『コーリング』:2002、アメリカ&ドイツ

シカゴ記念病院の小児科医であるエミリー・ダロウは、赤十字のボランティア医師団としてベネズエラの紛争地帯へ赴いていた。ERに勤務する夫のジョーは、エミリーが妊娠中だということもあって反対したが、エミリーの決意は固かった。しかし紛争が激しくなり、エミリーは豪雨の中で地元住民たちと共に避難することになった。ジョーと国際電話で話した後、彼女はバスに乗り込んだ。しかしバスは地滑りのため、崖から川底へと転落した。エミリーの遺体は発見されなかったが、全員死亡という判断が下された。
エミリーの葬儀を済ませたジョーは、すぐに病院へ戻って患者の処置に当たる。彼は自殺を図った少女を後回しにして、事故に遭った妊娠6ヶ月の妊婦から胎児を取り出すことを決めた。「上の許可が必要です」という看護婦に「そんな暇など無い」と告げたジョーは、胎児を取り出した。妻が亡くなってから、彼は1週間ずっと働き詰めの生活を送っていた。管理部長のキャンベルは彼に、「神経質になり過ぎて周囲も迷惑してる。悲しむための時間が必要だ」と休暇を取るよう促した。しかしジョーは聞く耳を貸さなかった。
自殺を図った少女の病室へ赴いたジョーは、「どうして、こんなことをしたの?ここより良い場所から引き戻した。またやるわ。生きていたくないの」と泣く。「誰も分かってくれない」と吐露する彼女に、ジョーは「生きていれば、誰かが分かってくれるかもしれない」と言う。さらに彼は、「ここより良い場所なんて無い。あるのは酷い世界だけだ。死にたければ死ねばいい。君は自由だ。だが、後で私を恨むなよ」と述べた。
仕事を終えたジョーはバーへ行き、友人のフローラ、エリック、ハルと酒を飲む。フローラたちは元気付けるために呼び出したのだが、ジョーは一杯だけ飲んで早々に立ち去った。ジョーが帰宅すると、隣人のミリアムが彼の留守中に受け取っておいたという小包を渡しに来た。それはテキサスの玩具会社にエミリーが注文していた荷物で、中身はトンボのモビールだった。エミリーの背中にはトンボの形の痣があり、彼女がジョーに贈ったガラスのペーパーウェイトにもトンボの作り物が入っていた。
夜、ベッドでエミリーのことを思い出していたジョーは、物音で体を起こした。ライトを付けると、テーブルの上に置いてあったはずのペーパーウェイトが床を転がっているのが見えた。翌日、出勤したジョーは、その出来事について「あんな重い物が勝手に落ちるか?」と同僚のチャーリーに話す。「何が言いたい?」と訊かれた彼は、「分からない。トンボは妻のシンボルのような存在だ。彼女が生きてた頃は、いつもトンボの付いたプレゼントを探していた」と語った。
チャーリーはジョーに、「妙な考えに取り付かれる前に引っ越せよ」と助言した。エミリーが飼っていたオウムはジョーに懐いておらず、「売ってしまえよ」とチャーリーは言う。しかしジョーは「絶対に手放さないって彼女と約束したんだ」と告げた。キャンベルが来て、改めて休暇を取るよう勧めた。するとジョーは、「小児科病棟の患者を診るって彼女と約束してた。今日辺り、行ってみるよ」と語る。チャーリーも休暇を勧めるが、ジョーにその気は無かった。
ジョーが小児科病棟へ行くと、ベンという少年がベッドから弱々しく手を振った。エミリーと約束したのは半年前だったが、その当時の患者は大半が死亡か退院で小児科病棟から去っていた。その夜、病院の廊下でベンチに座っていたジョーは、自分の名を呼ぶ少年の声を耳にした。その直後、心臓停止に陥ったジェフリーという少年がICUに運び込まれてきた。医師たちが電気ショックを与えるが、呼吸は戻らなかった。死亡を確認した医師たちは、ICUを去った。しかしジョーが歩み寄ると、ジェフリーは目を開いて蘇生した。ジョーが驚いていると、そこへ来た看護婦が「あの子の心臓は何度も停まってるんです。その度に臨死体験を聞かされた」と話した。
翌日、ジョーは婦長にジェフリーのことを尋ね、彼がエミリーと仲良しだったことを知る。ジェフリーの病室へ行くと、彼はジョーに自分の描いた十字のような絵を見せて「これ、何だと思う?」と問い掛けた。「ゼリーで書いた十字架?」とジョーが言うと、ジェフリーは笑った。看護婦はジョーに、ICUを出てからジェフリーが同じ絵ばかり描いていることを語った。「これは何?」とジョーが尋ねると、ジェフリーは「分かんない。頭に浮かんだんだ」と答えた。
