『クジョー』:1983、アメリカ

草原に出て来た野ウサギは、セント・バーナードのクジョーに追い掛けられた。野ウサギが洞穴に逃げ込むと、クジョーは頭を突っ込んで吠える。洞穴に生息していたコウモリの群れが騒ぎだし、その中の1匹がクジョーの鼻に噛み付いた。夜、幼いタッド・トレントンは不安を抱きながらクローゼットを閉じ、部屋の電気を消して就寝しようとする。しかし恐怖に耐えかねて悲鳴を上げたため、母のドナと父のヴィクが駆け付ける。タッドは「クローゼットに怪物がいた。僕は見た」と訴えると、両親は「怪物なんかいない」と眠るよう諭す。両親が部屋を去った後、タッドは「怪物はいるんだ。信じて」と漏らした。
翌朝、タッドはクローゼットから怪物が出て来ないよう、家具を使ってバリケードを築いた。しかしヴィクが「あれは誰の仕業かな?」と軽く笑いながら言うと、彼は「僕じゃない」と否定した。そこへ家具修理業者のスティーヴが訪ねて来て、修理を終えたタッドの木馬を見せた。ヴィクは挨拶して会話を交わすが、トナは顔を強張らせて不自然な態度を取った。テレビでシリアルのコマーシャルが流れると、タッドは「あれを考えたのはパパだ」とスティーヴに自慢した。
ヴィクは愛車であるジャガーの調子が悪いので、近所の自動車修理工場へ赴いた。経営者のハリーは「そこに置いていってくれ」と告げ、すぐに見てほしいとヴィクが頼むと断った。たまたま工場に来ていた郵便配達員は、「キャンバーの所へ行け。腕はいいし代金も安い」と教えた。その頃、ドナは不倫相手であるスティーヴと密会し、肉体関係を持っていた。夕食の時、ヴィクが「最近は会話が無いな」と口にすると、タッドが手遊びで両親を笑わせた。
次の日、ヴィクはドナとタッドをジャガーに乗せ、ジョー・キャンバーの家を訪れた。ジョーは妻のチャリテイーと息子のブレットの3人暮らしで、自宅の納屋を作業場として使っていた。クジョーが姿を現すと、ドナは警戒してタッドを抱き上げた。ブレットは「大丈夫、こいつは子供が好きなんだ」と言い、クジョーが懐いている様子を見せた。タッドはクジョーを撫でながら、優しく話し掛けた。その夜、ヴィクは怪物に怯えるタッドを安心させるため、子供部屋で魔除けの呪文を唱えた。彼が寝室に行くと、ドナは「いい父親ね」と告げる。「夫としては?」と問われた彼女は、「最高よ」と答えてキスをした。
翌朝、シリアルを食べた大勢の人が食中毒に見舞われる問題が発生し、ヴィクと同僚のロジャーは電話対応に忙殺された。ドナはフォード・ピントでスティーヴの家へ行き、別れを告げた。ドナが去ろうとすると、スティーヴは家を飛び出して詰め寄った。車で家に向かっていたヴィクは、その様子を目撃した。ドナはタッドを小学校へ迎えに行き、車に乗せた。途中でフォードの調子は悪くなったが、何とか家まで戻ることは出来た。ヴィクから「何をしてた?」と訊かれたドナは、「いつもの通りよ」と嘘をついた。
その頃、クジョーは狂犬病に感染して少しずつ症状が悪化していたが、キャンバー家の3人は誰も気付いていなかった。帰宅したジョーはチャリティーが油圧式巻き上げ機を購入したと知り、贅沢な買い物だと腹を立てる。チャリティーは5000ドルの宝くじが当たったことを打ち明けるが、ジョーは喜ぶ様子を見せずに小さく「ありがとう」と言うだけだった。チャリティーは「ブレットを連れて1週間、妹の家へ遊びに行かせて」と頼み、ジョーの承諾を得た。ジョーは親友のゲイリーを家に招き、ボストンへ遊びに行こうと誘った。
次の朝、家を出たブレットは、濃霧の中でクジョーを探しに行く。すると彼の前に、よだれを垂らして唸り声を発するクジョーが現れた。ブレットは普段と全く違うクジョーに困惑しながら、話し掛けて手を差し出した。敵意を示して吠えたクジョーは、「落ち着いて、何もしないよ」と優しく告げるブレットに近付かずに立ち去った。家に戻ったブレットは、出掛ける準備をするチャリティーに「クジョーの様子が変なんだ」と知らせる。彼が「目は充血して口から泡を吹いてた。パパに話す」と言うと、チャリティーは「旅行に行けなくなる」と反対する。彼女が「クジョーの世話はパパがするわ」と告げると、ブレットは受け入れた。
