『帰ってきたMr.ダマー バカMAX!』:2014、アメリカ

ロイドはメアリーに失恋したショックで、20年前からメンタル・クリニックに入院している。親友のハリーはクリニックに通い詰め、彼を励ましながら介護を続けている。しかしハリーが話し掛けても、ロイドは何の反応も示さなかった。ある日、ハリーはロイドに、「もう見舞いには来られない。病気になったんだ」と告げる。彼が立ち去ろうとすると、ロイドは「引っ掛かった」と大笑いする。彼はハリーを騙すため、ずっと芝居を続けていたのだ。ハリーは驚愕し、「マジで凄い」と興奮した。
ロイドが退院すると、近所に住む少年のビリーは大人になっていた。ハリーはロイドに、彼が有名な鳥の愛好家になっていることを教える。ロイドは盲目のビリーに声を掛け、鳥にパチパチ・キャンディーを与えようとする。慌てたビリーは、「胃が破裂する」と注意した。ハリーは自宅アパートにロイドを連れて行き、飼っている猫とルームメイトのアイスを紹介した。病気について問われた彼は、腎臓移植が必要でドナーが見つからないと死ぬのだと話した。
ロイドは両親に頼るよう勧め、ハリーの実家へ一緒に行く。すると両親は、ハリーが養子で実の両親は死んでいることを教えた。両親はハリーに、ずっと溜まっていた彼宛ての郵便物を渡す。郵便物を確認したハリーは、ヤリマン女のフレイダから手紙が来ていたことを知る。手紙には「デキちゃって。電話して」と書かれており、ハリーは「俺はパパになる」と喜んだ。消印が1991年と知ったロイドは、「子供も腎臓も育ってる」と告げた。フレイダの住所は分からないが、ロイドは紹介してくれたピートに聞こうと提案した。
2人は夜中にピートの実家へ行き、ロイドがチャイムを激しく連打した。するとピートの両親が出て来て、彼が1991年にバイク事故で死亡していることを告げた。ハリーはフレイダがピートの葬儀を執り行った斎場で働いていたことを思い出し、翌朝になってフェルチャー&フェルチャー葬儀社を訪れた。するとフレイダがいたが、年を取って見た目が変貌していた。ロイドとハリーはセクシーだった彼女と別人ではないかと疑うが、タトゥーを見て本人だと確かめた。
2人が手紙を渡すと、フレイダは娘のペニーを養子に出したと告げる。ハリーが「なんでだよ」と抗議すると、彼女は「貧乏で不安だった。すぐに後悔したけど、権利は放棄していた」と話す。2年前に手紙を書いたが、返事は無かったとフレイダは言う。ロイドはハリーに、もう諦めるよう説いた。しかしフレイダがネットで見つけたペニーの写真を見せると、その美貌にロイドは鼻の下を伸ばして「諦めるのは早い」と豹変した。
フレイダは2人に、「養子先は高名な研究者だと分かっている」と言う。しかし戻って来た手紙には「二度と送らないで」と書いてあり、ペニーが面会を望んでいないのだと彼女は語った。ロイドとハリーが「君のためにペニーと会う」と嘘をつくと、フレーダは喜んで葬儀社の車を貸した。2人は車を走らせるが、送り主の住所を目指したのでフレイダの家に着いてしまった。フレイダから改めて養親の住所を教えてもらい、2人はメリーランド州オックスフォードへ向かった。ハリーは子育てについて妄想を膨らませ、「ロイドに「いい父親になれたはずだ」と口にした。
ペニーは養父であるピンチェロー博士の代役として、学会に出席することになった。ピンチェローは風邪をひいたため、妻のアデルと家に残ることにしたのだ。ウォルコットはペニーに箱を託し、「学会責任者のウォルコットに渡して、参加できなくて済まないと伝えてくれ」と頼んだ。ペニーは頭が悪く、賞を授与されるのに「賞金を貰う」と勘違いしていた。さらに彼女は、キャッシュカードの暗証番号もすぐに忘れてしまった。ペニーは箱と携帯電話を家に置き忘れ、出発してしまった。
アデルは財産目当てでピンチェローと結婚し、トラヴィスと不倫関係にあった。2人はピンチェローを殺害しようと企み、食事に少しずつ毒を混ぜていた。使っている毒は、トラヴィスが特殊部隊に所属する兄のリピンコット大尉から譲り受けた物だった。ロイドとハリーがピンチェロー邸を訪れ、ペニーのことを説明した。ピンチェローは娘がエル・パソの国際シンポジウムに向かったことを教え、すぐに連絡しようとする。ピンチェローはペニーが箱と携帯を忘れて出発したと知り、「箱の中身は私の研究の最高傑作だ」と焦った。
ピンチェローは数十億ドルの価値がある発明品だと言い、全人類が恩恵に預かれるように権利は全て放棄すると話した。「ペニーに渡したスピーチ原稿に全て書いてある」と彼が語ると、アデルは動揺を隠して「素晴らしいわ」と称賛した。彼女はロイドとハリーに箱を届けてもらうよう提案し、不安を見せるピンチェローに「トラヴィスを同行させる」と告げた。アデルはトラヴィスに、「スピーチまでに箱が届かなければ、数十億ドルが手に入る」と述べた。
