『巨大蟻の帝国』:1977、アメリカ

放射性廃棄物の入ったドラム缶が、船から海に幾つも不法投棄された。その内の1つが、ある海岸に流れ着いた。放置されて錆び付いたドラム缶からは、放射性物質が外へ染み出した。不動産屋のマリリン・フライサーは別荘地を売るための無料見学ツアーを企画し、大金を支払ってクルーザーを借りた。彼女は船長のダン・ストッカリーに、「乱暴な運転はしないで。契約が懸かってるの」と告げた。愛人で部下のチャーリー・ピアソンも、ツアーに同行することになっている。
クルーザーは見学ツアーの参加者であるマーガレット・エリス、コリーン・ブラッドフォード、ラリーとクリスティーンのグレアム夫妻らを乗せ、海へと出航した。マリリンはドラム缶の放置されている浜辺をドリームランド海岸と名付け、天国のように見せ掛けて土地を売却しようと目論んでいる。浜辺に看板を立てた作業員たちは、そこが僻地だと知っていた。相変わらず放置されたままのドラム缶には、蟻が群がっていた。
浜辺に到着したマリリンは、ささやかな立食パーティーを開いてツアー参加者に軽食と酒を振る舞った。一人で参加しているジョー・モリソンに気付いたチャーリーは、彼が暇潰しで参加していると感じる。ラリーはコリーンをナンパし、外に連れ出して強引にキスをする。コリーンは激しく抵抗し、ラリーの金的を蹴り上げた。マーガレットは離れて佇んでいたダンに話し掛け、「この土地を本当に買ってもいいと思う?」と訊く。ダンは「悪いが、アドバイスなら他の人に頼んでくれ」と告げた。
マーガレットはダンに、会社をクビになったことを明かす。コリンから話し掛けられたジョーは、年収3万ドルで妻子がいることを語る。だが、すぐに年収3万ドルは去年までのことで、妻と離婚して子供とは会えないことを明かす。マリリンは客をトラムに乗せ、別荘地を案内する。しばらく行くとマリリンはトラムを停め、サンドウィッチを配る。トーマス・ローソンが埋められている水道管を気にしている姿に気付いた妻のメアリーは、彼の元へ行く。トーマスは水道管が見せ掛けだと気付き、「あいつらはペテン師だ」と怒った。
奇妙な物音を耳にしたローソン夫妻は、巨大な蟻たちに襲われて命を落とした。トラムに戻ったマリリンと客たちは、死体を発見した。ジョーは「ローソン夫妻を捜そう」と言うが、ラリーもトンプソン夫婦の夫ハリーも断った。コリーンだけが同意したので、ジョーは彼女と共にトラムを降りた。チャーリーはトラムを運転し、船へ戻ることにした。巨大蟻の群れに遭遇したジョーとコリーンは、慌てて逃げ出した。一方、浜辺に戻った一行は、桟橋を歩く巨大蟻の群れを目撃した。ダンがクルーザーを移動させようとすると、群れが襲ってきた。ダンは船を爆破し、海に飛び込んで脱出した。
ダンは「あいつらは火が苦手だ」とマリリンたちに言い、火を焚いて浜辺で一夜を過ごすことにした。翌日になっと雨が降り出し、火が消えそうになる。チャーリーは「3キロ向こうに川がある。そこに小さなボートがある」と思い出し、一行は川を目指すことにした。だが、マリリンがビーチハウスへ向かったので、チャーリーは後を追った。しかし屋内に巨大蟻がいたので、慌てて逃げ出した。一行は森の中で巨大蟻の群れと遭遇し、散り散りに逃げた。トンプソン夫妻は小屋に逃げ込み、ラリーはつまずいたクリスティーンを置き去りにした。クリスティーンは群れに囲まれ、殺された。
マリリンは服が枝に引っ掛かり、チャーリーに助けを求める。チャーリーはマリリンを助けてやるが、蟻の群れに襲われて死んだ。残りの面々はボートに辿り着き、岸を離れた。もう安全だと感じたトンプソン夫妻は小屋から出るが、周囲を取り囲んでいた蟻の群れに殺された。ボートは朽木に行く手を遮られたため、ダンとジョーが取り除こうとする。そこへ巨大蟻が現れたので、慌ててダンたちは方向転換する。分岐点へ戻った一行は、もう一方を進む。しかし再び巨大蟻に襲われてボートは転覆し、ラリーが殺された。
何とか岸に辿り着いた残りの面々は、徒歩で森の中を移動する。別行動を取ろうとしたマリリンだが、すぐに巨大蟻と遭遇し、一行の元へ舞い戻った。ダンは一行に、「殺そうと思えば殺せるのに、そうしなかった。下流にも森の奥にも行かせたくないんだ」と言う。仕方なく上流へ向かった一行は有刺鉄線で周囲を封鎖している民家を発見し、住人であるサムとフィービーのラッセル夫妻に巨大蟻を見たことを話す。サムが保安官を呼び、マリリンたちはパトカーで町へ向かう…。

