『キングコング』:1976、アメリカ

インドネシアのスラバヤから、ペトロックス社の石油タンカーが出港しようとしていた。天候悪化が予想されるため、船長のロスは責任者のフレッド・ウィルソン出発を延期するよう進言する。しかしフレッドは他の石油会社に抜かれることを懸念し、すぐに出航するよう命じた。プリンストン大学の動物学者ジャック・プレスコットは警備担当者に金を渡し、船に忍び込んだ。ロスが危惧していた通り、出航したタンカーは嵐に見舞われた。
嵐が過ぎ去った後、フレッドは部下たちに、海底油田の調査へ向かっていることを初めて打ち明けた。彼は側近のロイ・バグリーに、詳しい説明を任せた。ロイは船員たちに、人間が足を踏み入れたことの無い霧に隠れた島があることを語った。いつの間にか部屋に入り込んでいたジャックは、そこに動物が生息している可能性を口にした。彼はフレッドたちに、人間に似た巨大生物の目撃談が残されていることを話す。フレッドはジャックがライバル会社のスパイではないかと疑い、船室に監禁するよう部下たちに命じた。
甲板を連行されたジャックは、遠くに救命ボートが浮かんでいるのを発見した。調査船はボートに近付き、衰弱して倒れている金髪の女性を救助した。海軍への照会でジャックの身許を確認したフレッドは、彼を調査に利用しようと考えた。フレッドは「船に乗せてやるから仕事をしろ」とジャックに言い、調査団のカメラマンになることを要求した。医学の心得があるジャックは、フレッドに命じられて女性の手当てを行う。意識を取り戻した彼女は、ドワンという名の役者だった。香港で撮影中の映画に出演するため船に乗っていたが、難破して他の乗員は全て死亡していた。
霧が近付いて来ると、ドワンは島への同行を申し出た。フレッドは置いて行こうと考えていたが、彼女に頼まれて承諾した。ジャック、フレッド、ドワン、一等航海士のカーナハン、ロイ、船員のボーン、ペトロックス社のジョーら9名がボートに移り、霧へ向かった。霧を抜けた一行は島を発見し、ボートを着岸させて上陸した。足を進めた一行は、太古の遺跡である巨大な壁を発見する。それを見たジャックは、何かに怯えた人間が最近になって手を加えていると推察した。
フレッドは「島に人間などいない」とジャックの言葉を信じなかったが、壁の方から太鼓を打ち鳴らす音が響いて来た。調査団が近くへ行ってみると、島の原住民たちが暮らす集落があった。フレッドとロイは集落の中にある水たまりを双眼鏡で確認し、それが石油だと確信した。ジャックたちが岩陰に隠れて様子を観察していると、原住民は生贄の儀式を執り行うところだった。原住民は一行に気付き、歩み寄って喚き散らした。言葉は分からなかったが、ジャックは「神聖な儀式を冒した」と言っているのだろうとと推測した。
ドワンに気付いた族長は、身振り手振りで引き渡しを要求する。拒否すると力ずくで奪おうとして来たため、調査団は威嚇発砲して逃亡した。その夜遅く、ジャックは「奴らはコング、コングと歌っていた。それに、あの高い壁だ。奴らは生贄を捧げようとしていた」と言い、巨大な猿がいるに違いないと話す。しかしフレッドは「ただの祭りだよ」と軽く受け流し、「巨大な猿がいたら撃ち殺してやる」と口にした。ジャックは巨大生物を撮影するため、こっそりボートを盗んで島へ行こうと考えた。
ジャックはボートの準備をするが、ドワンが「今夜はやめて。星占いで、悪い夜だと出てるわ」と微笑むと、延期を決めた。ジャックが去った後、小舟で近付いた原住民の一団がドワンを拉致した。戻って来たジャックは、現場に残されていた原住民の首飾りを発見した。ドワンは原住民の酒を飲まされて意識が混濁したまま、城門の向こうへ運ばれた。原住民は彼女の両手を縛って放置し、城門を封鎖した。一方、ジャックたちはドワンを救出するため、ボートで島に上陸した。
原住民たちが「コング、コング」と声を揃えて叫ぶ中、ドワンの眼前に密林を押し分けて巨大なゴリラが現れた。コングは悲鳴を上げたドワンを大きな腕で掴み、密林に消えた。調査団は集落に駆け付け、威嚇発砲で原住民を追い払った。城門を開けた彼らは、巨大な足跡を発見した。フレッドやロスたちは浜辺に戻って待機し、ジャックやカーナハンたちは密林に分け入った。ジャックたちは周囲にドワンの姿が見つからないため、ひとまず野営することにした。
翌朝、ドワンはコングの棲家で目を覚ます。彼女が怯えて逃げ出そうとすると、コングは巨大な手で遮った。しかしコングはドワンを襲うことはせず、滝へ連れて行って汚れた体を洗わせた。一方、フレッドはロイから、集落で発見した液体は1万年ほど経たないと使い物にならないと聞かされた。本社に石油を発見したと連絡していたフレッドは、「他の手がある」と口にした。彼はスラバヤに連絡を入れ、飛行機で物資を投下するよう依頼した。
密林を進んでいたジャックを含む6人の捜索隊は、コングと遭遇した。しかしコングに襲われ、ジャックとボーン以外の4人は丸太橋から崖下へ転落した。コングが立ち去ると、ジャックはボーンに「お前は戻れ」と指示して後を追った。フレッドはロイに、コングを生け捕りにして宣伝に使う目論見を話した。フレッドたちが集落で生け捕りの罠を仕掛けていると、ボーンが戻って4人の死亡を知らせた。
その夜、コングがドワンの体を指で撫でていると、大蛇が出現した。コングが大蛇と戦っている間に、ドワンは隙を見て逃げ出した。彼女は駆け付けたジャックと合流し、その場から逃走した。コングは大蛇を始末し、2人の後を追った。城門を破壊して集落に突っ込んだコングは、フレッドたちの仕掛けた落とし穴に落ち、クロロホルムで眠った。フレッドはコングをタンカーに乗せて輸送し、帰国してから全米を巡るショーを開催することも決定した。
フレッドからショーへの出演を聞かされたドワンは、コングに同情的な態度を示した。ジャックはフレッドに、「島民にとってコングは神秘と謎の象徴だった。神が消えたせいで島の生活はメチャクチャになる」と批判的な意見を述べた。フレッドは「君たちにとって大きなチャンスなんだぞ」と苛立ち、「出演が嫌なら、すぐに降りろ。他の学者を呼ぶだけだ」と声を荒らげた。コングは船倉で暴れ出すが、ドワンが話し掛けると、おとなしくなった。やがてタンカーはアメリカに到着し、ニューヨークのシェイ・スタジアムで最初のショーが開催されることになった…。

