『毛皮のエロス/ダイアン・アーバス 幻想のポートレイト』:2006、アメリカ
ダイアン・アーバスはカメラを持参してヌーディストが集まるキャンプ・ビーナスへ赴き、管理人のジャック・ヘンリーに迎えられた。ジャックと妻のティッパは撮影を歓迎するが、ダイアンも裸になるよう求めた。夫妻が「欲情しないこと、じろじろ見ないこと」というルールを説明すると、ダイアンは心の準備が必要なので待ってほしいと頼んだ。ティッパがペンダントに気付いて「素敵ね」と言うと、ダイアンは「友達のなんです」と告げた。夫妻が部屋を出ていくと、彼女はペンダントにキスをした。
3か月前、1958年のニューヨーク。ダイアンは夫のアラン、娘のグレース&ソフィーと4人で暮らしている。アランは写真家であり、自宅でフォト・スタジオも経営している。ダイアンは彼の助手を務めており、家族や友人からは「ディアン」と呼ばれている。父のデヴィッドと母のガートルードがスタジオで毛皮のショーを開いた日、ダイアンは上の階に引っ越して来る住人の荷物が気になった。業者が運ぶ棚には、奇妙な覆面が置いてあったのだ。夫に頼まれてカメラの用意をしていたダイアンは、引っ越して来た住人の姿を窓から眺める。その男は覆面で顔を隠しており、ダイアンの視線に気付いて見上げた。
アランはデヴィッドが経営するラセックス社の広告写真に重点を置いて活動しており、ダイアンは彼の助手を務めている。招待客に「貴方はどんな写真を撮っているんですか?」「アドバイスは?」などと質問されたダイアンは、答えている途中で緊張から泣き出してしまった。取り繕って席を外したダイアンは、心配して追って来たアランに「大丈夫よ、少し休んだら行くから」と告げた。ポーチへ出た彼女は、胸をはだけて深呼吸した。
2週間後、ダイアンは詰まっている排水管を調べ、大量の毛と鍵を発見した。ダイアンは2階のブザーを鳴らし、「大きな犬がいませんか。犬の毛が排水管に詰まって困るんですよ」と告げた。住人が「それなら地下室を調べてみるといい、ダイアン」と言ったので、彼女は地下室へ行くことにした。その途中、ダイアンはスキンヘッドの男が階段を上がる姿を目撃した。ダイアンが地下室に入ると柵で囲まれた空間があり、「ヒューバート奇館」という看板が掲げられていた。
そこにアルシアという女性が現れ、足の指でホウキを挟んで椅子を掃除した。ダイアンが挨拶して「今度入った方?」と訊くと、彼女は「ライオネルの友達」と短く答えた。アルシアが疎ましそうに凝視したので、ダイアンは地下室を去った。するとスキンヘッドの男が、ウィッグを装着して出て行くところだった。そのウィッグには、「ライオネルのウィッグ」というタグが付いていた。ライオネルの存在が気になったダイアンは、カメラを持って2階へ向かった。
ダイアンは鍵穴から部屋を覗き込むが、すぐにライオネルの目が近付いたので狼狽する。ライオネルが冷静に「排水管は直しておいた。犬は10匹飼っている」と言うと、ダイアンは「犬なんていないはずよ。見たことが無いもの」と指摘する。ライオネルは覆面姿のまま少しだけドアを開け、「あの晩、見ていたのは君でしょ?誘惑に来たのか?」と問い掛ける。ダイアンは慌てて否定し、写真を撮らせてほしいと頼む。ライオネルが「今は無理だ、明日の夜9時に。ダイアン」と言うと、ダイアンは「ディアンです」と修正した。
ライオネルに「顔も見たことが無い男の写真を、なぜ撮りたいんだ?」と問われたダイアンは、「眠れない夜も多いんです」と答える。「鍵は受け取った?」と問われたダイアンは、ベッドに戻った。翌朝、彼女はゴミ箱に捨てた鍵を拾い、アランには「散歩に出る」と嘘をついてライオネルの部屋へ行く。ドアが開いていたので中に入ると、奥の部屋では映写機でフィルムが上映されていた。どうやら覆面の怪人としてライオネルが出演した映画のようだったが、すぐに切れてしまった。
ダイアンが窓から外を除くと、向かいの部屋ではアルシアが足でカップを掴んでお茶を飲んでいた。そこへライオネルが現れるが、自分を見ないでカメラを置くよう頼む。ダイアンが指示に従うと、ライオネルは風呂を用意したので服を脱ぐよう言う。ダイアンが「結構です」と言って帰ろうとすると、顔中が毛に覆われているライオネルは後ろから静かに歩み寄った。静かに振り向いたダイアンは、ライオネルの顔を見て驚いた。
