『怪獣王ゴジラ』:1956、日本&アメリカ

かつて600万人の人口を誇った東京が、数ヶ月前までは夢想もしなかった怪物の手で廃墟と化した。恐るべき怪物の目撃者は、その大半が死亡した。世界通信社の特派員であるスティーヴ・マーティンはカイロに向かう途中、旧友に会うため東京へ立ち寄った。そこで地獄絵図に遭遇したスティーヴだが、何とか生き延びた。恐怖の夜が明け、収容所は死傷者で溢れ返った。古生物学者・山根博士の娘である恵美子は、救護に忙殺された。収容所に運び込まれたスティーヴは、彼女に話し掛けた。彼が山根のことを尋ねると、恵美子は保安警察の人間と会議中であることを告げた。
恵美子が去った後、スティーヴは回想に入った。数日前、彼は大学時代の友人である科学者の芹沢に会うため、飛行機で東京へ向かっていた。同じ頃、貨物船の栄光丸が太平洋上で沈没事故を起こしていた。スティーヴが空港に到着すると、芹沢の代理人が迎えに来ていた。彼はスティーヴに、芹沢が実験で来られないことを説明した。そこに警官が現れ、スティーヴが搭乗していた飛行機を確認した。そして彼は、保安局へ来るようスティーヴに要請した。
スティーヴは保安局長の岩永から、搭乗中に変わったことは無かったかと尋ねられた。読書後に眠っていたことを告げたスティーヴは、なぜ尋問するのか質問した。原因不明の沈没事故が多発していることを知ったスティーヴは、すぐに本社へ打電し、取材のために東京へ留まることにした。対策を迫られた警察は、科学者の山根たちを招聘した。山根が対策について問われている様子を見ていたスティーヴは、岩永に通訳を依頼した。岩永は彼に、山根が沈没現場に近い大戸島を調査するよう進言していることを教えた。
大戸島の人々が怯える中、1人の遭難者が流れ着いた。翌朝、調査隊を乗せたヘリが東京から大戸島に向かった。スティーヴは岩永の招きを受け、調査隊に同行した。島民の1人は怪物の仕業だと主張するが、スティーヴは信じなかった。その夜、彼は災難を祓う儀式を見物した。岩永はスティーヴに、大戸島には「ゴジラ」という巨大な怪物の伝説があることを教えた。その夜、暴風雨が大戸島を襲ったが、島民たちはゴジラの仕業だと考えた。
翌日、調査隊は島民代表の数名を連れて、東京へ戻った。国会で公聴会に出席した島民たちは、ゴジラの仕業だと訴える。最後に意見を求められた山根は、島に科学調査団を派遣すべきだと告げた。公聴会の後、スティーヴは旧知の仲である山根に同行を申し入れた。調査団と共に船で大戸島へ向かったスティーヴは、芹沢の婚約者である恵美子が若い船員の尾形と楽しそうにしている様子を目撃した。
大戸島に到着した調査団は、放射能を帯びた巨大生物の足跡や、絶滅したはずの三葉虫を発見した。山の向こうから巨大な怪獣が出現し、調査団は慌てて逃げ出した。東京へ戻った山根は公聴会で巨大怪獣について発表し、大戸島の伝説に従って「ゴジラ」と呼ぶことにした。スティーヴは本社に報告した後、芹沢に電話を掛けて食事に誘う。芹沢は「今日は恵美子が来る」と言い、明日の会食を承諾した。
恵美子が訪問すると芹沢は恐るべき実験を披露し、絶対に口外しないよう求めた。日本政府はゴジラを殺すため、太平洋で爆雷攻撃を実施した。それを報じるテレビのニュースを見た山根は、恵美子の前で悲しそうな表情を浮かべた。恵美子が声を掛けると、彼は「ゴジラを殺すのは間違いだ。貴重な研究材料なのに」と漏らした。
人々はゴジラが死んだと確信し、大いに浮かれる。だが、その日の夕方、ゴジラは東京湾に姿を現し、人々を驚かせた。翌日、自衛隊がゴジラの襲撃に備えて出動した。丘に登ったスティーヴは、上陸したゴジラが東京湾周辺で暴れる様子を眺めた。やがてゴジラは海と去るが、山根は再び来襲することを確信した。翌日、スティーヴは岩永から、ゴジラ防衛の非常手段として東京全部を高圧線で包囲する作戦が敷かれることを聞かされた。政府は近隣住民に対し、避難を要請した。
その夜、スティーヴは報道室から作戦の様子を眺め、録音機のマイクを握って実況した。ゴジラは電流を張り巡らせた高圧線を軽々と突破し、町を破壊した。戦車隊が砲撃するが全く効果は無く、ゴジラの炎を浴びて全滅した。報道室はゴジラに破壊され、スティーヴは崩れた瓦礫の下敷きとなった。戦闘機部隊がミサイル攻撃を開始する中、ゴジラは海へと姿を消した。翌日、収容所に運び込まれたスティーヴの前で、恵美子は芹沢がゴジラを倒せる唯一の武器を持っていることを明かした。それは水中の酸素を破壊し、生物を滅ぼす薬剤だった。恵美子と共に芹沢の元を訪れた尾形は、ゴジラ退治のために酸素破壊剤を使わせてほしいと申し入れる…。

