『グリーン・ベレー』:1968、アメリカ

歴戦の勇士であるマイク・カービー大佐は、司令官としてのペーパー・ワークに辟易していた。彼は特殊部隊による二個中隊を編成し、指揮官としてベトナムへ乗り込むことにした。ノースカロライナ州フォート・ブラッグの特殊部隊訓練キャンプでは、記者や周辺住民に対する説明会が開かれていた。マルドゥーン曹長とマギー軍曹は、記者たちからの質問に答えた。ベトナム戦争に懐疑的な考えを持つ記者のベックワースたちから厳しい質問が浴びせられるが、2人は落ち着いた態度で米軍介入の正当性を説明した。
ベックワースは「これは内戦だ」と指摘するが、マルドゥーンたちは戦地で入手したソ連製や中国製の兵器を提示し、「共産主義国による世界制覇の狙いがある」と反論した。会見終了後、ベックワースは視察に来ていたカービーに対して「納得できない」と告げる。カービーが「実際の戦場を見たことは?」と問い掛けると、ベックワースは行ったことが無いと告げた。プロボ軍曹はカービーが特殊部隊を編成してベトナムへ行くと知り、強い態度で志願した。カービーは、他の隊で物資調達をやらされていたピーターソン軍曹が仲間に加わりたいと思っているのを見抜き、連れていくことにした。
カービーが部隊を率いて南ベトナムのダナンに入ると、3週間後に交代する前任のモーガン大佐が出迎えに来ていた。カービーはモーガンに案内され、協力者である南ベトナム政府軍のカイ大佐と面会した。カイは敵軍の真っ只中にも前進基地“A107キャンプ”を設営していたが、砲撃が続いているため、まだ半分しか完成していなかった。カービーはカイに、自分の連れて来た一個中隊と前進基地の部隊を交代させることを告げた。
ベトナムへ来ていたベックワースは、カービーに現地視察を申し入れた。カービーは彼をヘリコプターに乗せ、交代部隊を引き連れてA107キャンプへ赴いた。カービーは基地の指揮官であるコールマン大尉と会い、連れて来たマクダニエル大尉たちを紹介した。カービーはコールマンから状況を聞き、マルドゥーンたちに指示を出した。基地の人気者になっている現地人孤児のハムチャンクはピーターソンを気に入り、一方的に友達認定した。ピーターソンはマルドゥーンの命令を受け、トタン板を調達して基地に持ち帰った。
南ベトナム政府軍側の隊長であるニム大尉が、パトロール部隊を率いて基地に戻って来た。部隊は敵の砲撃を受け、死傷者が出ていた。カービーが挨拶に行くと、ニムは「ベトコンを皆殺しにする」と強い口調で告げた。その夜遅く、ベトコンが前進基地を砲撃した。ニムはカービーに「一晩おきに安眠が妨害される」と語り、的確に目標が撃たれていることについて「内通者がいるんです」と述べた。その夜の砲撃によって、コールマンが犠牲となった。
海軍建設部隊のジェイミソン中尉が部下12名を率いて到着し、大型機械も搬送された。彼らも加わり、基地の設営が急がれた。そんな中、マルドゥーンは基地の距離を歩測している男を発見し、ベトコンのスパイだと確信して拘束した。ニムが男を取り調べると、ライターが見つかった。ニムが男を拷問に掛けると知り、ベックワースはカービーに「止めないんですか。裁判に掛けるべきだ」と抗議した。するとカービーは彼にライターを渡し、「これはコールマンの班で医療活動に従事していた兵士の物だ。山地民の出産を手伝った帰りに惨殺死体で発見された。奴が殺したんだ」と怒りに満ちた口調で語った。
医療の技術を持つマギーは、ビラで集まった山地民の子供たちを診察した。村長は地雷で足を怪我した孫娘を連れて来た。破傷風を心配している村長に、マギーは注射で治ることを告げた。手当てを受けている間、少女はベックワースのペンダントに興味を示した。そこでベックワースは、彼女にペンダントをプレゼントした。カービーは村長に、安全のためにキャンプへ来るよう促した。村長が「貴方が迎えに来てくれるなら従う」と言うので、カービーは「明日の夜明け、迎えに行く」と約束した。
早朝、カービーは部隊を率いて村へ向かう。密林には罠が張り巡らされていたため、部隊は迂回ルートを進むことにした。カービーたちが到着すると、村は焼き討ちに遭い、見せしめとして村長が惨殺されていた。ベックワースは村長の孫娘が森で凌辱されて殺されたことを知り、呆然とした。カービーはモーガンとカイに連れられ、ダナンのナイトクラブへ赴いた。モーガンたちはカービーに、店に来ている美女の存在を教える。その女性はリンというトップモデルで、群長だった父はベトコンへの協力を拒んでいた。父と弟を殺された彼女と同席している男は二重スパイで、ファン・ソンチ将軍と近い関係だった。
カービーはマクダニエルから救援要請が入ったと聞かされ、急いでキャンプへ戻ることにした。A107キャンプはベトコンの激しい攻撃を受け、特殊部隊は必死で応戦する。カービーのヘリは、砲撃を受けて墜落した。カービーは無事に脱出し、駆け付けた部隊と合流した。マクダニエルの指示を受けた部下たちが山岳民を避難させる中、ベトコンはキャンプに侵入した。カービーはジョハンソン大尉が率いるB中隊の到着を待ち、キャンプへ戻る。しかし敵の攻撃でプロボが瀕死の重傷を負い、ニムは死亡した。もう無理だと判断したカービーは、キャンプを放棄して撤退するよう部下たちに命じた…。