ジョーが「私は昨日、ICUにいたんだ」と言うと、ジェフリーは「知ってる。見たもん。部屋に入って来て、ベッドの脇に立った」と告げた。看護師がジェフリーに黙るよう指示したので、ジョーは「どうして?」と訊く。すると看護婦は、「こういうことは喋らないよう言われているんです。宗教部のシスター・マデリンが、臨死体験した子供たちから話を聞いて調査していたんですが、それがテレビのワイドショーで取り上げられて、問題になったんです」と説明した。
看護婦が去った後、ジェフリーはジョーに「昨夜は天井から先生を見た」と言う。ジョーは信じなかったが、ジェフリーは彼の頭頂部に禿げた箇所があることを指摘した。ジェフリーはジョーの名前を知らなかった。エミリーの夫だと知ったジェフリーは、「昨日、エミリーに会ったよ。虹の中にいたんだ。僕が霧の中を落ちて行くと、僕を助けて返してくれた。だから戻れた」と話す。ジェフリーは「伝言を頼まれた」と言うが、その内容を忘れてしまっていた。そこへジェフリーの父ポールが来て、「テレビに出たいから大げさに話したな」と笑った。彼はジョーに「禿を当てられたでしょ?私もやられました。ほら」と言い、病室の隅にある鏡を指差した。
廊下に出たジョーは、ベンの病室に目をやってハッとした。壁に飾られている絵は、ジェフリーが描いた模様と全く同じだったのだ。夜、ジョーは実家へ行き、父や兄夫婦と夕食を取る。兄嫁のシャリースは、友人であるカウンセラーのグウェンを連れて来た。ジョーは4人に、ジェフリーが自分を呼ぶ声を耳にしたこと、エミリーが何か伝えたがっていると聞かされたことを話した。グウェンから「貴方もそう思うの?」と問われたジョーは、「いや、そこまでは」と告げた。
ジョーは病院から電話があったように偽装し、食事を終えてすぐに立ち去ろうとする。グウェンは「いいのよ、嘘なんてつかなくても。まだ心の整理が付いてないんでしょ」と告げた。「愛していた者たちへの罪の意識と怒りが、亡霊を生み出してしまうんだわ。どれだけ望んでも、彼らには会えないのよ」とグウェンに言われたジョーは、「妻は最高の恋人で親友だった。恋しくてたまらない。だが、もう会えないことは分かっている。君の分析など要らない」と苛立ったように告げて立ち去った。
深夜の病院へ戻ったジョーは、ベンの病室に足を向けた。壁の絵だけでなく、ベンは他にも十字のような絵を描いていた。目を覚ましたベンは、ジョーが「私はジョーだ」と言うと「知ってる」と告げた。「何の絵だい?」とジョーが尋ねると、ベンは「あの人が来てって言った。廊下の写真に写ってる女の人」と話す。それはエミリーのことだ。「先生が僕に会いに来るとも言ってた」と彼は言う。「あの人、来てほしいんだ」とベンが口にするので、ジョーは「どこに?」と訊く。するとベンは、壁の絵を指差した。
ベンはジョーに、「救急車の中で、あの人の夢を見たの。死んだんでしょ?先生に虹まで来てほしがってる」と語った。「これは虹の絵なのかい?君とは前に会ったことがある?」とジョーが質問すると、ベンは「分からない」と答えた。「なぜ私を知ってた?」と訊くと、「顔を教えてくれたから。戻って、伝えてって言われた。虹まで来てほしいって」と彼は告げた。「そこへ行くには、どうすればいい?」とジョーが尋ねると、ベンは黙って首を横に振った。
ジョーは看護婦に、ベンがエミリーと知り合いかどうか尋ねた。すると看護婦は、「知らないはずですよ。2週間前に昏睡状態で運ばれてきましたから」と告げた。帰宅したジョーはミリアムに、ジェフリーやベンがエミリーから伝言を預かって蘇生したことを語った。しかしミリアムは全く信用せず、「私は弁護士よ。証拠の無い物は信用しない」と言う。ミリアムは自分にオウムの世話を任せ、休暇を取って出掛けるようジョーに勧めた。ジョーは「急流下りにでも行こうかな」と口にした。