ロイドたちは車で出発し、サービスエリアで休憩を取った。ハリーは葬儀社に電話を掛けて、フレイダの留守電に「娘を見つけた。エル・パソのシンポジウム会場にいる」とメッセージを吹き込んだ。ロイドとハリーの放屁攻撃に腹を立てたトラヴィスは彼らを騙し、悪戯で反撃した。その夜、モーテルに宿泊したロイドとハリーはトラヴィスの部屋に大量の爆竹を投げ込み、火を放った。部屋では爆発が起き、トラヴィスは体が燃えたのでプールに飛び込んだ。しかしロイドとハリーは全く反省せずに笑い飛ばし、激怒したトラヴィスはアデルに電話して「奴らを殺す」と言う。アデルは撤回させるのが無理だと感じ、「だったら証拠は何も残さないで」と指示した。
次の日、トラヴィスはロイドとハリーが誰にも娘捜しを話していないと知り、爆竹を車内で爆発させた。ロイドとハリーが両耳を押さえて車外へ脱出すると、トラヴィスは背後から拳銃を構えて発砲しようとする。しかし車を踏切に停止させていたため、列車が走って来て彼をひいた。ロイドとハリーは事故に気付かず、車が無いので「置き去りにされた」と思い込んだ。ハリーの聴覚が戻らないため、ロイドは補聴器を手に入れるために近くの老人ホームへ向かった。
2人は祖母の見舞いだと嘘をつき、スナーグルという老女の部屋に通された。2人が予備の補聴器を盗み出そうとすると、スナーグルは「マイキーだね。ダイヤモンドがあるんだ」と話し掛ける。「ダイヤは全てお前にあげようと思ってる。この中にある」と言われたロイドは、指示に従って彼女の股間をまさぐった。しかしスナーグルはロイドが孫ではないと分かっており、彼を騙したことを明かして軽く笑う。スナーグルは補聴器をプレゼントし、2人を立ち去らせた。
リピンコットはトラヴィスの死をアデルに伝え、「協力してやる」と言う。バーバラ・ハーシー博物館の看板を見つけたロイドは、補聴器の調整に慣れないハリーに「見覚えがある。付いて来い」と言う。彼らはワンワン・カーを発見し、それを拝借してエル・パソへ向かおうとする。しかし古すぎて簡単に壊れてしまい、2人は製氷機に乗り換えた。シンポジウム会場に着いた彼らは、ペニーの捜索を開始する。ロイドはゴーディーという男に話を聞き、もうすぐペニーがホテルから会場に来るという情報を得た。彼はハリーに、場違いにならない格好をしようと提案した。
リピンコットはホテルのルームサービスに成り済ましてペニーの部屋へ行き、彼女を始末しようと目論む。しかしトムとガスという男友達が来たため、彼は部屋での暗殺を断念して去った。トムとガスはペニーに、「君のお父さんが会場に来てるらしい。ロイドという人と一緒にいるみたいだ」と知らせた。ペニーから「パパが来てる」と電話を受けたウォルコットや仲間のメルドマン博士は、ピンチェローが来ていると思い込んだ。ウォルコットは興奮し、ピンチェローを見つけるようメルドマンに頼んだ。しかしピンチェローは滅多に人前には姿を見せないので、2人とも彼の顔を知らなかった。
リピンコットはアデルに報告を入れ、「ペニーを尾行して、隙があったら殺して。私は箱を奪う」と告げられた。ロイドとハリーは会場に入ろうとするが、入場券が無いので受付係のソーパスに追い払われてしまった。しかし「補聴器を付けている」という情報だけで捜索していたメルドマンは、ハリーがピンチェローだと誤解した。「ピンチェロー博士」と呼ばれたハリーは否定せず、助手のクリスマス博士だと詐称したロイドと共に会場へ入ることが出来た。
メルドマンは彼らをバーへ案内し、ここで待つよう告げて去った。ロイドとハリーはソーパスを騙し、ビールとつまみを貰った。そこへウォルコットが来て自己紹介し、2人をガラビディアン博士がスピーチしている会場へ案内した。するとロイドとハリーはスピーチを妨害し、デイルベック博士が注意しても笑って受け流した。ガラビディアンはウォルコットから「彼はピンチェロー博士よ」と聞かされて驚愕し、すっかり自信を失って退場した。
メルドマンとソーパスはロイドとハリーの元へ来て、クリスマス博士の名前が名簿に無いことを指摘する。名簿に無ければ会場に入れないと言われ、ロイドは「俺が帰ると同僚も帰るぞ」と告げる。しかしハリーが一人でも残ると主張したため、ロイドは文句を付ける。ハリーはロイドがペニーを狙っていると知り、「お前は娘にふさわしくない」と突き放した。ロイドは会場を追い出され、ハリーは若き発明家コンテストの審査員を頼まれた。ロイドは携帯にペニーから連絡を入ったので興奮し、10分後に大通りの噴水で会おうと持ち掛けた。会場に入ったアデルはウォルコットに案内され、ハリーがピンチェローとしてシンポジウムに参加していることを知る…。

