『キング・アーサー』:2004、アメリカ&イギリス&アイルランド

西暦300年、ローマ帝国はアラビアからブリテンにまで領土を拡大し、さらに多くの領土を従属させようとした。ローマの東に位置する サルマート人も滅ぼされ、騎馬隊だけが生き残った。ローマ軍の支配下に置かれた騎馬隊の兵役義務は、一代限りでは終わらなかった。 男子は代々、15年間の兵役義務を果たさなければ自由を得られない。少年ランスロットもブリテン島の南に派遣され、ローマの指揮官 アーサーの下で仕えることになった。北に住む先住民族の襲撃を防ぐため、島は長い城壁で南北に分断されていた。
15年後、アーサーと騎士ランスロット、ボース、ガラハッド、トリスタン、ダゴネット、ガウェインは、ゲルマヌス司教の馬車を襲った ウォードの軍勢を撃退した。馬車の中の人物は殺されたが、それはゲルマヌスではなかった。彼は替え玉を使っていたのだ。アーサーは ゲルマヌスに、「ローマ軍がブリテンから撤退しそうなので、ウォードが南下することもある」と説明した。ウォードを率いるのは マーリンという人物で、自分たちの土地を取り戻そうとしているのだ。
アーサーたちはゲルマヌスを護衛し、城へと戻った。ゲルマヌスが広間へ行くと、そこには円卓があった。ゲルマヌスは、自由と平等を説く ペラギウスがアーサーの父親代わりだと知ると、不快感を示した。ゲルマヌスはアーサーたちに、ローマがブリテンから撤退し、今度は何が あろうと関知しないことを告げた。彼は「きっとサクソン人が占領するだろう」と口にした。
今回の任務によって、ランスロットたちの兵役義務は終わるはずであった。しかしゲルマヌスはアーサーに、新たな任務を命じた。それは、 ハドリアヌスの城壁の北の地から、ローマ人貴族マリウスの一家を救出するというものだ。マリウスの息子アレクトは教皇の教え子で、 いずれは後を継ぐ可能性もある。サクソン人が北の地に迫っているので、助け出せという。それを終えれば退役証を渡すと、ゲルマヌスは 言った。アーサーは反発するが、「教皇の命令だ」と言われ、従うしかなかった。
アーサーは解放感に浸るランスロットの元へ行き、任務を伝えた。ランスロットたちはローマへの怒りを覚えるが、アーサーと共に出発した。 サクソン軍の指揮官セドリックは、裏切ったローマ人のヨルスからマリウス一家の情報を聞いた。セドリックは息子シンリックに、「我々 は北へ向かう。お前は南から回り込んで村を焼き払え。皆殺しにしろ」と命じた。北へ向かうアーサーたちは、森でウォード軍に襲われた。 だが、マーリンは攻撃を中止させ、引き下がった。
アーサーたちはマリウスの領地に到着した。マリウスは「ワシは行かん」と領地を手放すことを拒むが、アーサーは「馬に縛り付けてでも 連れて行く」と告げた。アーサーは、村の長老が罰を受けている姿を目撃した。村人ガニスによれば、長老はマリウスに嘆願したために罰 を受けたという。村人はマリウスに奴隷として扱き使われ、ひもじい思いをしているのだという。
アーサーは「人間は皆、生まれながらに平等だ」と告げ、長老の縄を解いた。そして村人に向かい、「動ける者はハドリアヌスへ向かえ。 動けない者は我々が連れて行く」と告げた。偵察に出ていたトリスタンが戻り、南北からサクソン軍が来ること、東に抜ける山道がある ことを告げた。アーサーが村人も連れて行くことを知った彼は、「それじゃあ助からん」と告げた。
アーサーは、地下神殿に複数のウォードが閉じ込められているのを知った。マリウスは異教徒であるウォードを拷問に掛けていたのだ。 ほとんどのウォードは死んでいたが、グウィネヴィアという女性とルーカンという少年だけは衰弱しながらも生き残っていた。アーサーは 「異教徒は殺せ」というマリウスの首筋に剣を突き付け、グウィネヴィアとルーカンも連れて行くことにした。「異教徒を改宗させるまで 閉じ込めるのが私の仕事」という僧侶を、アーサーは神殿に閉じ込めた。
アーサーたちは吹雪の中を進むが、村人を連れているため、そのペースは遅い。村に到着したセドリックは、神殿に閉じ込められていた僧侶 を引っ張り出した。アーサーがマリウス一家を連れ出したと知ったセドリックは、シンリックに「我々は城壁を攻める。お前は連中を追え」 と命じた。それから彼は、村を焼き払った。一方、アーサーたちは森で野営することに決めた。
夜中に一人で野営地を離れるグウィネヴィアを見掛けたアーサーは、後を追った。すると、そこにマーリンが現れ、「手を組んでサクソン を倒そう」と持ち掛けた。しかしブリトン人の母をマーリンに殺されているアーサーは、憎しみの目を向けて拒絶した。グウィネヴィアは 「私たちをサクソン人の手に渡すつもりなら、なぜ助け出したの?」と問い掛けるが、アーサーの答えは変わらなかった。
早朝、マリウスはルーカンを捕まえ、部下にはダゴネットの始末を命じた。そこへグウィネヴィアが現れ、弓矢を放ってマリウスを殺した。 アーサーはアレクトに、マリウスの殺害を詫びた。しかしアレクトは「父は道を見失ったのです」と冷静に受け止めた。彼はアーサーに 「ペラギウスはゲルマヌスに破門されて処刑されました。貴方が思うようなローマはありません」と告げた。
アーサーたちはシンリック軍に追い付かれ、氷上での戦いを選んだ。アーサーたちは遠距離から弓矢で攻撃し、敵の重みで氷が割れるのを待つ 作戦を立てる。だが、なかなか氷が割れず、アーサーは肉弾戦を指示した。その時、ダゴネットが一人でシンリック軍に向かって走り、剣 で氷を叩く。ダゴネットは敵の矢を受けて死ぬが、氷が割れてシンリック軍は進むことが出来なくなった。
アーサーたちはハドリアヌスの城壁に帰還し、ゲルマヌスにアレクトを送り届けた。退役証を受け取ったランスロットたちは、ようやく自由の 身となった。アーサーとグウィネヴィアの間には、愛が芽生えていた。そんな中、アーサーはハドリアヌスの城壁に到達したサクソン軍の 姿を目にした。ローマ軍は撤退するが、アーサーは城壁に留まってサクソン軍と戦うことにした…。

