『グリース2』:1982、アメリカ

1961年9月1日。新学期を迎えたライデル高校では、マッギー校長と教務秘書のブランチが素晴らしい年になることを期待していた。だが、すぐに2人の期待は打ち砕かれた。最上級生になったピンク・レディーズのステファニー、ボーレット、シャロン、ロンダ、ドロレス、T−バーズのジョニー、グース、ルイス、デイヴィーといった不良たちが登校したのだ。かつてライデル高校に通っていたフレンチーも、母校へ復学した。彼女は美容学校へ転校したのだが、髪をピンクに染めて落第してしまったのだ。
フレンチーの従兄であるマイケルも、ライデル高校へ転校して来た。彼はイギリスからアメリカへ来て、伯母の家に暮らしていた。一方、つい最近までジョニーと交際していたステファニーは、「もう終わりよ」と冷たく別れを告げた。マイケルは優等生タイプのユージーンと知り合い、「ロッカーには鍵を掛けろ。何でも盗まれる」と助言された。マイケルがロッカーを使おうとすると、T−バーズたちが来て「ここは俺たちのロッカーだ」と乱暴に追い払った。
ライデル高校には、派手な外見のメイソンや、心身疲労から復帰したスピアーズといった教師たちがいる。秀才でピアノが弾けるマイケルは、双子の女子生徒から「タレント・ショーの選考会で伴奏して」と頼まれる。フレンチーはマイケルがステファニーに興味を持ったと知り、「彼女はピンク・レディーズよ。T−バーズじゃないと手を触れられないの」と忠告した。T−バーズがフットボール部コーチのカルホーンを軽くあしらっていると、バルミュードの率いる敵対グループがバイクで校内に入って来た。ジョニーが「今夜はボウリングをやる」と言うと、バルミュードたちはバイクで走り去った。
その夜、ピンク・レディーズとT−バーズはボウリング場に出掛け、大いに盛り上がる。ステファニーはジョニーが「ベスト・スコア賞」としてキスしようとすると、それを拒否して「キスはしたい人とするわ」と告げる。ジョニーの挑発的な態度に反発したステファニーは、つい「次に入って来た人とキスするわよ」と宣言した。そこへ入って来たのは、仲間に入ろうと考えてボウリング場所に来たマイケルだった。いきなりステファニーからキスされ、マイケルは困惑した。
ステファニーはマイケルに全く興味を示さず、仲間と共にボウリング場所を後にする。マイケルはT−バーズに「ゲームは?」と言うが、彼らは相手にせず立ち去った。マイケルは1人だけ残ったドロレスに自己紹介し、「僕らは除け者だ」と漏らした。ドロレスは「みんな掟や誓いでカッコ付けてさ。バイクを持ってないと相手にされないわよ」と告げた。「彼女たちのマスコットになりたかったの。でも無理みたい」と言うドロレスに、マイケルは「送って行くよ」と述べた。
翌日、またスピアーズが休職したため、代理教師のスチュアートが赴任した。マッギーはメイソンを捕まえ、「分からないことがあったら彼女に聞いて」と押し付けた。スチュアートが教室に入ると、生徒たちは一斉に外へ出てしまった。講堂ではタレント・ショーの練習が開始され、マイケルは双子のピアノ伴奏を担当した。ピンク・レディーズとT−バーズも、それぞれ優勝を目指していた。ステファニーが来たので、マイケルは「放課後、何か食べに行かない?」と誘うが断られる。「明日は?」と尋ねても、「同じ」と軽く言われる。彼が「ボウリング場のキスは、どういう意味だったんだ?」と訊くと、ステファニーは「ただのジョークよ」と告げた。
マイケルが「明後日は?」と粘ると、ステファニーは「しつこいわね」と腹を立てた。彼女が「私のタイプは野性的な男。平凡な男は嫌。クール・ライダーが好み」と言うのを聞き、マイケルはバイクの必要性を感じる。そこへグースが現れ、歴史の論文を内緒で売るよう持ち掛けた。マイケルはバイクを購入するため、その誘いを承諾した。彼はT−バーズの他のメンバーからも内緒で宿題を引き受け、代わりに金を受け取った。
マイケルは中古のバイクを購入して公園へ行き、乗りこなすための秘密特訓を開始した。さらにマイケルは部品を手に入れ、バイクを新品同様にするためのチューンアップにも励んだ。ある夜、バルミュードがボウリング場の前に現れた。それを知ったジョニーたちは意気盛んに出て行くが、バルミュードの仲間たちが集まっていたので慌ててボウリング場に引っ込んだ。そこへ黒いヘルメットのライダーが現れ、バルミュードたちを挑発した。それはマイケルだったが、ゴーグルを付けているのでステファニーたちは正体に気付かなかった。マイケルは優れた運転技術でバルミュードたちを圧倒し、その場を後にした。ステファニーは、謎のライダーに恋をした。
翌日、ライダーの正体を知っているフレンチーは、マイケルに「昨夜、ボウリング場所でステファニーが謎のライダーに参ったらしいわ?身に覚えはある?」と問い掛ける。マイケルは「あるよ。大成功だ。あのバイクに乗れば彼女をノックアウトできる」と満足そうに告げた。ステファニーがガソリンスタンドで働いていると、マイケルが謎のライダーの格好で現れた。マイケルが「乗るか」と誘うと、彼女は仕事を放り出した。マイケルはステファニーを乗せてバイクを走らせ、彼女とキスを交わした…。

