『ゴーストシップ』:2002、アメリカ&オーストラリア

1962年5月21日。ラブラドル半島沖合いを航行中の豪華客船アントニア・グラーザ号では、大勢の乗客が甲板でダンスパーティーに興じて いた。少女ケイティーが退屈をもてあましていると、乗務員が優しく手を差し伸べた。その直後、ピンと張られていたワイヤーロープが 外れ、強烈な勢いで乗客の間を通過した。ケイティーを除く全員の体は、真っ二つに切断された。
それから40年後。サルベージ船アークティック・ウォリアー号では、チームリーダーのエップス、船長のマーフィー、航海士グリーア、 技術者ドッジ、サントス、マンダーが作業に精を出していた。仕事を終えたエップスたちは、酒場で酒を飲んでいた。そこへジャックという 男が現れ、天候調査でベーリング海の上空を飛行していた際に撮影した写真を見せた。そこには大きな船影が写っており、呼び掛けても 応答が無かったことから漂流船ではないかとジャックは説明する。
ジャックは20%の発見料で曳航を依頼するが、マーフィーは10%に減額しないと引き受けないと言う。不利な条件に難色を示したジャック だが、自分を連れて行くことを条件に承諾した。アークティック・ウォリアー号は出航し、夜が訪れた。やがて闇の中に、エップスたちは 漂流船を発見する。その船は、40年前に忽然と消息を絶ったアントニア・グラーザ号だった。
エップスやマーフィーたちは調査のため、アントニア・グラーザ号に足を踏み入れた。床に穴が開き、マンダーが落ちそうになった。彼を 引き上げた時、エップスはケイティーの幽霊を目撃した。甲板に救命ボートは無く、燃料タンクは空っぽだった。船内を調べた一行は、 40年前に存在しなかったデジタル式の腕時計を発見した。つまり、最近になって船に入った先客がいたということだ。
エップスたちは、ひとまずアークティック・ウォリアー号に戻り、夜明けから本格的な調査に入ることにした。翌日、海に潜ったエップスたち は、アントニア・グラーザ号の船底に穴が開いており、沈みかけていることを発見した。曳航のためには穴を塞ぎ、壊れている舵も修理 する必要がある。サントスが修理を担当し、残りの面々が船内調査に取り掛かった。
水の干上がった屋内プールに入ったエップスは、再びケイティーの幽霊を見て驚いた。しかし転倒している内に、ケイティーは姿を消した。 ジャックと合流した彼女が洗濯室のドアを開けると、大水と共に数名の死体が飛び出してきた。船を出ようとした2人は、船倉で金塊を 発見した。一方、グリーアはフランチェスカのポスターを見つけ、色っぽい歌声を耳にした。
エップスが皆を船倉に集め、マーフィーが木箱を開けると、そこには大量の金塊が入っていた。全部で2億から3億ドルはあると見られ、 皆は大喜びした。刻印は消されており、盗まれたものではないかと推測された。洗濯室の死体は、2週間から3週間前のものと思われた。 一行は沿岸警備隊に報告せず、アントニア・グラーザ号は捨てて金塊だけを運ぶことで意見が一致した。
エップス達は金塊を運び、グリーアがアークティック・ウォリアー号のエンジンを掛けようとする。その時、エップスの前にケイティーが 現れ、「エンジンを掛けちゃダメ」と叫んだ。その声を聞いていないグリーアはエンジンを掛けた。サントスのいる機関室のプロパンガス が漏れており、大爆発を起こした。アークティック・ウォリアー号は海に沈み、サントスは死んだ。
エップスは、アントニア・グラーザ号の穴を塞ぎ、通り掛かる船を待って救助を求めることを提案した。乗客名簿を調べたエップスは、 幽霊がBデッキに乗っていたケイティーだと確信した。ドッジとマンダーは缶詰を食べるが、大量の蛆虫が湧き出したので狼狽した。 グリーアがダンスホールに赴くと、周囲が当時の姿に変貌し、乗客たちが拍手を送った。そこへフランチェスカが現れ、グリーアは彼女に 誘惑されるがままキスをした。
サントスが死んだ責任を感じていたマーフィーの前に、アントニア・グラーザ号の船長が現れた。船長はローレライ号の写真を見せ、漂流 していたところを救助したと語った。それが1962年5月19日のことだ。金塊はローレライ号から運び込まれたものだった。生存者について 尋ねると、一人だけいたという。船長が差し出した写真を見て、マーフィーは驚愕した。
エップスの前に、ケイティーが現れた。彼女は一人旅で、ニューヨークで両親と会う予定になっていた。ケイティーはエップスに、「船に 乗っていた皆は捕らわれている」と言う。さらに彼女は「船が満杯になって必要な数だけ手に入れると、あそこへ」と何かを説明しようと するが、その途中で何者かの存在に怯え出す。ケイティーはエップスに逃げるよう警告し、姿を消した…。

監督はスティーヴ・ベック、原案はマーク・ハンロン、脚本はマーク・ハンロン&ジョン・ポーグ、製作はジョエル・シルヴァー& ロバート・ゼメキス&ギルバート・アドラー、共同製作はリチャード・ミリッシュ&スーザン・レヴィン、製作総指揮はブルース・ バーマン&スティーヴ・リチャーズ、撮影はゲイル・タッターサル、編集はロジャー・バートン、美術はグレアム・“グレイス”・ ウォーカー、衣装はマーゴット・ウィルソン、視覚効果監修はデイル・デュグイッド、音楽はジョン・フリッゼル。
出演はジュリアナ・マーグリーズ、ガブリエル・バーン、ロン・エルダード、デズモンド・ハリントン、イザイア・ワシントン、 アレックス・ディミトリアデス、カール・アーバン、エミリー・ブラウニング、 フランチェスカ・レットンディーニ、ボリス・ブルキッチ、ロベルト・ルッジェーロ、イェーン・ガーディナー、アダム・ビーシャー、 キャメロン・ワット、ジェイミー・ギッデンス。