クジョーは庭でゴミを捨てているゲイリーの前に現れ、いきなり襲い掛かった。ゲイリーは抵抗して家に逃げ込むが、クジョーは網戸を破って侵入した。ゲイリーはキッチンで武器になる物を探すが、クジョーに噛み殺された。ドナがキッチンで水を飲んでいると、背後から音も立てずにスティーヴが忍び寄った。ドナが驚くと、彼は一輪の花を差し出して「テーブルを磨いて持って来た」と告げる。タッドが2階で寝ていると聞いたスティーヴは、「君の肌が恋しいんだ」と強引にキスをした。ドナが突き放して「私の家よ」と声を荒らげると、スティーヴは「誰に向かって言ってるんだ」と怒鳴り返した。目を覚ましたタッドがキッチンに駆け込むと、ヴィクが来て立ち去らせた。スティーヴはドナに促され、家を後にした。
翌朝、ニューヨークへ出張するヴィクは、タッドに「すぐ帰るよ」と告げてキスする。彼はドナに「車の修理はキャンバーに頼め」と告げ、車を発進させる。ドナは慌ててヴィクを呼び止め、「スティーヴとは、もう終わったわ。一時の過ちだったの」と詫びる。ヴィクは「僕は辛い。どうすべきか分からない」と告げ、ニューヨークへ向かった。ゲイリーの家を訪ねたジョーは遺体を発見し、警察に電話しようとする。そこへ血まみれのクジョーが現れ、「狂犬病だ」と狼狽するジョーを襲って殺害した。
ドナはタッドをフォードに乗せて、キャンバーの家へ赴いた。しかしドナが呼び掛けても、何の反応も無かった。そこへクジョーが襲い掛かって来たので、ドナは慌ててドアを閉めた。彼女はクラクションを激しく鳴らしてクジョーを追い払うが、逃げようとしてもエンジンが掛からなかった。ドナがエンジンを休ませている間、クジョーはポーチに座って眺め続けた。タッドが「帰ろう」と言うのでドナがキーを回すと、エンジンが掛かった。しかし安堵したのも束の間、ギアをバックに入れた途端にエンジンは止まった。
夜、仕事を終えたヴィクは自宅に電話をするが、もちろん誰も出なかった。ドナはタッドから「オシッコしたい」と言われ、ドアを少し開けて隙間から排尿するよう指示した。キャンバー家で鳴った電話の音にクジョーが引き寄せられている間に、タッドは小便を済ませた。翌朝、目を覚ましたドナは窓から覗いているクジョーに気付き、顔を強張らせた。ヴィクは再び自宅に電話をするが、当然のことながら誰も出なかった。ドナはタッドが水筒の水を飲みたがると、「少ししか残ってないの」と我慢するよう諭した。
タッドはヴィクが書いた魔除けのおまじないを読み、ドナは庭に落ちている金属バットに気付いた。ドナは「エンジンを掛けて」とタッドに頼まれ、「バッテリーが弱いのよ」と言いながらもキーを回す。やはりエンジンは掛からず、ドナは「今に郵便配達が来るわ」とタッドに言う。しかしジョーが留守中の荷物を保管するよう郵便局に頼んでいたため、配達員が届けに来ることは無かった。再びキャンバー家の電話が鳴ると、クジョーは車に体当たりを浴びせた。タッドが叫ぼうとすると、ドナは口を塞いで「怒らせちゃダメ」と告げる。クジョーは体当たりを繰り返し、屋根に上がって窓を激しく引っ掻いた。
しばらくするとクジョーは姿を消し、疲れたタッドは眠りに落ちた。ドナは警戒しながら外に出ようとするが、先程の体当たりでドアが歪んで開かなかった。何度か試しているとドアは開き、ドナは辺りを見回して外に出た。すると車の下に潜んでいたクジョーが襲い掛かり、ドナは必死で抵抗して車内に逃げ込む。彼女は大怪我を負いながらもクジョーを蹴り付け、何とか車の外に追い払った。ドアを閉めたドナは、泣き叫ぶタッドの眼前で意識を失った…。