監督はパトリシア・バーチ、脚本はケン・フィンクルマン、製作はロバート・スティグウッド&アラン・カー、製作協力はニール・A・マクリス、製作総指揮はビル・オークス、撮影はフランク・スタンリー、編集はジョン・F・バーネット、美術はジーン・キャラハン、衣装はロバート・デ・モーラ、振付はパトリシア・バーチ、音楽はルイス・セント・ルイス。
出演はマックスウェル・コールフィールド、ミシェル・ファイファー、ディディ・コーン、コニー・スティーヴンス、タブ・ハンター、ドディー・グッドマン、シド・シーザー、イヴ・アーデン、エイドリアン・ズメッド、クリストファー・マクドナルド、ピーター・フレチェット、リーフ・グリーン、ローナ・ラフト、モーリーン・ティーフィー、アリソン・プライス、パメラ・シーガル、ディック・パターソン、エディー・ディーゼン、マット・ラッタンツィー、ジーン・セーガル、リズ・セーガル、デニス・C・スチュワート、ブラッド・ジェフリーズ、ヴァーノン・スコット他。


1978年の映画『グリース』の続編。前作で振付を担当していたパトリシア・バーチが、劇場映画初監督を務めている。
脚本のケン・フィンクルマンは、1974年のフランス映画『Y'a un os dans la moulinette』に続く2本目。
ブランチ役のドディー・グッドマン、カルホーン役のシド・シーザー、マッギー役のイヴ・アーデンは、前作から続投しているキャスト。
マイケルをマックスウェル・コールフィールド、ステファニーをミシェル・ファイファー、フレンチーをディディ・コーン、メイソンをコニー・スティーヴンス、スチュアートをタブ・ハンターが演じている。

ザ・ビー・ジーズのマネージャーを務めたり、レコード会社を設立したりと音楽業界で活躍していたロバート・スティグウッドは、1973年の『ジーザス・クライスト・スーパースター』を皮切りに映画製作へと乗り出した。『Tommy/トミー』や『ダウンタウン物語』を経て、ブロードウェイのミュージカルを基にした1977年の『サタデー・ナイト・フィーバー』を大ヒットさせた。
ジョン・トラヴォルタを再び主演に迎えた1978年の『グリース』は、29歳オリヴィア・ニュートン=ジョンが女子高生を演じている時点でヤバそうな匂いがする映画だったが、時代の流れに合ったのか、これまたヒットした。
絶好調のロバート・スティグウッドは、彼が勝手に「第二のザ・ビートルズ」と捉えていたザ・ビー・ジーズを起用して、ビートルズのカバー曲を使ったミュージカル映画『サージャント・ペッパー』を製作した。
ところが、これが興行的に大失敗してしまう。

この失敗に懲りたのか、あるいは出資者が敬遠して製作が難しくなったのか、スティグウッドはミュージカル映画から距離を置き、『年上の女』や『タイムズ・スクエア』といった映画を手掛ける。
しかしヒット作が一向に生まれず、そろそろヤバいと焦ったのか、ついにロバート・スティグウッドは得意分野であるミュージカル映画の世界へ舞い戻る。
もう失敗が許されない状況で製作したのが、この映画だ。
大ヒットした『グリース』の続編だから大コケすることは無いだろうし、堅く稼ごうという狙いがあったのかもしれない。
しかし彼は、大きな勘違いをしていた。
『グリース』は内容が面白いからヒットしたわけではなく、たまたま時代の仇花として当たっただけなのだ。

