『キリング・ゾーイ』:1994、アメリカ&フランス

金庫破りのゼッドは旧友エリックに呼ばれ、アメリカから11年ぶりにフランスに渡ってきた。ホテルに入ったゼッドは娼婦を呼び、そしてゾーイがやってくる。2人は肌を合わせる。ゾーイはプロの娼婦ではなく大学生で、授業料を払うために昼間も週に3日は働いてるらしい。
眠り込んでしまった2人は、ドアを激しくノックする音に起こされる。エリックがやって来たのだ。エリックはゾーイを強引に部屋から追い出し、ゼッドを仲間の元に連れて行く。エリック達はパリ国際銀行を襲撃する計画を立てていた。決行日が明日だと聞かされ、驚くゼッド。
夜の街をうろつきながら、ゼッドはエリックに勧められてドラッグを服用する。強いドラッグを飲まされ、気が付くと朝になっていた。ゼッドはエリック達と共に、パリ国際銀行に押し入った。ゼッドは気付いていなかったが、銀行員の中にはゾーイの姿があった…。

監督&脚本はロジャー・エイヴァリー、製作はサミュエル・ハディダ、製作総指揮はクエンティン・タランティーノ&ローレンス・ベンダー&ベッカ・ボス、撮影はトム・リッチモンド、編集はキャスリン・ヒモフ、美術はデヴィッド・ワスコ、衣装はメアリー・クレア・ハナン、音楽はトマンダンディ。
出演はエリック・ストルツ、ジュリー・デルピー、ジャン=ユーグ・アングラード、ゲイリー・ケンプ、ブルース・ラムゼイ、カリオ・サレム、タイ・タイ、サルヴァトール・ゼレブ、ジャン・カルロ・スカンディージ、セシリア・ペック、マーティン・レイモンド、エリック・パスカル・チャルティール、グラディス・ホランド、ジェラルド・ボン他。


クエンティン・タランティーノが製作総指揮に携わり、彼の若い頃からの仲間であるロジャー・エイヴァリーが監督と脚本を務めた作品。ゼッドをエリック・ストルツ、エリックをジャン=ユーグ・アングラード、ゾーイをジュリー・デルピーが演じている。『キリング・ゾーイ/破滅への銃弾』という別タイトルもある。

クエンティン・タランティーノが絡んでいることもあって、彼の監督作品『レザボア・ドッグス』と比較されることも多いようだ。たぶん、『レザボア・ドッグス』の上っ面だけをなぞると、こういう作品が出来上がるのだろう。

ゼッドとゾーイが肌を重ね合わせる序盤のシーン。
テレビで放映されているサイレント映画の映像と、スローモーションで繰り広げられる騎乗位セックスが交互に映し出される。そして盛り上がる音楽。
明らかに、盛り上げるポイントを間違っている。

序盤、ゼッドが「ゾーイをホテルに泊めてやるつもりだ」と言った後、エリックがゾーイを強引に部屋から追い出してしまう。
「泊めてやるつもりだ」と言った直後なのに、何もせずに見ているだけのゼッド。
その時点で、ゼッドが主体性の無いキャラクターだと言うことが露呈している。

エリックがゼッドに襲撃計画を話している時点で、この銀行強盗が間違い無く失敗に終わるだろうということは、大半の観客が察知することだろう。
結果が分かっているのだから、その過程をどう描いていくかが非常に重要となる。
しかし、その過程は退屈だ。
ゾーイの視線で描いたりすれば、少しはマシになったのかもしれないが。

襲撃前日の夜、エリック達はドラッグパーティーを開く。
かなり長く時間が割かれている。
だが、そこでは丁々発止の掛け合いも、気の利いたお喋りも無い。
ただ単に、イヤイヤながらも勧められるままにドラッグを服用するゼッドが、相変わらずの主体性の無さを見せ付けるだけである。

ゼッドやエリック達がダラダラと騒いでいる様子が、中盤では延々と垂れ流される。
会話の中で、バイキング映画とかディキシーランド・ジャズという言葉が出てくる。
それこそクエンティン・タランティーノ監督作品のように、マニアックな無駄話が始まるのかと思ったが、突っ込んだ会話は全く無かった。

例え前半から中盤に掛けてのストーリーに起伏が足りなくても、後半に向けて溜め込んでいるという予感でもあればOKだろう。
しかし、ただ無駄に時間を使っているだけ。
やたらドラッグが出てくるけど、「ドラッグを出しておけば雰囲気が出るだろう」という程度の扱いにしか感じられない。

襲撃の前日だと言うのにドラッグ使ってバカ騒ぎして、おまけにドラッグをやっていないゼッドにまでドラッグを勧める始末。
ただのバカなチンピラ連中だ。
強盗グループの脳味噌が低レベルだから、映画の中身も低レベルになったのか。

で、強盗に入った瞬間から計画は破綻してしまう。
おまけに、最初から内輪で揉めている。
だから、「時間が経つにつれて計画が狂い始め、焦りと苛立ちの中で内輪揉めが始まる」といった感じの展開は無い。
スリルやサスペンスなんて、もちろん存在しない。

ゼッド、エリック、ゾーイ以外の登場人物は、名前もハッキリしないぐらい目立たない。
なので、ポイントになるのはゼッド、エリック、ゾーイの3人の関係だけ。
だったら、この関係を強く打ち出していくべきだろう。
ところが、この3人のキャラクターさえも薄いという問題がある。

ゾーイは序盤に登場した後、後半までは消えている。
そして後半になっても、ただ叫んでいるだけ。
それぐらいゼッドやエリックとの関わりは弱い。
それなのに、終盤になって急に重要な役割を果たそうとする。
だから、バランスがおかしくなっているのだ。

ゾーイとゼッドやエリックとの関係を、もっと強く見せるべきだ。
だから、ゼッドが地下金庫に直行してしまい、終盤までゾーイの存在に気付かないのは問題だ。銀行に入った瞬間にゾーイと目が合うとか、金庫の近くにゾーイが連れて来られるとか、もっと2人を絡ませる必要があったと思う。

 

*ポンコツ映画愛護協会