製作&監督はバート・I・ゴードン、原作はH・G・ウェルズ、映画原案はバート・I・ゴードン、脚本はジャック・ターリー、製作総指揮はサミュエル・Z・アーコフ、撮影はレジナルド・モリス、編集はマイケル・ルシアーノ、特殊視覚効果はバート・I・ゴードン、音楽はダナ・カプロフ。
出演はジョーン・コリンズ、ロバート・ランシング、ジョン・デヴィッド・カーソン、アルバート・サルミ、ジャクリーン・スコット、パメラ・シュープ、ロバート・パイン、エドワード・パワー、ブルック・パランス、トム・ファッデン、アイリーン・テッドロウ、ハリー・ホルカム、ジャック・コスリン、アイルス・アール、ジャニー・ギャヴィン、ノーマン・フランクリン、フローレンス・マギー、ジム・ウィーラス、マイク・アームストロング、トム・フォード、チャールズ・レッド他。


H・G・ウェルズの短編小説『アリの帝国』を基にして、『戦慄!プルトニウム人間』『巨大生物の島』のバート・I・ゴードンが監督&映画原案&製作&特殊視覚効果を務めた作品。
ビデオ題は『巨大アリの帝国』。
原作と大幅に異なっており、ほぼオリジナルの内容となっている。
マリリンをジョーン・コリンズ、ダンをロバート・ランシング、ジョーをジョン・デヴィッド・カーソン、キンケイドをアルバート・サルミ、マーガレットをジャクリーン・スコット、コリーンをパメラ・シュープ、ラリーをロバート・パイン、チャーリーをエドワード・パワー、クリスティーンをブルック・パランスが演じている。

バート・I・ゴードンが監督を務めており、「巨大生物が襲って来る」という内容なのだから、もちろん彼が得意とするトカゲ特撮が堪能できる内容になっている。
ただし、一部のシーンではハリボテの頭部も使用されている。
トカゲ特撮にしろ、ハリボテにしろ、共通して言えるのはチープだってことだ。
でも、それは「だってバート・I・ゴードンだもの」と受け止めるべきだろう。
ちなみに、H・G・ウェルズの原作とは全く別物になっているが、それも「だってバート・I・ゴードンだもの」ということで納得しよう。

冒頭、蟻の群れを捉えた映像が流れ、「蟻は偉大なる生物である。次に地球を支配するのは彼らかもしれない」というナレーションが入る。
いかに蟻が優れた生き物であるかを説明しながら、まるで記録映画かドキュメンタリー映画のように蟻の群れを写し、オープニング・クレジットに入る。
Z級映画では、最初にコケ脅しの目的を込めたナレーションが入るパターンは珍しくない。
そして、それが本編に向けて恐怖や不安を全く煽らないとか、本編の内容に効果的な形で影響を及ぼさないってのも、これまた珍しくない。

放射性廃棄物の入ったドラム缶が船から不法投棄され、その内の1つが砂浜に流れ着くという最初の段階で、もうダメな映画であることが露呈している。
冷静に考えてみてほしいんだけど、放射性廃棄物の入ったドラム缶が船から落とされたら、そのまま海の底に沈むはず。それが砂浜に流れ着くってことは、プカプカと浮かんで海を流されたってことだ。
んなバカな。
それに、幾つも立て続けに投棄していた中で、なぜ1個だけが砂浜に流れ着くんだよ。