ダイアンはライオネルの質問を受け、10代の頃はエレベーターボーイに下着を見せたことがあり、向かいの人には何度も裸を見せたと告白する。彼女は窓からライオネルを見て家へ行きたいと思ったこと、かつて顔に大きな痣のある少年を自宅まで尾行したこと、それからは人形病院や死体暗示所など様々な場所を探検するようになったことを話した。ダイアンはライオネルに促され、下着姿で風呂に入った。ライオネルは多毛症という難病に侵されていることを明かし、ダイアンにアイマスクを装着させた。
ダイアンは少女時代の体験を思い浮かべ、入浴を終えた。いつの間にか彼女は眠り込み、ライオネルの部屋で翌朝を迎えた。ライオネルは彼女が気付かない内に、体のサイズを採寸した。目覚めたダイアンは慌てて自宅へ戻り、まだベッドで眠っているアランの隣へ体を滑り込ませた。昼間にアラン買い物へ出掛けたダイアンは、少し仕事を休んで近所の人を撮影してみたいと話す。アランはダイアンの目的を知らず、すぐに賛成した。
ダイアンは嘘をついて外出し、ライオネルの部屋へ通い始めた。ライオネルはダイアンに「出掛けよう」と提案し、夜の街へ繰り出した。覆面姿のライオネルは、バスに乗ると客の注目を集めた。ライオネルは友人であるスカーレットの家へ、ダイアンを連れて行く。長身のスカーレットは乳房を出した状態で2人を招き入れ、裸の男と踊った。ダイアンが「すごく素敵」と漏らすと、「気に入ると思った」とライオネルは口にした。ライオネルは覆面を外し、ダイアンとレストランへ行く。ダイアンはダイアンはライオネルの手に生えている毛に触れ、「素敵ね」と口にした。
ダイアンが食事を終えて帰宅すると、アランはバーベルを上げていた。アランは息を整え、ダイアンは欲情してセックスした。ライオネルは耳を澄まし、ダイアンの喘ぎ声を聞いた。ダイアンがライオネルの部屋へ行くと、アランに会いたいと頼まれる。アランは訪ねて来たライオネルに困惑した様子を見せるが、平静を装って応対した。ライオネルはアランの娘たちとも仲良くなり、ダイアンはウィッグを作る彼の仕事を手伝った。
彼女はライオネルの顧客がいるクラブヘ行き、小人が歌うショーを見物した。ダイアンに「貴方と同じような女性に会ったことがある?」と質問されたライオネルは、「ああ、瓜二つだったよ。僕は見てるだけだった」と答える。ダイアンに「違う女がいいわけね?どんな女が良かったの?」と訊かれた彼は、「本物のフリーク」と述べた。ダイアンはライオネルだけでなく彼の仲間も家へ招くようになり、アランは不快感を隠せなかった…。監督はスティーヴン・シャインバーグ、着想はパトリシア・ボズワース、脚本はエリン・クレシダ・ウィルソン、製作はウィリアム・ポーラッド&ローラ・ビックフォード&ボニー・ティマーマン&アンドリュー・ファイアーバーグ、製作総指揮はエドワード・R・プレスマン&アレサンドロ・キャモン&マイケル・ロバン、共同製作はパトリシア・ボズワース&ヴィンセント・D・ファレル三世&ジェリー・ロバート・バーン&メアリー・ジェーン・スカルスキー、撮影はビル・ポープ、美術はエイミー・デインジャー、編集は出口景子&クリスティーナ・ボーデン、衣装はマーク・ブリッジス、音楽はカーター・バーウェル、音楽監修はベス・エイミー・ローゼンブラット。
出演はニコール・キッドマン、ロバート・ダウニーJr.、タイ・バーレル、ハリス・ユーリン、ジェーン・アレクサンダー、エミー・クラーク、ジュヌヴィエーヴ・マッカーシー、ボリス・マクギヴァー、マルセリーヌ・ヒューゴ、エミリー・バーグル、リン・マリー・ステットソン、クリスティーナ・ルーナー、メアリー・ダフィー、グウェンドリン・ブッチ、マット・セルヴィット、デヴィッド・グリーン、サンドリエル・フランク、クリスタ・コイル、ジョセフ・マッケンナ他。
写真家のダイアン・アーバスを主人公とする映画。
監督のスティーヴン・シャインバーグと脚本のエリン・クレシダ・ウィルソンは、『セクレタリー』に続いてのコンビ。