監督はルイス・ティーグ、原作はスティーヴン・キング、脚本はドン・カーロス・ダナウェイ&ローレン・キュリアー、製作はダニエル・H・ブラット&ロバート・シンガー、製作協力はニール・A・マクリス、撮影はヤン・デ・ボン、美術はガイ・コムトワ、編集はニール・トラヴィス、衣装はジャック・ビューラー、音楽はチャールズ・バーンスタイン。
出演はディー・ウォレス、ダニー・ピンタウロ、ダニエル・ヒュー=ケリー、クリストファー・ストーン、エド・ローター、カイウラニ・リー、ミルズ・ワトソン、ビリー・ジャコビー、サンディー・ウォード、ジェリー・ハーディン、メリット・オルセン、アーサー・ローゼンバーグ、テリー・ドノヴァン=スミス、ロバート・エルロス、ロバート・ベーリング、クレア・ノノ、ダニエル・H・ブラット他。


スティーヴン・キングのホラー小説『クージョ』を基にした作品。
監督は『赤いドレスの女』『アリゲーター』のルイス・ティーグ。
当初はピーター・メダックが監督を務める予定だったが、わずか1日で降板した。そのため、映画化が決まった頃からスティーヴン・キングが推薦していたルイス・ティーグが後任に起用された。
ドナをディー・ウォレス、タッドをダニー・ピンタウロ、ヴィクをダニエル・ヒュー=ケリー、スティーヴをクリストファー・ストーン、ジョーをエド・ローター、チャリティーをカイウラニ・リー、ゲイリーをミルズ・ワトソンが演じている。

冒頭、野ウサギが草原に出ると、クジョーが現れて追い掛ける。そのシーンでは明らかに、クジョーが「ウサギを攻撃する恐ろしい動物」として描かれている。
しかし以降の展開を考えると、それは絶対に間違いだ。
クジョーは「キャンバー家で飼われている人懐こい愛犬」として登場し、そんな「愛される可愛い大型犬」が狂犬病によって変貌する姿を描いた方がいい。
最初から「野ウサギにとって怖い存在」として登場させてしまったら、コウモリに噛まれて変貌する手順の意味合いが薄れてしまう。

タッドはクローゼットを極端に恐れ、怪物が潜んでいると主張する。両親が「怪物なんかいないよ」と言っても認めず、怪物が出て来ないようにバリケードまで築く。
だが、このエピソードが以降の展開に絡んで来ることは全く無い。もちろんクローゼットに怪物などいないし、クローゼットが物語で大きな役割を担うことも無い。
かなり強引に考えれば、「怪物が実在すると信じていたタッドの前に、本物の怪物と化したクジョーが現れる」という話ではある。
でも、それは無理して関連性を捻り出した結果でしかないからね。そこが上手く繋がっているなんてことは、全く無いからね。

キャンバー家を訪れたドナたちの前にクジョーが現れると、不安を煽るBGMが流れる。でも、この時のクジョーは、まだ人間を襲うような恐ろしい怪物には変貌していない。
なので、そこで観客を怖がらせるのは「何かあると見せ掛けて何も無い」という肩透かしの演出ってことになる。
ホラーだと良くある手法だけど、そこは全くプラスの作用が無い。
変に不安を煽らず、「ブレットに懐いている飼い犬」として見せておいた方が得策だ。

ドナがスティーヴと浮気する行為には、同情の余地が微塵も無い。ヴィクは暴力的で身勝手な男でもなければ、酒やギャンブルに溺れる男でもない。息子を可愛がる素晴らしい父親であり、仕事も真面目に頑張っている。
原作だとヴィクは失業中だが、そこの設定は変更されている。また、ワーカホリックで家族を疎かにしているわけでもないし、ドナへの愛情が冷めて他に女を作っているわけでもない。
だからドナがスティーヴと不倫している設定は、「なんでそんな奴をヒロインにするのか」と言いたくなってしまう。
スティーヴに別れを切り出す時に「夫と子供を裏切って、女好きと浮気なんか出来ない」と言うけど、今までアンタがやってきたのは「夫と子供を裏切って女好きと浮気すること」でしょうに。

