『華麗なるギャツビー』:2013、アメリカ
1929年、アルコール依存症のニック・キャラウェイはパーキンス療養所に入院していた。彼は所長のウォルターに、ジェイ・ギャツビーという男のことを「彼ほど途方も無い希望を抱く男は知らない」と語った。1922年の夏、ニックはウォール街の証券マンとして働いていた。彼はイェール大学時代に作家を目指していたが、その夢を諦めていた。ニックは郊外のウェスト・エッグに小さなコテージを購入するが、隣にある城の住人がギャツビーだった。
湾の対岸にある高級住宅地のイースト・エッグには、ニックの従妹のデイジー・ブキャナンが住んでいた。デイジーの夫のトムは大富豪の息子で、イェール大学時代はスポーツ万能だった。社交界の花形であるデイジーは、ニックを友人でゴルファーのジョーダン・ベイカーと付き合わせようと考えていた。ジョーダンから「ウェスト・エッグの住人を知ってる?」と訊かれたニックは、「知り合いはいない」と答えた。ジョーダンが「ギャツビーも?」と言うとデボラが反応し、「どちらのギャツビー?」と口にした。
自動車整備工場のウィルソンから電話が入ると、トムが応対に行き、デイジーも咳を外した。ジョーダンは、ニックに、「トムには愛人がいる」と教えた。デイジーはトムの浮気を疑っており、ニックと2人になると「娘のパミーが産まれた時、トムとは連絡が取れなかった」と語った。別荘に戻ったニックは桟橋に立つ男性に気付き、それがギャツビーだと確信した。「この件は話したくない」と彼が口にすると、ウォルターは「では書けばいい。それが癒やしになる。読者はいないし、嫌なら燃やせばいい」と助言した。
ニューヨークーの中間地点にある石炭捨て場は、灰の谷と呼ばれていた。ある日、ニックはトムに誘われて列車で街へ向かっていた。その途中でトムは列車を飛び降り、ニックにも付いて来るよう要求した。彼が赴いたのは、ジョージ・ウィルソンの営む整備工場だった。トムの浮気相手はウィルソンの妻のマートルで、密会用のアパートも借りていた。彼はウィルソンに気付かれないよう、マートルに金を渡して「次の列車に乗ってくれ」と指示した。
トムはマートルに、ニックのために妹のキャサリンを呼ぶよう頼んだ。キャサリンはカメラマンのチェスター・マッキーを伴い、アパートにやって来た。ニックが去ろうとすると、トムは「見ているだけじゃなくてプレーしろ」と強引に引き留めた。ニックは酒を飲まされて、泥酔した。翌朝、別荘で目覚めたニックは、ギャツビーの使者からパーティーの招待状を渡された。ギャツビーは週末ごとにパーティーを開いていたが、正式な正体を受けたのはニックだけだった。
ニックがギャツビーの邸宅へ行くと、大勢の人々が集まっていた。しかし誰もギャツビーに会ったことは無く、彼についてはスパイだの殺し屋だのと様々な噂が広まっていた。ニックはジョーダンに声を掛けられ、友人のテディー・バートンを紹介された。ギャツビーを捜索していたニックは本人と遭遇し、笑顔で挨拶された。ギャツビーは「明朝、水上飛行機に乗る」と言い、ニックを誘う。ジョーダンを見た彼は「お久しぶりです」と挨拶し、執事を通じて「2人で話したい」と彼女を呼び出した。
その後、ニックはギャツビーの水上飛行機に乗せてもらい、パーティーにも2回参加した。ある日、ニックはギャツビーにランチに誘われ、彼の高級車に同乗した。ギャツビーはニックに、「無責任な噂が広がっている。真実を話す」と言う。彼は富豪の家に生まれて家族と死別し、オックスフォード大学を卒業してから遺産でヨーロッパ各地を豪遊した。戦地では1人でドイツ軍の部隊を全滅させ、勲章を授与された。そんな説明をニックは眉唾だと思っていたが、ギャツビーは大学時代の写真や勲章を見せた。