監督はレイ・ケロッグ&ジョン・ウェイン、原作はロビン・ムーア、脚本はジェームズ・リー・バレット、製作はマイケル・ウェイン、撮影はウィントン・C・ホック、編集はオットー・ラヴリング、美術はウォルター・M・シモンズ、衣装はジェリー・アルパート、音楽はミクロス・ローザ。
出演はジョン・ウェイン、デヴィッド・ジャンセン、ジム・ハットン、アルド・レイ、レイモンド・セント・ジャックス、ブルース・キャボット、ジャック・スー、ジョージ・タケイ、パトリック・ウェイン、ルーク・アスキュー、アイリーン・ツー、エドワード・フォークナー、ジェイソン・エヴァーズ、マイク・ヘンリー、クレイグ・ジュー、チャック・ロバーソン、エディー・ドノ、ルディー・ロビンス、リチャード・“カクタス”・プライアー他。


西部劇映画の大スターであるジョン・ウェインが、1960年の『アラモ』以来となる2度目の監督を務めた作品。
脚本は『シェナンドー河』『偉大な生涯の物語』のジェームズ・リー・バレット。
カービーをジョン・ウェイン、ベックワースをデヴィッド・ジャンセン、ピーターソンをジム・ハットン、マルドゥーンをアルド・レイ、マギーをレイモンド・セント・ジャックス、モーガンをブルース・キャボット、カイをジャック・スー、ニムをジョージ・タケイ、ジェイミソンをパトリック・ウェイン、プロボをルーク・アスキュー、リンをアイリーン・ツーが演じている。

この映画が公開されたのは、まだベトナム戦争の最中である1968年。
この当時、アメリカではベトナム戦争に対する懐疑的な世論、否定的な世論が高まっていた。
そんな中で、超が付くほどタカ派であるジョン・ウェインは憤りを抱き、アメリカ政府を応援するための映画を作ろうと考えた。
そうして作られたのが、このプロパガンダ映画である。見事なぐらい分かりやすい、戦意高揚映画となっている。

ジョン・ウェインと共同で監督を務めているのは、『人喰いネズミの島』『大蜥蜴の怪』というC級動物パニック映画を手掛けたレイ・ケロッグ。
ウェインが彼とタッグを組むことを希望したわけではない。『アラモ』が興行的に失敗しているため、製作・配給のワーナー・ブラザースが共同監督を付けるよう求めたのだ。
そこでウェインは、当初は第二班監督を務める予定だったケロッグを起用したという次第である。
アンクレジットだが、『心の旅路』『若草物語』のマーヴィン・リロイ監督もサポートしたらしい。

米軍のベトナム戦争介入を擁護するためのプロパガンダ映画なので、当然のことながらベトコンは残虐非道な連中として描かれ、米軍は現地の人々に優しく接する正義の味方として描かれる。
まあ「描かれる」っていうか、いかにベトコンが非道なのかってのは、セリフによる説明が大半だけどね。
例えばマギーが説明会で「指導階級や女子供まで虐殺されている。我が国に当てはめれば市長が全員殺される。教師は全て拷問の上で死刑。有名な教授や州知事も、議員とその家族も皆殺しか誘拐される。それでも勇気ある者が後を継ぐ。その人々を助けるのが我々の仕事」と語るようにね。

ジョン・ウェインは自分の得意分野である西部劇のテイストを持ち込んでおり、だから「ガンマン対インディアン」を「グリーン・ベレー対ベトコン」に置き換えているわけだ。
「グリーン・ベレー、いい人。ベトコン、悪い人」という勧善懲悪も、そう考えれば分かりやすいだろう。
しかも、単純に対決の構図だけを持ち込んでいるわけではなく、演出としても西部劇の感覚でやっているようだ。
ベトナム戦争ってのは前述のように賛否両論があり、否定的な意見も多かったわけだが、それを単純な勧善懲悪で何の臆面も無く堂々と描いてしまえる辺り、さすがはジョン・ウェインと言っていいだろう。

冒頭、説明会で周辺住民の前に登場した兵士たちは、グリーン・ベレーや自分の職務について説明し、最後にそれぞれ「私はノルウェー語とドイツ語が話せます」「ドイツ語とスペイン語が話せます」「フランス語とベトナム語が話せます」「デンマーク語とノルウェー語が話せます」と言う。
その自慢は、どういうつもりなのか。
そりゃあ外国語が話せて損は無いけど、グリーン・ベレーの優秀さをアピールするのに、そこの特技をチョイスするかね。
グリーン・ベレーとして特に重要な能力とも思えないんだが。