ダイアンをニコール・キッドマン、ライオネルをロバート・ダウニーJr.、アランをタイ・バーレル、デヴィッドをハリス・ユーリン、ガートルードをジェーン・アレクサンダー、グレースをエミー・クラーク、ソフィーをジュヌヴィエーヴ・マッカーシーが演じている。かつてファッション・モデルとしてアーバス夫妻をした経験があるパトリシア・ボズワースによる伝記『炎のごとく 写真家ダイアン・アーバス』から着想を得ているが、内容は完全にフィクションだ。
劇中の出来事は全て事実と異なっており、ライオネルは架空の人物である。ダイアンに2人の子供がいたことは事実だが、その名前は違う。
ただ、幾ら冒頭で「これは伝記映画ではない」という文字が出ても、「実話が基になっている部分が多いんでしょ」と受け取ってしまう人は少なくないはずで。
「ダイアン・アーバスという有名人の名前とイメージを借りただけの完全なるフィクション」ってのは、大きな問題があるように感じるなあ。冒頭、ダイアンはヌーディストの集まる邸宅を訪れ、写真を撮影しようとしている。3か月前のシーンに戻ると、毛皮のショーが開かれている中で観客を見つめるダイアンの様子が描かれるが、いかにも「その客に嫌悪感を抱いている」という見せ方だ。
緊張で涙した彼女はポーチに出ると、胸をはだけて気持ちを落ち着かせる。ベッドでアランの腕にキスするが、剛毛に唇が触れると顔を離してしまう。
そういった様子だけを見ると、「ダイアンは裸になることへの欲求があり、毛を嫌っている」という設定なのかと思えてしまう。しかし、その後で顔面にも毛がフサフサと生えまくっているライオネルと出会うと、彼に強い興味を抱くようになる。
そうなると、「じゃあ導入部の描写って、なんか変じゃないか」と言いたくなってしまう。
それは「こっちが勝手に間違った解釈をしただけ」ってことじゃなくて、ネタ振りが下手なんだと思うぞ。ダイアンが覆面で顔を隠したライオネルに興味を抱くのは分かるのだが、「アランに内緒でカメラを持ち出して2階へ行く」という行動は「なんで?」と言いたくなってしまう。
どういう人物なのか気になったのなら、とりあえずは出て来るのを待ってみようとか、自分から訪問するにしてもカメラは持って行かないでしょ。いきなり撮影する気満々ってのは、どういう感覚なのかサッパリ分からない。
これが最初から「好奇心旺盛で、何でも撮影したがる性分」ってことが描かれているなら、そこは何も引っ掛からないよ。だけどダイアンは助手を務めているだけだし、「ホントは自分も撮りたい」という欲求が示されていたわけでもないし。
いや仮に「自分も撮りたい」という欲求が示されていたとしても、いきなりカメラを持って押し掛けるのは不自然な行動だし。この映画って、そこに全て凝縮されているようなモノなのよね。
どういうことかっていうと、「ダイアンの行動原理が理解不能」ってのが大きなネックになっているのだ。
別にさ、何から何まで分かりやすい理屈が無きゃ絶対にダメってわけではないのよ。人間ってのは複雑な生物で、「何だか分からないけど、そういう行動を取ってしまう」ってこともあるだろう。
だけど、理屈を抜きにして納得させるだけの勢いや力といった他の要素も、まるで見当たらないのよね。ダイアンがライオネルに興味を抱いたのも、もう最初から「恋する乙女」みたいな感じであって、単純に「被写体としての興味」は明らかに超えている。
でも、顔も見えない男に対して強い興奮を覚えるのは、なぜなのかサッパリ分からない。
そこは「そういうフェチだから」ってことで受け入れるしか無いんだろうけど、それだけで納得するのは難しいよ。
ダイアン・アーバスについて詳しく知っている人なら「まあ彼女はそういう女性だからね」と思えるかもしれんけど、映画としては不親切そのものだ。
この映画って観客がダイアン・アーバスについて詳しく知っていることを前提に作られている節があるけど、それはアプローチとして間違っているんじゃないか。ライオネルはダイアンが撮影のために部屋へ行くと、映写機を回したままにして、「お茶をどうぞ」というメッセージを置いて隠れている。何がしたいのかと言いたくなる。
意味ありげな行動を取ってミステリアスを醸し出そうとしたのかもしれんけど、ただ変にカッコ付けたバカにしか思えない。