家に戻ったジョーは、エミリーが最後に出した手紙が今頃になって届いているのを見つけた。手紙には数枚の写真が同封されていた。その中には、滝の前でエミリーがポーズを取っている写真もある。写真を眺めていたジョーは、窓の外にトンボが寄って来たのを目にした。ジョーは「ただの虫だ。灯りに寄って来ただけだ」と自分に言い聞かせ、ベッドに入る。しかし眠っていた彼は、「ハニー、帰ったわよ」というオウムの声で目を覚ました。ジョーが1階に下りると、キッチンのドアが開いていた。
ジョーがキッチンに入ると、オウムが暴れ回って部屋を散らかした。床に落下したオウムに歩み寄ったジョーは、窓の外にエミリーが一瞬だけ現れたのを見た。ジョーは車を走らせながらミリアムに電話を掛け、オウムの世話を任せた。彼はミリアムに、「あいつ、エミリーが帰って来たように興奮したんだ。僕もエミリーを感じた」と言う。病院へに到着したジョーは看護婦の制止を無視し、ジェフリーの病室へ行く。すると彼の姿は無く、壁には同じ絵が何枚も飾られていた。
ジョーは注意に来た看護婦に、ジェフリーのことを尋ねる。看護婦はジェフリーが血液検査に行っていることを告げ、ジョーの悪い噂が立っていることを話す。ジョーが臨死体験を調べていたシスター・マデリンのことを尋ねると、キャンベルが来て「彼女は解雇した」と告げた。キャンベルはジョーに、「昨日の午後、君と会ってからジェフリーの具合が悪くなった。君がストレスを与えたんだ」と述べた。ジョーが帰宅すると、ミリアムは「貴方がやったの?」と言い、割れた植木鉢の土を使って床に描かれた十字の絵を見せた。それだけでなく、窓にも十字の絵が無数に描かれていた。
ジョーはマデリンの元を訪ね、エミリーの夫であることを告げる。「臨死体験は子供たちの空想ではないのですか?」と尋ねるジョーに、マデリンは「貴方は心に強く思い描いたから医者になれた。思うことで現世が作れるなら、来世だって存在し得るはずです、信じれば、叶うのです」と語った。ジョーは「妻は信じてる。私に接触しようとしてるんです」と言い、エミリーが子供たちに伝言を託したことを話す。ジョーは子供たちの描いた絵を見せるが、マデリンは見たことが無かった。
マデリンはジョーに、「人の意識には、完全に覚醒した状態と死の間に幾つものレベルがある。奥さんは貴方なら分かると確信し、麻酔を掛けられた子供たちに伝言を託した。子供たちの近くにいて、再び闇から戻った直後の記憶を聞くのです。そうすれば、きっと答えをもたらしてくれます」と語った。ジョーは臨死体験やシンボルに関する本を調べるが、十字の絵については何も分からなかった。
ある夜、脳死状態に陥った男性が病院に運ばれて来た。その患者が腎臓のドナーに該当しているため、ジョーはチャーリーからの電話で、自分が行くまで見張っているよう頼まれた。ジョーは病室へ行き、患者と2人きりになった。すると患者の男は、エミリーの声でジョーの名を呼んだ。男はジョーに、もっと近付くよう言う。そこへ移植チームが来て男を運ぼうとすると、ジョーは「まだ動かすべきじゃない」と抵抗する。チャーリーが来たのでジョーは「まだ生きてる」と言うが、「これは遺体だ」と突っぱねられた。
ジョーは「エミリーの声がした」と告げ、男の移送を力ずくで止めようとする。ジョーはスタッフに取り押さえられ、看護婦が警察に電話を入れた。ミリアムが身元保証人になり、ジョーは保釈された。ジョーが「エミリーの声だった」と言うと、ミリアムは「エミリーが何を伝えたがってるっていうの?まさかエミリーが生きてるとでも」と告げる。ジョーが「彼女は昏睡状態なのかもしれない。遺体は発見されていない」と話すと、「遺体を見てないから、いつまでも気持ちを引きずるのよ」とミリアムは鋭い口調で告げた。
ミリアムは「エミリーの死を認めたくないから、声を聞いたりするのよ。もう終わりにしなきゃ」と言い、エミリーの所持品を処分して人生を再スタートさせるよう説いた。後日、家を売りに出したジョーに、ミリアムは「とにかく過去を忘れるのよ」と告げた。ジョーがエミリーの荷物を片付けていると、ランプの灯りが消えた。ジョーは新しい電球を取りに行き、部屋に戻った。すると、片付けた荷物が全て元の場所に戻っていた。あの十字が滝の地図記号だと知ったジョーは、ベネズエラへ飛んだ…。