監督は本多猪四郎&テリー・モース、製作は田中友幸、原作は香山滋、脚本は村田武雄&本多猪四郎、撮影は玉井正夫&ガイ・ロー、美術監督は北猛夫、美術は中古智、録音は下永尚&アート・スミス、照明は石井長四郎、編集監修はテリー・モース、特殊技術は円谷英二&渡辺明&向山宏&岸田九一郎、音楽は伊福部昭。
出演は宝田明、河内桃子、レイモンド・バー、志村喬、平田昭彦、村上冬樹、堺左千夫、小川虎之助、山本廉、鈴木豊明、岡部正、手塚勝巳、中島春雄ら。


1954年に東宝が製作した映画『ゴジラ』をアメリカの製作会社が買い取り、新たに撮影したシーンを加えて再編集した海外版。
海外には昔から多くの『ゴジラ』ファンがいるし、影響を受けたと言っている映画監督もいるが、その大半が見ていたのは、この海外版である。
日本で公開された正式な『ゴジラ』がアメリカで公開されたのは、2005年のことだ。
この海外版では、レイモンド・バーが演じるスティーヴ、フランク岩永が演じる岩永といった人物の登場シーンが付け加えられている。

東宝が海外用に新たなシーンを撮影したわけではなく、アメリカ側で勝手に付け加えているので、当然のことながら色々と無理が生じる。その無理をどうやって誤魔化すかってのが腕の見せ所なのだが、まるで隠せていない。
スティーヴが登場するシーンでツギハギ感が強く感じられるのは当然として、それ以外の部分でも構成を変更しているせいで、ものすごくギクシャクした仕上がりになっている。
まずスティーヴがオリジナル版の出演者と関わるシーンでは、河内桃子や志村喬のスタント・ダブルが顔が見えないようバック・ショットで画面に写し出される。しかし、実際に共演していないことがバレバレの処理になっている。
空港のシーンでスティーヴと接する面々は全て海外版の新キャストだが、アメリカで調達した日系人ばかりなので、みんなカタコトの日本語しか話せない。日本の空港なのに、警官は「この人はハワイからシチゴ(意味不明)の飛行機で参りましたか」と拙い日本語で代理人に尋ね、代理人は「はい、名前はスティーヴ・マーティンです」と、「スティーヴ・マーティン」の部分だけは流暢な英語で答える。

スティーヴが岩永と話すシーンは、まず「保安局」って何なのかというところが引っ掛かる。
そのシーンは、古いフィルムだからなのか、単純に編集作業が粗かったせいなのかは知らないが、レコードの音飛びのように途中でカットが飛んでしまう。
また、それも原因なのかもしれないが、尋問の理由をスティーヴが尋ねた後、岩永が「原因不明なのです」と言い、スティーヴが「浮遊機雷では?」と問い掛けるという、無理問答のような状態が起きている。
なぜスティーヴは何が起きたか知らされていないのに、まるで「謎の沈没事故が起きた」と知らされたかのような言葉を口にするんだよ。

その後、岩永は別の部屋にスティーヴを案内し、「備後丸が現場へ急行中ですから、何か手掛かりが入ると思います」と告げる。部屋にいた保安局員が、「救助船と連絡中です」と言う。
だが、なぜ岩永がスティーヴをそこへ連れて行き、詳しいことを教えるのか。
それと、その後に船が沈没するシーンが挿入されるけど、それが備後丸なのか何なのか分かりにくいぞ。
あと、ちなみに、その部屋には小川虎之助の演じる南海汽船社長もいる設定だが、もちろん別撮りのシーンである。

原因不明の沈没事故への対策を訊くために科学者たちが招聘されるシーンでは、まず田辺博士が「弱ったことになりましたなあ。このままでは近く」まで言ったところでカットが切り替えられ、対策本部長が「策を伺いたいのです」と山根に告げるシーンになってしまう。
その時点で既にギクシャク感は生じているが、沈没事故への対策を問われたはずの山根が「それは無理です。水爆の洗礼を受けながら、なおかつ生命を保っているゴジラを、何をもって」と言い出すという、会話として成立しない状態になっている。
なんでゴジラの仕業であることを、その段階で山根は知っているのかと。

