『ゴールデン・チャイルド』:1986、アメリカ

チャンドラー・ジャレルはロサンゼルスで行方不明の子供の捜し屋をしている。シェリルという少女の捜査協力を求めてテレビに出演した彼の元を、キー・ナンというチベット人女性が訪れた。チベットで誘拐されたゴールデン・チャイルドを探して欲しいというのだ。
ゴールデン・チャイルドとは、1000年に一度、この世に善をもたらすために生まれてくる完璧な子供のことらしい。チベットの寺院で僧侶に囲まれ、奇跡を見せていたゴールデン・チャイルドだったが、超能力者サード率いる組織に連れ去られたのであった。
サード達はシェリルを殺害し、その血をゴールデン・チャイルドに飲ませようとしていた。チャイルドは完璧なので手出し不可能だが、普通の人間の血を飲ませて不純にすれば殺害が可能になる。だが、サードはまだ血を飲ませることに成功していなかった。
ジャレルの前にサードが現れ、アジャンティの剣を渡すよう言い残して姿を消した。心清き者だけが入手できるというアジャンティの剣は、チャイルドを殺すことが出来る唯一の武器だった。ジャレルはキー・ナンと共に、剣の眠るチベットへと向かった…。

監督はマイケル・リッチー、脚本はデニス・フェルドマン、製作はエドワード・S・フェルドマン&ロバート・D・ワックス、共同製作はデニス・フェルドマン、製作協力はゴードン・A・ウェブ、製作総指揮はリチャード・ティーンケン&チャールズ・R・ミーカー、撮影はドナルド・E・ソーリン、編集はリチャード・A・ハリス、美術はJ・マイケル・リヴァ、衣装はウェイン・A・フィンケルマン、視覚効果監修はケン・ラルストン、音楽はミシェル・コロンビエ。
主演はエディ・マーフィー、共演はチャールズ・ダンス、シャーロット・ルイス、J・L・リアート、ヴィクター・ウォン、ランダル・“テックス”・コブ、ジェームズ・ホン、シャクティ、タウ・ロゴ、タイガー・チャン・リー、ポンズ・マー、ピーター・クォン、ウォーリー・テイラー、エリック・ダグラス、チャールズ・レヴィン、ケネス・“フルーティ”・フライスJr.、ベネット・オータ、キンコ・ツボウチ、ゴヴィンド・チパルー他。


完全に気の抜けてしまった、「オシャレでスマート」なエディ・マーフィーの主演作品。
タイミングを失ってしまったのか、盛り上がる場所の見つからない展開。チャイルドがペプシ缶で作った人形を踊らせるシーンは印象に残ったが、超能力の使い方にそれほど面白味は無い。

そもそもチベットで起きた誘拐事件の捜査を、「ゴールデン・チャイルドを救う宿命がある」と言ってロスの捜し屋に頼む時点で無理がある。別にバカバカしい形でも構わないから、ジャレルでなければいけない必然性を用意して、もう少しスムーズに導入していくべきだった。
ジャレルは最初、奇跡だの超能力だのが出てくる話を「アホらしい」と考えて相手にしない。そして、荒唐無稽な物語だということを、観客に対して序盤の内にキッチリとアピールできていないために、ジャレルだけでなく観客も今一つ乗り切れないのだ。

サード達がシェリルを殺す必然性が、全く無い。
ゴールデン・チャイルドを殺すために普通の人間の血を飲ませたいのなら、別に誰の血でも構わないんだから。というか、不純にするのに血を飲ませるというのも変な話だ。それなら輸血でも構わないんじゃないだろうか。

笑わせようとしているシーンはあるが中途半端。SFXの使い方も中途半端。ジャレル、キー・ナン、サード、チャイルドと、全ての主要メンバーは没個性。テンポも悪いし間も悪い。スペクタクルなアドベンチャーもダイナミックなアクションも無い。そしてエディのマシンガントークは不発。
バカSFとしての爆発力も無いから、「マジに作って大きく外す」という最悪の形になっている。エディがオーバーなリアクションを見せるとか、サードがエキセントリックな存在感を発揮するとか、そういう部分での荒唐無稽さがあれば良かったのかもしれないが。

本質的にはクドい作品のはずなのだが、登場人物のリアクションなどを見るに、どうも淡白に描いている感じ。どうせシナリオは破綻しているんだから、もっと開き直って弾けてくれないと。
こういう作品は勢いで引っ張っていかないと、キツイと思うんだけどね。

 

*ポンコツ映画愛護協会