『キッド』:2000、アメリカ

優秀なイメージ・コンサルタントのラスは、40歳を目前に控えている。彼は有能だが仕事以外での人付き合いを嫌っており、家族や親戚さえ会おうとしない。TVキャスターのディアドレと飛行機で隣同士になった時も、彼女のお喋りが疎ましいので簡単にイメージを良くするアドバイスを与え、「もう話し掛けないでくれ」と言い放った。
ラスは悪評高い男ボブ・ライリーからイメージ・アップを依頼され、子供を利用したフィルムをテレビで流してスキャンダルを隠そうとする。仕事仲間エイミーは、ラスに惹かれるものも感じているが、その言動や仕事のやり方には反発を覚えている。
ラスは最近、赤いプロペラ機が空を飛んでいる幻覚を見るようになった。やがて彼は、少年の幻覚まで見るようになる。ラスは精神科医スザンヌの元へ行き、処方箋を貰う。しかしラスが自宅に戻ると、その少年はテレビを見て部屋を散らかしていた。
ラスは少年と会話を交わしたり体を確認したりして、彼が8歳を目前に控えたラスティー、つまり自分自身だと知った。しかも秘書ジャネットに確認させたところ、ラスティーの姿が見えるのはラスだけではなかった。つまりラスティーは、そこに存在しているのだ。
ラスはラスティーの現状を聞いて不満を漏らし、「惨めだ」と嘆く。8歳目前のラスは、大人になったらチェスターという名の犬を飼い、パイロットになるという夢を抱いていた。しかし、ラスは犬も飼っておらず、パイロットにもなっていないからだ。
ラスにとって、小太りで笑い者だった少年時代は封印したい過去だった。ラスは、自分がラスティーを変えるために、彼が過去から飛ばされてきたのだと考える。そこでラスはボクサーのケニーに協力してもらい、ラスティーにケンカをやり方を教えた。
エイミーはラスティーが隠し子ではないかと疑うが、ラスが本当のことを話すと信用した。ラスティはエイミーにプロポーズし、そのことでラスとエイミーは悪くない雰囲気になる。しかし捨てたはずのライリーのフィルムがテレビで流れ、エイミーはラスに幻滅する。
ラスはディアドレに相談し、「あなたは人生の岐路に立っており、何かを教えるためにラスティが現れたのだ」と言われる。ラスは少年時代の自分を思い起こし、悪ガキに殴り倒された事件がきっかけで冴えない人生を送るようになったと思い出す。ラスはラスティーと共に8歳目前の過去へとタイムスリップし、その事件現場に向かう…。

監督はジョン・タートルトーブ、脚本はオードリー・ウェルズ、製作はジョン・タートルトーブ&クリスティナ・スタインバーグ&ハント・ロウリー、製作協力はスティーヴン・イーズ、製作総指揮はアーノルド・リフキン&デヴィッド・ウィリス、撮影はピーター・メンジースJr.、編集はピーター・ホーネス&デヴィッド・レニー、美術はギャレス・ストーヴァー、衣装はグロリア・グレシャム、音楽はマーク・シェイマン。
主演はブルース・ウィリス、共演はスペンサー・ブレスリン、エミリー・モーティマー、リリー・トムリン、チー・マクブライド、ジーン・スマート、ダナ・アイヴィー、ダニエル・ヴォン・バーゲン、スタンリー・アンダーソン、スーザン・ダリアン、
ラリー・キング、ジェリ・ライアン、ニック・チンランド、スチュアート・スコット、リッチ・エイゼン、ハロルド・グリーン他。


ディズニー印のハートウォーミング・ムーヴィー。ラスをブルース・ウィリス、ラスティーをスペンサー・ブレスリン、エイミーをエミリー・モーティマー、ジャネットをリリー・トムリン、ケニーをチー・マクブライド、ディアドレをジーン・スマートが演じている。
他に、スザンヌをダナ・アイヴィー、ライリーをアンソニー・アンダーソンが演じており、テレビ司会者ラリー・キング、俳優ジェリ・ライアン、ニック・チンランドが本人役で出演している。アンクレジットだが、長髪でヒゲモジャの顧客ヴィヴィアン役はマシュー・ペリー。

さて、前述したように、これはディズニーの映画である。そこに注目しないと、納得できないことが色々と出てくる。まず、ラスはラスティに会う前から、エイミーの前では言うことを聞いたりする。その場限りのことではあるが、悪人ライリーのスキャンダルを隠すために作ったフィルムを批判され、ゴミ箱に捨てるというカッコ良さを見せたりもする。
ラスは社交的ではなく、生意気で冷徹な男というキャラクターのはずが、エイミーからは「子供っぽい部分を見せることもある」などと言われている。最初は完全にイヤな奴にしておけばいいのに、なぜか憎めない部分や優しさもチラッと見せようとする。