監督はトム・シャドヤック、原案はブランドン・キャンプ&マイク・トンプソン、脚本はデヴィッド・セルツァー&ブランドン・キャンプ&マイク・トンプソン、製作はマーク・ジョンソン&トム・シャドヤック&ロジャー・バーンバウム&ゲイリー・バーバー、製作協力はアラン・B・カーティス&ジャネット・ワトルズ&アーリーン・ケーラ、製作総指揮はジェームズ・D・ブルベイカー&マイケル・ボスティック、撮影はディーン・セムラー、編集はドン・ジマーマン、美術はリンダ・デシーナ、衣装はジュディー・ラスキン・ハウエル、視覚効果監修はジョン・ファーハット、音楽はジョン・デブニー、音楽監修はジェフ・カーソン。
主演はケヴィン・コスナー、共演はジョー・モートン、ロン・リフキン、キャシー・ベイツ、リンダ・ハント、スザンナ・トンプソン、ジェイコブ・ヴァルガス、リサ・ベインズ、マット・クレイヴン、ジェイ・トーマス、ロバート・ベイリーJr.、ジェイコブ・スミス、ケイシー・ビッグス、レスリー・ホープ、ピーター・ハンセン、メアリー・ベス・フィッシャー、キム・ストーントン、ライザ・ウェイル、ナイジェル・ギブス、ハイジ・スウェッドバーグ、ジェイミー・スー・シェリル、サマンサ・スミス、アンディー・アンバーガー、 ニコラス・キャスコーン他。


