『ギャラクシーナ』:1980、アメリカ
西暦3008年、宇宙旅行は普通の行為となった。新銀河系が開拓され、異文明の発見と共に宇宙の往来は激しくなった。銀河連合は警察組織を設置し、宇宙艦隊がパトロールを行うようになった。宇宙パトロール船の1つであるインフィニティー号には、感性を持つロボットであるギャラクシーナが乗り込んでいた。彼女の他に、乗組員は船長のバット、チーフのソー、操縦士のバズ、整備係のモーリスとサム・ウーという面々だ。
一行は7年間の任務を終え、トラフィック・ステーションへ向かっていた。船は自動操縦に入り、ギャラクシーナを除くクルーは休息を取っている。バズは鳥のような形状をした未知の宇宙船を発見し、ソーに知らせた。指示を受けたバズが交信すると、宇宙船の船長は惑星モードリックのオードリックと名乗った。オードリックは平和使節だと説明するが、目的については明かそうとしなかった。バズから報告を受けたバットが改めて問い掛けるが、やはりオードリックは返答を拒否して通信を切った。
インフィニティー号は鳥型宇宙船と光線を撃ち合い、パワーフィールドで防御する。パワーフィールドが弱くなってきたため、バットはギャラクシーナを呼ぶようソーに指示した。バットはパワートンネルを見て来るようバズに命じ、「私は囚人に食事を与えてくる」と言うた。バットは檻に閉じ込めている怪物のロックイーターと会い、くだらない冗談を口にして笑う。ロックイーターが不愉快そうな態度を取ると、バットはエサの石を投げ付けた。
バズはモーリスとサムの元へ行き、機械の修理状況を尋ねた。モーリスは「朝までに直しておく」と言い、手伝うよう求めた。するとバズは、「忙しいだろうから、夕食は持って来てもらおう」と告げた。バット、ソー、バズは食堂へ移動し、ギャラクシーナが給仕を担当した。バットはロックイーターが持っていた卵を割り、中身を飲んだ。直後にバットが体を震わせて苦悶したので、ソーとバズは腹を殴った。するとバットは、小さなトカゲ型のモンスターを吐き出した。モンスターは食堂から逃亡し、姿を消した。
ギャラクシーナはモーリスとサムのいる整備室へ、食事を運んだ。ブリッジに戻ったギャラクシーナの元へソーが現れ、彼女を口説いた。ソーとバズは本部と通信し、ギャリティー司令官の秘書であるエレクシアから「プレゼントするわ」とオッパイを見せられた。バットはギャリティーから、アルター1での新しい任務を命じられた。アルター1までは27年も掛かるが、断ることは出来なかった。ギャリティーはバットたちに、「誰かがブルー・スターを発見したはずだ。アルター1に到着したら、フランク・フューチャーと名乗る地球人と接触しろ。酒場の主人である彼が、サンプルを持っている」と説明した。
ギャリティーは「ブルー・スターと呼ばれる鉱物には、宇宙文明に大きな変革をもたらす力が込められている」と述べ、任務に就く前に慰安所で24時間の休憩を取ることを許可した。インフィニティー号は慰安所に降り立ち、ギャラクシーナを除くクルーは売春宿に入った。バットはマダムのキティーに挨拶し、クルーは売春婦たちと時間を過ごす。そんな様子を、ギャラクシーナはモニターを通じて見ていた。楽しい時間を満喫したバットたちは、売春宿を出てインフィニティー号に戻った。
慰安所を離脱したインフィニティー号はアルター1に針路をセットし、クルーはクライオスリープと呼ばれる冷凍睡眠に入った。卵のモンスターは、クライオスリープ室に入り、バットが眠っている装置のボタンを操作した。ギャラクシーナはブリッジから移動し、ソーを見つめた。ブリッジに戻った彼女は、掌に搭載されているスイッチを操作した。ギャラクシーナは喋る練習を積み、体温調節も行った。化粧を施した彼女は、クライオスリープ室の装置を順番に解除した。