監督はピーター・ファレリー&ボビー・ファレリー、キャラクター創作はベネット・イェーリン&ピーター・ファレリー&ボビー・ファレリー、脚本はショーン・アンダース&ジョン・モリス&ピーター・ファレリー&ボビー・ファレリー&ベネット・イェーリン&マイク・チェローネ、製作はチャールズ・B・ウェスラー&ブラッドリー・トーマス&ボビー・ファレリー&ピーター・ファレリー&リザ・アジズ&ジョーイ・マクファーランド、製作総指揮はブラッド・クレヴォイ&スティーヴ・ステイブラー&マーク・S・フィッシャー&デヴィッド・コプラン&ダニー・ディムボート&クリスチャン・マーキュリー、共同製作はJ・B・ロジャース、製作協力はリンダ・ヒル&エレン・デュムシェル、撮影はマシュー・F・レオネッティー、美術はアーロン・オズボーン、編集はスティーヴン・ラッシュ、衣装はカレン・パッチ、音楽はエンパイア・オブ・ザ・サン、音楽監修はトム・ウルフ&マニシュ・ラヴァル。
出演はジム・キャリー、ジェフ・ダニエルズ、キャスリーン・ターナー、ロブ・リグル、ローリー・ホールデン、レイチェル・メルヴィン、スティーヴ・トム、ドン・レイク、パトリシア・フレンチ、エリザベス・クーパー、ビル・マーレイ、テンビー・ロック、ポール・ブラックソーン、ブレイディー・ブラーム、エディー・シン、トミー・スナイダー、アトキンス・エスティモンド、リンゼイ・アイリフ、マシュー・カーダロープル、マイケル・ヤマ、ナンシー・イー、ジェフ・サムナー、グラント・ジェームズ、テイラー・セント・クレア、エリン・オーリン・オレイリー、ナンシー・バイヤーズ・ファレリー、デレク・ホランド、ブレンダン・ボイル他。


1994年の映画『ジム・キャリーはMr.ダマー』の20年ぶりとなる続編。監督は前作と同じくファレリー兄弟。
ロイド役のジム・キャリー、ハリー役のジェフ・ダニエルズ、ビリー役のブレイディー・ブラームは、前作からの続投。
フレイダをキャスリーン・ターナー、トラヴィス&リピンコットをロブ・リグル、アデルをローリー・ホールデン、ペニーをレイチェル・メルヴィン、アイスをビル・マーレイが演じている。
2003年に『新 Mr.ダマー ハリーとロイド、コンビ結成!』という映画が公開されているが、これは高校時代のロイド&ハリーを描いた前日譚で、番外編のような扱いになっている。