『ライアー ライアー』『パッチ・アダムス トゥルー・ストーリー』のトム・シャドヤックが監督を務めた作品。
ジョーをケヴィン・コスナー、キャンベルをジョー・モートン、チャーリーをロン・リフキン、ミリアムをキャシー・ベイツ、マデリンをリンダ・ハント、エミリーをスザンナ・トンプソン、ベネズエラでジョーを案内するヴィクターをジェイコブ・ヴァルガス、フローラをリサ・ベインズ、エリックをマット・クレイヴン、ハルをジェイ・トーマスが演じている。

この頃は、まだケヴィン・コスナーの持病である「オレ様病」が治っておらず、撮影に介入して色々と口を出したのかもしれない。
そんな風に感じるほど、この映画は「ケヴィン・コスナーさえ目立てばOK」といった感じになっている。
せっかくキャシー・ベイツやリンダ・ハントといった女優を起用しておきながら、まるで活用していない。ぶっちゃけ、「そのポジションって誰がやっても良くないか」という程度の扱いに留まっている。
出番が少なくても、重要な役回りを担うのであれば、それはそれで意味がある。
しかし、そうではなくてホントに「ただの脇役」でしかないのだ。

特にリンダ・ハントの演じるマデリンなんて、特にこれといった手掛かりを与えるわけでもなく、「子供たちの近くにいて」と言うだけ。
そんなこと言われなくても、ジョーは子供たちの近くにいるだろうと思うぞ。
ひょっとすると、その前にキャンベルが「お前がストレスを与えてジェフリーの具合が悪くなった」と言っているので、「それでもジョーが子供たちと距離を置かないように」ということでマデリンに助言させているのかもしれない。
だけど、まあ存在意義は薄いわな。

っていうか、ジョーがエミリーの伝言を知ろうとして、ジェフリーにストレスを与えて具合を悪くしているってのはダメだろ。そうなると、ジョーは「自分の目的のためなら子供に犠牲を強いる身勝手な奴」ってことになってしまうぞ。
あと、そんな風にストレスで具合が悪くなったのは、エミリーが子供たちに伝言を託したのも原因なんだよな。
蘇生したからって元気なわけじゃないんだから、病気の子供たちに負担を強いるってのは、小児科の医者としてどうなのよ。もっと他に、ジョーにメッセージを伝える方法は無かったのか。エミリーって窓の外に一瞬だけ出現しているんだから、子供たちを利用しなくても何とかなったんじゃないのか。
っていうか、そんな風に考えさせてしまうってことは、あの「エミリーが一瞬だけ現れる」という描写は厄介だな。無い方が良かったかもしれないな。

トンボのペーパーウェイトが床を転がるのを目にしたジョーは、「あんな重い物が勝手にテーブルから落ちるか?」と疑問を抱く。
だが、たまたま置き場所が悪くて落ちやすくなっていたとか、色んな可能性がある。だから、それだけで「超常現象ではないか」と考えるのは、かなり無理がある。
もちろん、それは「ジョーがエミリーの死で神経質になっている」ということを示すためのシーンではあるんだろう。
ただし、それと同時に「ホントに超常現象かも」ということを少しは匂わせておくべきだ。

その後には、その場で明確に分かる超常現象が立て続けに起きる。
だったらペーパーウェイトの落下も同様だった可能性が高いのだから、超常現象の可能性を匂わせておく方がいいってことだ。
っていうか結局、それは超常現象だったのか、違うのか、どっちなんだよ。そこがハッキリしないのは無駄に引っ掛かる。
そういう意味でも、やはり「ホントに超常現象じゃないか」と感じさせる描写にしておいた方が得策なんじゃないか。

「死んだはずのジェフリーが蘇生する」ってのは超常現象なのかと思ったら、看護婦が「これまで何度も心臓が停止している」と説明する。
良くある出来事なのかよ。
でも、その前に「ジョー、聞こえてるの?」という声がしたのは、明らかに超常現象だ。だったら彼の蘇生も超常現象にすりゃいいのに、なんでそこだけは「今まで何度もやっている」という設定にしたんだろう。
その狙いが良く分からん。

死んだはずのジェフリーがカッと目を見開いて蘇生するシーンは、すげえ怖い。
でも、そこって怖がらせることが適切なシーンではないはずでしょ。なんで余計なトコで観客を怖がらせようとしているのか。
そこに限らず、それ以降の展開においても、トム・シャドヤックは観客を怖がらせることを意識して演出している。
これはシナリオではなく演出の方向性が強い。前述したシーンでも、「ジェフリーが蘇生する」という筋書きだけなら、恐怖を煽らない演出で描くことは難しくない。

それ以降のホラー演出を具体的に挙げると、例えばジョーがエミリーから届いた写真を眺めているシーン。
窓の外にトンボが寄って来るが、明らかにBGMが不安を煽ろうとしているし、「ただの虫だ。灯りに寄って来ただけだ」と呟くジョーも怯えた様子だ。
しかし、仮に「何か意味があってトンボが寄って来たのではないか」とジョーが感じているとしても、怖がるのは解せない。
なぜならトンボはエミリーのシンボルであり、だとすれば「エミリーが自分に何か伝えようとしている」と考えるのが自然だからだ。
そして、そう考えたのだと仮定すると、それを怖がる理由は何も無いはずだ。