もっと言っちゃうと、ドナの浮気がヴィクにバレる話と、クジョーが怪物に変貌する話が、上手く結び付いていないんだよね。
この2つの話を並行して描いているけど、ちっとも上手く絡み合っていないのよ。
ドナが浮気を後悔してスティーヴに別れを告げようと、スティーヴが納得できずに腹を立てようと、浮気を知ったヴィクがショックを受けようと、「ドナとタッドがクジョーに襲われる」という展開と何の関係も無いからね。

この作品だと「シンプルな動物パニック映画」として演出されているので、「クジョーに襲われるまでのドナの私生活に何があったのか」ってのは、ほぼ無意味に等しい情報なのよ。
そこにヴィクやスティーヴが関わって来るならともかく、全く関与しないんだからさ。
「ドナの浮気で家庭が崩壊の危機に陥っていたが、クジョー襲撃によって修復される」とか、「ドナを逆恨みしたスティーヴが犯罪を犯そうとするが、クジョーに殺される」とか、みたいなドラマがあるわけでもないんだからさ。
ドナの抱える家族への罪悪感が、クジョーとの戦いに大きな影響を与えるわけでもないし。

粗筋では全く触れていないが、狂犬病に感染したクジョーの変化を示す描写が幾つかある。
例えば、帰宅したジョーが油圧式巻き上げ機に気付く直前には、周囲の音に苛立って床下に隠れる様子が描かれる。ジョーがゲイリーと飲みながら話すシーンでは、これまた音に苛立つ様子が描かれる。
だが、「クジョーが今までとは違い、狂犬病のせいで音に苛立つようになった」ってことが、かなり分かりにくい。
小説だと文章で細かく説明するが、この映画の雑な映像表現では充分に伝わらない。

文章にもナレーションにも頼れない分、余計に「クジョーの変化」の表現は繊細にやらなきゃいけないはずだ。とは言え、「まあルイス・ティーグ監督だからね」ってことではあるかけどね。
っていうか、実は監督が誰であろうと、そんなに大差が無かったかもしれないなあ。
「クジョーは自分でも分からない内に怒りが制御できなくなり、怪物に変貌する」という流れは、犬の芝居だけで表現することは不可能に近いだろうから。
っていうか、まあ無理だわな。

終盤に入ると、「ヴィクが不安を覚えて自宅へ向かう」「スティーヴがトレントン家を荒らす」「ヴィクが警察を呼び、スティーヴが妻子を誘拐したと訴える」といった展開が描かれる。
でも、これが「ドナとタッドが車に閉じ込められてクジョーに襲われる」という本筋と、まるで絡んでいないのよね。
そっちで何が起きていようと、本筋には何の影響も及ぼさない。「両輪を動かして話を厚くする」という効果が得られているわけでもない。
なので、むしろ周囲の情報をバッサリと削ぎ落とし、「車という狭い閉鎖空間に閉じ込められた妻子が猛犬の脅威に見舞われる」という部分に集中した方がいいんじゃないかと思ってしまう。

クジョーは大型犬ではあるし、凶暴に変貌しているものの、「知恵を凝らせば何とか撃退できるんじゃないか」と思ってしまうのも痛い。
93分の映画を牽引する怪物としては、脅威に物足りなさを感じてしまう。言っちゃ悪いが、「狂犬病のセント・バーナード」に過ぎないわけで。
いや、もちろん実生活で狂犬病のセント・バーナードに襲われたら、ものすごく怖いとは思うのよ。でも「映画の中に登場する怪物」としては、そこまでの怖さを感じさせてくれないんだよね。
時間が経つにつれてクジョーの見た目がみすぼらしくなっていくけど、凶暴性が人間の手に負えないレベルに達するわけじゃないので、ただの薄汚れた大型犬でしかないのよ。
シンプルな動物ホラー映画になっているので、そこは致命的な弱点と言わざるを得ない。

(観賞日:2021年9月23日)

 

*ポンコツ映画愛護協会