『ガルボトーク 夢のつづきは夢…』:1984、アメリカ
ギルバート・ロルフは、ニューヨークでP&P公認会計士事務所に勤めているが、妻リサはロサンゼルスに帰りたがっている。ある日、ギルバートは同僚のケラーマンが昇進したことをきっかけに、窓さえ無い部屋に配置替えをされてしまった。
ギルバートの母エステルは、往年の大女優グレタ・ガルボの大ファンだ。エテスルは曲がったことが大嫌いな人で、ギルバートが幼い頃からデモや抗議活動に熱を入れている。ギルバートの父ウォルターは、いつもエステルが何かに怒っていることに疲れ、彼女と別れて10年前にクレアという女性と再婚した。
偏頭痛が続いていたエステルは、医者から脳腫瘍で余命は長くて半年だと宣告される。ギルバートはエステルから、「死ぬ前に本物のガルボに会いたい」と頼まれ。ギルバートはガルボを探すため、隠遁生活を送っているガルボを探し始める…。監督はシドニー・ルメット、脚本はラリー・グルーシン、製作はバート・ハリス&エリオット・カストナー、製作協力はジェニファー・M・オグデン、撮影はアンジェイ・バートコウィアク、編集はアンドリュー・モンドシェイン、美術はフィリップ・ローゼンバーグ、衣装はアンナ・ヒル・ジョンストン、音楽はサイ・コールマン。
出演はアン・バンクロフト、ロン・シルヴァー、キャリー・フィッシャー、キャサリン・ヒックス、スティーヴン・ヒル、ハワード・ダ・シルヴァ、ドロシー・ルードン、ハーヴェイ・フィアステイン、ハーミオン・ジンゴールド、リチャード・B・シュル、アリス・スピヴァク、モーリス・スターマン、エド・クローリー、マックスウェル・アレクサンダー、ロデリック・クック、マイケル・ロンバード他。
往年の大女優グレタ・ガルボの熱烈なファンである頑固者の母親と、死期の近い彼女のためにガルボを探す息子の姿を描いた作品。
エステルをアン・バンクロフト、ギルバートをロン・シルヴァーが演じている。作詞家&脚本家のアドルフ・グリーンや歴史家のアーサー・シュレシンジャーJr.が本人役で出演している。アンクレジットだが、グレタ・ガルボを演じるのは作詞家&脚本家のベティ・コムデン。なお、メアリー・マクドネルが映画デヴューを果たしている。
エステルが「ガルボに会いたい」とギルバートに頼むのは、あまり格好が良くない。
それよりも、いつもエステルが「一度、本物のガルボに会いたい」と言っていて、母に内緒でギルバートがガルボを探すという形の方が格好が良かったのでは。エステルのガルボへの入れ込みぶりを、序盤で充分に描き切れていない。
ギルバートの会社での状況が悪くなった様子を、もっと明確に表現した方がいい。
途中で登場する女優ジェーンやゲイのバーニーに、ほとんど存在価値を感じない。ギルバートがガルボを探し始めると、エステルの存在感がやや薄くなってしまう。
また、ギルバートとエステルの親子関係も、あまり描かれなくなってしまう。
終盤に年老いたガルボが登場するが、皆が気付くというのは不自然だろう。そのように、色々と気になる点は多い。
だが、それでも終盤に大きく盛り返すチャンスはあった。
しかし、この作品は、終盤に盛り返すことはできていない。
既に映画が始まる前から、この作品はチャンスを失っているからである。この作品の最大にして致命的な欠点は、クランクインの前に生じている。
致命的欠点とは、本物のグレタ・ガルボを出演させられなかったことにある。
終盤に本物のガルボが顔を見せてこそ、感動を呼ぶ作品になる。
そこで顔をハッキリ見せない偽者が登場するのでは、完全に気持ちが萎える。おそらく、1940年代の後半から隠遁生活に入ってしまったグレタ・ガルボを今作品に出演させるというのは、どうやっても無理な注文だったのだと思う。
だったら、エステルが憧れている対象を、グレタ・ガルボではなく、この映画に出演してもらえる別の女優に変更すべきだったのだ。
「エステルの憧れの対象がグレタ・ガルボである」という設定よりも、本人に出演してもらえることを、何よりも優先すべきだったのだ。