『キリング・ミー・ソフトリー』:2002、アメリカ&イギリス

アリスは刑事の前で、今までのことを話し始めた。アメリカ人の彼女は渡英し、ロンドンでウェブサイト開発の仕事に携わっていた。エンジニアの恋人ジェイクとの同棲生活を始めてから、もう1年になろうとしていた。そんな時、アリスはアダムと出会った。
出勤途中の交差点で出会い、互いの手が触れて顔を見合わせた瞬間から、アリスはアダムに夢中になった。会社を出た彼女は書店にいたアダムを見つけ、誘われるままにタクシーに乗った。アリスはアダムの家に行き、そこで激しいセックスをした。
アリスは、アダムが有名な登山家だと知った。アダムはアリスに、2年前の滑落事故で恋人だったフランソワーズを失ったことを語った。アリスは、アダムの姉デボラや登山仲間のクラウスとも会った。デボラは、アリスを弟の恋人として歓迎した。
同僚のシルヴィーから自分を見失っているのではないかと告げられても、アリスの気持ちは全く揺らがない。やがてアリスはアダムにプロポーズされ、結婚式を挙げた。2人は山小屋に出掛け、アダムがアリスの首をストールで締めるというセックスをした。
結婚生活を始めたアリスの元に、アダムに走ったのは間違いだと書かれた差出人不明の手紙が届いた。さらに彼女は、アダムを取材した記者ジョアンナの元に、アダムはレイプ魔だと告発する投書があったことを知る。アリスはジョアンナに成り済まし、投書を送ったミシェルに会った。ミシェルは、アダムにレイプされた時の様子を詳しく語った…。

監督はチェン・カイコー、原作はニッキ・フレンチ、脚本はカーラ・リンドストロム、製作はリンダ・マイルズ&ジョー・メジャック&マイケル・チニック、製作協力はアンナ・チー、製作総指揮はアイヴァン・ライトマン&トム・ポラック&ダニエル・ゴールドバーグ、撮影はマイケル・コールター、編集はジョン・グレゴリー、美術はジェマ・ジャクソン、衣装はフィービー・デ・ゲイ、音楽はパトリック・ドイル。
出演はヘザー・グレアム、ジョセフ・ファインズ、ナターシャ・マケルホーン、ウルリッヒ・トムセン、イアン・ハート、ジェイソン・ヒューズ、キカ・マーカム、エイミー・ロビンス、ヤスミン・バナーマン、レベッカ・パーマー、ロナン・ヴィバート、オリヴィア・ポーレット、イアン・アスピナル、ヘレン・グレイス、オリヴァー・ライアン、ドナルド・ギー、ティム・ファラデイ他。


英国人のジャーナリスト夫婦がニッキ・フレンチのペンネームで書いた小説『優しく殺して』を基にした作品。ただし、原作とは内容が大きく異なっているようだ。
アリスをヘザー・グレアム、アダムをジョセフ・ファインズ、デボラをナターシャ・マケルホーン、クラウスをウルリッヒ・トムセン、刑事をイアン・ハートが演じている。

ジョセフ・ファインズが演じるアダムという男は、ミステリアスで魅力的というよりも、最初から怪しげで気持ち悪い男にしか見えない。
唐突に思うかもしれないが、『ナインハーフ』のミッキー・ロークのことが頭に浮かんだ。そして、あの映画のミッキー・ロークが、どれほど魅惑的な男としての説得力を持っていたか、改めて気付かされた。
しかしながら、そんな気持ち悪いアダムに会ったアリスは、一目で惚れてしまう。会社に行くのも忘れるぐらいになり、仕事も手に付かなくなる。そういった彼女の心理に理解を示すことが出来る人間は、それほど多くないかもしれない。だが、当然だ。アリスは大多数の女性の代表ではなく、ごく一部のマニアックな人間だからだ。

アリスはアダムに誘われて即座にタクシーに乗り込み、すぐに激しいセックスをする。完全に頭のおかしい淫乱女である。恋人と別れたばかりで新しい出会いを求めていたとか、何らかの性的コンプレックスがあったとか、アリスの行動に観客が同意できるような、わずかな要素さえ用意されていない(前述した要素でも不充分すぎるが)。
目の前で自分の恋人が男をボコボコに殴り倒して半殺しの目に遭わせ、その被害者が血だらけで転がっている近くでプロポーズされたら、大多数の女性であれば怯えたりするのではないだろうか。しかし、アリスは前述したように大多数の女性の代表ではない。だから、喜んでプロポーズを受け入れ、アダムと抱き合ってキスを交わす。

説明するまでもなく、アダムはヘンタイ男だ。
そしてアリスも前述したように、ヘンタイ女だ。
つまり、この映画はヘンタイ女がヘンタイ男に誘惑されてヘンタイのカップルが誕生するが、やがて他にもヘンタイがいることが明らかになるという話だ。
だが、そこまでヘンタイに染まった作品なのに、ヘンタイじみた面白さだけは無かったことが悔やまれる。

この映画は、ミステリーやサスペンスではない。原作はそうだったのかもしれないが、少なくとも映画版は違う。なぜなら、サスペンスとして考えた場合、あまりにも陳腐だからだ。ちょっとでも利口さがあれば、特に後半部分は、もっと何とかしようとするだろう。
これで、もしミステリーやサスペンスとして作ろうとしたのであれば、とんでもない愚か者ということになってしまう。しかし、監督は『さらば、わが愛/覇王別姫』でカンヌ国際映画祭のパルム・ドールを受賞したほどの男チェン・カイコーだ。そんなはずがない。
では、監督の狙いはどこにあったのか。どういう映画を撮ろうとしたのか。

この映画は、チェン・カイコー監督がハリウッドに進出して撮った第1回作品だ。
元々、彼は中国で映画を製作していた。中国映画界というのは、色々と制約が大きい。大っぴらな政治批判をすると上映できないし、性的描写や暴力描写にも規制がある。
しかしハリウッド映画であれば、もちろんヘイズ・コードはあるが、今までよりは自由な映画製作が可能になるはずだ。だからチェン・カイコー監督は、これまで撮れなかったようなモノを、思いきり撮りたいと考えたに違いない。
それが、すなわちエロだっということだ。

この作品には、セックスシーンが何度も描かれている。
それは、かなり下卑たモノである。
それこそが、きっとチェン・カイコー監督が今まで撮りたくても撮れなかったモノなのだろう。ハリウッド進出が決まった時、まず何よりも彼はエロを撮りたいと思ったのだろう。だから、エロが消える後半になると、やる気が失せてしまったのだろう。

 

*ポンコツ映画愛護協会