そんでもって、山根が「まず、あの不思議な生命力を研究するこそこそ」まで喋ったところで、またもカットが切り替えられ、スティーヴが岩永に通訳を求める様子が写る。すると岩永は、「博士は現場近くの島を調査するよう言っています」と、まるで違う内容を教える。
そのような奇妙な現象が起きる原因は、オリジナル版と構成を大幅に入れ替えた際、日本語の台詞を無視しているからだ。
そのシーンでは、オリジナル版キャストの台詞が全て日本語のままになっている。
日本人の我々は、辻褄が合っていないとか、台詞が途中で切られているというのが分かるが、日本語を知らないアメリカ人には何を言っているのか分からない。だから、それで成立しちゃうのだ。

大戸島の島民たちが不安そうにしている中、漂流する筏が発見されるシーンで、スティーヴの「そんなん線から逃げ出した人々だ」というナレーションが入る。しかし日本語の台詞では、流れ着いた男に対して母親が「政治」と言い、弟が「あんちゃん」と声を掛けている。
オリジナル版では、そこは「沈没した備後丸の救助に向かい、原因不明の沈没事故を起こした漁船に乗っていた漁師の政治が大戸島に流れ着いて島民たちに救助される」というシーンであり、そこを別のシーンとして使っているため、変なことになっているのだ。
島の調査に向かう岩永は、なぜかスティーヴも招く。そんな2人が話を聞いた島民は、「見ました。タッタッタッタッと見ました」と奇妙なオノマトペを盛り込みつつ、拙い日本語で喋る。
「船の遭難のこと、知っとるのか。何だったのか」という、これまた岩永の微妙に変な日本語の後、島民は「カーイブツです。恐ろしいカイブツです」と言うのだが、「カイブツ」の「カ」の部分にアクセントを置いているので、どうも「怪物」っぽくない。

暴風雨に見舞われると政治が家を飛び出し、弟が「あんちゃん」と叫ぶので、これまた繋がりがおかしくなっている。
暴風雨がゴジラの仕業という設定になっているのも、メチャクチャである。
で、「翌朝に調査団は島民代表を連れて東京へ戻った」というスティーヴの説明が入るのだが、暴風雨のシーンでヘリコプターが破壊される様子が描写されているんだよね。
ヘリコプターが無いのに、どうやって翌朝に東京へ戻ったのかと。

島民代表たちの後で山根が意見を述べるシーンでは、英語による吹き替えとなっている。
わざわざ吹き替えにするぐらいだから、物語を進めて行く上で重要な説明を入れるんだろうと思っていたら、そこで喋るのは「調査団を島へ派遣すべき」ってことだけだ。
そんなの、日本語の台詞をそのまま使って、後でスティーヴが岩永に通訳してもらうことにすりゃいいでしょ。そもそも、国会の公聴会に出席しているのに、なんで英語で喋るんだよ。さっきの対策本部では日本語だったのに、整合性が取れてないだろ。
あと、もう岩永たちが調査団として島に入って、その結果として島民たちを連れ帰ったんだろうに。なんで調査団が二重に派遣されるのかと。

スティーヴを主要キャストとして扱い、「ほとんどの出来事を目撃したり、関与したりしている」という風に描写しなきゃいけないので、オリジナル版のキャストたちが割りを食っている。出番が削られたり、役割が小さくなったりしているのだ。
河内桃子はヒロインなのに、存在感は薄い。
平田昭彦は、序盤から芹沢という役名だけは何度か台詞にされているが、調査団として船に乗ったスティーヴが「恵美子は芹沢の婚約者」とナレーションで説明する段階で、まだ1度も登場していない。
最も不憫な扱いになったのは宝田明で、オリジナル版だけでなく海外版でも最初に名前が表記されるのに、完全にチョイ役扱いである。

ゴジラが上陸した際、尾形、恵美子、山根は丘に登り、そこから町が破壊される様子を眺める。
その場にスティーヴと岩永もいる設定になっているが、もちろん後から撮影したシーンを挿入しているので、尾形や恵美子たちと並ぶことは無い。
スティーヴが登場する際は、アップのカットになる。そこもツギハギ感を全く消せていない。
まあ当然っちゃあ当然なのだが、とにかく最初から最後まで、スティーヴが完全に浮いた存在になっている。

オリジナル版は「原水爆反対」という社会的メッセージを強烈に訴え掛ける内容となっていたが、さすがにアメリカ市場で公開する際、同じメッセージをそのまんま使うわけにはいかず、その部分はバッサリと削り落とされている。
そこに関しては仕方ない部分もあるかなあと思うのだが、そこを度外視しても、再構成した作品の質が低すぎる。
こんなポンコツ映画を見て、大勢の外国人が『ゴジラ』を称賛していたのかと思うと、何だか悲しい気持ちになってくるわ。

(観賞日:2014年12月16日)

 

*ポンコツ映画愛護協会