監督はアントワーン・フークア、脚本はデヴィッド・フランゾーニ、製作はジェリー・ブラッカイマー、製作協力はパット・サンズトン& ジェームズ・フリン&モーガン・オサリヴァン&ポール・タッカー&ブルース・モリアーティー、製作総指揮はマイク・ステンソン &チャド・オマン&ネッド・ダウド、撮影はスワヴォミール・イジャック、編集はコンラッド・バフ&ジェイミー・ピアソン、美術はダン ・ウェイル、衣装はペニー・ローズ、音楽はハンス・ジマー。
出演はクライヴ・オーウェン、キーラ・ナイトレイ、ヨアン・グリフィズ、スティーヴン・ディレイン、ステラン・スカルスガルド、レイ ・ウィンストン、ヒュー・ダンシー、ティル・シュヴァイガー、イヴァノ・マレスコッティー、マッツ・ミケルセン、レイ・ スティーヴンソン、ケン・ストット、チャーリー・クリード=マイルズ、ジョエル・エドガートン、ショーン・ギルダー、ジョニー・ ブレナン他。


『グラディエーター』のデヴィッド・フランゾーニが脚本を執筆し、『ティアーズ・オブ・ザ・サン』のアントワン・フークアが監督した 作品。
アーサーをクライヴ・オーウェン、グウィネヴィアをキーラ・ナイトレイ、ランスロットをヨアン・グリフィズ、マーリンを スティーヴン・ディレイン、セドリックをステラン・スカルスガルド、ボースをレイ・ウィンストン、ガラハッドをヒュー・ダンシー、 シンリックをティル・シュヴァイガーが演じている。