ギャツビーはニックに、「大事な頼みがある。お茶会でジョーダンが説明する」と告げ。彼は闇カジノへ連れて行き、友人でギャンブラーのメイヤー・ウルフシェイムをニックに紹介した。そこへトムが来ると、ギャツビーは顔を強張らせた。ニックに紹介されたギャツビーはトムに挨拶するが、早々に席を外した。ニックがお茶会に行くと、ジョーダンは「ギャツビーがデイジーとお茶を飲みたがっている」と教えた。彼女はニックに、「5年前にギャツビーとルイヴィルと会ってた」と述べた。
ジョーダンがギャツビーと会った5年前、基地の将校の間でデイジーは大人気だった。ギャツビーはデイジーと惹かれ合ったまま、戦地へ赴いた。終戦から1年が経っても彼は戻らず、デイジーはトムとの結婚を決めた。挙式の当日にギャツビーから手紙が届いたので彼女は結婚を中止しようとするが、それは無理だった。新婚旅行から戻った1週間後、トムの浮気が発覚した。ギャツビーは城を購入して週末にパーティーを重ね、デイジーが来るのを待ち続けていたのだ。
ジョーダンはニックに、ギャツビーが偶然の再会を装うことを望んでいると伝える。ニック手を貸すことに決め、2日後に自宅でお茶会を開くことをギャツビーに話す。ギャツビーは大勢の使用人を差し向けて庭を手入れし、室内を多くの華で派手に飾り付けた。当日、ニックはデイジーを招待し、ギャツビーと再会させて席を外した。最初は緊張していたギャツビーとデイジーだが、すぐに昔のように楽しく会話を交わすようになった。
ギャツビーは自分の城にデイジーを案内し、ニックにも同行してもらう。デイジーは城での時間を楽しむが、急に「悲しくなった」と泣き出した。ギャツビーはデイジーの写真や手紙を全て残してスクラップ・ブックを作っており、それを彼女に見せた。電話が掛かって来ると、受話器を取ったギャツビーは「小さな町が条件だと言っただろ」と声を荒らげた。彼はオルガン奏者にパイプオルガンを弾いてもらい、デイジーと踊った。
夏の終わり、ニックはギャツビーから出生の秘密を知らされた。彼はジェームズ・ギャンツという本名で、ノースダコタ州の貧しい家庭に生まれた。16歳で家出した彼は難破船から大富豪のダン・コーディーを救助し、その時にジェイ・ギャツビーへ改名した。彼はダンの下で金持ちとしての振る舞いを学ぶが、遺産相続の願いは叶わなかった。無一文に戻ったギャツビーだが、すぐにウォール街の有名人となった。その金の出所について、周囲の人間は誰も知らなかった。
トムはデイジーと共に城のパーティーへ招待された時、ギャツビーへの強い嫌悪感を見せた。ギャツビーはトムの承諾を得て、デイジーと踊った。トムが女優のマーリン・ウッドを口説きに行っている間に、彼はデイジーと共に裏庭へ抜け出した。「このまま遠くへ逃げたい」とデイジーが言うと、ギャツビーは「それは駄目だ。ここで一緒に暮らそう」と持ち掛けた。待たせていたスレイグルが怒っていることを執事から知らされたギャツビーは城へ戻り、トムはデイジーを連れて去った。
ギャツビーはニックに、「彼女からトムに愛してなかったと言わせる。そして彼女の両親に挨拶し、結婚式を挙げる。5年前と同じ所から始めるんだ」と話す。ニックは「過去はやり直せない」と告げるが、彼は「やり直せるさ」と自信を見せた。ギャツビーはパーティーを開かなくなり、デイジーとの密会を重ねた。彼はデイジーとの関係が露呈するのを恐れ、使用人を全て解雇した。彼はニックに電話を掛け、「デイジーが決意した。君とミス・ベイカーに立ち会ってほしいと言ってる」と語った。
