『ゴースト ニューヨークの幻』:1990、アメリカ

銀行員のサム・ウィートは、恋人モリー・ジャンセンとの同棲を始めた。だが、モリーがサムに結婚したいという意志を告げた夜、2人は強盗に襲われる。サムは強盗ともみ合いになった末、射殺された。肉体から抜け出したサムの魂は、地上に残った。
幽霊となったサムはモリーを見守るが、彼女に触れることは出来ない。サムの声が、モリーに届くことも無い。そんな中、サムは自分を射殺した男、ウィリー・ロペスを発見する。だが、犯人を見つけたところで、幽霊になった彼には、どうすることも出来ない。
ある日、サムは霊感アドバイザーのオダ・メイ・ブラウンと出会った。彼女はペテン師だったが、サムの声を聞くことは出来た。そこでサムはオダ・メイに、自分とモリーとの伝令役を依頼した。モリーは最初、オダ・メイの話を信じなかった。しかし、彼女がサムしか知らないはずの事実を口にしたことで、本当にサムがいるのだと信じた。
モリーはオダ・メイから聞いた話を、サムの友人カール・ブルーナーに相談した。だが、彼はウィリーにサムを襲わせた黒幕だった。カールは自分の立場を利用して、ギャングの不正資金を洗浄していた。変更されたコンピューターのコードを知るため、カールはウィリーにサムを襲わせて、アドレス帳を手に入れようとしたのだ…。

監督はジェリー・ザッカー、脚本はブルース・ジョエル・ルービン、製作はリサ・ウェインスタイン&ハワード・W・コッチ、製作総指揮はスティーヴン=チャールズ・ジャッフェ、製作監修はエレン・ソマーズ、撮影はアダム・グリーンバーグ、編集はウォルター・マーチ、美術はジェーン・マスキー、衣装はケンダル・エレア&エリック・ハリソン&ドーン・J・ジャクソン&ルース・モーリー、音楽はモーリス・ジャール。
出演はパトリック・スウェイジ、デミ・ムーア、ウーピー・ゴールドバーグ、トニー・ゴールドウィン、リック・エイヴィルス、ブルース・ジャーチョウ、アーメリア・マックイーン、ゲイル・ボッグス、フィル・リーズ、アンジェリーナ・エストラーダ、オージー・ブラント、ヴィヴィアン・ボネル、デレク・トンプソン、ソンドラ・ルービン、フェイ・ブレナー、スティーヴン・ルート他。


アカデミー賞で脚本賞と助演女優賞(ウーピー・ゴールドバーグ)を受賞した作品。
脚本を担当したブルース・ジョエル・ルービンは、『デッドリー・フレンド』や『ジェイコブス・ラダー』のシナリオも書いている。
どうやら、死後の世界に興味があるようだ。

ZAZトリオのジェリー・ザッカーが、それまでのバカ映画路線を捨てて、初めてマジな恋愛劇を撮った作品だ。ここには、それまでのZAZトリオらしいテイストは微塵も感じられない。
あんぱんにピーナッツバターを塗りまくって、それを牛乳に浸してパン生地をフニャフニャにしたような作品だ。ゆる〜くて甘ったるい純愛物語だ。

サムは幽霊になり、やがて“正義の超幽霊”になった。
そう、彼は普通の幽霊ではない。
正義の超幽霊だ。
普通の幽霊は、物質を通り抜けてしまう。
サムも、何かに触れようとして、すり抜けてしまうという体験をする。
他人の体が通り抜けていくこともある。
その性質を利用して、扉を通り抜け、向こう側に出るということも可能なわけだ。

だが、何でもかんでも全て、すり抜けてしまうわけではない。
殺されて幽霊になった直後、サムは病院の椅子に座り込む。
つまり、椅子をすり抜けることは無いわけだ。
また、地下鉄の壁は通り抜けるが、地下鉄の床をすり抜けてしまうことは無い。

「なるほど、つまり手で触れることは出来ないが、足や尻で物質に触れることは可能なのだろう」と、早とちりしてはいけない。
サムは、病院の椅子に手で触れて、立ち上がっている。
つまり、サムは死んだ直後から、物質に触れることが実は出来ているのだ。
その後も、玄関のノブは握れないが、階段に手を着くことは出来たりする。

すり抜けてしまう物と、そうでない物との基準は、一見しただけでは全く分からないだろう。
ここで、サムが普通の幽霊ではなく、超幽霊だということがキーポイントになってくる。
つまり、超幽霊の場合、その時の都合に応じて、すり抜けてしまうか、触れることが出来るかという判断を、臨機応変、自由自在に変えることが可能なのだ。

後半に入ると、サムは精神集中によって物質に触れる術を会得する。パソコンのキーを打ち、カールにパンチを食らわせる。
その術を使えば、オダ・メイが殺されそうになった時、カールやウィリーを殴り倒してKOすることも可能なはずだが、なぜか出来ない。
サムがやったことと言えば、ウィリーの周囲の物質を散らかして、怯えさせただけだ。遊んでいる余裕は無いはずなのだが。
オダ・メイに逃げるよう指示を送るのもいいが、姿が見えないことを利用して、カールとウィリーを倒すことは出来なかったのか。

様々な物質に触れることが出来るようになった(実は最初から触れているのだが)サムだが、どうしてもモリーに触れることは出来ない。1セント銅貨を動かして自分の存在を知らせなくても、彼女に触れたら一発で分かるはずだが、出来ない。
どうやら、精神が集中できないようだ。
きっと、性欲か何かが集中を邪魔するんだろう。

ウィリーやカールは、悪いことをしたので、幽霊になった瞬間に、地獄に連れ去られてしまう。だが、サムはウィリーやカールを死に追いやっても、天国に行く。
なぜなら、彼は「正義の」超幽霊だからだ。
正義の行為だから、殺人も容認される。
それに、サムは上手く立ち回り、自分の手を直接には汚さず、2人を始末している。
利口なのだ。

この作品は、我々に大きなメッセージを与えてくれる。
それは、「愛が云々」とか、「生命が云々」とか、そういうタイプのメッセージではない。
「矛盾点を出さずに幽霊物を作ることは、難しい作業である」という、ありがたいメッセージである。

 

*ポンコツ映画愛護協会