『クローン』:2002、アメリカ

西暦2079年、地球はアルファケンタウリ星系の異星人と戦争状態にあり、人類は防御シールドで覆われたドーム都市で生活している。そんな中、特殊兵器開発局に勤務する科学者スペンサー・オーラムは、新型爆弾を完成させつつあった。
その日、朝のニュースでは、サットンの森で原因不明の大規模な森林火災が発生したと報じられている。スペンサーは軍病院の医局部長をしている妻マヤと共に、飛行バスで出勤した。今日は彼にとって、軍の極秘プロジェクトの議長と会う大切な日だ。スペンサーは、自分のIDチェックが同僚ネルソンよりも厳しいことに疑問を抱いた。
スペンサーの前に、地球保安局(ESA)スパイ捜査班のハサウェイ少佐が現れ、麻酔を打って彼を拘束した。ハサウェイは、スペンサーがケンタウリから送り込まれた人間型の生体兵器であり、目標に接近すると爆発する仕掛けになっていると告げる。
ハサウェイに殺されそうになったスペンサーは隙を見て逃亡するが、その際にネルソンを撃ってしまう。彼は幻覚に悩まされながら、マヤの病院を目指す。全身スキャンされた自身のデータを3年前の物と比較し、自分が人間だと証明するつもりなのだ。
無法地帯“ゾーン”に逃げ込んだスペンサーは、武装集団のケール達に捕まってしまう。スペンサーは薬剤物資を渡すのと引き替えに、協力を取り付けた。スペンサーはゾーンの助産婦にシムコードを除去してもらい、軍病院へと潜入した。
スペンサーはマヤの部下キャロンに全身スキャン検査を要求するが、追っ手が来たために逃亡する。スペンサーは、サットンの森林火災が敵の特殊船の墜落による影響だと確信し、パイロットの死体を発見すれば自分の容疑が晴れると考える…。

監督はゲイリー・フレダー、原作はフィリップ・K・ディック、翻案はスコット・ローゼンバーグ、脚本はキャロライン・ケイス&アーレン・クルーガー&デヴィッド・トゥーヒー、製作はマーティー・カッツ&ダニエル・ルピ&ゲイリー・フレダー&ゲイリー・シニーズ、共同製作はケイリー・グラナット&アンドリュー・ローナ、製作総指揮はマイケル・フィリップス、共同製作総指揮はボブ・ワインスタイン&ハーヴェイ・ワインスタイン、撮影はロバート・エルスウィット、編集はアーミン・ミナシアン&ボブ・ダックセイ、美術はネルソン・コーテス、衣装はアビゲイル・マーレイ、音楽はマーク・アイシャム。
出演はゲイリー・シニーズ、マデリーン・ストウ、ヴィンセント・ドノフリオ、メキ・ファイファー、トニー・シャローブ、ティム・ギニー、エリザベス・ペーニャ、ゲイリー・ドゥーダン、リンゼイ・クローズ、ジェイソン・ベック、ジュディ・ジーン・バーンズ、ヴィーナ・ビダーシャ、エレン・ブラッドリー、シェーン・ブローリー、ゴールデン・ブルックス、ブライアン・ブロフィー、バート・ブロス他。


フィリップ・K・ディックの短編小説を基にした作品。
スペンサーをゲイリー・シニーズ、マヤをマデリーン・ストウ、ハサウェイをヴィンセント・ドノフリオ、ケールをメキ・ファイファー、ネルソンをトニー・シャローブ、キャロンをティム・ギニーが演じている。アンクレジットだが、国防長官をクラレンス・ウィリアムズ三世が演じている。

どうやら1998年に製作が開始された後、一旦ストップしていたようだ。たぶん、予算の問題で行き詰まったのだろう。『スターシップ・トゥルーパーズ』の衣装を流用しているのも、そのためかもしれない。
ちなみに、邦題の『クローン』は正しくない。
異星人が送り込むのは、クローンではなく生体兵器。
劇中にクローンは登場しないのだ。

アイデンティティーの揺らぎがテーマだが、スペンサーの心は全く揺らがない。彼は自分が本物だと確信して行動する。オチを生かすための戦略かもしれないが、マイナス効果だと思う。スペンサーが「俺は誰なんだ」と迷った方が良かったような気がする。申し訳無いが、スペンサーは偽者だろうという確信に近い推測が一貫してあった。
スペンサーが最初は「俺は本物だ」と確信して動き始めるが、様々な出来事を受けて「偽者かも」と疑いを持ち、「俺は誰なんだ」と迷い始める。しかし何かのきっかけで「やはり本物だ」と確信し、最後にドンデン返し、という構成の方が良かったのでは。

原作の短編を長編映画にする際、中身を充実させる方法で失敗したようだ。スペンサーの逃亡劇は、アクション主体で引き延ばされている。しかも、ただのアクションではない。チンピラと鉄パイプで殴り合ったりするのだ。西暦2079年なのに。
序盤で「スペンサーは人間爆弾かもしれない」という設定が用意してあるが、「誰だか分からないターゲットに接近すると爆発する」というサスペンスは使わない。前述したように、スペンサーにアイデンティティーの揺らぎは無い。未来の世界観構築に面白味も無い。そうなると、この映画は単なる『逃亡者』になってしまうのである。

原作ではスペンサーが決められたキーワードを喋ると爆発する設定で、映画ではターゲットに接近すると爆発する設定に変更されている。この映画独自の設定をシナリオ作成の際に上手く処理できていないため、最後に整合性が取れなくなってしまう。
具体的に言うと、「スペンサーのターゲットは誰だったのか、なぜ爆発したのか」ということが分からないままで終わってしまうということだ。そして、それだけではなく、とにかく話が穴だらけ。荒唐無稽な話ならともかく、マジにやっているので、それは厳しい。

ハサウェイは、なぜかスペンサーをマトモに調べることも無く偽者だと断定して殺そうとする。全身スキャンのデータを調べれば本物か偽者か分かるはずなのだが、完全無視。そこを「知らない内にデータが書き換えられていた」などという形ではなく、「ハサウェイが狂信的な男だ」というゴリ押しで乗り切ろうとしてしまう。それはキツい。
ハサウェイがスペンサーを殺そうとする際に使うのは、ドリル。ドリルである。かなり荒唐無稽な印象があるのだが、しかしマジな作品を作ろうとしているのだ。ただし、SF的アプローチは弱く、サスペンス・アクションとしてのアプローチが強い。

ESAはシムコードを探知し、スペンサーがゾーンにいることをキャッチする。しかし、ビルのどこにいるのかは探知できない。「ビルの壁が厚いから」というのが、探知できない理由らしい。精巧なのか大雑把なのか、良く分からないシステムだ。
他の装置を使って、ESAは「相手がスペンサーである確率78パーセント」のターゲットを確保する。でも、捕まえてみると相手は少女。成人男性と少女の違いも分からない装置らしい。78パーセントって、そんなに似ていたのか、スペンサーと少女は。

最後にスペンサーは宇宙船を発見するが、あれだけ大きな物なのだし、もっと前にESAによって発見されて然るべきだろう。
消化活動の際に、何をやっていたのかという話である。
にも関わらず「原因不明の火災」って、そりゃムリがありすぎるだろう。

 

*ポンコツ映画愛護協会