監督はジョン・ギラーミン、原案はジェームス・クリールマン&ルース・ローズ、脚本はロレンツォ・センプルJr.、製作はディノ・デ・ラウレンティス、製作総指揮はフェデリコ・デ・ラウレンティス&クリスチャン・フェリー、撮影はリチャード・H・クライン、編集はラルフ・E・ウィンタース、美術はマリオ・チアリ&デイル・ヘネシー、衣装はモス・マブリー、音楽はジョン・バリー。
出演はジェフ・ブリッジス、チャールズ・グローディン、ジェシカ・ラング、エド・ローター、ジョン・ランドルフ、ルネ・オーベルジョノワ、ジュリアス・ハリス、ジャック・オハローラン、デニス・フィンプル、ホルヘ・モレノ、マリオ・ギャロ、ジョン・ローン、ギャリー・ウォルバーグ、ジョン・エイガー、ケニー・ロング、シド・コンラッド、ジョージ・ホワイトマン、ウェイン・ヘフリー他。


1933年の映画『キング・コング』をリメイクした作品。
脚本は『パピヨン』『パララックス・ビュー』のロレンツォ・センプルJr.、監督は『レマゲン鉄橋』『タワーリング・インフェルノ』のジョン・ギラーミン。
ジャックをジェフ・ブリッジス、ウィルソンをチャールズ・グローディン、ドワンをジェシカ・ラング、カーナハンをエド・ローター、ロスをジョン・ランドルフ、ロイをルネ・オーベルジョノワ、ボーンをジュリアス・ハリス、ジョーをジャック・オハローランが演じている。

ジャックは気付かれないように密航したんだから、せめて島に到着するまでは隠れていればいいものを、じっとしていない。なぜか会議をしている部屋に入り込んで、メモを取る。
それだけでも危険な行動だが、向こうが気付いていないのに自ら声を発して存在をアピールし、饒舌に喋る。
「もう出航した後だから追い出すことは出来ない」という確信があっての行動だとは思うが、スパイだと疑われて監禁されている。
そうなると島の調査なんて無理なわけで、やっぱり愚かで軽率な行動としか思えない。
なぜ「隠れていたのに気付かれた」という形にしなかったのか。