アヴァン・タイトルでは、「ロイドがハリーを騙すために20年も病気のフリを続けていた」ということが明かされる。ここで観客を一気に引き付けて、おバカなコメディーの世界へ連れ込もうとしているわけだ。
でも残念ながら、そこで一気に拒絶反応が出てしまう。「いや、無理だわ」と言いたくなる。
「20年も精神を病んでいるフリを続ける」って、それは別の意味で精神を病んでるでしょ。
ハッキリ言って、ヤバい精神障害者にしか思えないのよ。

これまで障害者をネタにしてきたファレリー兄弟のことだから、「精神障害者ですけど、それが何か?」というスタンスなのかもしれない。
別にさ、精神障害者を笑いのネタにしても、それだけで「なんて不謹慎な」とは憤慨することはないよ。そりゃあ内容にもよるけど、そういうノリを全面的に否定するつもりは無い。
だから本作品にしても、冒頭シーンを「不謹慎だ」という批判したいわけではない。
そうじゃないけど、シンプルに面白くないんだよね。前述したように、「ヤバい奴だな」としか感じないのよ。

前作があるので今さら言っても仕方がないんだけど、ロイドの言動は生真面目に捉えた場合、ものすごく不快指数が強い。
とは言っても、その攻撃的な態度、平気で他人を傷付ける言葉ってのを笑いのネタとして持ち込んでいることぐらい、ボンクラ頭脳の私にでも理解できる。
それを浴びた面々が軽く受け流しているから、「誰かがロイドのせいで深く傷付いた」なんてことも無い。ちゃんと喜劇として処理している。
なので実際のところ、そんなに不愉快さは無い。
でも、だからって笑えるわけでもないのが困ったトコロで。

前作から20年が経過しているってのも、かなり大きなマイナス要因になっている。
20年も経過すれば当然のことながら、ジム・キャリーとジェフ・ダニエルズも随分と年を取る。年齢的なことだけ考えると、もう「おじいちゃん」に片足ぐらいは突っ込んでいると言ってもいい。
そんなコンビが若い頃と全く変わらぬ「バカと大バカ」として振る舞っているのだが、その「変わらなさ」は歓迎しかねる。
「昔と全く変わらない」ってのを喜べる続編もあるけど、この作品の場合、その部分に関しては喜べない。

20年が経過したのに同じレベルでバカのままって、やっぱりヤバい奴じゃねえか。
いや、もちろん「大人になっても若い頃のバカな精神を忘れない」みたいな感じなら別にいいんだけど、ロイドは知的障害者にしか見えないからね。しかも、無意識の悪意に満ちた知的障害者だ。
ファレリー兄弟が最初から、ロイドを単なるバカではなくて知的障害者として描いている可能性も充分に考えられる。
ただ、そんな奴を「愛すべき気狂い」として笑えるキャラに造形できているかというと、そうではないのよ。

前作で感じた問題は、この続編でも全く修正されていない。
それは「その場に合わせて、ロイドとハリーの知的レベルが都合良くコロコロと変化する」という問題だ。
基本的にはハリーがバカでロイドが大バカなのだが、こいつらは急に理解力が上昇することもある。「ロイドが非常識でハリーが少しだけ常識的」ってのが基本だが、時にはロイドよりハリーの方が非常識になることもある。
そういう統一感の欠如は、「ハリーとロイドのコンビネーション」という部分でも安定感の無さに繋がっている。

例えば、ハリーが「腎臓移植が必要だ」と真剣に打ち明けた時、ロイドは「じゃあ今日の夕食は屋台に行く?」などと語る。
このシーンでは、ハリーは真っ当な人間で、ロイドは完全にイカれている(ロイドは意図的に冗談で誤魔化しているのではなく、ただ悪ふざけしているだけだ)。
ハリーは両親を尋ねるが、明らかに2人ともアジア系で血が繋がっていないのに、今まで養子であることに気付いていない。
そのシーンだと、ハリーのバカっぷりが強調されている。