『グリース』がヒットした1978年と、この映画が公開された1982年では、まるで情勢が異なっている。もはや浮かれポンチなだけのミュージカル映画がヒットするような時代は過ぎ去っていたのだ。
しかも前作に比べるとキャストだけを見ても大きく劣っているわけで、そりゃあ惨敗するのは当然だろう。
しかし、それでもスティグウッドは諦めず、翌年には再びミュージカル映画『ステイン・アライブ』を作り(よりによって監督はシルヴェスター・スタローン)、またもや大コケする。
それでも映画界から消えることはなく、1996年にはマドンナ主演の『エビータ』を手掛けてヒットさせているんだから、大した人物である。

大雑把に言うと、『グリース』の男女の立場を入れ替えただけの映画である。
『グリース』は不良の男と優等生の女が恋に落ちる内容だった。
この続編では、優等生タイプのマイケルと不良少女のステファニーがカップルになる。
まあ一応は恋のライバルが邪魔をするとか、なかなか女が男に振り向いてくれないとか、色々な話はあるんだけど、ザックリと言っちゃうと「中身はすっからかん」である。

マイケルの見た目は明らかに不良とは程遠いし、マッギーが「秀才が転校してきました」とアナウンスしているので、そういう設定であることは分かる。
しかし、実際に彼が秀才であることをアピールするための描写が、全く盛り込まれていない。
まだステファニーに恋してアプローチを開始する前に、まずは「いかにマイケルが優等生タイプの学生であるか」を示すための描写を入れた方がいい。
それは簡単なことで、例えば「教師の出した問題をスラスラと解く」といった程度で構わないのだ。

序盤、ボウリング場のシーンでマイケルとドロレスが会話を交わして意気投合するのだが、その様子がとても微笑ましくて、引き付ける力を感じる。だから、最終的にマイケルとステファニーがカップルになる話なのは分かり切っているけど、マイケルとドロレスをカップルにすりゃいいのに、と思ってしまう。「送って行くよ」「子守なら願い下げよ」「違う、デートだ」という会話があるぐらいだし、2人で夜道を歩いて行く様子も悪くない雰囲気だし。
どうしようもなくポンコツな本作品の中で、ドロレスだけは魅力を感じさせる存在になっている。ケバケバしいだけのステファニーよりも、少なくとも性格的にはドロレスの方が遥かに魅力的なんだよな。
そりゃあ、ドロレスは身長が低く、明らかに「幼さ」を強調しているキャラクターであり、そんな女性とマイケルをカップルにさせるなんてことは、恋愛映画のパターンからして絶対に有り得ない。ただ、そうであるならば、なんでマイケルとドロレスを序盤で仲良しにしたのかと。
「最初からドロレスは恋愛の対象外であり、異性の友人として動かす」という意図なんだろうけど、傍から見ていると、「意外にお似合いだぞ」と思ってしまうのよね。
ところが残念ながら、それ以降のドロレスの出番は、ほとんど無い。恋愛劇に絡ませないにしても、扱いが悪すぎるわ。

そこが面白ければ何とかなる可能性のあるミュージカル・シーンにしても、残念ながら魅力に乏しい。
それは歌やダンスの質に問題があるというよりも、「そこで歌うのはどうなのか」「その内容を歌にするのはどうなのか」という疑問を抱くモノが多いのだ。
冒頭、新学期に登校してくる生徒たちの「学校へ戻るのさ。宿題を仕上げて登校だ」という歌に関しては、「オープニングをミュージカルで始める」という意味としては理解できるし、ダンスの動きも揃っているので、そこは悪くない。
しかし、ボウリング場のシーンで「ボウリングをやろう、カッコ良く始めよう」と歌い踊るのは、ホントに中身がすっからかんだし、「この辺りでミュージカルシーンを入れないと」という段取りだけで歌い踊らせているだけに思えてしまう。