その後で登場すると「お風呂を沸かしたので入るといい」と告げ、服を脱ぐよう求める。「下着は付けたままでもいい」とか言うけど、「いきなり何を言ってんの?頭の変な奴なの?」と言いたくなる。
そこもライオネルのキャラを勃たせようとしているんだろうけど、やっぱりバカにしか思えない。ただ、何より愚かしいと感じるのは、画面に毛むくじゃらのライオネルが初めて写し出された時点で、まだダイアンが彼の顔を見ていないってことだ。観客に衝撃を与えるタイミングで、ダイアンは彼に背中を向けたままなのだ。
その直後、振り向いたダイアンは、ライオネルの顔を見てハッとする。
いやいや、それは見せ方として明らかに失敗でしょ。どう考えたって、観客とダイアンは同じタイミングで驚きを与えられるべきでしょ。
っていうかさ、そのシーンのインパクトは「顔が毛だらけ」という部分だけに集約されるべきなのに、その前に「服を脱ぐよう要求する」 というキテレツな行動をライオネルに取らせたら、邪魔になるでしょ。ライオネルは素顔をダイアンに見せた後、「君は金持ちなのか?使用人はいたのか?」と質問し、「乳母にオッパイを見せた?10代の頃はドアマン辺りとよろしくやっていたんだろう?運転手か庭師か、エレベーターボーイかな。下に降りる間に口でとか。相手は待っていただろうねえ」と下ネタを語る。
ただのヤバい奴でしかないのだが、ダイアンは怒ったり動揺したりすることも無く、普通に「待っていたと思うわ。階と階の間でエレベーターを停めて、私を見つめた」と語る。「感じたんじゃない?」と問われると、「一度だけ下着を見せたことがあるわ」と答える。
もうさ、「何なんだ、お前らは」と呆れてしまうわ。
そこは「そういう映画だから」ってことで受け入れるしかないんだろうけど、真剣に捉えたら、かなり大変だ。だからって、おバカな映画として作られているわけではないので、「バッカじゃなかろか」と笑いながら見るのは違うんだろうし、難しいねえ。
実際は「おバカ映画」としか思えなくなって来るけど。ダイアンの少女時代に関する告白は、「私はアバズレです」と言っているようなモノだ。
それは「だからダイアンはライオネルに下ネタを言われても動じず返答する」というトコに繋がるが、バカバカしさが強い。
その後の告白は「変わった物に強い興味を持っている」ってことを語っており、ようやく「だからライオネルにも最初から強い興味を抱き、撮影したくなった」という理由を説明する形となっている。
でも順番としては逆の方がいいし、そもそも台詞だけで語られても説得力は乏しい。幻想的な映画にしたかったんじゃないかとは思うのだが、結果としては散文的でしかない。
「ダイアンがキテレツな物に惹かれる」という部分を上手く表現することが出来ていないので、彼女に全く共感できないし、魅力的な女性だと感じることも出来ない。
彼女はアランを欺き、ライオネルの元へ通い始める。アランの気持ちも考えず、ライオネルが望んでいるというだけで家へ連れて来る。アランの気持ちも考えず、ライオネルの仲間たちを家に招待する。アランへの罪悪感など全く抱かず、母親としての責任も忘却し、ライオネルへの気持ちだけで突っ走る。
ただの身勝手な女じゃねえか。ダイアンが妻や母親としての責任よりライオネルとの関係を優先するようになったとしても、そこに苦悩や葛藤があったり、「夫や娘たちは愛しているが、写真家としての衝動が自分を突き動かしてしまう」という描き方になっていたりすれば、まだ何とかなったかもしれない。
しかしダイアンは「写真家として云々」ってことじゃなくて、1人の女性としてライオネルに惹かれ、家族を忘れて突き進むのだ。
被写体としてライオネルに興味を抱いたわけではなく、彼女は恋愛感情や性的欲求によって行動しているのだ。だから終盤、ダイアンは毛を剃ったライオネルとセックスする。この時点でライオネルはフリークスじゃなくなっているのだが、そんなのお構い無しだ。
そのシーンは、いかに本作品がフリークスを適当に扱っているかってことを象徴している。
ダイアンにも、この映画にも、ティム・バートンのようなフリークスに対する愛情やリスペクトは全く感じられない。
そして本作品から伝わってくるのは、「ダイアン・アーバスは変態でした」という浅くて陳腐な答えだけだ。(観賞日:2017年11月19日)