翌日、ギャツビーはブキャナン邸を訪れ、ニックとジョーダンが同席した。だが、いざとなるとデイジーは尻込みし、トムに告白することを避けた。トムはデイジーのギャツビーへの態度を見て、2人の関係を見抜く。彼は町に行こうと提案し、自分の車を使うようギャツビーに持ち掛けた。ギャツビーは断り、自分の車にデイジーを乗せた。トムはギャツビーの車と競争になるが、給油のためにウィルソンの工場に立ち寄った。ウィルソンはトムに、「金欠なので妻と共に西部へ移る」と聞かされた。トムはアパートへ行き、ギャツビーとデイジーの関係を非難した。ギャツビーは「彼女は僕を愛してる」と言い、愛など無かったとトムに告白するようデイジーに促した。するとデイジーは躊躇を示し、「過去は変えられない。彼のことも愛してた」と口にする…。監督はバズ・ラーマン、原作はF・スコット・フィッツジェラルド、脚本はバズ・ラーマン&クレイグ・ピアース、製作はバズ・ラーマン&キャサリン・マーティン&ダグラス・ウィック&ルーシー・フィッシャー&キャサリン・ナップマン、製作総指揮はバリー・M・オズボーン&ブルース・バーマン&ショーン・“ジェイZ”・カーター、共同製作はアントン・モンステッド、撮影はサイモン・ダガン、美術はキャサリン・マーティン、編集はマット・ヴィラ&ジェイソン・バランタイン&ジョナサン・レドモンド、衣装はキャサリン・マーティン、視覚効果監修はクリス・ゴッドフリー、音楽はクレイグ・アームストロング、音楽監修はアントン・モンステッド。
出演はレオナルド・ディカプリオ、トビー・マグワイア、キャリー・マリガン、アミターブ・バッチャン、ジョエル・エドガートン、アイラ・フィッシャー、ジェイソン・クラーク、エリザベス・デビッキ、ジャック・トンプソン、リチャード・カーター、アデレイド・クレメンス、ガス・マレー、デヴィッド・ファーロング、ヴィンス・コロシモ、エデン・フォーク、ケイト・マルヴァニー、ダニエル・ギル、ション・シーリン、キム・ナッキー、マシュー・ウィテット、フェリックス・ウィリアムソン、カラン・マッコーリフ、スティーヴ・ビズレー他。
F・スコット・フィッツジェラルドの小説『グレート・ギャツビー』を基にした作品。
監督は『ロミオ+ジュリエット』『ムーラン・ルージュ』のバズ・ラーマン。
脚本も同じく『ロミオ+ジュリエット』『ムーラン・ルージュ』のバズ・ラーマン&クレイグ・ピアース。
ギャツビーをレオナルド・ディカプリオ、ニックをトビー・マグワイア、デイジーをキャリー・マリガン、ウルフシェイムをアミターブ・バッチャン、トムをジョエル・エドガートン、マートルをアイラ・フィッシャー、ウィルソンをジェイソン・クラーク、ジョーダンをエリザベス・デビッキ、ウォルターをジャック・トンプソンが演じている。ニックは戦地から帰還し、アルコール依存症や不眠症を患ってサナトリウムに入院している設定だ。そして彼が医師に過去を語ったり文章に綴ったりして過去を回想する形で、ギャツビーやデイジーたちとの出来事が描かれる。
でも、「戦地から帰還して入院している」という設定を用意している意味が、まるで分からない。
2013年という時代に映像化する意味を持たせるために、何か工夫を凝らすのは分かるよ。
でも、その結果として用意された設定だとしたら、骨折り損のくたびれ儲けにしか思えない。デイジーの登場シーンは、かなり勿体を付けた演出になっている。
「これから美女が登場しますよ」という雰囲気を盛り上げて、期待感を煽る。そしてデイジーの顔をアップで写し、「温かいオーラに、僕だけを待っていたと勘違いしそうになる」というニックのナレーションを入れる。
だけどデイジーって、その煽りに見合うほどの妖艶さや、問答無用で惹き付けるほどの圧倒的な力を感じさせてくれないのよね。
正直に言って、ジョーダンの方が遥かにファム・ファタール的な力を感じさせるのよ。デイジーに比べると、ギャツビーの登場シーンはスローモーションも無く、勿体ぶることもない。