ステファニーが「私が求めているのは鋭い目をした野性的な男。クール・ライダー」と歌い出すのは、ようやく「登場人物の心情を歌で表現する」という意味を持つミュージカル・シーンになっている。
ところが残念ながら、ここはソロの歌唱だし、卓越したダンス技術があるわけでもないし、小道具や舞台装置の活用も乏しいので、映像としての面白味に欠ける。
とは言え、次のミュージカル・シーンと比較すると遥かにマシ。
何しろ、次に待っているのは授業中のスチュアートと生徒たちが「生殖行動」について歌うミュージカルなんだぜ。
それって登場人物の心情表現とは無縁だし、物語の進行に全く必要が無いでしょ。

そもそも、「スチュアートが代理教師として赴任して来る」という筋書き自体がマイケルやステファニーのストーリーとは全く絡まないし、スチュアートの存在が完全に邪魔になっているんだよな。
そりゃあ、タブ・ハンターは1950年代には青春スターとして大活躍し、全米ナンバー1ヒットも持っている人だから、「往年の青春スターのゲスト出演」という意味合いで起用しているのは分かるのよ。
ただ、ゲストで1曲だけ歌わせるために起用するなら、そこだけの出番にしておけば良かったのよ。わざわざ、代理教師として赴任する筋書きなんて盛り込まなくていい。
それと、ゲストで起用しておいて、「生殖行動についての歌」ってのは無いだろ。もうちょっと恋愛劇に関連する形で活用しようよ。
しかも、半分以上は生徒たちが歌ってるし。完全に往年の青春スターの無駄遣いだわ。

グースがシャロンを核シェルターに連れ込み、肉体関係を迫って歌い出すというミュージカル・シーンは、「そんな無駄な寄り道をしている時間的な余裕は無いだろうに」と思ってしまう。
仮に時間的な余裕があったとしても、やっぱり話が散漫になるだけだし、要らないなあ。
そもそも、この2人の恋愛劇なんて、ほとんど描かれていなかったし。
T−バーズがガールハントに出掛けようとして歌うシーンも、やはり「そんな無駄な寄り道をして云々」という同じ感想だ。

話の中で全く乗れない部分があって、それは「マイケルがステファニーに好意を抱いてもらうため、T−バーズの仲間になろうとする」という筋書きだ。しかも、そこには何の迷いもなく、「ステファニーにはT−バーズじゃないと手を触れられない」と知った途端、すぐに行動を開始するのだ。
それは「惚れた相手にまっしぐら」という情熱の強さより、バカっぽさを感じてしまう。秀才キャラの動かし方として、それは単細胞すぎやしないかと。
そもそも、マイケルがT−バーズに入ろうとしていること自体に、まるで乗れないのだ。それは「共感できない」ってこともあるけど、それよりも「物語として、それがホントにいいのか」という疑問がある。
それは「ステファニーの気持ちを掴むため、マイケルは自分もジョニーたちのような不良のバイカーになろうとする」ということなんだけど、それは違うんじゃないかと。そんな方向へ舵を切ったら、マイケルというキャラクターの存在意義が死んでしまうんじゃないかと思うのだ。

ステファニーの周囲にいる男子はバイクを乗り回す不良ばかりで、そこに優等生のマイケルという男が現れることで、ステファニーにとっては「今までに出会ったことのないタイプ」という捉え方になるはずだ。
ところが、そいつが不良グループの真似をしてバイクを乗り回したら、もはや「不良に憧れている頼りないバイカー」でしかない。
そうじゃなくて、マイケルが真面目な優等生のまま、ステファニーが彼に好意を抱く話にすべきじゃないかと思うのよ。
ステファニーは序盤の段階で、それまで交際していたジョニーに別れを告げている。つまり、そこで彼女は不良に愛想を尽かしているという捉え方が出来る。もちろんジョニーという個人に対して嫌気が差しただけではあるが、T−バーズの他の連中も同類と考えていいだろう。
序盤で「ジョニーという不良との別れ」を用意し、その後に秀才のマイケルが登場するんだから、そこは「ジョニーと全くタイプの異なる男」として彼を動かすべきだろうに。なんでジョニーに寄せちゃうんだよ。

ステファニーは「私が求めているのは野性的な男。クール・ライダーよ」と歌うけど、だからってマイケルをクール・ライダーにするのは違うのよ。
ステファニーが「野性的なクール・ライダーとカップルになりました」という着地だと、ジョニーとカップルになるのと大きな違いが出ないでしょうに。
そこは「不良少女が優等生とカップルになりました」という、「美女と野獣」の変則版としての組み合わせに面白味があるわけで。
「不良少女とクール・ライダーのカップル」って、すんげえ普通じゃねえか。