ヒロインとの関係を構築したいのなら、最初にラスの冷たさをアピールするため、「彼にエイミーが愛想を尽かした」という部分だけ見せればいい。実際、フィルムを捨てた後のシーンでエイミーはラスの態度に腹を立てるのだから、そこだけを見せればいいのだ。
変にラスの優しさや素直な部分を見せたら、中途半端になることは分かり切っている。しかし、やはりディズニーなので、「完全にイヤな奴になってしまうのはイメージが悪い。万人に愛されるように、人の良さを最初から少しは見せておこう」ということだろう。

ディズニーとしては、やはり観客を感動させたい。
そこで、昔の家を探すシーンにおいて、唐突に(そして安易に)ラスティーが泣き出し、ラスに少年時代の出来事を思い出させようとして、そのタイミングでBGMが流れ、感動させようとする演出に入ったりする。
そのシーンが終われば役目は果たしたので、すぐにラスティーは泣き止む。

ラスは、いつの間にか優しくなっている。
「これがきっかけ」というような、分かりやすいシーンは用意されていない。
あえて言うなら、エイミーとの関係や、ディアドレとの会話がきっかけで優しくなっている。
決してラスティーとの触れ合いで優しくなったわけではない。

ディズニー映画としては、やはり「子供は素晴らしい」というメッセージを伝えたい。
やたらと騒がしくて生意気で疎ましいガキンチョであろうとも、子供は素晴らしいのだ(そもそも劇中でラスティーを疎ましく思うのはラスだけで、他の人は可愛い子供として扱っている)。
だから、ラスティーの考え方は、劇中で全面的に肯定されている。

人生というのは思い通りには行かないものだから、少年時代のプランと食い違っていくことはある。誰もが夢を実現できるわけではないし、成長する中で夢が変化していくことだってある。
純真な心を持ち続けるのと、子供の心のままで大人になるのは、全く違うことだ。後者は、ただ人間的に全く成長していないだけである。
子供の頃の夢を実現しなかったとしても、それ以外の道を選んで幸福を感じている人は山ほどいるだろう。
「犬を飼ってパイロットになるという7歳の頃の夢を叶えていないからラスは惨めだ」というのは、幼いラスティーの考えでしかない。
しかしラスティーは素晴らしい子供なので、彼の言うことは微塵も間違っていないのである。

本来ならば、少年時代の夢を実現しなかったからといって、ラスの人生が全否定されるべきではない。ラスは冴えない少年時代をバネにして自分を変革し、成功者になったのだ。
しかし、にも関わらず、彼は冴えないラスティーに人生を全否定される。

大人になって夢を忘れ、忙しい現実に埋没してしまうのは悲しい人生と言えるかもしれない。しかし、それを嘆くのであれば、訴えるべきは「何か夢を持て」であって、「子供の頃の夢を思い出せ」ではないはずだ。
なぜなら、夢とは人それぞれであり、子供の頃の夢ではなく、成長してから芽生えた夢に向かおうとする人もいるはずだからだ。
だからラスが変えるべきは人間味に欠ける性格であって、「7歳の頃の夢を叶えていないこと」ではない。なぜなら、ラスは未だに子供の頃の夢を抱き続けていたというわけでも、満ち足りない生活の中で夢を抑え付けて来たわけでもないからだ。
だが、それでも“素晴らしい子供”であるラスティーが否定した以上、ラスの人生は間違っているのである。

終盤に入ると、ラスは「少年時代にイジメを受けたのがきっかけで、それ以降の人生がメチャクチャになった。だから、その時の事件を変えれば人生も変わる」と考える。封印していた少年時代を正面から見つめ直すだけでは満足せず、変えてしまおうとする。つまり、ラス自らも、自分の人生を全否定しようとしているわけである。
例えば前半の内に、「大人の自分が変わるのではなく、過去を変えることで今の自分を変えよう」と考え、後半に「それが過ちで、今の自分が変わらなきゃ」と考えるのなら、まあ分かりやすい。
しかし終盤になって「今の自分を変えるために過去を変えよう」というのだから、何の人間的成長も無い男になっている。

だが、過去の自分を変えるということは、つまり話としてはラスティーが色々と動くことになるわけだ。ディズニー映画としては、やはり子供が頑張る方がいいのであろう。それに、何しろラスティーがラスに賛同しているのだから、それは認めるべきなのである。
最後に、30年後のラスが犬を飼い、飛行機に乗っているという形で登場し、ダメ押しをする。そういうラスが現れるということは、つまり「子供の頃の夢は絶対に叶えるべき。そうしない人生は惨めで間違っている」というラスティーの考えが正しいということだ。
ディズニー映画にとって、素晴らしいのは「夢を持つ純真な心」ではなく、「子供の心」なのだ。


第23回スティンカーズ最悪映画賞

ノミネート:【最もでしゃばりなメジャー映画の音楽】部門

 

*ポンコツ映画愛護協会