あと、それが長年に渡って放置されているってのも不自然。
一目に付かないような場所に流れ着いたのならともかく、砂浜の真ん中に放置されているんだぜ。目立つだろ。人が絶対に入らない場所、周辺の家から眺めることも出来ないような場所ってことならともかく、そうじゃないわけだし。
しかも、作業員もドラム缶に気付かず、その浜辺でちょっとした立食パーティーをマリリンが開いてるのに彼女もツアー参加者も全く気付かない。
いやいや、すぐ近くにあるんだから、気付けよ。
っていうか、その土地を売ろうとしているんだったら、ツアー客を連れて来る前にチェックすべきだろうに。

マリリンは船に客を乗せて浜辺へ行くのだが、まだ何も無い殺風景な浜辺で軽食を振る舞っても、それが客の心を掴むことには繋がらないだろうに。
そこがいかに住みやすい場所か、周囲の環境が素晴らしいのかをアピールすべきであって、浜辺で軽食パーティーなんか開いてしまったら、そこが僻地であることがバレちゃうだろうに。
ところが、なぜか参加者は「素晴らしい場所」とか言ったりしてる。
みんな頭がおかしいのか。

しばらくはパーティーの時間が続き、その中でキャラクター紹介をやろうとしている。
コリーンはラリーにナンパされたり、ジョーと会話を交わしたりする。
ナンパされてホイホイと付いて行き、キスされると「そんなつもりじゃない」と金的を蹴り上げたコリンが、戻って来てすぐジョーに話し掛けて「船で会った時は嫌な奴だと思ってたわ。男らしいけど頭の中はセックスばかりって」などと言う辺りの描写は、ただの尻軽ビッチにしか見えんぞ。

マーガレットは「経営コンサルタント会社で働いて20年になる」と喋ったり、ダンに声を掛けて「ビジネスを始めようと思ってる」とか「本当は会社をクビになった」と話したりする。コリンに話し掛けられたジョーは、年収3万ドルで妻子がいたが去年までのことだと語る。
2人とも、なぜ出会ったばかりの相手に対して、急にそんなことを言い出すのかサッパリ分からない。
キャラ紹介をやろうとしていることは分かるけど、そのために喋らせるセリフが不自然極まりない。
その後も、人間関係を構築したりキャラをアピールしたりするために会話劇を使っているが、その内容が退屈で、しかも実は無意味なので、全く頭に入って来ない。

この映画の(っていうかバート・I・ゴードン作品に共通して言えることかもしれないが)最も大きな欠点は、実はチープな特撮よりも、ドラマ部分の酷さにあるんじゃないかと思ったりもするんだよな。
まだ巨大蟻が登場する前の段階で、既に話はグダグダだし、テンポが悪くてダラダラしているし、退屈になってしまう。
むしろ、チープな特撮であっても、巨大蟻が登場してくれると、ようやく気持ちが少しだけ高揚してくれるぞ。
もちろん、優れた特撮に興奮するという意味ではなく、「なんてチープなんだ」という受け止め方ではある。だが、ホントにつまらないだけのドラマ部分に比べれば、まだバカバカしさを感じられるだけマシだろう。

ダンは「あいつらは火が苦手だ」と言い、一行は火を焚いて浜辺で一夜を過ごすことにする。
だが、火が苦手だと言い切る根拠はイマイチ分からない。
もっと分からないのは、なぜ浜辺で一夜を過ごすのかってこと。
マリリンが「ビーチハウスの方が安全」と言うと、「火が無い場所だと入って来る」とダンは口にするが、鍵を掛けて閉じ篭もればいいだろうに。あれだけデカいんだから、入り込む隙間など無いはずでしょ。念を入れるなら、建物の周囲に焚き火を用意すればいいだろうし。
翌朝になってマリリンたちがビーチハウスへ行くと巨大蟻が中にいるけど、前夜の内なら居なかったかもしれないし。