ジョエル・シルヴァーとロバート・ゼメキスが設立したホラー専門の映画制作会社ダーク・キャッスル・エンタテインメントによる、 『TATARI』『13ゴースト』に続く第3作。
エップスをジュリアナ・マーグリーズ、マーフィーをガブリエル・バーン、ドッジをロン・エルダード、グリーアをイザイア・ワシントン、 ジャックをデズモンド・ハリントン、サントスをアレックス・ディミトリアデス、マンダーをカール・アーバン、ケイティーをエミリー・ ブラウニングが演じている。
監督は『13ゴースト』のスティーヴ・ベックが担当。
1980年のジョージ・ケネディー主演作『ゴースト 血のシャワー』を意識して作られているようだが、中身は全く異なる。
『ゴースト 血のシャワー』は、ナチスの拷問船を舞台にして、死者の怨念に憑依された船長が殺人鬼に変貌するというホラー映画だ。

ロマンティックな恋愛映画のような雰囲気で始まり、そこから血の惨劇になるという導入部は、B級映画の掴みとして充分なモノが ある。
ただ、そこがピーク。
それ以降、見るべきモノは何も無い。
そこを越えるような残酷ショーは無い。
終盤になって、40年前に起きた惨劇の一部始終を、縦ノリ満開の音楽に乗せてMTV感覚でダイジェストとして見せるセンスには呆れた。

「地獄の回収屋が、サタンに送る死者を集めるための人間ホイホイとしてアントニア・グラーザ号を使っていました」という具体的な理由 を用意したことが、大きなマイナスになっている。
説明するのなら、もっと巧みに伏線を張り巡らせておくべきだ。
急にそんなことを言われても、陳腐で馬鹿馬鹿しいとしか思えない。
ここは不条理で不可解なままにしておいた方が得策だった。悪魔という存在を出すにしても、「ハッキリしたことは不明だが、何らかの形 で介在している」と匂わせる程度に留めておけば良かった。

そりゃあ、あまりにも謎だらけだと、恐怖を抱くより前に、その謎に頭を悩ませてしまい、怖がることに神経が行かない可能性がある。
しかし、なんでもかんでも説明することが良いとは限らない。
ホラー映画の場合、ある程度の不条理は付き物だ。
この映画に関して言えば、その「悪魔の人間ホイホイ」という箇所以外にも謎だらけというわけではない。
だから、その部分をボカしたままにしても、それによるマイナスは無かったのではないか。

進行がノロい。ゆっくりジワジワと恐怖で侵食していくというのではなく、単純にテンポが悪い。
なぜか前半の間は、恐怖映画というより海洋冒険物のような感じで進めていく。
ホラーっぽい箇所って、エップスがケイティーの幻覚を見る場面ぐらいだ。
しかもケイティーは、現れても怖くも何ともない。
床に穴が開いて落下しそうになるのも、ホラーとしてのコケ脅しではないし。

2度目のケイティーの亡霊登場の後、鏡に写る幽霊や、壁から湧き出す血といった描写が出て来る。
しかしゾクゾクさせる恐怖感があるでもなく、ケレン味たっぷりの残酷ショーが繰り広げられるでもない。
サルベージ船のクルーは、アントニア・グラーザ号の不気味さに、なかなか気付かない。
洗濯室の死体や何匹ものネズミに驚くシーンが出て来るものの、それは「実際に存在する何か」に驚いているだけであり、得体の知れない 何かの存在を認識し、それに恐怖しているわけではない。

洗濯室の死体と遭遇した後で金塊を発見するというのは、手順として間違っているんじゃないのか。
まず金塊を発見したクルーに大喜びさせておいて、それから死体を発見し、異常現象に見舞われて、クルーが怯え始めるという展開に 移行すべきじゃないのか。
映画も半ばに来た辺りで金塊を見つけて浮かれるって、遅すぎるぞ。
そこに来ても、「この船は呪われている」というグリーアに意見を皆が馬鹿にして笑うって、観客を怖がらせる気が無いのかと。

仲間同士のいがみ合いとか、そんなのに時間を割いている暇があったら、もっと幽霊とか超常現象のコケ脅しを見せろよ。
缶詰の蛆虫も、それは怖がらせるんじゃなくて気持ち悪がらせる演出でしょ。
完全にピントがズレている。
ようやくマーフィーやグリーアの前に幽霊が出現しても、恐怖を煽る見せ方じゃないし、彼らも怖がっていない。
話が終わりに近付いても、まだ客船の恐ろしさに気付いていないクルーもいるという始末だし。

ガス爆発のシーンも、そりゃホラーじゃなくてアクションのノリだよ。その派手さは違うだろ。
そこに「人間が丸焼け」などの残酷さがあるのならともかく、派手さしか無いぞ。アクション映画が撮りたい人なのか、スティーヴ・ ベックって。
でもアクション志向の人が、ホラーと全く馴染まないってわけでもないんだよな。リチャード・ドナーは『オーメン』を撮っているし、 B級ホラーの巨匠ジョン・カーペンターもアクション映画を撮っているし。
だから単純に、センスが無いってことよね。

(観賞日:2008年12月7日)

 

*ポンコツ映画愛護協会