そりゃあ「秀才がクール・ライダーになる」というところのギャップはあるかもしれないけど、そこに関しては、「そもそもマイケルの秀才キャラが弱すぎる」という問題があるんだよな。
それと、マイケルがステファニーを見た途端に恋をしてしまい、そこから積極的なアタックを開始するってのも、どうにも乗り切れない。
もう少し、恋愛に対しては奥手だったり不器用だったりする方が、好感が持てるんじゃないかと。
っていうか、むしろマイケル側からのアタックを積極的に描いていくよりは、「ステファニーがマイケルに惹かれていく」という部分をメインにした方がいいんじゃないかとも思うんだよね。

大体さ、バイクを購入して数日しか経過していないのに、あっという間に優れた運転技術を会得するってのは、無理がありすぎだろうに。
これが例えば「それまで全くバイクに興味が無かった優等生が、実はバイクに関する天性の才能を持っており、プロのライダーとして成長していく」という映画として作られているなら、それは何とか受け入れられたかもしれないよ。
だけど、そうじゃなくて恋愛をメインにしたミュージカル映画なんだからさ。
しかも、マイケルを見ている連中が「凄いライダーだ」と感心しているけど、スピード感は皆無だし、アクションシーンとしてはモッサリしているし、ちっとも凄いライダーに見えないのよ。

ステファニーが「いつものマイケル」には何の興味も示さず、「顔も名前も知らないクール・ライダーに恋をする」という筋書きにしてあるのも、ちっとも恋愛劇として乗れないし。
それって、つまり「中身はどうでもいい」ってことになるでしょ。
ジョニーの性格的な部分に愛想を尽かして別れたはずなのに、次の男に惚れた理由が「バイクの技術が凄い」というだけってのは、かなりアンポンタンな女に思えるぞ。
あと、ボウリング場で気付かないのはともかく、デートで近距離になったのに相手がマイケルだと全く気付かないのは、やっぱりステファニーがアンポンタンな女に見えるぞ。

劇中でマイケルがステファニーに「スーパーマンのコミックを読んだことは?」と尋ねるシーンがあるので、たぶん「ロイス・レインはスーパーマンに惚れており、その正体がクラーク・ケントであることは知らず、彼には冷たくする」という昔の『スーパーマン』の設定を意識しているんだろう。
だけど、その設定を使って作られた1978年の『スーパーマン』からの映画シリーズは、ロイス・レインが嫌な女にしか見えなかったのよ。だから、そんな設定を拝借しても、何のメリットも無いと思うのよ。
とは言え、恋愛劇の序盤としては、「ステファニーが正体を知らないままクール・ライダーに惚れる」ということでも別にいいのよ。そこから「マイケルの中身に惹かれる」という流れがあれば、それはそれで成立する。
ところが、ステファニーがが謎のライダーに惚れた時点で、もう後半戦に突入しているのだ。
そこから「マイケルの中身に惹かれる」とか、「マイケルと謎のライダーの間で恋心が揺れ動く」という筋書きを描くには、まるで時間が足りていないのだ。

マイケルに論文を教えてもらうシーンで、ステファニーは急に「貴方は素敵よ」「感心したわ。これからは尊敬するわ」と褒めたりするけど、取って付けたような印象しか無い。
しかも、その直前にクール・ライダーとデートしてキスしているわけで、そこから「マイケルに好意を抱く」という筋書きをやろうとしても、それはそれで「クール・ライダーへの恋心は何だったんだよ」ってことになる。
ただし実際は、食堂で何となくステファニーがマイケルを意識しているような素振りはあるものの、「恋心で揺れ動く」とまでは行かない。タレント・ショーの直前もライダーと会っているし、彼が死んだと思い込んでショーに集中できなくなっているし、完全に心はライダーのモノだ。
だから、最終的にはライダーの正体が判明したところでカップル成立になるけど、ステファニーはマイケルの内面に惹かれたわけではなく、「クール・ライダー」としてのカッコ良さに惹かれただけ、ということになっている。

(観賞日:2015年1月7日)


第5回(1982年)スティンカーズ最悪映画賞(2009年)

ノミネート:作品賞

 

*ポンコツ映画愛護協会