ギャラクシーナはトレーニングに入ったソーの元へ行き、プログラムを変更したから触っても感電しなくなったことを告げる。彼女が言葉を発したので、ソーは驚いた。ギャラクシーナは「愛してるわ」と言い、ソーにキスをした。オードリックの宇宙船が出現し、いきなり攻撃を仕掛けて来た。インフィニティー号は大きなダメージを受け、アルター1に不時着した。クルーが鞭打ちで動けなくなったため、ギャラクシーナは1人で町へ行くことになった。
荒野の町に辿り着いたギャラクシーナは、酒場へと足を踏み入れた。彼女はバーテンダーにフランクのことを尋ねるが、既に食べられた後だと言われる。フランクの使っていた部屋にギャラクシーナが入ると、テーブルにブルー・スターが置いてあった。そこへオードリックが現れ、ブルー・スターを奪おうとする。ギャラクシーナはオードリックを殴り倒し、ブルー・スターを持って逃亡を図った。撃ち合いを制したギャラクシーナだったが、ハーレー・ダビッドソンを神と崇める狂信者集団のチョッパーたちに捕まってしまう…。脚本&監督はウィリアム・サックス、製作はマリリン・J・ランザー、製作協力はジョージ・E・マザー、製作総指揮はニュートン・P・ジェイコブス、撮影はディーン・カンディー、編集はジョージ・バウアーズ&ジョージ・ベルント、美術はトーマス・ターリー、衣装はマリッサ・ダニエル、特殊メイクアップ効果はクリストファー・J・ウェイラス(クリス・ウェイラス)。
出演はドロシー・R・ストラットン、スティーヴン・マクト、アヴェリー・シュレイバー、ジェームズ・デヴィッド・ヒントン、ライオネル・マーク・スミス、タッド・ホリノ、ロナルド・ライト、ハーバート・カプロウィッツ、スティーヴン・モレル、アンジェロ・ロシット、ナンシー・マコーリー、フレッド・D・スコット、デヴィッド・A・コックス、ピート・シュラム、スーザン・カイガー、マリリン・ジョイ、ロンダ・シアー、バーティン・ゼイン、ヘザー・オコネル他。
『溶解人間』『バン・バニング・バン』のウィリアム・サックスが脚本&監督を務めた作品。
『禁断のアンドロイド ギャラクシーナ』という別タイトルもある。
ギャラクシーナをドロシー・R・ストラットン、ソーをスティーヴン・マクト、バットをアヴェリー・シュレイバー、バズをジェームズ・デヴィッド・ヒントン、モーリスをライオネル・マーク・スミス、サムをタッド・ホリノ、オードリックをロナルド・ライトが演じている。この映画について語る前に、ヒロインであるドロシー・R・ストラットンに触れておくべきだろう。
彼女は『PLAYBOY』1979年8月号のプレイメイトに起用され、1980年のプレイメイト・オブ・ザ・イヤーに選ばれている。その年に出演したのが、この映画だ。
その前にTVドラマ2本と映画『Skatetown, U.S.A.』に小さな役で出演していたが、ここまで大きな役は初めてだった。翌年に公開されるピーター・ボグダノヴィッチ監督作品『ニューヨークの恋人たち』にも主要キャストで起用され、今後が期待されていた。
だが、それ以降、彼女は1本の映画にもTVドラマにも出演していない。
理由は簡単で、1980年8月14日に死亡したからだ。ドロシー・R・ストラットンの死因は、事故死でもなく、病死でもない。
マネージャーのポール・スナイダーによって、ショットガンで撃ち殺されたのだ。
そもそもストラットンは高校生の頃にポン引きだったスナイダーと出会い、男女の関係になった。そしてスナイダーが母親の了承を得ずにストラットンのヌード写真を撮影させ、『PLAYBOY』に送ったのだ。
その後、彼はストラットンのマネージャーとなったが、実質的にはヒモのような状態だった。だが、そんなスナイダーにとって、由々しき事態が発生した。『ニューヨークの恋人たち』の撮影に入ったストラットンが、ピーター・ボグダノヴィッチと付き合うようになったのである。