相手の正体を知らないままニックが話し掛けている様子が描かれ、その時はギャツビーの顔を写さない。「挨拶が遅れた」とギャツビーが言う時も、まだ後ろ姿。
そしてグラスを持った手、ニックの顔とカットを繋ぎ、最後にカットが切り替わるとギャツビーが振り返って初めて顔が写り、「僕がギャツビーだ」と言う。
もちろん「レオナルド・ディカプリオだから」ってのは大きいが、主役としての存在感が見事に発揮されている。普段のキャツビーは余裕たっぷりで落ち着き払っており、「いかにも大富豪」という貫禄を感じさせる。
しかしデイジーとお茶会で会う時は緊張して冷静さを失い、まるで初めて女性とデートする中高生のようにオタオタしている。ブルジョアとしての上品さや華やかさだけでなく、そういう可愛げも見せている。
だからギャツビーは、魅力的な人物として感じられるようになっている。
1974年版と同様に、このリメイク版もギャツビーとデイジーの釣り合いが取れていないのだ。トムはウィルソン工場からの電話を受けて戻って来た後、デイジーに「今夜はニックとクラブに行く」と言う。しかし、実際にクラブへ出掛けるシーンは無い。「行かなかった」ってことじゃなくて、行くシーンを省略している。
ギャツビーはパーティーでニックに会った時、「明朝、水上飛行機に乗る」と誘っているが、実際に乗るシーンは無い。こちらはニックのナレーションで「水上飛行機に乗った」と語るだけで片付けている。
でも実際に行くシーンが無いのなら、「行く約束を交わした」という手順の意味が無いよね。
話を動かすための手順だとしても、他に代替案は幾らでもありそうだし。バズ・ラーマン監督は、ゴージャスな印象を与える映像を作るのが得意な人だ。
トムたちがアパートで騒ぐシーン、ショーダンのお茶会、カジノのシーンなど、金持ちが贅沢に散財する様子を描くパートでは、享楽的な雰囲気が良く出ている。
特に城で開かれるパーティーのシーンは、バズ・ラーマンの持ち味が充分に発揮されていると言っていいだろう。
絢爛豪華だが上品とは言い難く、ケバケバしい成金趣味チックな華やかさが、そこにある。やたらとカメラを動かして、遠くへズームしていく演出を多用している。
だが、この演出が効果的だとは到底思えない。例えば貧富の格差とか、人間の心の距離とか、そういうのを象徴しているわけでもないし。
それ以外でも、バズ・ラーマンはTPOを全く考えず、自分が見たいと思った映像を撮影している。
マートルが車にひかれて大きく飛ばされるシーンとか、「そこにケレン味を付けてどうすんのか」と言いたくなってしまう。ギャツビーはブルジョアの中で生きて行くには、あまりにも純粋すぎた。金は稼ぐためにはあくどい方法にも手を出したが、汚れの無い夢を抱いていた。
過去を取り戻し、デイジーと一緒に暮らせると思っていた。別れた後も、デイジーはずっと自分のことだけを愛してくれていると思い込んでいた。
そんな幻想を打ち砕かれた後も、彼はデイジーに無償の愛を注ぎ続けた。彼女のために、罪を背負った。
しかしデイジーは、そんなギャツビーを見捨てて旅立ってしまう。ギャツビーは愚かしい男だったが、それは同情すべき愚かしさだった。一方、ブルジョアの中に蔓延する愚かしさは、唾棄すべき愚かしさだった。だからニックはブルジョア社会に幻滅し、ギャツビーだけに価値を見出した。
ただ、そんな結末が訪れた時、そこから1929年に戻って来る構成の意味が全く見えて来ない。
最終的に「ニックはギャツビーに関する文章を書き上げました」という着地になっているが、だから何なのかと。
戦争で受けた心の傷とか、アルコール依存症とか、そういう問題も放り出されたままになっているし。(観賞日:2022年8月10日)