ドワンが救助されて意識を取り戻した後は、彼女が船員たちと仲良くなる様子や、シャワーを浴びる様子、じっと海を眺めている様子などが、BGMに乗せて描かれる。
「そんなことで無駄に時間を費やして何がやりたいのか」と文句を付けたくなる人がいるかもしれない。
無駄に時間を費やしているのは確かだが、「何がやりたいのか」という目的は明らかだ。
ジェシカ・ラングを見せたいのである。

もう少し詳しく説明すると、「ジェシカ・ラングをお色気女優としてアピールしたい」ってことだ。古くはマリリン・モンローとか、そういう系統のセクシーな女優として、ってことね。
その証拠に、すぐ後にはドワンが露出度の高い格好で上陸を志願するカットも用意されている。
しかも、ヘソが見えるシャツにショートパンツという格好のままで、何があるか全く分からない島に上陸しちゃうのである。
ホント、能天気にも程がある。

せめて動物学者のジャックが「そんな格好では危険だ」と注意してやるべきだろうに、どうやらドワンの色気にやられちまったようで、ノリノリでボートに乗せている。上陸した時には、鼻の下を伸ばしてお姫様抱っこなんぞしたりする。
そのくせ、滝へ走って行った彼女に「勝手に行くな」と注意はしている。
どうやら島の危険について何も感じていないわけではなさそうだが、それよりもドワンのエロい格好を堪能したいという欲望が勝ってしまったんだろう。
実際、ボートを盗んで島へ行こうとした時も、彼女に「今夜はやめて」と微笑で言われると、「撮影は延期してもいいな」とニヤけちゃうぐらいだし。

集落から戻ったドワンは着替えるが、また露出度の高い格好をしている。原住民に拉致されると着替えさせられるが、これまたセクシーな衣装だ。
そんな格好が必要なのかと問われたら、「お色気アピールのためには必要」と答えておこう。
あと、「一緒に乗っていた大勢の人々が死んで間もないのに、ドワンは浮かれまくって楽しそう」というのは、かなり気になるけど、あまり気にしちゃいけない。
だって疲れるから。
「おバカな映画なのだ」ということで、受け入れておこう。
ワシは無理だったけど(無理だったのかよ)。

1933年のオリジナル版では、キングコングがウィリス・H・オブライエンの手掛けたストップモーション・アニメーションによって表現されていた(そして、それが映画の売りだった)。
さすがに1976年という時代になって、まだストップモーション・アニメーションでは厳しいだろうってことなのか、今回は別の方法を採用している。
それは何かと尋ねたら(ベンベン)、「実物大のモデル」である。

プロデューサーのディノ・デ・ラウレンティスは「大きいことは、いいことだ」という考えの持ち主だったのか、カルロ・ランバルディーに全長16メートルで重さは5トンという実物大のキングコングを作らせた。
これは映画の宣伝において大いに役立ち、日本で公開された時にも解体して持ち込まれている。
しかし実際の撮影では全くの役立たずで、大半のシーンはリック・ベイカーが造形してスーツアクターも担当したキグルミを使って撮影されている。
ただ、ラウレンティスのことだから、実物大コングが撮影で役に立たなくても、宣伝効果としては充分だったので、それでOKと思っていたんじゃないだろうか。

ただし、じゃあリック・ベイカーが中に入ったコングが素晴らしいのかと問われたら、そんなに褒められたモンではない。
キグルミの造形はともかく、スーツアクターとしての動きがサッパリだ。
造形からすると巨大なゴリラのはずなのに、ほぼ直立姿勢で二足歩行しているんだよな。それは猿の動きじゃないよ。ゴリラなんだから、もうちょっと前傾姿勢で歩かないと。
感情だけでなく、動きまで人間っぽくなっちゃってんのかよ。

オリジナル版とは他にも様々な違いがある。
例えば、時代設定が異なる。いずれの映画も撮影当時における「現代」という時代設定で、たから本作品の場合は1976年になっている。
それに関連して、メイン3名が島へ行く目的も異なっている。
オリジナル版では、ジャングル映画の製作者が撮影のために南海の孤島へ向かい、町で見つけた女を主演女優に抜擢して連れて行くという形だった。これが本作品ではプレスコットとドワンに当たる人物で、ジャックに当たるのは船の一等航海士だった。
それに対して今回は、ウィルソンが油田調査、その船に密航している動物学者がジャック、香港に行く途中で遭難していた女優がドワンという形である。