そもそもボグダノヴィッチがストラットンを抜擢したのも、演技力を評価したということではなく、そこに大きな理由があったのだろう。
そんな2人の関係を知って嫉妬心にかられたスナイダーは、別れを切り出そうとしたストラットンを射殺し、自らも死を選んだ。
ちなみにボグダノヴィッチは、8年後にドロシーの妹のルイーズと結婚している。
ってなわけだから、この映画はドロシー・ストラットンにとって、代表作と言うべき唯一の作品なのだ。1977年に公開された『スター・ウォーズ』、前年に公開された『エイリアン』、TVシリーズ『スタートレック』といったSF作品の要素を持ち込み、パロディーとして消化しようとしたんじゃないかと思われる。
ただ、仕上がりは『バーバレラ』と『フラッシュ・ゴードン』を足して2じゃなくて8や9で割ったぐらいのモノになっている。
ようするに、ユルユルでペラッペラのSFコメディーってことだ。
話がユルくても、そこに「ユルい面白さ」があれば一向に構わない。だけど、この映画は「完全に外している喜劇」なのよね。まず冒頭、画面の下から文字が出現し、奥へ向かって流れて行く。このオープニング・ロールは、完全に『スター・ウォーズ』シリーズの模倣だ。全体としても、ベースは『スター・ウォーズ』を意識しているようだ。
バットの登場シーンでは、『2001年宇宙の旅』で使用されたリヒャルト・ シュトラウスの『ツァラトゥストラはかく語りき』が流れる。
バーテンダーが『スタートレック』のミスター・スポックに似ているとか(名前はミスター・スポット)、他にもSF作品のネタが幾つか持ち込まれている。
ただ、ギャラクシーナがオードリックと戦うアルター1のシーンは、西部劇である『続・夕陽のガンマン』のネタになっている。冒頭のナレーションで、「このロボットはギャラクシーナ」ってことにも触れている。何しろ映画のタイトルにもなっているし、最初に登場するキャラクターも彼女だ。
だから、そこからはギャラクシーナを動かしてストーリーを進めるのかと思いきや、すぐに彼女は消えてしまう。そして、バズ、ソー、バットといった面々が登場し、オードリックとのバトルになる。
パワーフィールドが弱ったところで、ようやくギャラクシーナが再登場する。
この導入部だけでも、キャラの出し入れが上手くないことは明白だ。あと、いきなり宇宙船の撃ち合いが描かれるんだから、派手なSFアクションなんだろうと思うかもしれないが、それは大間違い。
何しろ、どちらの宇宙船も全く動かない。
「チェイスしながらの撃ち合い」とか、「互いに光線をかわしながらの撃ち合い」ってわけではない。その場に留まって光線を発射し、「どちらのパワーフィールドが切れるか」というのを待つ消耗戦なので、絵的な面白味は無い。
宇宙船が動かなくても、光線を板野サーカスみたいに描写するとか、作戦を講じて戦うとか、何かしら工夫があればともかく、「動かない宇宙船同士の退屈な撃ち合い」を、動きの乏しい映像で凡庸に見せているだけだ。ギャラクシーナを呼ぶと、まだ彼女が来ない内に、なぜかバットとバズは出て行く。「バットはパワートンネルを見て来い」とバズに命じ、自分は「囚人に食事を与えて来る」と言う。
いやいや、今すべきことじゃないだろ。
っていうか、ギャラクシーナが到着するのを待ったとしても、やはりバットとバズが席を外すのは変だろ。
今の状況に関係のある行動を取るわけじゃなくて、バットは怪物のエサやりだし、バズはサムの煙管を借りて吸ってからノンビリと会話を交わすだけ。敵の攻撃を受けて窮地に陥っているはずなのに、なんで他の仕事を呑気にやっているのかと。そんな風にバットたちがノンビリ過ごしている間にも、オードリックの攻撃は続いているはずだ。