しかも、その一夜を過ごすために焚き火を用意したのかと思いきや、翌朝になっても相変わらず火を焚き続けて浜辺にじっとしている。
いやいや、お前ら、そこで一生を過ごすつもりなのかと。
ダンは焚き火で巨大蟻を遠ざけている間に逃げ出す方法でも考えるのかと思っていたが、翌朝になってマーガレットに「何考えてる?」と問われて初めて「脱出方法」と口にする。
夜が明けるまでに考えろよ。
そんで雨が降り出して火が消えるんだけど、その間に巨大蟻が近くで待機する状況が出来ている。
そうなる前に何とかすべきだろ。

トンプソン夫妻は「この中なら安全だ」と言って小屋に逃げ込むが、そこは扉が無くて入り口が開いているタイプなので、何がどう安全なのか良く分からない。ただ、なぜか巨大蟻は、開いている入り口からは入って来ない。
しばらくして音がしなくなり、トンプソン夫妻は安全だと感じて外に出るが、隙間から外を見ることは出来るのに、なぜ全く確認せずに出てしまうのか。
あと、その時だけ巨大蟻は音を立てずに待ち伏せているが、都合良く利口になってるのね。
ちなみに、このシーンはトカゲ特撮による蟻がガラスケースの中に入っていることがバレバレになっている。
また、後で上流を目指す一行が蟻の群れを見るシーンがあるが、そこもガラスケースがバレバレだ。

一方、ボートで移動中の面々に無を向けると、マーガレットが何の脈絡も無く、解雇を言い渡された時の様子を喋り出す。
そこに来て、そんなマッタリした雰囲気を醸し出す意味が分からん。もう「静かだ」「もう蟻はいないんだ」という風に一行が感じていることは表現したんだから、「そう思っていたら巨大蟻が現れて」という展開へさっさと移れよ。そんな「何も起きない静かな時間」をダラダラと無駄に引き伸ばして、何の得があるのか。
大体さ、マーガレットがクビになろうが、どうでもいことでしょ。
それって、物語に何の影響も与えない要素だぞ。前述したジョーの離婚もそうだけどさ。

ラリーが殺された後、一行は徒歩での移動を余儀なくされ、マリリンが急に「私の行った通り、川は行き止まりだったじゃないの」とダンに腹を立て、別行動を取ろうとする。
それも不自然な行動ではあるんだが、もっと不自然なのは、マリリンの前に現れた巨大蟻が、彼女が一行の元へ戻ると全く襲って来ないってことだ。
すぐに近くにいるんだから、その気になれば余裕で攻撃できるはず。
それについてはダンが「下流にも森の奥にも行かせたくないんだ」と言うが、その説明で蟻の行動については受け入れるとしても、彼らが巨大蟻に襲われる危険性を全く感じていないのは不可解だ。ダンがマリリンを抱き締め、ノンビリしている。
いやいや、すぐ近くに巨大蟻がいるわけだから、さっさと逃げ出そうとすべきじゃないのか。

森から脱出してしまったら、それで「助かりました」ということになるのかと思いきや、まだ時間がたっぷりと残っている。
じゃあ巨大蟻の退治に向かうのかというと、そこまでの使命感を持っている面々ではない。
で、どういうことで残り時間を消費するのかと思ったら、しばらくはマリリンたちが町で過ごす様子が描かれる。
また無駄にダラダラしちゃうわけだが、もう映画も佳境に入ったところで、なぜテンポを落として静かになっちゃうのかと。

しばらくしてから「実は町の人々が女王蟻のフェロモンで支配されている」ということが明らかになるんだけど、でもねえ、なんか別の話を強引にくっ付けているような印象を受けてしまう。
そういう話をやりたいのなら、全編を使って「蟻に支配された町」の話にすべきじゃないかと。
っていうか、そもそも「巨大蟻」というギミックを使っているのに、「女王蟻のフェロモンで人々が支配されている」という展開を終盤に用意するのはピントがズレてるんじゃないかと。
それって、別に巨大蟻である必要性が無いでしょ。

(観賞日:2014年8月27日)

 

*ポンコツ映画愛護協会