しかし、この改変によって、かなり無理のある筋書きになっていると感じる。 「遭難した女優を救出する」ということでドワンが船に合流するのだが、そこまで無理のある展開にしてまで、そこのポジションを女優にする必要性って何なのか。コングに惚れられる金髪女性だから、ウィルソンやジャックの助手や仲間では不充分だという考えだったりしたのか。
オリジナル版と同じ設定で作れとは言わない。1976年という時代で「ジャングル映画を撮影するために南海の孤島へ向かう」というのは、それはそれで厳しいモノがあるだろう。
ただ、改変するにしても、もうちょっと何とかならなかったのか。

ウィルソンの目的を油田調査にしているのも、その後の展開を苦しいものにしている。
すぐに使える油田が発見できなかったため、彼はキングコングを見世物にして宣伝に使おうと考えるのだが、そこ、ちょっと無理があるんじゃないかと。
石油会社のボスが、いきなり巨大なモンスターを連れ帰って見世物にしようと考えるかね。
「石油は使い物にならない」と言われた直後に、生け捕りにして宣伝に使うことを思い付いているんだぜ。その時点では、まだコングの実物を見たわけでもないのに。

今回の改編で最も重要なポイントは、恋愛劇の要素が大きくなっているということだ。
「大きくなっている」というよりも、「映画として恋愛劇になっている」と表現した方が適切かもしれない。
「キングコングという巨大な怪物が登場するんだから、モンスター・パニック映画になっているはずでしょ」と思うかもしれない。
しかし、信じられないかもしれないが、これはホントに恋愛映画なのである。

「恋愛映画ってことは、ジャックとドワンの関係が軸になるのか」と思った人、それは半分だけ正解である。
確かに、ジャックがドワンに好意を抱いて、ドワンも彼に惹かれて、という恋愛劇は盛り込まれている。
スタジアムで暴れ出したコングからジャックとドワンが逃亡した後、バーで休憩を取って愛を語らうという「そんなことしてる場合じゃねえだろ」とツッコミを入れたくなる展開まで入れて、恋愛劇を描いている(そんなことしてるからドワンはコングに捕まってしまう)。

しかし、それよりも大きく扱われているのが、キングコングとドワンの恋愛劇だ。
キングコングはドワンを食べたりせず、優しく扱おうとする。それは「遊び道具やペットのような存在として気に入ったから」ということでも成立するのだが、この映画では「ドワンに恋愛感情を抱いた」ということになっている。
どうやら『美女と野獣』をやりたかったようだが、それを巨大な猿と金髪美女でやろうってのは、「無理を通せば道理が引っ込む」という言葉がピッタリと当てはまるような話である。
一方、さすがにドワンがコングに異性としての恋愛感情を抱くってことは無いが、しかし同情心や愛情は抱いている。
ダイアン・フォッシーも顔負けである。

コングに生贄が捧げられたのはドワンが初めてじゃないはずで、ってことは多くの女たちが犠牲になってきたばずた。それに、ドワンを捜索していた面々も命を落としている。
だけど、そういう意識は彼女の脳内に全く無いらしい。
ドワンにとってのコングは、野蛮で残忍や野獣ではなく、大切に保護してあげないといけない可哀想な生き物なのだ。
島でコングに捕まった時はビビりまくっていたはずなんだけど、捕まえて船で運んでいる段階で、既に「可哀想なコング」という感情になっている。
なんて感情の変化が早い女だ。

追い掛けてきたコングを退治してくれたのはフレッドなのに、「君を襲おうとした野獣だぞ」と彼が言うとドワンは「違うわ。彼は私を命懸けで守ってくれた」とコングを擁護する。
それは大蛇との戦いを意味しているんだろうけど、別にドワンがいなくても大蛇とは戦っていたと思うぞ。
あいつはコングを襲って来たんだから、身を守るためには戦わざるを得ないでしょ。
それを「私を守るために命を懸けて戦ってくれた」と解釈するのは、完全にドワンの思い上がりだ。

この女、「コングを船で輸送するのは可哀想」とか言っているんだけど、ショーで見世物にすることに関しては、積極的に反対に回っているわけではない。それどころか、そのショーに出演できることで「スターになれる」と浮かれている。
だから降板したジャックが「一緒に来てくれ」と頼んでも、ショーに出ることを選ぶ。
コングに対する愛情はあるが、「コングを利用して自分がスターになりたい」という野心や欲望の方が、それを上回っているのだ。
そんなヒロイン、好きになれるだろうか。
私は無理だね。

(観賞日:2013年12月17日)

 

*ポンコツ映画愛護協会