アーサー王と言えば、ヨーロッパにおける伝説の人物だ。
彼を取り上げた著作は、トマス・マロリーの『アーサー王の死』を始めとして幾つも存在し、「円卓の騎士」や「聖杯伝説」は広く 知られている。
アーサー王は架空の人物だが、モデルになった人物はいたと考えられている。モデルには諸説あり、古代ローマの軍人ルキウス・ アルトリウス・カストゥスがそうではないかという学説を唱える者もいる。
その「アルトリウスがアーサーのモデル」という学説を基盤にしたのが、この作品である。

オープニングのテロップやナレーションによって、「これはアーサー王伝説ではなく、真実のアーサー王の姿を描いた映画である」という ことをアピールしている。
でも、ここで描かれているアーサー王も、学説の一つに過ぎない。
しかも、その学説に従って、アルトリウスに関する史実を忠実に描いているわけではない。
アルトリウスは2世紀の軍人だと言われているが、この映画の舞台は5世紀だ。
また、円卓の騎士やグウィネヴィアは、アーサー王伝説に登場する人物だ。

そもそも、2世紀であろうが5世紀であろうが、その時代に騎士制度は存在していないはずだ。
っていうか、劇中で「騎士」とされているランスロットたちは、どうみても騎士じゃなくて傭兵だ。
だから、アーサーは傭兵の隊長ってことだ。
じゃあタイトルは偽りなのかと思うかもしれないが、映画のラストでマーリンたちから王として指名されるので、そこは間違いではない。
ちなみにマーリンは魔法を使わないし、エクスカリバーは単なる父親の剣だし、聖杯伝説も出てこない。

話の大枠は、「兵士が異国の地に派遣され、現地の人々のために戦う」という、アメリカ軍の海外派兵を正当化することが裏テーマなのか と思うようなモノになっている。
あと、「軍人が他国へ赴き、救出対象の人物だけでなく現地の負傷者も助ける」という話は、脚本家は違うのに、なぜかアントワン・ フークアの前作『ティアーズ・オブ・ザ・サン』と似たような感じになっている。
素直にアーサー王伝説を描けば良かったんじゃないかと思ったりもするんだけど、ようするにプロデューサーのジェリー・ブラッカイマー がやりたかったのは、『グラディエーター』の二匹目のドジョウを狙うってことなんだろうね。
重厚なイメージのある歴史スペクタクルをやりたくて、そのためにアーサー王という有名なキャラクターを引っ張り出してきたに 過ぎないのだ。

しかしアーサー王伝説に詳しくない人でも問題なく観賞できるかというと、それは厳しい。
あまりにも説明不足なので、ある程度の知識が無いと、「こいつは誰なんだ?」「どういう奴なんだ?」というのが分からず、置いて けぼりを食らうことになるだろう。
さらに、古代ブリテンにおける民族や宗教の問題も説明が不足しており、予備知識が無いと苦労するかもしれない。
つまり本作品は、アーサー王伝説に関する知識を持っていて、民族や宗教の知識もあって、なおかつアーサー王伝説と全く違う内容である ことを受け入れることが求められる。
なんちゅうハードルの高い映画なんだよ。

最初に少年ランスロットが登場し、傭兵として村を出発する様子が描かれる。
それから15年後に移るのだが、ここでアーサーと円卓の騎士が一度に登場するので、どれが成長したランスロットなのか全く分からない。
城壁に戻って、ボースが「ランスロットは?」と呼び掛けるシーンに至って、ようやく「ああ、アンタがランスロットだったのね」と 分かるという次第だ。

最初に少年ランスロットの旅立ちから話が始まるので、「ランスロットの目から見たアーサーの物語」という形になるのかと思ったら、 ランスロットはあっという間にアンサンブルの中に埋もれてしまい、語り手としての役割を捨ててしまう。
じゃあランスロットから話を始めた意味は何だったのかと。
彼とアーサーの関係が軸になるべきじゃなかったのか。
あと、最初に村を出る際に妹(?)からお守りを貰っているので、物語の重要な小道具として使われるのかと思ったら、全く意味の無い モノと化している。

