『氷の接吻』:1999、イギリス&カナダ&オーストラリア

英国諜報部員アイは、離婚した妻の元にいる娘ルーシーの幻影を良く見る。そんな彼が、ヒューゴ局長から彼の息子ポールの身辺調査を依頼される。ポールは信託資金を勝手に持ち出しているらしいのだ。アイはハイテク機器を使って、ポールを監視する。
ある夜、ポールの別宅にジョアナという女が現れた。アイが監視する中で、ジョアナはポールをナイフで刺殺してしまう。アイは、本部の職員ヒラリーに連絡を取る。だが、ルーシーの幻影に止められたアイは、詳しいことを語らずにジョアナを追う。
アイが尾行を続ける中で、ジョアナはピッツバーグからニューヨーク、サンフランシスコと移動する。そして、その途中でジョアナは2人の男を殺害した。だが、アイはヒラリーとの交信で、ジョアナの殺人も、ポールが殺されたことも伝えようとしない。
ジョアナとワイン王アレックスの会話を盗聴したアイは、彼女が幼少の頃、クリスマスの日に父親に捨てられたことを知る。やがてジョアナとアレックスの間に、結婚話が持ち上がる。だが、アイは嫉妬心からアレックスの車を狙撃し、衝突死させてしまう…。

監督&脚本はステファン・エリオット、原作はマーク・ベーム、製作はニコラス・クレアモント&トニー・スミス、共同製作はアル・クラーク、製作協力はグラント・リー&シャルル・ガッソ、製作総指揮はヒラリー・ショー&マーク・デイモン、撮影はギイ・デュフォー、編集はスー・ブレイニー、美術はジャン=バプティスト・タール、衣装はリジー・ガーディナー、音楽はマリウス・デ・ヴリーズ。
出演はユアン・マクレガー、アシュレイ・ジャッド、パトリック・バーギン、ジュヌヴィエーヴ・ビジョルド、k・d・ラング、ジェイソン・プリーストリー、アン=マリー・ブラウン、ケイトリン・ブラウン、デヴィッド・ニューマン、スティーヴン・マッカーシー、ヴラスタ・ヴラナ、ジャニーヌ・テリオ、ドン・ジョーダン、マリア・レヴェリンズ、リサ・フォーゲット、ゲイル・ガーフィンクル他。


マーク・ベームの小説を映画化した作品。
アイをユアン・マクレガー、ジョアナをアシュレイ・ジャッド、アレックスをパトリック・バーギン、ヒラリーをk・d・ラングが演じている。他に、ジョアナが入っていた更正施設のジャンヌ役でジュヌヴィエーヴ・ビジョルド、コロラドでジョアナが会う男ゲイリー役でジェイソン・プリーストリーが出演している。
同じマーク・ベームの原作を基にして、1983年にフランス映画『死への逃避行』が作られている。そちらは監督がクロード・ミレールで、私立探偵のミシェル・セローが男を誘惑しては殺害するイザベル・アジャーニを追い掛けるという筋書きになっている。大筋は同じだが、主人公の娘が死亡しているなど、幾つかの違いがある。

さて、物事には、たった1つのミステイクが全てを台無しにする致命傷に繋がってしまうということがある。この映画においては、アイをユアン・マクレガーに演じさせたことが、それに当たる。いや、ユアンがダメというのではなく、若い男だからダメなのだ。
この作品では、主人公とヒロインの行動理由が明確に説明されない。なぜアイがジョアナに執着し、犯罪にまで手を染めるのか、ハッキリした表現は無い。なぜジョアナが男を次々と殺害し、しかしアレックスとは結婚しようとするのか、ハッキリした表現は無い。
だが、そのこと自体は、それほど問題ではない。なぜなら、ハッキリとは説明されないものの、それぞれに「確実に理由が存在する」ということは、映画を見ていれば明白だからだ。問題は、推測できる各人の行動動機が、納得できるものではないということだ。

主人公は、全く会うことが出来ない娘の幻影と付き合いながらヒロインを追い求める。ヒロインは、かつて父に捨てられたことがトラウマとなっている。この設定が、ユアン・マクレガーとアシャレイ・ジャッドというキャスティングでは、上手く絡んでくれないのだ。
『死への逃避行』では、ミシェル・セローとイザベル・アジャーニの年齢が随分と離れている。だから、ミシェル・セローが、自身の娘と同じぐらいの年齢であるイザベル・アジャーニを追い掛け、イザベル・アジャーニは父親のような男であるミシェル・セローに見守られるという関係が成立する。それぞれの設定が、上手く絡んでくれるのだ。

今回の作品で主人公は、ヒロインがポールを殺して「メリー・クリスマス、パパ」と泣き叫んで以降、彼女を追い掛けて見守り、時には犯罪の証拠まで隠滅しようとする。そういった行動は、主人公が自分の娘の姿を重ね合わせてこそ、スンナリと筋が通るのだ。
ところが、この作品ではアイとジョアナに大きな年齢差が無い。アイの娘ルーシーは、まだ少女だ。そのため、アイがジョアナとルーシーを重ね合わせるということは成立しない。同時に、父親を追い求めるジョアナにとって、アイは対象外の人物になる。

ようするに、「娘の幻影を追う男」というアイの設定と、「父親の幻影を追う女」というジョアナの設定が、上手く繋がらないのだ。ルーシーの幻影がアイに指示を出すという所で繋がりを持たせようとしているのかもしれないが、「なぜルーシーがそんな指示を出すのか」というポイントで説得力のある説明が出来ないので、実質的には繋がっていない。
一応、セリフとして「もう失いたくない」とアイに語らせ、「娘を失ったのでジョアナは失いたくない」ということで強い執着心を説明しようとしている。だが、結局は「ファム・ファタールに一目で惚れた」というだけにしか見えない。繰り返しになるが、男女の恋愛と、それぞれが抱える心の傷の設定が、上手く関係性を示してくれないのだ。


第23回スティンカーズ最悪映画賞

ノミネート:【芝居をすべきではないミュージシャン&アスリート】部門[k.d.ラング]

 

*ポンコツ映画愛護協会