ところが、シーンが切り替わると、もうインフィニティー号は普通に航行している。いつの間にか、オードリックの攻撃は無かったことにされている。
対処してもらうためにギャラクシーナを呼んだはずなのに、なんで「オードリックの攻撃は無かったこと」みたいになっているんだよ。
そういうトコを無造作に省略しちゃうから、そのせいでギャラクシーナが何も仕事をしていない。
夕食の給仕を担当させてる場合じゃねえだろ。バットたちの食事シーンの後は、モーリスとサムの元へギャラクシーナが食事を運ぶ。そういう「全く話が先に進まないシーン」が、無駄に長い。
そんなトコでダラダラと時間を浪費する暇があったら、オードリックとの交戦をキッチリと消化しろよ。
っていうか、ソーが情欲を抱いて口説いたり、モーリスが「あの腰付きはエロい」と言ったりという描写を入れて「ギャラクシーナのエロス」をアピールするなら、そこを使った物語を構築すりゃ良かったわけで。それなのに、「ギャラクシーナはロボットだけどエロい」という要素が全く無関係な物語をメインに据えているから、ギャラクシーナの存在が上手くハマらない状態になっちゃうのよ。
っていうか、実は本筋がどこにあるのか分からないぐらい、この映画の筋書きってグダグダなのよね。序盤でオードリックとバトルになったのに、そのことは完全に放り出したまま話を進める。
ギャリティーから新しい任務を指示され、そこへ向けて進めるのかと思ったら、「慰安所で休息を取る」ってことで、また話が先へ進まなくなる。
そもそも「アルター1までは27年も掛かる」と説明しているので、その任務を遂行するためには「27年後」という時間の飛躍でも入れない限り不可能だ。そして時間の飛躍を入れるような類の話でもない。
だから、その任務と設定が提示された時点で、グダグダなまま終わるってことは確定的だ。クルーが慰安所を離れた後は、すぐ冷凍睡眠に入ってしまう。そうなると、行動できるキャラクターはギャラクシーナだけってことになる。
ここまで触れていなかったが、ドロシー・ストラットンの演技力を考慮してのことなのか、ギャラクシーナには台詞が用意されていない。
っていうか、喋れる設定だったとしても、話し相手がいないから会話で時間を繋ぐことも出来ない。もちろん、物語を進行させることも難しい。
だから、「一向に話が先へ進まない」という状態は、まだ続いていく。ギャラクシーナが掌のスイッチを操作するとカウンターの数字が増えて、彼女はCMを見ながら喋る練習をする。
どうやら「ソーに惚れて、自らを進化させた」ってことらしいが、そんな機能が付いていたのね。たぶん『2001年宇宙の旅』のハルみたいなことをやりたかったんじゃないかと思うが、もちろん上手く表現できているかどうかは言うまでもないだろう。
で、あっという間に冷凍睡眠が終了しているが、「27年後に飛んだ」という描写は無い。たぶん、ギャラクシーナが掌の装置を操作して数字が増えたことと関係があるんだろう。それが「早くソーと話したいから、勝手に冷凍睡眠の終了を早くした」ってことなら、アルター1には到着しないはずだ。
でも普通に到着しているので、何がどうなったのかサッパリ分からないのよ。
後で「プログラムに27年掛かったわ」とギャラクシーナがソーに話しているので、どうやら「27年が経過した」ってことなのね。だとしたら、その伝え方が下手ってことだね。っていうかさ、クルーが冷凍睡眠に入っている間に何か大きな出来事が起きるのかというと、何も起きないのよ。そこで描かれるのは、「ギャラクシーナがソーとの再会に備えて喋る練習をしたり、体温調節を学んだり、化粧をしたりする」ってことだけだ。