オウムの声で目を覚ましたジョーがキッチンへ行くシーン、オウムが暴れ回るシーン、窓の外に一瞬だけエミリーが写るシーンも、やはりホラー映画のタッチで描写される。
そこもやはり、「エミリーが何か伝えようとしていることを子供たちから聞かされた後、エミリーの姿を目にしたのなら、そりゃあ少しはビビるかもしれないが、全面的にホラー描写なのはどうなのよ」と思ってしまう。
脳死の男がジョーの名を呼ぶシーンも恐怖描写になっているが、それも違和感が否めない。
っていうか、そこは別の違和感もあって、それは「メッセージを伝える役回りは小児科に運ばれてくる子供に限定しておけばいいのに」ってことだ。

ひょっとすると、「ジョーは自分の頭が変になったんじゃないかという不安に見舞われる」という意味で、不安を煽る演出にしている部分はあるかもしれない。
ただし、そのように解釈しても、「やっぱ違うなあ」と思ってしまう。
そういう意味での不安をジョーが抱いているとしても、エミリーと会いたい、メッセージを知りたいという気持ちはあるはずで。
この映画におけるジョーの反応だと、本当にエミリーと会いたがっているのかどうかってことさえボンヤリしてしまう。なんせエミリーを見て怖がっているんだから。

この映画をホラー風味で演出したのは、大いに疑問だ。
実際にホラー映画であれば、そういう演出をするのは当然のことだ。しかし実際のところ、これはホラー映画ではない。それどころか、最後は「感動のドラマ」として締め括ろうとしている作品なのだ。
一部分だけ妙にホラー風味が強くなっているわけではなく、終盤に至るまでホラーのテイストなので、意図的にやっているんだろう。で、ホラーじゃないにも関わらずホラーっぽく演出する狙いとしては、「感動のラストが待ち受けていることを隠す」ということが考えられる。
オチの部分を隠蔽するだけなら、それは決して悪いことじゃない。
ただ、隠し方が悪かった。

この映画で隠しておくべきは、「エミリーがジョーに伝えたかったメッセージが何なのか」ということだ。「エミリーはジョーに愛のメッセージを伝えようとしていた」ということまで、隠す必要は無いのだ。
それを考えれば、オチを隠すためにホラー映画のように偽装するという戦略は、明らかに失敗である。
声高にアピールする必要は無いが、愛と感動のドラマであることは素直に匂わせればいい。その中で、メッセージの内容だけを隠しておけば事足りるのだ。
最初に「エミリーは最期の瞬間に何を見たのだろう。その答えが分からず、私を苦しめる」というジョーのモノローグが入るのだから、さっさと「エミリーが死の間際に何を見たのか、その答えを見つけ出そうとする」という目的意識をジョーにも観客にも持たせるような構成にしてしまえばいいのだ。
そこを隠してホラーを偽装しても、何もいいことなんて無い。もしも偽装する意図など無くて、でも結果的にホラーっぽくなってしまったということなら、もっと問題は大きいし。

あと、つい忘れそうになっていたんだけど、後半に入ってミリアムが「エミリーが何を伝えたがってるっていうの?まさかエミリーが生きてるとでも」とジョーに話すシーンで、エミリーの死体が発見されていないことを思い出した。
そして、ジョーが「エミリーは生きているかもしれない」と考えていることも、そのシーンで認識した。
でも、それは要らないなあ。
エミリーの死は確定事項にさせておいた方がいい。ぶっちゃけ、「エミリーが生きているのでは」なんて全く思えないんだから。
そこのミスリードは無意味だし、「生きているかもしれないと思わせて、やっぱり死んでる」という答えも「なんじゃ、そりゃ」と思っちゃうし。

(観賞日:2014年8月5日)

 

*ポンコツ映画愛護協会