との共存を目指すよう言われていたわけで、いきなり先発隊に特攻するのではなく、とりあえず話し合いを提案するという選択肢は無かったのかと思ってしまう。

ボードワンは死期が近いことを悟ると、バリアンに全軍の指揮を任せる。
いやいや、なんでだよ。カラクで「目覚ましい働きだった」と言っていたけど、ただ無謀に特攻して惨敗しただけでしょ。
まだ何の実績も上げていないのに、バリアンを超スピード出世させる根拠がサッパリ分からない。
全軍の指揮を持ち掛けられたバリアンにしても、大して驚きもせず、全く悩まず「御命令に従います」って、なんで自信ありげに言えちゃうのか。もうちょっと苦悩したり尻込みしたりしろよ。

で、全軍の指揮は快諾するくせに、シビラとの結婚は断るんだよな。
「良心が咎めます」と言うけど、既にシビラと不倫関係に陥っているわけで、今さら「良心が咎める」とか、アホかと。
むしろ正式な夫婦になれるんだから、そっちを選ぶべきだろ。全軍の指揮は快諾してシビラとの結婚は拒否するって、どういう判断基準なのかと。
「自分が承諾したらギーが処刑される」ってことに対して「良心が咎める」と言っている形だけど、「良心を欠いたエルサレムは無です」とカッコ付けても、まるでイケてないからな。

その後にギーが王位を継承して戦争を始めるんだけど、そこで多くの犠牲者が出るのは、全てバリアンの愚かな判断が原因なのだ。
だから戦が起きてから活躍したところで、醜いマッチポンプに過ぎない。
っていうか戦うことで大勢の犠牲者が出るので、父から「サラディンとエルサレム王が手を結ぶ世界を築け」と言われていたことを考えると、それを活躍と呼ぶことにも違和感があるし。
そんで最終的に彼はシビラと結婚するんだけど、「最初からそうすりゃ全て丸く収まったんだぞ。無駄な犠牲者も出なかったし、父の遺志も継げたんだぞ」と声を大にして言いたくなるわ。

(観賞日:2016年9月20日)

 

*ポンコツ映画愛護協会