マルドゥーンは説明会でベックワースから「南ベトナムには自由憲法も選挙も無い」と言われた際、「我が国でも植民地の13州が憲法を制定するのに1776年から1783年まで掛かったと教わっています。平和な時の審議でさえ11年も掛かった」と語る。
しかし、合衆国憲法の草案が作られたのは1787年で、13州全ての批准が完了したのは1790年だ。
もし憲法ではなく連合規約のことを言いたいのだとしても、その発効は1781年だ。
そもそも、1775年から1783年までは独立戦争が行われていたわけで、「平和な時の審議」とは言い難い。

ベースキャンプに到着した際、カービーは自分のライフルの銃口でベックワースを示し、コールマンに紹介する。
ライフルに銃弾が装填されているか否かに関わらず、銃口を向けて指差しの代わりにするなんてのは、軍の指揮官としてあまりにも軽率な行為だ。
銃繋がりで言うならば、コワルスキー軍曹が殺されているのを見つけたカービーがM16小銃を木に叩き付けて折ってしまうシーンがあるが、それはマテル社製のオモチャである。
どこの製品かってのはともかく、オモチャだというのは結構分かりやすい。

当然のことながらベトナムでロケーションを行うことは不可能で、だからアメリカ国内で撮影されている。
だが、どうやら「いかにもベトナムらしいロケ場所」を見つけ出すのは難しかったようで、ベトナムっぽさに欠ける風景が広がっている。
風景繋がりで言うならば、最後のシーンでは夕日が海の向こうへ沈んでいくのだが、ベトナムには西海岸が無いので、そんな光景は絶対に見られないのである。

映画の内容や目的を考えると、徹底してシリアスにやるべきじゃないかと思うのだが、なぜかユーモラスなテイストを持ち込んでいる。
出発前だけに留まらず、ベトナムに入ってからも、戦死者の名前の表示板を見たプロボが「私の名前だと語呂が悪い」と言うシーンでノンビリした雰囲気を醸し出すなど、ちょっと緊迫感を生じさせたら、すぐに緩和を入れるということが続く。
特にピーターソンの登場するシーンでは、かなりユーモラスな雰囲気が強くなることが多い。

「つかの間の安らぎ」とかいうレベルではなく、コミカルなテイストが多く持ち込まれている。
過去の戦争ならともかく、その時点で現在進行形の戦争、しかも賛否両論(むしろ否定的な意見)が渦巻いている戦争で、風刺の意味ではない形でユーモラスなテイストを盛り込むセンスは、なかなか凄い。
さすがにベトコンの夜襲があった辺りからは、主要人物の中でも複数の犠牲者が出ていることだし、シリアス一辺倒になるのかと思ったのだが、まだ妙な余裕が残っている。
やるねえ、ジョン・ウェイン。

しかも、ベトコンの夜襲を受けてグリーン・ベレー側も激しく応戦し、激しい戦闘で大勢の犠牲者が出て、それが20分ほど続いて仕方なく撤退する、という展開があったのに、直後に戦闘機が飛来して銃撃すると、わずか15秒程度でキャンプを占領したベトコンを全滅させてしまうのだ。
だったら、あの激しく厳しい白兵戦は何だったのかと。
最初からキャンプを守ろうなんて考えずにさっさと撤退し、戦闘機が来てベトコンを一掃してから戻れば良かったじゃねえか。
そうすりゃ無駄な犠牲者が出なくても済んだでしょうに。

「キャンプを奪還するための戦闘」がクライマックスになるのかと思いきや、そんな風にバカバカしい形でキャンプを奪還してしまうので、そのままだと腑抜けみたいな状態で終わってしまう。
そのため、ほぼ付け足しみたいな形で「敵の将軍を拉致する」というミッションが用意される。
しかし、どうやって拉致するのかと思ったら、彼が好意を寄せるリンに協力してもらい、色仕掛けで油断させたところを襲撃するという作戦。
そこに来て、女を使った卑怯な作戦を遂行しちゃうのかよ。グリーン・ベレーの勇ましさもカッコ良さも、ちっとも表現できない作戦じゃねえか。

評論家からは酷評を受け、一般的な評価も決して高いとは言えない本作品だが、しかし北米ではヒットしたのである。
しかも、1968年の公開映画の中では11位の興行収入を記録しており、ジョン・ウェインの主演作としては最も興行的に成功した作品らしい。
厭戦・反戦のムードが高まっていた中でそれだけのヒットを記録するってことは、ベトナム戦争に賛成していた国民も大勢いたってことなんだろう。
色んな意味で、凄い国だねえ、アメリカ合衆国ってのは。

(観賞日:2014年2月7日)

 

*ポンコツ映画愛護協会