そんな意味の薄い手順のために時間を無駄遣いするぐらいなら、アルター1までの必要時間を短く設定するか、ワープ航法でアルター1まで瞬時に到着するか、そういう形にしておけばいいのよ。物語を進めながらでも、「ギャラクシーナが学習する」ってのは描写できるんだし。
そうそう、卵の怪物が装置に触れたことでバットに何か異常が起きるのかと思ったら、「ヒゲがボーボーになる」というだけだった。
そんなヌルい笑いにさえ繋がらない程度の変化で留めるぐらいなら、怪物が装置を操作する手順なんて要らんよ。まるで観客に伝わらない27年の経過があった後、すっかり存在を忘れ去っていたオードリックが再登場する。
でも、前回のバトルがどんな結果に終わったのかが描かれていないので、繋がりが悪くてツギハギ状態になっている。
「思い知らせてやるぞ」と呟くからには恨みを抱いているようだが、何があったのかと。
しかも、こいつを「復讐を企む悪党」として動かすのかと思ったら、「ブルー・スターを奪う」という目的を持たせてしまう。
だったら、最初から「ブルー・スターを巡る争奪戦」にしておけばいいのに。ギャラクシーナがオードリックとの西部劇チックな撃ち合いに勝利すると、馬にのった連中がやって来る。
そこでインフィニティー号の様子に切り替わるのだが、次にギャラクシーナが写ると捕まっている。
でも、あの状況で彼女が捕まるってのは、経緯が良く分からんぞ。向こうは4人しかいないし、ギャラクシーナは光線銃を武器として持っているんだからさ。
まあ、そういうことを言い出すと、繋がりがデタラメな箇所は他にも色々とあるんだけどさ。後半に入ると、ちゃんとギャラクシーナをヒロインとして動かそうとする意識は感じられるようになる。
ただし、その一方で、「彼女を除くクルーの存在意義が薄くなる」という問題が生じている。そもそもモーリスとサムの存在意義は皆無に等しかったけど、残る3名も「要らなくねえか?」と思ってしまう。一応、ソーとバズは捕まったギャラクシーナの救出に来るけど、ソーだけでいいかな。
あと、「卵の怪物がバットを母親だと思い込む」という要素も、上手く消化できていないなあ。オードリックとの戦いに怪物は絡んで来るけど、それぐらいなのよね。そこは「ロックイーターを使えばいいんじゃねえか」と思っちゃうし。
しかも、怪物がオードリックを1人で退治してしまうのよ。
クライマックスでギャラクシーナどころか乗員が全て捕まったままって、どういうつもりなのかと。低予算のC級SFだから、全体的に「金が足りない」ってことを匂わせる描写が多くなるのは仕方が無い。
当たり前ではあるが、前述した『スター・ウォーズ』や『エイリアン』と比較すると、映像面では太刀打ちできない。
『スター・ウォーズ』や『エイリアン』だって、決して潤沢な資金で製作されたわけではないが、この映画に比べれば雲泥の差がある。
ただ、それよりも大きいのは、「携わるスタッフの持つ力量の差」である。この映画だって、特殊メイクアップにはクリス・ウェイラスが関わっている。
ただ、彼が脳味噌ボーンで注目される『スキャナーズ』や、スピルバーグに招聘された『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』は、1981年の作品なのよね。代表作の1つである『グレムリン』は1984年、『ザ・フライ』は1986年。全て、この作品の後だ。
この映画に携わっていた頃のクリス・ウェイラスは、1978年の『ピラニア』でデビューし、数本の映画やTV作品に携わっただけの若手に過ぎなかった。
それに何より、『スター・ウォーズ』はジョージ・ルーカス、『エイリアン』はリドリー・スコットが監督を務めているわけで、この差は圧倒的だろう。(観賞日:2016年2月2日)
1980年スティンカーズ最悪映画賞
ノミネート:【チンケな特別の特殊効果】部門