ハリーが「運良くフレーダと子供を見つけられても、腎臓をくれるわけがない」と言うと、ロイドは「お前がしたことを考えれば、当然の見返りだ。お前は自由と不思議を与えた」と言う。
不思議の意味について問われた彼が「パパってなんて無責任なの?」と軽く笑うと、ハリーはため息をついて「もういいよ」と告げる。
ここでは、ハリーがロイドの悪趣味な冗談に全く同調しない。「いい人生だった」と、真正面から自分の病気や死について捉えている。
どこにも「度を超えたバカっぷり」は見られない。

ロイドがピートに会おうと持ち掛けると、ハリーは「あいつには何年も会ってない。夜中にいきなり訪ねて女の連絡先なんか聞けない」と言う。それはマトモな意見だが、ロイドが「平気だ」と口にすると、すぐに同調する。
ロイドが自転車で行こうとすると、ハリーは「バスの方が速いと思うんだけど」と言う。それは常識的な意見だ。
ピートの死を両親から聞かされたロイドは、相手を苛立たせるような冗談を口にする。立ち去る時に彼が「気まずかったな」と漏らすと、ハリーは「最悪だ。来客なんだからズボンを履けよ」と見当違いのことを言う。
両親と話している時点ではロイドのイカレっぷりが描かれ、立ち去る時にはハリーのズレた感覚が提示される。

フレーダが娘を養子に出したことを話すと、ハリーは「どうすればいい」と狼狽する。ロイドは真剣な口調で、「もう終わりだ。諦めろ」と諭す。
一時的にロイドが真面目モードになり、すぐに大バカへと戻る。
フレーダに「君のためにペニーと会う」と嘘をつく時だけは、急に真っ当な悪知恵が働いている。
ピンチェローが箱の中身について話していると、ロイドとハリーは「暇だから」とソファーを動かして秘密基地を作る。
娘に会うために来たはずなのに、その目的を忘れて遊んでいる。

ストーリーを進めることは二の次で、それよりも「バカな連中がバカなことをやって過ごす」という描写に重きを置いている。
例えばエル・パソへ向かう途中、ロイドがペニーと結婚する妄想を膨らませる。この妄想シーンは、かなり厚く丁寧に描いている。ここはバッサリとカットしても、物語の進行には何の影響も無い。老人ホームのシーンも、同じことだ。
だが、それこそが本作品にとって大事な部分なのだ。無駄でしかないが、その無駄を楽しめるかどうかが本作品を観賞する上での生命線と言ってもいい。
ちなみに「お前はどうなんだよ」と問われたら、「まるで楽しめなかった」と即答する。
それは「ストーリー第一主義だから」ってことでもなければ、「無駄が大嫌い」ってことでもない。楽しむことが出来なかった理由は簡単で、そういう寄り道のシーンがこれっぽっちも面白くないからだ。

旅の途中では、「ロイドとハリーの悪戯がエスカレートする」という展開がある。これに怒ったトラヴィスは、彼らを殺そうと決意する。
トラヴィスは最初から悪人として描かれているので、「殺そうと目論む」ってのは、その延長線上にある展開だ。ただし彼らがロイドたちに激怒して殺意を抱くのは、充分に理解できる。
それを「やり過ぎだ」とか「殺すなんて酷い」とは全く思わないぐらい、ロイドとハリーの行為は度を超えている。もはや悪戯ではなく、ただの悪質な殺人未遂だ。
それを何も反省せずに笑い飛ばすんだから、こいつらの方がよっぽど悪党だと言ってもいいぐらいだ。
その過剰な「悪戯」を笑えと言われても、それは無理な相談だわ。

当たり前っちゃあ当たり前だが、前作と同じでボケたらボケっ放しだ。
そもそもアメリカにボケとツッコミという文化は無いが、「誰かが変なことを言ったら間違いを指摘する」とか、「誰かのバカな行動で相棒が振り回される」といった関係性は映画の世界じゃ普通にあることだ。そういうコンビネーションが、この映画では全く成立していない。
それどころか、今回は新たにペニーという中途半端なバカも加わる。
バカとバカが絡んだらバカが倍増して面白くなるのかというと、これが見事に逆効果なのだ。
やり方次第ではちゃんと面白くなるかもしれないが、だとしても本作品では完全に失敗している。

(観賞日:2020年4月7日)

 

*ポンコツ映画愛護協会