アーサーと騎士の関係も見えないまま、いきなりウォードとの戦闘に突入しているので、何をどう見ていいのか分からない。その時点で、 誰が誰なのか、全く把握できていない。
武器や戦い方で違いを見せられても、「それ以前に、お前は誰なんだよ」とツッコミを入れたくなる。
それに「ウォードが来たぞ」と叫ばれても、「ウォードって何?」と思ってしまう。
ちなみにウォード(ピクト人)は戦いになると完全に蛮族で、西部劇のインディアンがイメージにあるんじゃないかと邪推したり。

マリウス一家救出の任務を知らされた傭兵が文句を言いながらも従うのは、教皇の命令だからではなく、アーサーを信じている からだ。
だが、アーサーと傭兵の絆は、ほとんど描かれていない。
ここでランスロットだけはしつこく反発するが、それが後に繋がるかというと、そうでもない。
そう言えばシンリックもセドリックに反発していたけど、まるで後の展開には繋がらなかった。

グウィネヴィアは指の怪我が治ると、いきなり弓矢を使う女戦士になる。
最終決戦では、「リアリズムなんて知らないわ」とでも言わんばかりの格好で肉弾戦を繰り広げる。
そんな彼女は、最終決戦の前にアーサーと肉体関係を持つ仲になっているが、どうもピンと来ない。
旅の途中でグウィネヴィアはアーサーに嫌味を言ったりしていたのに、いつの間に恋愛関係になったんだろうか。

ルーカンという少年が何のために登場したのか、サッパリ分からない。
アーサー王伝説では、ルーカンは最初のアーサー王の騎士であり、執事というキャラクターだ。だから、その少年は「後に執事になる」と いう、劇中には裏設定があるのかもしれない。
ただ、これってアーサー王伝説を描いているわけじゃないのに、そこだけ中途半端に伝説に目配せする必要は無いでしょ。
大体、ルーカンは最初の騎士だから、ランスロットたちがいる時に少年ってのはおかしいでしょうに。

氷上の戦いで、アーサーは途中で弓矢による攻撃を諦め、肉弾戦の用意をさせる。
でも、少しずつ後ろに下がりながら弓矢による攻撃を続けていれば、もっと敵の数を減らすことは出来たんじゃないのか。
なんで途中で肉弾戦に切り替えようとしたのかが分からん。
そんでもって、ダゴネットが特攻すると、アーサーたちは弓矢で敵を攻撃するし。
だったら肉弾戦の指示は何だったのよ。

最終決戦は、肉弾戦に突入しちゃうと、どっちがどっちだか良く分からない。
あと、そこに至る伏線は何も無かったのに、なぜ偵察担当だったトリスタンがセドリックと一騎打ちをする展開になったのか、良く 分からんな。
いや、そりゃあ戦争なんだから、目の前に敵がいたら戦うしかないんだけどさ。
だけどドラマとしては、なぜトリスタンなのかっていうのは疑問だよ。

アーサーが城壁に留まって戦うと決めてから、実際に最終決戦が開始されるまでに、すげえ時間が掛かる。
もちろん何も無く時間が経過するわけじゃなくて、アーサーがセドリックと1対1で話をしたり、なんか色々とあるんだけど、 「かったるいなあ」という印象を受ける。
最終決戦に向けて盛り上がっていく雰囲気は無い。ランスロットたちが思い直して城壁に戻る展開も、特に高揚感は無い。
そこって、ある意味、最終決戦よりも心を揺さぶってくれるような場面じゃなきゃマズいんじゃないのか。

トリスタンやランスロットが死んでも、それまでの話の中で、彼らに感情移入したくなるようなドラマもエピソードも無かったので、淡々 と過ぎていくだけ。スローで演出されても、心は動かない。
あと、ランスロットが死んだ時だけ、グウィネヴィアが格別の思いを持っていたかのような態度を示すのは変でしょ。
ダゴネットやトリスタンが死んだ時との差は何なのかと。伝説と違い、アーサーとランスロットとグウィネヴィアの三角関係は描かれていないん だから。
それと、仲間が死んだ後、アーサーとグウィネヴィアの結婚式でハッピーエンドとして締め括り方は納得がいかんなあ。

(観賞日:2009年12月29日)

 

*ポンコツ映画愛護協会